ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。

弊社HPには、オリジナル・デザイン生花祭壇の画像を種々掲載しております。

  

    


           是非ご覧下さい! 


     URL : http://www.warmheart.jp


  生前相談・見積依頼・葬儀に関するお問い合わせは 

        

      TEL : 03-5399-7123


  まで。 いずれも無料ですので、お気軽にどうぞ!


            バラ 必 見 バラ


     “オリジナル生花祭壇 Episode Series


          バックナンバーはこちら!

            ダウン     ダウン     ダウン


  1.〝オ-ストラリア〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080131.html
  2.〝 電  話  機 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080208.html

  3.〝 美  術  館 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080216.html

  4.〝 外  洋  船 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080305.html
  5.〝 波      涛 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080623.html

  6.〝 White Light 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20090129.html

  7.〝 別 れ の 曲 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11159923479.html

  8.〝ゴルフコース〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11795745868.html


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NEW !
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昨日のランチタイム・・・車で松屋の前を通ったら、見慣れぬ緑色のノボリがはためいており、そこには


 チキンと茄子のグリーンカレー

と書かれていました。


もともとカレーは牛丼チェーンの中で松屋が一番美味しいと思っていますし、まして辛いタイカレーは大好き・・・ということで、駐車場へ一直線。

店内に入ると、唐辛子が3つ並ぶポスターが貼ってあり、激辛党の心をくすぐります。

          


食券を買って、待つこと暫し・・・写真のようなカレーとライス、そして味噌汁が運ばれてきました。

カレーにはフクロタケも入っていて、本格的なタイカレーの趣。

私にすればそんなに辛くはないものの、一般の方には十分な辛さ。
食べた瞬間はそれほどでなくても、後からジワッと汗が出る感じ。

これで650円なら、コスパは高いと思います。

この新商品は24日から発売された期間限定メニューですので、カレー好きの方はお早めに!

暑い時こそ、辛い物が体にイイですからネ。

・・・ところで、このようなスープ・タイプのカレーをライスと別盛りで出された場合、皆さんはどうやって召し上がりますか?
 
 
① ライスの上にドバッとかける。
 ② カレーとライスを交互に口に運ぶ。
 ③ スプーンにライスを乗せて、それをカレーに浸して食べる。

私の場合、カレーはスープであろうとなかろうと①・・・なんですが、昨日はそれをやろうとした瞬間、なんとなく周囲のお客が私の手元を見ているような〝気〟を感じて断念。

仕方なく②と③を交互にやってみたんですが、いつもと勝手が違ってあまり食べた気がしませんでした。

それに③だと、スプーンから米粒がカレーの中に少しこぼれ落ちるんですょネ。

で、最後にはカレー容器を手に持って口につけ、底に沈んだ米粒共々ズズ~ッ・・・この瞬間はまさに〝カレーは飲み物〟状態。

きれいに飲み干して容器を下に置いた瞬間、隣のおっさん(あ、私もおっさんですが)と目が合いました。


そんなに珍しい、というか下品な食べ方だったかなァ?

いや、きっと他のお客さんもどうやって食べればいいのか、自信ないのかも。うー

次回からは、自分らしい食べ方を貫こう・・・そう決心をした私です。


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今日は、19世紀から20世紀にかけて活躍したイギリスを代表する作曲家、

 グスターヴ・ホルスト
    Gustav Holst


の命日にあたります。


ホルストは1874年、イギリス・グロスターシャー州にスウェーデン・バルト系移民の子として生まれました。


ロンドンの王立音楽院に学び、卒業後はオーケストラのトロンボーン奏者とをしていた時期もありましたが、30歳頃から終生ロンドン近郊のセント・ポール女学校の音楽教師を務め、その傍ら作曲を行いました。


           


今から82年前の今日・1934年5月25日・・・出血性胃潰瘍により59歳でロンドンで没するまで、合唱曲や歌曲を中心に200曲以上の作品を遺しました。

中には日本人からの依頼で作曲した 『日本組曲』 という作品もありますが、日本人でもこれを知っている方は殆どいないでしょう。

作曲家として必ずしも日本ではお馴染みではない彼を取り上げたのは、彼の名前以上に日本人に知られている作品があるから。 それは

 組曲 『惑星』 (The Planets


1914~16年にかけて作曲され、火星-金星-水星-木星-土星-天王星-海王星と7つの曲で構成されています。

(※地球が含まれていないのは、天文学ではな占星術から着想を得たからだとか。 また当時は冥王星の存在は知られておらず、1930年に発見された後に作曲しようとしたものの、果たせぬまま亡くなりました。)

近代管弦楽曲としては高い人気を誇り、1997年にはダイアナ元皇太子妃の葬儀や2012年のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式でも演奏され、また日本では2003年に平原綾香さんのデビュー曲〝Jupiter 〟はその名の通り、木星の第4主題に歌詞をつけたものですから、多くの方もこのメロディーに聴き憶えがあるはず。

しかし1920年に初演され好評を博したものの、特殊な楽器の多用や最後の第7曲・海王星では女性コーラスがあることで、その後殆ど演奏されることなく忘れ去られてしまいました。

ところが1961年、あのカラヤンがウィーン・フィルとの協演でリリースしたレコードが大ヒットし、一躍脚光を浴びるように。

        

上の画像は、それから20年後にカラヤンがベルリン・フィルと共演したデジタル録音盤ですが、その他に様々な指揮者・オーケストラがリリースしていますので、聴き比べてみるのも一興かと。

ただ、私がこの曲を生まれて初めて聴いたのは、オーケストラの演奏ではありませんでした。

それは、私が高校生だった1976年にリリースされた(つい先日亡くなられた)冨田勲氏のシンセサイザーによる編曲盤。

その前年に 『展覧会の絵』 の編曲盤が全米クラシックチャートの第1位を獲得したことで注目を集め、それを手に入れて新しい音楽に触れた私は、同じくチャート1位になったこの 『惑星』 も即購入したというわけ。

出だしに木星のテーマがしばし流れた後、まるでロケットのカウント・ダウンのような電子音に続いて、ロケットの発射音・・・とてもクラシック音楽とは思えぬ構成にビックリ。

深夜受験勉強をしていた時、これをヘッドフォンで聴いては眠気を吹き飛ばしていたことを懐かしく思い出します。

        


実はホルスト、この曲の出来栄えには相当自信があったようで、楽器編成の厳守や抜粋演奏の禁止など様々な制約を設けていました。

ですから本格的な編曲としては、この冨田盤が初めてであり、この成功によって以後多くの編曲がなされることとなったのです。

もしホルストがこのシンセサイザー盤を聴いたら、どんな顔をするんでしょう? ちょっと見てみたい気もします。

今宵は彼の冥福を祈りつつ、カラヤン盤と富田盤を久しぶりに聴き比べてみるつもりです。笑3


興味のある方は、こちらで第4曲〝木星〟をお聴きください。

◆カラヤン/ベルリン・フィル盤(↓)

      https://www.youtube.com/watch?v=Ixecvm2Q4oU


◆冨田勲盤(↓)
       https://www.youtube.com/watch?v=tDFocqYSrfE


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子供の頃からプロレス・ファンだった私には、ジャイアント馬場・アントニオ猪木ら記憶に残るレスラーが何人もいますが、その理由はいずれも強かったから。

しかし中には、(決して弱くはなかったのですが)パフォーマンスというか個性で忘れられない選手が。 

今日は、その中の1人、


 ラッシャー木村 選手

の命日・七回忌にあたります。


木村選手(本名:木村 政雄) は1941(昭和16)年の北海道中川郡生まれ。

小さい時からプロレスラーになるのが夢だったそうで、その基礎体力をつけるため高校を中退して大相撲・宮城野部屋入り。

入門のキッカケは部屋に稽古の見学に行った際、親方から「いい身体してるな。 ウチに入らないか?」と誘われ、ちゃんこをご馳走になったため断れなかったからだとか。

しかし初心貫徹・・・幕下20枚目まで上がったところで「十両に上がったら辞められなくなる」と親方の慰留を振り切って1964年に部屋を飛び出し廃業、その翌月に日本プロレス入り。

その後豊登選手の付き人をしていたことで、彼について東京プロレス→国際プロレスに移籍。

ラッシャー木村のリングネームで活躍し始め、1969年にはサンダー杉山と組んでTWWA世界タッグ王座を獲得。

私がテレビで彼のファイトを初めて観たのは、この時分だったと思います。

そしてアメリカに武者修行に出かけた後帰国した彼の名を一躍有名にしたのは、1970年10月に大阪で行った、日本初の〝金網デスマッチ〟。

以降連勝を続け、彼には〝金網の鬼〟という異名がつけられました。

その後各団体で活躍した木村選手でしたが、何といっても記憶に残るのは、彼の〝マイク・パフォーマンス〟。

        

全日本プロレスからノア時代にかけて、リング上でマイクを握って相手を挑発(?)するトークは、独特のユーモアというか味が絶品。

1981年に試合開始前に「こんばんは」とKY(?)な挨拶をかましビートたけし師匠にギャグにされて以降は、試合よりもこの喋りを聞きに会場に足を運んだファンも多かったのではないでしょうか?

その人気ぶりにテレビのバラエティー番組に出演するなど、幅広く活躍。

しかし身長186cmで体重は全盛期で125kgあったという彼も、年齢と共に身体の筋肉は落ち、ジャイアント馬場選手の記録を抜いて現役最年長記録を更新したものの、2004年・63歳で現役引退を表明。

引退後に脳梗塞で倒れたそうですが、プロレスラー仲間の見舞いを頑なに断り続けたのだとか。

やはり車椅子に座る自分の姿を後輩には見せたくなかったんでしょうネが・・・その気持ち、分かる気がします。

そして2010年5月24日、誤嚥性肺炎により68歳でこの世を去りました。

約40年の長きにわたってプロレス界を支えた名物レスラーのご冥福を、伝説のマイクパフォーマンスを観ながらお祈り致しましょう。笑3




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朝っぱらから色っぽいお題で失礼しますが、今日は


 キスの日


なのだそうです。


その由来は、今からちょうど70年前の今日・・・終戦直後の1946年5月23日に、日本で初めてのキスシーンが描かれた邦画・『はたちの青春』 が封切られたことから。

(※しかし厳密に言うと、日本初のキスシーン映画はこの作品より4ヶ月前に公開された 『ニコニコ大会 追ひつ追はれつ』 。

ただしこの映画は22分の短編映画でした。 

ちなみに 『はたちの青春』 は72分。)


実際には、ほんの少し唇を触れ合わせた程度のキスだったそうですが、当時の観客には衝撃的!

「日本初のキスシーン登場」と宣伝され、映画館は連日超満員。


演じたのは大坂志郎さんと幾野道子さん。 

2人ともそのシーンの直前までガーゼで口をガードし、決死の覚悟で演じたそうな。


           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-はたちの青春


ただ個人的には、大坂志郎さんというとTVドラマシリーズ・『大岡越前』 の同心役が印象強く・・・彼が日本初のキスシーンを演じたと聞くと、どうしてもちょんまげ姿の彼が接吻しているシーンが頭に浮かんでしまいます。あせあせ


ところで、このキスシーン・・・実はGHQが関わっていたんですって。


というのも、この映画の前に公開された作品では恋人同士のキスシーンを傘で隠して撮影したのですが、


「キスを見せないのは不自然だ」


とGHQが映画会社にクレームをつけたために、本作品では晴れて(?)オープンになったというのです。


まぁ、アメリカ文化導入の一端を垣間見る思いがしますネ。


ちなみに、そのアメリカで初めてキスシーンが公開されたのは1896(明治29)年・・・映画の題名もズバリ、『The Kiss 』。


ところが面白い事に、いざキスシーンが銀幕に映し出されると映画館内はざわめき、口笛を吹く者も。 


新聞等で 「公序良俗に反する」 と批判され、結局映画史上初の検閲映画として上映禁止になったとか。驚き顔 ヘェ~


キスの本場(?)アメリカにも、そんな黎明期があったんですねェ。


ところで皆さんは、恋人や奥様・ご主人との初キスを憶えていますか?


えっ、私?


そりゃあ、もう・・・我が女房との初キスは甘酸っぱいとかそういうものではなく、あの衝撃的な一瞬は忘れられません。


あれは、とあるレストランで食事をした後の・・・・っと、危ない危ない。


うっかりバラしたら女王様に殺されますので、ここから先は皆さんの想像にお任せしますネ。笑2



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男体山の噴火によって堰き止められてできた中禅寺湖の唯一の流出口・大谷川にある、落差97mの


 華厳の滝


30年前に滝口の一部が崩落し景観が変わってしまいましたが、現在でも栃木県・日光の観光名所として、外国人を含め多くの観光客が訪れています。

         

そしてここは観光の他に心霊スポット、また(かつては)自殺の名所として知られていますが、その端緒となったのが、今から113年前の今日・1903(明治19)年5月22日に藤村 操(みさお)という青年が投身自殺をしたことがキッカケでした。 


彼は1886(明治19)年に北海道で生まれたましたが、一族は父親が屯田銀行頭取、叔父は歴史学者、そして弟は後に三菱地所の社長になった秀才揃い。


本人も13歳の時に父親が亡くなった後に上京し、開成中学から第一高等学校に入学した秀才でした。

しかしその一高の1年生の時、彼は 『巌頭之感』 という遺書を滝近くの木に書き残して、滝壺に飛び込んでしまったのです。

            


父親を早くに亡くしたため家族を背負って生きなければならず、また自分に対する周囲の期待が重くのしかかり、反面自由に生きたい、いう欲求との葛藤に悩み続けた末の哲学的な自殺だった・・・というのが通説ですが、失恋説もあります。

確かに、『巌頭之感』 は到底16歳の若者が書いたとは思えぬハイレベルな文章であり、私には理解できない代物ですが、文中に〝不可解〟と記した彼の悩みの深さというか一途さは感じ取ることはできます。

そして彼の投身自殺は、立身出世を是とする当時の社会に大きな影響を与えました。

発売したばかりの哲学書の宣伝のため、出版社が彼の叔父に〝哲学的に悩み厭世観を持った青年が死を選んだ〟という内容の追悼文を書かせたそうですが、他にも多くの知識人がこの自殺に関して言及。

それらに感化された若者が次々と後追いを試み、現地で警察に引き留められた人もいたものの、彼の死後2か月間で15人、4年間で180名以上が自殺したそうな。

しかし、私は自殺という選択は絶対に止めて欲しい、と強く思います。

確かに本人にとっては深く悩み苦しんだ末の決断でしょうし、死ぬことによってその苦しみからは解放されるでしょう。

でも残された家族や友人が受けたショックは、簡単に癒えません。

私は今までに何回か自殺された方の葬儀のお手伝いをさせていただき、ご遺族の苦しみ・悲しみを目の当たりにしていますから、よく分かります。

自殺とは、究極の自己中心的な行動だと言えます。

もし家族や友人を愛しているなら、彼らを未来永劫苦しめるような選択はしないで欲しいのです。

それにしても、華厳の滝では今でも彼の写真や 『巌頭之感』 を印刷したお土産品が売れらているとか。

商魂逞しいというか、何というか・・・。うー



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今日は、日本映画界を代表する俳優のお一人、

 長門 裕之 さん

の命日・・・早いもので、没後5周年にあたります。


長門(本名 : 加藤 晃夫)さんは、1934(昭和9)年に京都市で生まれました。

父親が戦前の映画スター・沢村国太郎、母親も女優のマキノ智子。


弟が俳優・津川雅彦、叔父も俳優の加藤大介、叔母が女優・沢村貞子、更に祖父は〝日本映画の父〟と謳われた映画監督・牧野省三という、まさに芸能一家に生まれた長門さん。

銀幕デビューは僅か6歳の時に子役として出演した 『続清水港』(1940年公開)。

立命館大学を中退して日活入りした彼は、『太陽の季節』の主役を務め、デビューしたばかりの石原裕次郎さんと共演するなど活躍。

しかしその後は、弟の津川雅彦さんらに人気を奪われがちに。

私自身、正直なところコレといって長門さんの印象が強く残る作品が浮かんできません。

ただ逆に言えば、それくらい出演した映画やドラマが多かった、とも言えますが。

むしろ記憶に残っているのは、スキャンダルと私生活の方。あせあせ


         


ひとつは30年程前に長門さんが出版した 『洋子へ』 という暴露本。

熱烈な猛アタックでハートを射止め結婚した女優・南田洋子さんに捧げる形で書き下ろされたこの本は、長門さんの女性遍歴を実名で告白したもの。

当然名指された女性は猛反発。
結局長門さんは初版を回収し、改訂版を出した上で新聞に謝罪広告を出す羽目に。

結局これが響いて、南田さん共々芸能界から長期にわたり干されてしまいます。

そしてもうひとつは、その南田さんの認知症。
だんだん衰えていく妻を、老々介護で支える長門さんの姿をテレビのデキュメンタリー番組で観た事でした。

一部には金儲けのためだという批判もあったようですが、私は敢えて実態を曝け出したことはこれからの高齢化社会を予見させ、介護が他人事でないことを多くの国民に〝認知〟させた意義は大きかった、と評価します。

仕事柄、奥さんに先立たれたご主人が急に萎れてしまう話をよく聞きますが・・・症状が悪化した愛妻の南田さんが2009年10月に他界すると、その僅か1年半後の2011年5月21日、長門さんも後を追うように肺炎の合併症により77年の生涯に幕を下ろしました。

おしどり夫婦として有名だった長門・南田夫妻の愛情に、ウソはなかった・・・介護の様子や最期の迎え方から、私はそう信じます。


きっとあの世でも、お二人は仲睦まじく暮らしていることでしょう。

あらためてご両人のご冥福をお祈りしたいと思います。笑3


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今日・5月20日は、おそらく世界的に最も有名なイタリア人探検家・・・一般的にキリスト教世界の白人として、初めてアメリカ大陸を発見したといわれる


 クリストファー・コロンブス

   Christopher Colombus


の命日・没後510周年にあたります。


         


彼は1451年にイタリアのジェノヴァで生まれたとされていますが、実はその出生地を含め前半生の詳細が殆ど分かっていない、謎多き人物。


若い頃から航海に関わり、地球は丸いということを自身の経験から薄々感じていたらしく、

「大西洋をひたすら西進すれば、アジア大陸に行き着く」


と考えた彼は、運よくスペイン王室の援助を受けることに成功し、自らの仮説を立証すべく1492年に出航しました。


約2ヶ月後、苦難の末に探検隊一行は現在のバハマ諸島・キューバに上陸。


以降10年間に4回の航海を行い、最後の航海途中に偶然ベネズエラ付近に上陸し、南米大陸を発見します。



しかしその後は入植がうまく進まず、やがてイザベル女王の死によって大きな後ろ盾を失ったコロンブスは、スペインに帰国したのち病を患い・・・1506年5月20日、50代半ばにしてその生涯を終えました。


ところでコロンブスは、上陸した新大陸を最後までインドだと信じていたのだとか 

それ故に新大陸で出会った先住民族は、インドの先住民族であるとして 〝インディアン〟 と呼んだわけです。


その後この新大陸がインドではないと判明してから、アメリカ大陸を探検したアメリゴ・ヴェスプッチというイタリアの探検家が、「コロンブスより先にアメリカ大陸を発見していた」 と発表。


そのため、新大陸の名前はインドではなく 〝アメリゴ〟 と付けられ、後に女性名のアメリゴ=アメリカに修正されました。


の名前が定着した後で、コロンブスの方が早く新大陸に辿り着いたことが証明されたのですが、時既に遅く・・・呼称はそのまま変更されませんでした。


本人の勘違いがあったとはいえ、ちょっと可哀想な気もしますネ。


そしてコロンブスといえば、誰もが あの逸話をご存知のはず。            


コロンブスの業績を批判した者に、「では、この卵を立ててみたまえ」 と手渡し、結局立てられなかった彼から卵を奪い取ると、机に強く打ち付け底を割って立ててみせた・・・いわゆる〝コロンブスの卵〟。


残念ながら、これは後世の作り話・・・というより、彼の生きた時代以前に同様の話が存在しているのだそうな。


しかし十分な科学的裏付けもなく、また植民地開拓・香辛料の取得などの野心があったとしても、自分の信念のみで未知の大海に船出した勇気は、この逸話を抜きにしても称賛に値します。

ただし、入植後各地で行った(一説では5万人以上もの)原住民の虐殺を帳消しにはできませんが。うー


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スピード狂なら、一度は走ってみたい・・・そんな道路が、ドイツにあります。

そう、制限速度のないことで有名な


  

 アウトバーン
  Autobahn 


この世界的に有名な高速道路がフランクフルト~ダルムシュタット間で初めて開通したのが、今から81年前の今日・1935年5月19日のことでした。


                    

                Autobahn の交通標識

日本初の高速自動車道である名神高速道路が一部開通したのが1963年ですから、それより30年近く前・・・まさにヒトラー率いるナチスが台頭した時期と重なっているのです。

1929年に世界恐慌が起き、ドイツにも不景気・失業の波が押し寄せました。

そんな中、ナチス党のヒトラーは国民に職とパンを与えることを約束し、急速に勢力を伸ばしました。
        

そして1933年に首相の座についた彼は、「休日には低所得者層も自動車でピクニックに行ける」暮らしが必要だ」唱え、国際自動車オートバイショーの会場で自動車道路網の構築を約束。

同年5月に行われた『国民労働記念日』の式典で、全長7,000kmに及ぶ〝帝国アウトバーン〟の計画を発表し、翌月には『帝国アウトバーン会社の設立に関する法律』を発布。


9月にはヒトラー自ら鍬入れを行い、建設が始まりました。

雇用対策のため敢えて機械化を避け、人力での施工をしたため効率は上がらなかったものの、コンクリートの厚みが他国の高速道に比べ2倍と耐久性に優れた道路になったといいます。


そしてヒトラーからドイツ道路総監に抜擢されたトートというエンジニアの優れた発想により、クロソイド曲線を取り入れた緩やかな曲線や近代的なデザインの橋梁が架けられ、またトイレなどを備えたパーキングエリアも導入。

まさに現代の高速道路建設の基礎となる構想が盛り込まれた、ドイツを自動車大国に押し上げる原動力になりました。

また万一の際、航空機が着陸できる設計もなされており、現実に今まで何度も実際に軍用機などが発着しています。


        


ドイツのアウトバーンは、国土面積約35万7千㎢で約13,000km。
日本は国土面積約37万7千㎢で高速道路の総延長は9,300km。

隣国と陸地で接しており、アウトバーンを含めあらゆる道路の接続がなされていますから、歴史を含めて考えても我が国より進んでいることは否めません。 

ただ、アウトバーン=速度無制限というイメージがありますが、実際には現在では全線の約50%には速度制限が設けられており、日本ではお馴染み(?)のスピード違反取締カメラも設置されているとか。

また速度無制限区間でも、一応〝推奨速度〟が設定されています・・・といっても、日本の制限速度より高い時速130kmだそうですが。

個人的には、日本の高速道も速度無制限とまではいいませんが、時速120~130
kmまで上げるべきだと思います。

リミッターがついていながら時速180kmまで楽々出せる自動車が殆どなのに、80~100kmに制限するのは、もったいないし時間の無駄。

制限速度を上げないのは、警察の取り締まり効率が落ちるから・・・と考えるのは、ひねくれてますかねェ。

それでは最後に、日本では実現不可能な時速300km近いポルシェ911によるアウトバーンでの走りを、スピード・メーターに注目しつつお楽しみください。

嗚呼、一度でいいからハンドル握ってこのスピード出してみたい!驚き顔





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昨年、弁護士が不倫のもつれから元ボクサーに殴り倒された末に局部を切り取られるという事件がありました。


それを報道したマスメディアが、こぞって〝平成の~〟と引き合いに出したのが


  あ べ さだ
 阿部定事件


この本家・本元の猟奇殺人事件が起きたのが、今からちょうど80年前の今日・1936(昭和11)年5月18日のことでした。


この事件の犯人・阿部定は1905(明治38)年に現在の東京都千代田区神田多町で生まれました。

芸者や娼婦として各地を転々としていた彼女が、女中として働き始めた東京・中野の鰻料理店の店主が、後に被害者となる石田吉蔵さんでした。

2人はやがて惹かれあい、男女の仲に。
そして遂に駆け落ち・・・2人は宿泊場所を転々としながら情事に耽ったそうな。

どうも彼はいわゆる窒息プレイが好きで、よく彼女に首を絞めさせたそうですが、5月18日午前2時頃・・・彼女は逆に眠っている彼の首を絞めて殺害。

包丁で彼の性器を切除し、流れ出た血液でシーツと彼の太ももに

〝定、石田の吉 二人キリ〟

と書き、更に彼の左腕に〝定〟と刻みました。

彼女は「具合が悪く寝ているので、午後まで起こさないで」と従業員に言い残して宿を出ましたが、やがて遺体が発見されるに至り、その猟奇殺人事件は新聞によって報じられ世間は大騒ぎに。


そして事件から2日後・・・偽名で品川の宿に泊まっていた彼女は警察に発見され、御用。

その際 「あたしがお探しの阿部定ですょ」 とあっさり認めたことに、逆に刑事が驚いたとか。


           

彼女は切除した彼の性器を雑誌の表紙に包み、バッグに入れて持ち歩いていました。

(※ちなみにその性器は東京医科大学の病理学博物館で保管され、戦後は一般に公開されたことがあったとか。)
             

また殺害の動機については、

「私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。
 彼を殺せば他の女性が2度と彼に触ることができないと思って殺した。」

「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。 

いつも彼のそばにいるためにそれを持っていたかった。」

などと供述。 


彼女は支配欲・独占欲が強いものの普通の女性と変わらないと判断した裁判官は、痴情の縺れからの犯行と判断し、懲役6年の判決を出しました。

彼女は服役後、1941年に〝紀元二千六百年〟の恩赦で釈放。

その後は名前を変えて未入籍ながら事実婚をしたそうですが・・・戦後、現代でいう〝あの人は、今〟のようなマスコミの取材に晒され、同棲していた男性に素性がばれてしまい、破局したとか。

身から出た錆とはいえ、ちょっと可哀想な気もします。

この事件は、その後 『四畳半襖の下張り』 や 『愛のコリーダ』 など様々な小説や映画の題材になりましたが、冒頭に述べた昨年の事件以前にも1
953年・1972年と同様の事件が起きています。

人間の愛憎の深さや怖さは、当事者にしか分からないものですネ。

ところで、この事件を報じる際、新聞各社は随分困ったようです。

それは、彼女が切り取ったモノを何と表現するか?

まさかチ〇ボとかチ〇チ〇とは書けないし、さりとて〇根とか男性器ではダイレクト過ぎる・・・ということで編み出された単語が〝局所〟とか〝下半身〟。


そういう表現は今でも一般的に使われますから、阿部定事件は現代の世にも影響を及ぼしている、といっても過言ではないかも。あせあせ



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・・・という音から、皆さんは何を連想しますか?

女性の長い黒髪、小川のせせらぎ、笹の葉等々いろいろあると思いますが・・・私の場合は血液と、コレ。

今日・5月17日は、その

 お茶漬けの日

なのだそうです。
制定したのは当然(?)のことながら、永谷園。

同社創業者・永谷嘉男氏のご先祖であり、江戸時代にお茶の製法を発明したことから煎茶の創始者として京都で〝茶宗明神〟として祀られている永谷宗七郎氏の命日・5月17日を記念日にしたとか。


そもそもお茶漬けのルーツは、平安時代の文献に登場する〝水飯〟・〝湯漬け〟・・・つまり、ご飯に水やお湯をかけたもの。


これがお茶をかけるようになったのは、庶民にお茶が広まった室町時代後期だそうな。

ただ当時のお茶は赤黒い色で味も薄かったそうで、現在のような緑色の美味しいお茶になったのは、前述の永谷宗七郎の発明以降。

当時は電子レンジなどありませんでしたから、江戸庶民は朝ご飯を炊いて食べると、夜はお茶を沸かして冷や飯にかけて食べるのが一般的だったとか。

その庶民が日常的に食べていたお茶漬けを、「もっと美味しく、手軽に家庭で楽しめたら・・・」という思いで父・武蔵氏と二人三脚で開発したのが、永谷嘉男氏。

抹茶・塩・砂糖などの調味料にあられ・海苔を加えたシンプルなこの商品が発売されたのは、今から64年前の1952(昭和27)年。


         

              1952年発売当初のパッケージ

ご覧の通り、当初は〝江戸風味〟と銘打ち、その江戸の情緒をイメージして、歌舞伎の定式幕を真似た縞模様を採用。

発売当初は自転車の後ろにリアカーを引いて、お茶屋を一軒一軒回って納品したそうですが、カラフルなパッケージが店頭で目を引き予想を上回るヒットに。

発売翌年に株式会社永谷園を創業したのですが・・・その人気に目を付けた同業他社が類似品を発売してピンチに。

そこで1956年に〝永谷園のお茶づけ海苔〟を商標登録をして〝江戸風味〟を〝永谷園〟に変更・・・以来そのデザインは殆ど変らずに現在に至っています。

私が生まれる前からありましたから、私にとっては物心ついた時からお茶漬けといえば永谷園。

お腹が空くと自分でご飯をよそってはサラサラやってました。

一度、(ホントのお茶かけたら、美味しいのかナ?) と永谷園のお茶づけを使わず急須に残っていた番茶をかけて食べたら物凄く不味くて、以来一度もお茶をかけて食べたことはなし。

現在、我が家に非常食として常備しているお茶漬けは、コレ。(


        

1970年に〝さけ茶づけ〟発売以来バリエーションがかなり広がっていますので、私としてもいろいろな味を楽しみたいですからネ。

普通のお茶づけに、さけ、梅、たらこ、わさびの中で、皆さんがお好きなのはどれでしょう?

私が一番好きなのは、信州生まれだけに、野沢菜茶づけ。

これ、永谷園さんが信州限定で出しているんです・・・と言いつつ、上の4種類の中にはしっかり入っているんですけどネ。

今晩の夜食には、永谷園さんに敬意を表してお茶漬けはいかが?


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