(映画)こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア! | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!
ソーラン渡り鳥 こまどり姉妹

先日、映画「こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」を観て来ましたよ。
こまどり姉妹ですよ、こまどり姉妹!

 

 

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こまどり姉妹は今年レコードデビュー50周年を迎える、70歳を越える現役美人(?)姉妹歌手です。
昭和30年代には人気絶頂で、ヒット曲は多数ありますし、映画の出演や二人が主人公のテレビもあったのです。


そんなこまどり姉妹の姿を描いたドキュメント映画が、上映されているのです。
テアトル新宿での上映が終了し、有楽町で上映が始まりました。

新宿に観に行くことが出来なかったので、有楽町に初日に行きましたよ。


行って驚いたのは、若い人の多いこと。
てっきり、アラ還暦くらいの観客ばかりだと思っていましたら、とんでもありませんでした。


去年はレコード大賞功労賞を受賞したり、とんねるずの石橋貴明がギャグでこまどり姉妹の名前を出したりと、時代は今、こまどり姉妹かも!。

映画はこまどり姉妹自身のインタビューを中心にして、生まれてから現在までの苦労続きの半生を振り返るものです。

こまどり姉妹は12歳頃から、北海道内で門付けや流しを行い、一家を支えてきた。
その間、銭函、帯広と移り住む。

帯広から一家で上京すると、やはり浅草で深夜まで流しをしていたのです。
しかし、姉妹は飲み屋にはなかなか入れてもらえない。
なぜなら、飲み屋で働く女性はイケメンの流しが好きだから。

それでも三味線も覚え稼げるようになると、一晩の稼ぎのうち2千円は両親に渡し、残りは自分たちの分として、頑張ったのでした。

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そしてついに、1959年(昭和34年)コロムビアから並木栄子・葉子の名でレコード・デビュー。
一般公募で、こまどり姉妹と変え、映画や紅白歌合戦に出演の人気者となりました。

しかし、その後は、熱狂的なファンに包丁で刺されて妹の左手が動かなくなったり、癌に冒されたり、姉が未婚の母になったり、演歌を捨ててポップスに走ったりと、様々な不幸やスキャンダルが二人を襲ったのでした。


恋の風車 こまどり姉妹
昭和44年 演歌から一転、流行のビート歌謡に挑戦「恋の風車



それでも姉妹は、多額の借金を返済するために歌うことしかなかった。
映画の最後は、こまどり姉妹最大のヒット曲「ソーラン渡り鳥」を歌う模様が流れるのでした。


津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
江差恋しや 鰊場恋し
三味を弾く手に 想いをこめて
ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン
唄うソーラン ああ 渡り鳥


「ソーラン渡り鳥」 こまどり姉妹
http://www.youtube.com/watch?v=i1szH5z6JyY&feature=related
作詞・石本美由起 作曲・遠藤実

いやー、これでどうだとばかりに、幸薄い人生です。
しかし、こまどり姉妹の二人の語り口調は、思い掛けずに明るいです。

不幸は後ろに隠し、舞台の上では目いっぱいに明るく振舞う芸人根性を見させてもらいました。
これは観客の年齢を選ばないエンターテイメント・ムービーと言って良いかも。

映画の後に、監督とこまどり姉妹が舞台挨拶に登場しました。
舞台挨拶も、二人のトーク炸裂です。
金の取れる人たちです。
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ゲストは、 北千住で同じく流しをしていた渥美二郎

 

 

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