ぢんさんに初めてカウンセリングをしてもらった日 ~その①~ | “心を動かし夢を叶える” ステージアッププロデューサー佐々木磨美子
今日は、師匠心屋仁之助の
月1回の心のお稽古Beトレでした。


でね・・・

なんと、






わたしったら、

後半の質問会で、
初めて、ぢんさんに質問してしまったーーーーー!

公開オープンカウンセリングを
初体験したのでした!!

今まで、
わたしが心屋にきて、
ぶっちゃけ、
カウンセリングをしてもらった記憶があるのは、
実はうさこだけだったはずで、

オープンカウンセリングに行っても、
一度も自ら相談ごとなどしたことのなかった、
このチキンのわたしが、

人前で話すのが苦手だったはずの(笑)
このわたしが、

『ハイ!』って手を挙げて、

あんなに大きなホールで、
何百人っていう人の前で、

 きみさんからお写真拝借ありがとう



自分の悩みを話して、
問答してもらちゃった!!

これは事件ですよ!事件
ビックリ

で、率直な感想は、
アウトプットして、なんかスッキリ!

ぢんさんに話聴いてもらえるだけで、
正直もう、なんかイイのかもーーー。

勇気だして、良かった。
お時間いただき、ありがとうございます。
ご清聴いただき感謝です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
相談したのは父のこと。
2014年8月18日のブログより一部抜粋】


今年の3月に仕事を退職した父。

携帯を持たず、
家電もないに等しい父の通信状況。
何回も改善のお願いをしているのだけど、
状況は変わらず、
父が仕事を退職後は、
いよいよ連絡手段に困るようになっていた。

そんな時、事件は起きた(笑)

どうしても緊急な要件ができて、
この時代に電報で連絡って、
どーいうことよってむっ
イライラブチッ!!しながらも、
しかたなく、午前中に電報を打った。

そしたら、
そんな日に限って、
午後にふらっと父から電話が入り、

電報打つ必要なかったやないけ~と、
私の怒りは最高潮爆発となり、

今は昭和初期かっ照れ
こんなに文明が発達しているのに、
電話もメールも
こんなに普通の世の中で、

電報で連絡させるなんて、
本当にいい加減にしてくれと、

めちゃくちゃな怒りを
感情的にぶつけたら、
音信不通になっちゃった父。

口うるさい娘に
関わりたくないのだろうと、

便りがないのが元気な証拠と
言い聞かせ、
ひたすら、父の連絡を待ってみた。

父と連絡が取れないと
心配する親族からの連絡も、
私も困ってます…
どうしたらいいでしょう?と
受け流し、

連絡を待つこと4ヶ月・・・
久しぶりに会った父は
ちょっと痩せてちっさくなっていた。

そんな父を見たら
少し胸がきゅーってなった。

一緒にランチを食べて、
定食を残さず食べる父の様子に
安心する娘と、

わたしが元気にしている顔を見て
安心する父。

相変わらず、
連絡が取りづらい状況は
そのままだけど、
まぁ、それももう慣れた。

どうしようもなければ、
電報打てばいっかね~苦笑

まぁよい(笑)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ってここまでが、
去年の夏の出来事で、

この時、
必ず定期的に連絡することを
約束した父とわたし。

なのに、
この日を境に、
父からの連絡は
今日まで一度もない。

さすがに年末あたりに、
父の状況が心配になって、
親族からのリクエストもあり、
年明けに父の家に行ってみた。

ノックしたけど、
父は不在で、
しかたなく、
『心配してるから連絡してね。』
とメモをドアに挟んで帰ってきた。

それから、
数か月の時間が経ったけど、
相変わらず父からの連絡はない。

『お父さん、連絡くださーーーーい!』

ってのが今日ぢんさんにご相談したこと。


でね、
今日ぢんさんが
言ってくれたように、

どっかの小料理屋の2階に居てくれたら、

それなら、それでいい。
実際そんな話を親族としていたこともあって・・・


ってかそれをペラっと言ってくれる、
ぢんさんってやっぱスゴイっ!キャッ*m


ここだけの話ヒソヒソ
父はヒモ体質存在給の高い人。

子どもの頃はそれが嫌で、
そんな父の生き方
意味がわかんなくて、

反抗して、
父のようになってはいけない。

まともに、
ちゃんとした人間にならなくてはいけない。
そう思って、過ごしてきた。

努力すること、頑張ることに
花丸はなまるをつけて過ごしてきた。

父のことは好きだったけど、
父の生き方が好きになれなかった。

あんな風になりたくないって
思って頑張っていた・・・
はずだった顔

そんなわたしが、
心屋の考え方を学んで、

「存在給」という概念?を知ってしまって
ムム…

ずっと見下していた、
ずっと嫌でたまらなかった父の生き方が

ずっと羨ましかったのだと、

実は、父はわたしのお師匠さま
だったのだと
気がつきはじめ・・・

お父さんみたいになってもいい。


とつぶやいて、

存在給だけで、
生きてもいい、

ってか生きてみたいって

そんな父の生き方を認めつつあった・・・


父は常識に縛られない自由人。

世間一般の理想の父親像とは
ちょっと違うかもしれないけど、

彼なりの愛情で、わたしを育ててくれた。

思春期で
反抗期真っ盛りの、
小難しくて、
頑固で、
素直になれない。

そんなわたしも
何だかんだ言いながら、

一生懸命育ててくれた。

あの日、
父がいなかったら、
わたしは、どうなったんだろうって

ふっと
怖くなる日もあったりする。

父がいなかったら、
わたしは本当にひとりぼっちだったから。


帰り道の電車で、
そんな昔の父との想い出を
思い出しながら、

ふと浮かんだのは・・・



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まみこ