この世界とは何か・補足 | 自分全肯定!幸せエクササイズ・Luminareo

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スピリチュアルの根本である「幸せ」について考えてみたらこうなった

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このブログは、単語を独自解釈で定義しなおしてることがあります。
なのでコメント頂いても、コメント主さんが瀬野の定義を押さえて
コメントくれてるのか判別できなくて、反応に困った瀬野です。


今ここにあるものを全肯定するにしたって、瀬野はまだまだ途上ですよ。
もやもやしたコメントは瀬野の気分が悪くなる。これは瀬野にとって良くないのだ。

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さて。

「世界とは何か」「世界に自分しかいない理由」ということを
しょっぱなにこのブログに書きましたが、
この辺のことについて、Wikipediaの「なぜ私は私なのか」の横っちょに
うまいこと説明されてました。


以下抜粋。


> これはあなたとあなたの友人4人が、一緒に食事をしている場面を抽象化した図である 。
> この図ではすべての人が同じ○で描かれている。

 セカイであそぼ・幸運の3つのコツ-なぜ私は私なのか・1


> しかし実際のところ、上の図のようではなく、
> 事態はこの図のように描くのが適切なものとなっている。

 セカイであそぼ・幸運の3つのコツ-なぜ私は私なのか・2

> つまり、五つの体の中で、ひとつの体(●)だけが、特殊なあり方をしている。
> すなわち、その体についている眼球だけを通して世界が見えており
> (他の眼球を通しては見えない)、
> その体だけがつねられると痛く(他の体はつねられても痛くない)、
> その体だけが動かそうとして動かせる(他の体は動かせない)。


> さらに事態は、この図のように描くのがより適切なものとなっている。

 セカイであそぼ・幸運の3つのコツ-なぜ私は私なのか・3

> つまり世界はある一つの体に中心化され、そこから開けている。
> すなわち他のどの体(○)が消滅しても、
> それは「世界」(図中吹き出し)内部の一つの出来事でしかない。
> しかしあるひとつの体(●)の消滅だけは、
> 「世界」内の出来事でなく、「世界」の消滅である。


抜粋終わり。


そうそう。瀬野にとって「世界」そして「自分」とは、正にこういうことなんです。

3番目の図の、自分の●から出てる吹き出しというのが「世界」です。
自分が認識してるからこそ、この自分の世界がある。
自分が消えたら、この世界は消えてしまう。
だから自分が世界の源であり、中心。


「思考は現実化する」と言う事を説明するのに、大体
「量子力学ではそうなってるんだよ」と説明されることが多いと思うんだけど、
でも量子力学をつかった説明は瀬野的にうさんくさいと思ってる。

だって学問ってのは今ここで自分が体験してることじゃない。
「他人の物語」だからね。


全く蛇足だけどWikipediaの「なぜ私は私なのか」の説明に
「シュレディンガーの猫」で有名なシュレディンガーさんが
「梵我一如」を携えて出てきてることに瀬野はビックリしました。
それこそシュレディンガーさんならこういうことは量子力学で説明しても良さそうなのに。


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しかし。
「こうした問いを始めて体験する時期については、天谷の調査によれば、
 小学校後半から中学一年生を中心とした時期が多い」
とWikipediaのページには書かれていましたが、
つまり、世界をこういう風に捉えるのはモロ厨二病だってことになりますな。

だけど、厨二病的考えを捨てて「常識的」な考えを採用し、その考えを元に暮らして、
それで世界がどうにもならなくて今の自分が不幸になってるならまるで世話なくないかって
瀬野は逆にそう思います。


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