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現実と幻想の区分けについて、もうちょっと突っ込んだ方がいい気がしてきた瀬野です。
瀬野は「現実と幻想と思考と感覚」で、
「現実」とはとことん目の前にあるというか、五感が直接感じ取ってるものだけ
意識するために思考や判断や想像をする必要がないものごと
「幻想」とはそれいがいの、今ここの自分の目の前にはないものごと、
意識するために考えや想いを巡らせる必要があるものごと
としました。
そして思考、判断、過去の記憶、想像、感情は幻想だといいました。
幻想には、さらに、ニュースだとか、電話の向こうの人間とかも入りますよ。
例えばニュースなら、目の前のテレビやパソコンのモニタやラジオ、
そこから流れる映像や音声そのものは確かに現実なのですが、
そこに流れている映像や音声が伝えている「物語」は「幻想」です。
こういうのって、極端なことをいうと、
お母さんや先生からお話を読み聞かせてもらってるのと大差ない状態なんですよ。
物語のお話の内容なら「架空の物だー」と判断してそういうことにしますが、
ニュース映像の内容のことは「これは事実に違いない」と判断し結論づけている。
そういうことなんです。
とにかく、今ここの自分の目の前に存在しないものはすべて幻想とみなします。
少なくとも、このブログの説の中では、そうして下さい。
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瀬野がこれらをなんで幻想と言い切るのか、もうちょっとちゃんと説明します。
その「幻想(としたこと)」と、「今ここにいる自分の存在」とを
よっく観察してみてください。
「今ここにいる自分の存在」は、それらの「幻想」と、
なにか関わりはありますか?
え?
お金が足りなくて生活が苦しいですか?
好きだった人に嫌われて辛いですか?
過去に誰それにひどいことされて悔しいとか悲しいですか?
そいつを何とかしなけりゃ自分はこの世にいられないですか?
うん。
苦しかったり辛かったりしているのなら、
その感情は、全然そのままでOKです。
ですが、
ちょーっと落ち着いていただきたいのです。
今とても苦しさを感じていても、
大きな辛さを感じていても、
寝ても覚めても悔しくてどうにもならなくても。
あなたという存在は、その感情だとか過去の出来事にも関わらず、
相変わらず「今そこにいてる」のではありませんか?
もちろん、今ここで危機に面していて自分の命が危ないような状況なら
話は全く別ですよ?
(ていうか「今ここが」にっちもさっちも! な状況は、それは瀬野の定義では現実です)
しかし、過去に危機に面していたが今はそこから脱してる的な状態とか
今は不快だけど日々の生活はとりあえずまあなんとかやってます的な状態なら、
感情や過去の出来事は別に今の自分の存在を脅かしてる訳ではないのです。
だから、瀬野は思考、判断、過去の記憶、想像、感情を幻想としてるのです。
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な、長くなっちゃった。
ほんとは「現実」の方のことを言いたかったのよ。
続きは次の日記で!
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