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前回の更新から随分間があいてしまいました。反省反省。
実はこのブログに書いてることは、まとめて本にしようと思ってます。
先週その話を知人に振ったら締め切りが決まってしまいました。
あんまりちんたら書いてられないぞ。うん。
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さて、前に「世界には自分しかいない」という事を説明しました。
世界の全てのものごとは、自分の意識がそのように受け取ってるだけだったのですが、
今回は、「じゃあ現実とはなんなのか」ということについてです。
この瀬野の文章の中では、現実とは何かをちょっと決め打ちします。
「現実」というのは、この世界に存在する全てのものごと
(=この文章をよんでいるあなたが世界について意識していることの全部)のうちの、
● あなたが今直接目で見てるもの
● あなたが今直接聞こえているもの
● あなたが今直接触ったりしているなど、とにかく今感覚で感じ取っているもの
だけ、とします。
そうしたほうが話が進めやすいので、この前提で話をします。
とにかくとことん目の前にあるというか、五感が直接感じ取ってるものだけを現実とします。
あなたには自宅があって家族やペットがいて、それが現実だと思っているかもしれませんが、
あなたが今自宅にいないなら、その自宅は現実じゃありません。
今あなたの目の前に家族の人がいないなら、その家族も現実じゃありません。
今あなたの目の前にいるのが友人なら、その友人の人は現実です。
あなたが自宅に帰ってきたら自宅は現実となりますが、
反対にあなたがそれまでいた場所は現実ではなくなります。
つまり、ここでは「現実」とは
「意識するために、思考や判断や想像をする必要がないものごと」です。
反対に、いくらあなたが事実だと思っていても、
「意識するために考えや想いを巡らせる必要があるものごと」は「幻想」とします。
今あなたの目の前にはない自宅は幻想です。
今あなたの目の前にはない家族は幻想です。
あなたの未来は幻想です。確定している予定も幻想です。
そしてあなたの過去も幻想となります。過去とはえらいリアル感一杯の幻想ということです。
記憶、思考、判断、想像は全て幻想です。
感情も一つの幻想と思ってもいいかもしれません。
感情とは、現実や記憶、思考、判断、想像などに付随して生まれるものだからです。
感情によってもたらされる体感覚とか意識の状態は現実ですが、
感情そのものは幻想に分類できます。
そうすると現実とは、あなたの「今ここ」だけにしかありません。
「今ここ」はとても特別なことなのです。
思考、判断、記憶、想像、感情は、あなたの意識を現実(=今ここ)から遠ざけるものだったのです。
反対に、自分を現実に置くようにするには、あなたが今感じ取っている感覚を使えばいいのです。
感覚は「今ここ」でなくては感じ取れないからです。
なので感覚は自分の意識を今ここの時点へ引きもどす働きを持っています。
あなたが今が感じている感覚をはっきりと意識に上げていけば、
あなたの意識は現実(=今ここ)へと立ち返ります。
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「本当の自分ということ」で
> ……自分の意識が「今ここ」にあるようにして、なんかイイことある?
> って聞かれると、ちょっーと答えに迷いそうな瀬野です。
と書いている瀬野です。
でも今週になって、それやってなんかイイことがあるのか、その答えがでました。
瀬野は、願いや望みを叶えるのではなくて、今ここの自分を肯定するのが大事だと考えてます。
そして意識が今ここにあって、今ここの自分を肯定できて、今ここに満足したなら、
その状態でそのまま在り続ければ幸せってことなので、それでイイことになります。
つまり、意識が今ここにあるようにして、そこで満足を感じたら起きるイイこととは、
何か事が起きる必要はないし、それ以上何かをする必要もないんです。
「何もしなくていい。ただその満足した状態でいればいい」ってことだったんです。
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