人を呪わば穴二つの新解釈 | 自分全肯定!幸せエクササイズ・Luminareo

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スピリチュアルの根本である「幸せ」について考えてみたらこうなった

* * * * *


子供のころは泣き虫で、ことあるごとに泣いてばかりいた瀬野です。

しかし瀬野が小学生だった頃はバブルに突入しようかという「ネアカ至上主義」の時代。
周囲は「泣くのはとにかく悪いこと」一点張りで、大変肩身の狭かった瀬野です。

瀬野は単に悔しくなると泣きたくなって、
ほとんど反射的つか思考抜きで泣いてたんですが、
瀬野が泣いてると先生がやってきていきなりキレました。
「ムキー!!! 泣いたって、助けたりなんかしないんだから!!」

瀬野はとても素直でいい子だったので、
先生を困らせちゃいけないと思い、「泣く」ということを否定しました。

しかしねぇ、
今になって思いかえすに、これさ、すっごい変な話なんだよね。
だって、瀬野は、別に先生の助けなんざいらんくて、
単に泣きたかったから泣いてた
からです。

よく考えると
「泣いてる子を助けなきゃ」という強迫観念を持ってたのは先生の方じゃないですか!
それを瀬野が泣いてたせいにしないでいただきたかったものです。

それ以外にも、とにかく瀬野にとって小学校はしょっぱい思いの多い場所でした。
でも瀬野はマジ人の言うことを鵜呑みにしちゃう素直ないい子だったので
中学に入ってからも自分を矯正しようととってもとっても頑張りました。

その結果、高校以降15年ほどを完璧に無駄に浪費した瀬野です。


……なんでこんな長くてイミフな前振りをしてしまったのだろう(汗)
自分で書いててよく分かんなくなったorz

ああ、
ええと、
瀬野は泣くとか怒るとか悔しいとか感じるのが割と好きな性分だ ってことです。

そうじゃなくて
「あげぽよ~」でいる方が好きな性分だったら
こんな葛藤はなかったんでしょうけどねぇ~。

でもこればっかりはしょうがないよ!! これが瀬野だからさ!

* * * * *


さて今日の本題。

さっきも書いた通り、瀬野は怒るとか悔しいとか感じるのがすごい好きでした。

他人を否定しまくることもマジ大好きでした。
なので、他人を憎むことが本当に多かったです。
そんな訳で人を呪いたくなることも、ほんっと多かった訳です。
(え? 今?
 実はそれって実はものすごく愉快なことをやってねえか? ということが
 最近つくづくわかってきたところです)


ところで。
ごく一般的に、人を呪いたくなるときってどういうことを考えるでしょう。

「あいつに○○な災難が起こればいいのに」と思ってみたりしません?

その人が○○な災難にどのように遭うかという具体的な場面とか、
そしてその相手がどのような苦しみをあじわってるか、
つまりそいつの味わうべき苦しみがどんなかをイメージしちゃう。


そんなことがあるんじゃないかと思います。

ところがそうすると
まさにその災難が 自分の方に 降り掛かってきちゃう訳だ。


ああなんというメシマズ。

うん、こういうことは瀬野も実に多かったです。


さて。
なんでこれがメシマズになってしまうのか。

いわゆる引き寄せの法則つか思考現実化の法則的に考えてみました。

この世界とはどういうものか、改めて考えてみると、
実は世界ってのは、「自分から見た視点」しかない訳です。

(幸運の研究 備忘録「世界に自分しかいない理由」および「この世界とは何か・補足」参考)

この状態で、相手の立場に立って
「これこれこういう災難があいつに起きれば良いのに」ということを
想像
してみましょう。

自分としては、
「これこれこういう苦しみを 相手が味わう んだ!」という気分で、
どういう感じで苦しいのかという 苦しさをイメージング
しています。


ところが。

自分から見る世界には、
意志ある存在は自分しかいません!


(だから「世界に自分しかいない理由」および「この世界とは何か・補足」参考)

他人ってのは、自分の世界に映り込んでるだけのただの影法師です。

その
「苦しみを味わうべき他人の立場」というものがそもそも幻想

なのです。

つまり、

この場合、

実質的にやってることっていうのは

「自分がそういう目に遭う」というシミュレーション

でしかない
のです!!!



さあ
「さあ呪っちゃる!!」と割り切ってこういうイメージングをしてる場合はもう大変。
全力で「『自分が』そういう目に遭う」というイメージングをしてる訳なんで、
結果は言わずもがなです。

でも普通なら人を憎むことにちゃんと罪悪感を持つような善良な人が
止むに止まれぬ事情でやるなら
多少はマシにならない? と思うあなた。
ちょっとまった。
引き寄せの法則というのは「『自分にとっての事実』が事実になる」法則。
もし罪悪感を持ちながらこういうイメージングをすると、
「自分は悪いことをしている」と思ってるので、結局自分に悪いことが起きちゃいます。


そんな訳でメシマズなことが起きてしまうのではないかと。

* * * * *


ところで、
瀬野は、人を呪った訳じゃないけど、ひたすら憎んだ相手に「!」なことが起きてしまい、
妙に溜飲が下がったことが、何度かあるんです。

この場合は本当に呪った訳でもないし、呪えるとも思ってなかった。
ただひたすら

「こいつ憎い、
 憎いからって手を出せる訳でも仕返しが出来る訳でも全然ないけど
 抑えようにもとにかく憎いんだからしょうがない。
 もう付き合う訳でもないし、ただ自分の心の中だけで憎むくらい良いじゃん

と、特になんの期待もせずに、憎みたかったので割り切って憎んでただけでした。

なので、
どうにもこうにも許せない、憎みたい人物がいる場合、
その「憎い」って感情は否定せず、単純に憎んでいた方が、
ひょっとしたらいいことあるかも? ですよ。


* * * * *

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