古代ローマにおいて最も有名な人物は誰? と問われれば、多くの方はこの人物の名をあげることでしょう。
ガイウス・ユリウス・カエサル
Gaius Julius Caesar
今日は英語読みで〝ジュリアス・シーザー〟ともいわれる、この紀元前ローマの支配者の命日にあたります。
(※彼の名〝Caesar〟が、ドイツ語の〝カイザー〟やロシア語の〝ツァーリ〟など 『皇帝』 の語源となっています。)
紀元前100年 (※102年説あり)、代々執政官を務め彼と同名の父もアジア属州総督を務めた名門・カエサル家に生まれた彼の幼・少年期のローマは政治的に不安定だったようで、彼自身も殺害されそうになったり、亡命を経験。
しかし独裁執政官・スッラが亡くなったことでローマに戻ることができたカエサルは、その見事な弁舌で有名になり、軍団司令官 - 財務官 - 元老院へと出世。
紀元前60年にポンペイウス・クラッススとの三頭政治を行い、翌年には共和制ローマのおける最高官職であるコンスルの座を手に入れます。
紀元前58年にガリア長官となった彼は、ガリア戦争に勝利してローマに莫大な財をもたらすとともに自らの軍事力・政治力を誇示。
彼の増長を恐れた元老院や嘗ての盟友・ポンペイウスと対立し内乱となるもそれを退け、外征を重ね悉く勝利を得ると、その途上で絶世の美女・クレオパトラを愛人に。
そしてローマに凱旋したカエサルは市民から熱狂的に迎えられ、紀元前44年2月には終身独裁執政官となって絶対的権力を手中に収めると、ローマを共和制から君主制に移行。
しかし彼の栄華は長くは続きませんでした。
終身独裁執政官に就任してから僅か1ヶ月後の3月15日・・・彼が長らく対立していた元老院に出席しようとしたところをマルクス・ブルータスやカッシウスに襲撃され、23ヶ所も刺されて絶命したのです。
彼は政治家であると同時に文筆家でもあり、「賽は投げられた」 とか 「来た、見た、勝った。」 など短い言葉で人心を捉えることに秀でていたようです。
そして最期の言葉も、「ブルータス、お前もか!?」
そういえば、我が国にも以前 「感動した!」 なんてワンフレーズで人気を博した総理大臣がいましたっけ。
しかし一方、金銭感覚はかなりルーズで莫大な借金を背負っていたとのこと。
それ故外征のたびに金品の強奪を行った、と伝えられています。
また無類の女好きで多数の愛人がいたそうですが、彼女たちとは殆どトラブルがなかったとか。
借金をいとわないプレゼント攻勢、あけっぴろげ、誰ともはっきり別れなかったのがその要因なのだそうですが・・・きっとマメだったんでしょうネ。😅
ローマの最高権力者の渾名が、〝借金王〟〝ハゲの女たらし〟とは・・・政治的手腕もさることながら、その憎めない人間性に彼の人気の源泉があったようです。