『センゴク 1巻~11巻』の感想 | まんが栄養素

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【日記】

ヤクルト堀オーナー 中村獲り却下
ノリ獲り、却下!ヤクルトの堀澄也オーナー(71)は24日、オリックスを自由契約となった中村紀洋内野手(33)の獲得に乗り出さない意向を明らかにした。古田敦也監督(41)が23日に同内野手の獲得を球団に要請したことを受け、同オーナーは生え抜きの若手を起用すべきとの見解から即座にその要求を拒絶。ロッテに続き、一夜での“撤退宣言”となった。

 

ノリ・・・・、ヤクルトにも振られてしまいましたね(ノ_-。)。

このまま、ノリは野球浪人となってしまうのでしょうか?

私はパリーグの試合で唯一行ったことがあるのが『西部×近鉄』でして、

そのとき豪快なホームランを打ったのを記憶しております。

そのとき、『西部側』に座っていたので、「ちくしょー」とか思ったわけですが(笑)。

 

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【マンガ感想】

 

『センゴク 1巻~11巻 (宮下英樹)』

宮下 英樹
センゴク 1 (1)
センゴク 2 (2)
センゴク 3 (3)
センゴク 4 (4)
センゴク 5 (5)
センゴク 6 (6)
センゴク 7 (7)
センゴク 8 (8)
センゴク 9 (9)
センゴク 10 (10)
センゴク 11 (11)

 

このブログをやっていなかったら、この素晴らしい作品に出会うことはなかったと思う。

この作品は戦国時代が好きならぜひとも読んで欲しい。

 

 

【あらすじ】

日本刀の無力、弓矢の使用頻度、騎馬武者のウソ、など、合戦を超リアルに描いた戦国合戦絵巻が始まる!!
時は戦国時代。美濃・斉藤家の家臣、仙石権兵衛秀久(センゴク・15歳)は、落城寸前の稲葉山城にいた。敵は覇王・織田上総介信長!! 陥落していく城のなかで、恐怖に打ち震えながら、茫然自失となる。だが、センゴクの幼馴染み・侍女のお蝶とある約束をする。センゴクはその約束を守るために、織田軍団に囲まれた陥落間近の城からの決死の脱出を試みる。果たして生き残れるのか!?

 

 

戦国時代をテーマとしたマンガです。

『戦国時代の実在の人物を主役』としたという点と、『織田信長の家臣であった』という点で、

以前紹介した『へうげもの1巻 2巻3巻と全く同じシチュエーションの作品です。

へうげものは『文化』を中心に描いている作品ですが、こちらは『戦争』を描いている作品です。

 

主人公は仙石権兵衛秀久という実在の人物。

正直、私はこの作品を読む前まで名前すら聞いた事がなかった人物です。

豊臣秀吉が織田信長に仕えていた頃からの彼の最古参の家臣だそうで、

秀吉の家臣団では最も早く、大名に出世した人物だそうです。

(立場的には山内一豊・堀尾茂助・中村一氏らと同じ立場だと思う)

ちなみに、彼の子孫は小諸藩から信濃上田藩、さらに但馬出石藩に移封されながらも、

明治時代まで大名として存続したそうです。

 

その仙石の出世物語がこの話のメインになる・・・・わけではなく(笑)、

『へうげもの』と同じく、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など時代の権力者を主役として時代を動かし、

その時代の変化のときに、主人公がどのような行動を取ったのかを描いた作品です。

なので、非常に大河ドラマ『功名が辻』を似た部分が多い作品だと思います。

 

さらに言えば、この作品は史実に基づいて描かれた『創作』であるということです。

さすがに、このマイナー主人公がどのような行動を取ったかなどの資料があるとも思えず、

途中、羽柴秀吉から佐久間信盛の家臣になる部分など物語上の都合としか考えられない部分も

ありますし、序盤のメインイベント『姉川の合戦』など作者本人の新しい解釈で描いている部分もある。

マイナーな人物を主人公にしたからこそできる『創作部分』なわけで、

この作品の一番の魅力部分と言っても間違いないと思います。

 

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表紙絵ですが、

 

1巻・・・・仙石久秀(主人公)

2巻・・・・織田信長

3巻・・・・羽柴秀吉

4巻・・・・明智光秀

5巻・・・・徳川家康

6巻・・・・竹中半兵衛

7巻・・・・本願寺顕如

8巻・・・・武田信玄

9巻・・・・山県昌景(信玄の家来)

10巻・・・本多忠勝(家康の家来)

11巻・・・斉藤龍興(斉藤道三の孫で元・美濃の国主)

 

この人物達の名前を聞いて、ピピンと来たなら絶対に買いです(笑)。

圧倒的とも言える画力で描かれている作品なので、戦国時代のイメージが壊れることは無いと思います。

とりあえず、徳川家康と明智光秀と本願寺顕如以外はね(笑)。

 

個人的に好きなイベントは、『5巻の姉川の合戦』と『9巻から11巻までの武田の猛攻』です。

特に、大河ドラマ『風林火山』を見ておられる方は、9巻から11巻まで単品で買っても損はしないと思う。

残念ながら、この時点で山本勘助は死んでいるので登場しませんが、

織田信長・徳川家康を赤子のように扱うほど強く育てたのが山本勘助だったりするので、

この作品を読むことで山本勘助の凄さを改めて感じる事ができると思います。

まあ、名前すら出てこないので、妄想に過ぎませんが(笑)。

 

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仙石秀久
天文21年(1552年)1月26日、美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流を自称するが、正しくは不明である。

はじめ越前の豪族・萩原伊予守国満の養子となるが、相次ぐ兄の死により呼び戻されて、仙石氏の家督を継いだ。そして美濃斉藤氏に仕えたが、斎藤氏が信長によって滅ぼされると、信長のもとで台頭していた羽柴秀吉の家臣として仕える。

 

元亀元年(1570年)、姉川の戦いで浅井方の武将(資料では「浅井方の兵」とあり、実際に武将クラスの人物であったかは不明)山崎新平を討ち取り、天正2年(1574年)には、秀吉から近江野洲郡に1000石を与えられた。天正6年(1578年)にはさらに4000石を加増される。

やがて秀吉が信長から中国征伐を命じられると、秀久はそれに従軍して戦功を挙げる。さらに天正9年(1581年)には黒田孝高らと淡路島に渡って岩屋・由良城を陥落させた。天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変で死去、秀吉の中国大返しと山崎の戦いが始まると、秀久は淡路で明智光秀方に与した豪族達を討伐する任にあたり、淡路平定に貢献した。その後、秀吉は織田氏筆頭家老の柴田勝家と賤ヶ岳の戦いで対立したため、秀久は秀吉から四国の抑えとして淡路に出向く命を与えられた。これにより、柴田側に与した四国の長宗我部元親と対陣することとなる。

しかし讃岐引田の戦いにおいて、元親の前に衆寡敵せず、大敗を喫してしまった(一説では、この戦いの最中に仙石軍は幟を取られるという失態を見せたといわれている)。敗戦後、秀久は淡路の守りを固め、現状維持に務めた。天正11年(1583年)に賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久は中国征伐、淡路平定戦、そして賤ヶ岳の際に淡路を守り抜いた功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる[天正8年(1580年)との説もあるが、信長が淡路に平定軍として秀吉を派遣したのは天正9年(1581年)といわれているため、これは誤りである可能性が高い]。その後、紀州討伐では湯川一族討伐で功を挙げ、第二次四国征伐の折には喜岡城攻めなどで活躍した。そして、天正13年(1585年)、四国征伐の功績により、秀吉から讃岐高松10万石を与えられた。

 

天正14年(1586年)、秀吉の命令で九州征伐が始まると、秀久は十河存保や長宗我部元親・長宗我部信親らの軍監として九州に渡海し、島津軍と対峙する。ところが秀久は功に焦って無謀な作戦を立ててしまう。そしてこの作戦により行なわれた戸次川の戦いで島津家久率いる島津軍に豊臣軍は大敗し、元親の嫡男・長宗我部信親や十河存保といった有力武将の多くが戦死してしまった。

さらに秀久自らは諸将の軍を差し置いて小倉城に撤退。その後は讃岐へ逃げ帰るという醜態を見せた。これらの行状に激怒した秀吉は、秀久の所領を没収して、高野山へ追放した。

 

その後、徳川家康の斡旋により、天正18年(1590年)の小田原征伐の時には陣借りという形で秀吉の軍に加わった。このとき秀久は糟尾の兜と白練りに日の丸を付けた陣羽織を着て、紺地に無の字を白く出した馬印を眞先に押し立て、手勢を率いて諸軍の先に進んだといわれている。さらに、鈴を陣羽織一面に縫いつけるという際立つ格好をして合戦に参加。自ら十文字の槍を振るって力戦し、伊豆山中城攻めでは先陣を務め、小田原城早川口攻めでは虎口の一つを占拠するという抜群の武功を挙げた。

箱根にある仙石原の地名は、彼の奮闘の地であったことを記念して付けられたものである。この功績により、秀久は信濃小諸に5万石を得て、大名として復帰した。文禄元年(1592年)、秀吉の命令で朝鮮出兵が始まると、肥前名護屋城の築城工事で功績を挙げ、それにより従五位下、越前守に叙任された。

文禄3年(1594年)には秀吉の命令で始まった伏見城築城工事においても功績を挙げたため、7000石を加増され、5万7000石の大名となった。

 

慶長3年(1598年)8月、秀吉が死去すると、家康と懇意にあった秀久は早くから徳川氏の家臣となる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでも徳川方として参戦し、徳川秀忠軍に従軍して西軍の真田昌幸が守る上田城に参加した。ところが、昌幸の善戦により秀忠軍は足止めを食い、秀忠は関ヶ原本戦に遅参してしまう。ここで秀久は秀忠の遅参について激怒している家康への謝罪に努めたため、秀忠が将軍就任後、特に重用されるようになる。

戦後は所領を安堵され、信濃小諸藩の初代藩主となった。秀久の治世においては農民達に過酷な課役を与えた事から佐久郡では一郡逃散という失態を犯す事となるが、一方で笠取垰、小諸城及び城下町を現在のようにしたのは秀久の功績でもある。慶長19年(1614年)、江戸から小諸へ帰る途中に発病し、武州鴻巣にて5月6日に死去。享年63。後を次男の忠政が継いだ。

 

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【総評】

圧倒的とも言える画力で描かれたこの作品。

非常に硬派な作品でして、戦国小説などが好きな方には絶対にお薦めです。

(脚色部分が多少ありますので、史実命という人にはそこまでお薦めできないかも)

 

点数的には

100点

です。

 

織田信長を筆頭に、出てくる人物全員格好良いのです(^^ゞ。
ちなみに、本編はまだ連載中です。
 

 

では、ここまで。

 

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