筒井康隆さんが断筆をもって抗議活動していた頃、筒井ファンからは、「日本てんかん協会の抗議は的を得たものか?いいがかりではないのか?」という声があがっていた。
しかし、筒井さん本人は、てんかん協会の抗議については、「相手側の権利」と、みとめているのである。
筒井さんは、出版社やジャーナリズムの「早々に自主規制する姿勢」についてこそ「それでいいのか」と問いたかったのだと思う。
問題となった作品は、近未来を舞台に描かれ、「管理社会を風刺する」という意味合いをもつものだった。
こういうブラックユーモアは、初期の筒井作品にはよく出てくる。
「筒井文学は、こういうスタイルなんです」
「作者に差別の意図はない」
などと、言ったところで、たぶん抗議した人には、そんなことは関係なかったんだろうな…
「無人警察」が高校教科書として読まれた場合、どのような反応がおこるか?…最悪、差別がおこる可能性を考えて抗議しているわけだから。
てんかん協会は、てんかんに悩むひとへの社会援護活動を行う組織なので、そういう使命感をもって抗議したんだと思う。
しかし、筒井断筆後、協会は世間からおもいきり悪者にされていた。
また、断筆する前は、筒井さんが悪者役だった。家族のかたまで「犯罪者の家族」という扱いだったそう。
両者とも「過剰に」批判をあびた。
そのことと、出版社とジャーナリズムの自主規制が過剰だったことは、つながっていたと思う。
筒井さんは、往復書簡というかたちで、告発者「てんかん協会」と対話し、協会が懸念した「いじめをひきだす可能性」をみとめた。また断筆解除にあたっては、自主規制撤廃の覚書を出版社とかわしたという。
筒井さんのこの闘い方を、わたしは評価するけど、てんかんが身近な問題である人は、未だ筒井さん=差別者だと怒っているためか、「わけのわからない手法(断筆)でけむにまいた」という言い方をしていた。
いや~永遠にわかりあえないのか。。。
被差別者にとって、差別する人間は糾弾されるべき対象。そうやって差別者だと名指しされた者は、人間性を根本から否定されたような気持ち。
だから筒井さんも、過剰反応(断筆)してしまったのだと思う。
「ブラックユーモアは、誰かを傷つける表現形式」という筒井さんに確信犯、という部分はあったかも。
それが作品の魅力でもあった。
だから、「避けられないことだった」と自分は思っている。
柳美里さんのほうは、どうか言うと…それはまた次回に。