神より高い波動、アシュタルは笑スピを映す鏡…冬至の宇宙連合、レビューNO6 | ヘミシンクピンポンパン

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ヘミシンクと幽体離脱体験記

私「あいにく私は仏教徒なので」

ア「本来の聖書は仏教の影響を強く受けていました」

「ヤハウェがそう仕向けたのです」

「世界がひとつでありますようにと」

「そんな願いから」

「続きはまた」

私「ありがとう」

(続く)

 

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《冬至の宇宙連合、レビュー…神より高い波動、アシュタルは笑スピを映す鏡NO6》

数年前、《実は私は神より波動が高いのです》と言い始めた人がおり、私は平静を装い《ほ~それは凄いですねェ》と話しを合わせておいたが心では唖然としていた。しかもこの男は神など足元にも及ばないほど無限に高い波動を持っていると平然と言い切るのだ。それは白昼、酒も入っていないカフェでの出来事だった。

 

わざわざ私を呼び寄せそれを告白したのは、私に認めてもらいたかったのだろうが、この男に云わせると、私の波動は平均より幾分高い程度なのだそうだ。それならば、そんなとてつもない事実を告げる相手として私は役不足だろうが、狂った人間というのは何を考えているのやら…。

 

神社系のスピリチュアリストにはこういうのが大勢いる。日月神示を喪家信者の御書のように、どこに行くにも持ち歩いていたが、人の波動鑑定みたいなことばっかりやっていれば頭はどんどんいかれてくる。そんなものには何の意味もない、ただのインチキであり、典型的なお手軽霊能商売の一つで鑑定士は最後に狂ってしまうだろう。私は神…どころか私は神より偉大、神より波動が高い、それも無限に高いとそんなことを言いふらし始める。

 

年がら年中、明けても暮れても上だの下だの、高次だ、低次だと騒ぎ立てそんなことばかり喋っているのが、笑スピおむつ猫ムーミン族なのだ。鬱陶しい不細工な連中で、ネガティブ、ポジティブの意味すらわかっておらず、それは人や物を比較するための基準だと思っている。ムーミン族鹿馬につける薬はないのだ。

 

成りすま師ヘミシンカーにも似たり寄ったりがいるが、さすがに神より波動が高いとは言わないだろう…と思うのだが。あなたのことは、あなた自身で見るべきだ。そんないかれた連中にあなたを晒してはいけない。あなたを馬鹿を感染す鏡にしてはいけない。

 

チャネリングは主に言葉による情報を受け取るというのが多いようだが、そこには翻訳、変換という作業が介在しており、視覚情報に比較して精度は大幅に落ち、大抵の人々は私は神より波動が高い式の《我れ良し》というエゴと向き合うことになる。ヘミシンク初心者が最初に直面する試練がこれなのだ。

 

言葉とテレパシーの基礎にあるのは共にエンパスであり、エンパスという共感共鳴共振という波動なしに言葉による交流だけが独り歩きすれば、それは素通りしてしまうだけであり、しらけ鳥が飛び、無視されるか、反発や対立、無理解という反エンパス、不協和音を生み出すのだ。

 

エンパスが交信の元であり、それはテレパシーの基礎であり、我々が言葉によってコミュニケイションする時、そこにエンパスが働いているのであれば、それは我々が未だ知覚する事ができなくともそこには既にテレパスが作用している。

 

《私は神より波動が高い…》…悪魔とのエンパスが働いているのだ。これはヘミシンクにとって入門者、初心者レベルが陥る第一関門にすぎないのだが、サーベイヤーである波動鑑定士たちや日月神示教の信者たちは、ここから先に一歩も進むことはないようだ。このレベルの自称族との交流はあなたを闇へと導くだろう。

 

私のワークの殆どはストレートな視覚体験であり、もちろんそれは現代の技術ではそのままヴィジョンとして伝えることは出来ない。数年前の研究成果としてようやく脳内に描いた三角とか四角をモニターに映すことができるようになったらしいが、いつか意識が体験しているヴィジョンをライブ映像としてモニターに実況中継できる日がやってくるだろう。

 

今のところそれは文字化するしかないのだが、決して原始的なのではない。寧ろ文章化するというプロセスを行うことによって知覚力が大いに磨かれ、ヘミシンクトレーニングの大部分はその文字化によって強烈に高まるのだ。ヘミシンクによる体験をただ結論だけを書き並べている人がいるが、プロセスを書かない記録などそんなものは何の意味もない。時間の無駄であり、そんなヘミシンクならさっさとやめたほうが良い。

 

やれ、どこそこで地震が起きるとか、火事が起きるとか、火山が~とか、あなたの前世はアフリカの鹿馬さん~♪とか、私はあなたのガイド~♪とか、果ては私のガイド、何々様のお告げ~♪とか、そんなものには何の意味もないのだ。

 

結論だけのヘミシンクに意味があるのは、それを見ているその体験者だけであり、あなたの宇宙、そして私の宇宙という視覚体験にこそ意味があるのだ。それを理解している状態で始めて知覚体験と言え、人に御宣託を垂れるためにヘミシンクをチャネリングの手段としてやっている人を成りすま師という。

 

ワークの記録は精密デッサンのように克明に記録するのだ。それが見る力を養い知覚力を高める。結論だけ簡単に書き並べるような事を、いくらやってもヘミシンクの力は高まることはない。もし知覚力が伸びずに悩んでいるヘミシンカーがいたら、私がヘミシンクの基礎について書いた過去記事を読んでみればいい。

 

《関連過去記事》

14 ヘミシンクに使う音楽について NO1~NO6 

http://ameblo.jp/masato356/entry-12142220511.html

良い子のヘミシンク教室♪ NO1~NO4

http://ameblo.jp/masato356/entry-12103626022.html

蛇の道、霊能者VSヘミシンカー 1~12

http://ameblo.jp/masato356/entry-12107284354.html

スターゲイト計画と遠隔 Ⅲ良い子のヘミシンク教室 NO1~NO4

http://ameblo.jp/masato356/entry-12119919275.html

 

ジョー・マクモニーグルの遠隔透視ハンドブックはヘミシンクにとっても大いに有効であり、この本も一度読んでみれば良い。そこでは見たことをデッサンするということについて書かれている。そのために彼らリモートビューアーは実際にデッサンの勉強をしている。

(続く)

マサト