委員長、ならびにIOC委員の皆様。
東京で、この今も、そして2020年を迎えても、世界有数の安全な都市・東京で大会を開けますならば、それは私どもにとって、この上ない名誉となるでありましょう。
フクシマについてお案じの向きには、私から保証をいたします。
状況は統御されています。
東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。
さらに申し上げます。
他のどんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が確証されたものとなります。
けれども私は本日、もっとはるかに重要な、あるメッセージを携えてまいりました。
それは、私ども日本人こそは、オリンピック運動を真に信奉する者たちだということであります。
この私にしてからが、ひとつの好例です。
私が大学に入ったのは1973年。そして始めたのがアーチェリーでした。
一体どうしてだったか、おわかりでしょうか。
その前年、ミュンヘンで、オリンピックの歴史では久方ぶりにアーチェリーがオリンピック競技として復活したということがあったのです。
つまり私のオリンピックへの愛たるや、そのとき、すでに確固たるものだった。それがうかがえるわけであります。
今もこうして目を瞑りますと、1964年東京大会開会式の情景がまざまざと蘇ります。
一斉に放たれた何千という鳩。紺碧(こんぺき)の空高く5つのジェット機が描いた五輪の輪。
何もかも、わずか10歳だった私の目を見張らせるものでした。
スポーツこそは世界をつなぐ。
そして万人に等しい機会を与えるものがスポーツであると私たちは学びました。
オリンピックの遺産とは建築物ばかりをいうのではない。
国家を挙げて推進した、あれこれのプロジェクトのことだけいうのでもなくて、それは、グローバルなビジョンを持つことだ、そして、人間への投資をすることだと、オリンピックの精神は私たちに教えました。
だからこそ、その翌年です。
日本はボランティアの組織をこしらえました。
広く遠くへとスポーツのメッセージを送り届ける仕事に乗り出したのです。
以来、3000人にも及ぶ日本の若者がスポーツのインストラクターとして働きます。
赴任した先の国は80を超える数に上ります。
働きを通じ、100万を超す人々の心の琴線に触れたのです。
敬愛するIOC委員の皆様に申し上げます。
2020年に東京を選ぶとは、オリンピック運動の一つの新しい力強い推進力を選ぶことを意味します。
なぜならば、われわれが実施しようとしている「スポーツ・フォー・トゥモロー」という新しいプランのもと、日本の若者は、もっとたくさん世界へ出ていくからです。
学校をつくる手助けをするでしょう。
スポーツの道具を提供するでしょう。
体育のカリキュラムを生み出すお手伝いをすることでしょう。
やがて、オリンピックの聖火が2020年に東京へやってくる頃までには、彼らはスポーツの悦びを100を超す国々で1000万になんなんとする人々へ直接届けているはずなのです。
今日、東京を選ぶということ。
それはオリンピック運動の信奉者を、情熱と誇りに満ち強固な信奉者を選ぶことにほかなりません。
スポーツの力によって世界をより良い場所にせんとするためIOCとともに働くことを、強くこいねがう、そういう国を選ぶことを意味するのです。
みなさんと働く準備が私たちにはできています。
ありがとうございました。
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