魅惑の昭和歌謡 『愛の奇跡』 ヒデとロザンナ | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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魅惑の昭和歌謡 『愛の奇跡』 ヒデとロザンナ

今では日本語ペラペラのロザンナが、イタリアから初来日して組んだ”ヒデとロザンナ”のデビュー曲。
意外にも、初めは、『何にも言えないの』がA面で、『愛の奇跡』はB面だったそうです。



ロザンナは当時、イタリアで音楽学校に通いビアホールで歌っていた時に、東京でカンツォーネバンドを組んでいた母親の弟の誘いで1967年、17歳で来日

来日8ヵ月後に二人は初対面、  その時からロザンナはヒデに一目惚れしたらしい。

まさに、 ひと目会ったその日から恋の花咲くこともある

『愛の奇跡』のヒットでロザンナは忙しさのあまり痩せてしまったのですが、ヒデはふっくらした人が好きだった。

惚れた弱みか、 ロザンナは夜中にラーメンを食べたりして体重を増やしたとか。

その甲斐あり、1975年、25歳でヒデとロザンナは結婚。


ところが、好事魔多し 挙式のためにNHKの番組に穴を空けて、二人はコロムビア・レコードから契約破棄されてしまったのでした。
その後、2男1女に恵まれたましたが、1990年、47歳の若さでヒデは病に倒れ他界。


さて、『愛の奇跡』は曲の冒頭から、一語一語が日本語のアクセントを強く出した曲になっています。
(作詞:中村小太郎  作曲:田辺信一 )

 

淋しげな 雨に濡れた君の唇が 忘れられなくて

別れても 私は信じたい

いつの日か あなたに愛される 愛の奇跡

想像するに、日本語のまだ不自由なロザンナが歌い易い様な考慮をしたのではないでしょう。
普通の日本語の感覚から言えばバタ臭くさすぎるが、逆にそれが聴く人の耳に引っかかる印象深い曲となりました。


同時期に、ヒデとロザンナの後を追うようにデビューしたのが、やはり日本人男性と欧米女性のコンビ ”Kとブルンネン” 

『何故に二人はここに』がヒットしましたが、鈴木邦彦のこちらの曲はフォーク調過ぎて、日米コンビである意味が弱くなっているかも。





『愛の奇跡』の歌詞は、”きみ”、”あなた”が、男、女どちらでも取れる歌詞になっています。
女性が男性を“きみ”と呼ぶことに違和感が無くなって来た時代だったのでしょうか。

男女のやりとりが明確でないので、デュエット曲にたまにありがちな”掛け合い漫才”のようなところが無いので、ハイカラな感じ。
間奏にロザンナのセリフが入り、欧米女性であること強調し、西洋への憧れを駆り立てますね。

その後、橋本淳/筒美京平のコンビで、『粋なうわさ』、『ローマの奇跡』をリリース





いかにも橋本/筒美コンビの曲らしい、お洒落な曲となっていて、ヒデとロザンナの人気は決定づけられました。

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