単剤処方は美しいのか? | kyupinの日記 気が向けば更新

単剤処方は美しいのか?

自然科学には、それにふさわしい美しいパターンや調和が見られる。精神医学も例外ではなく、最終的にはシンプルで美しい処方に落ち着くことが多い。(参考

もちろん、治療過程では奇妙な組み合わせによる多剤併用や、量的にも多いと思われる処方も出現する(参考)。しかし次第に落ち着いてくればシンプルな処方になって行くものなのである。(ここでは特に統合失調症の治療について言っている)。

日本は多剤併用が多いと批判されているが、外国では単剤による治療が多いかといえば、それは嘘である。実は海外でも併用療法はけっこう多いらしい。(アングロサクソンの90%は単剤治療というのはただのプロパガンダに過ぎない)

英国では43%は多剤である。ベルギーでも同じくらいの数字が出ている。ただアメリカだけはなぜか単剤が比較的多いが、これはたぶん医療保険なども無関係ではなさそうだ(過去ログで触れている)。

なぜ特に統合失調症の治療において多剤が多くなりがちであるかというと、2つの理由がある。

1つは今の非定型精神病薬は鎮静的ではない薬物が多いことと関係がある(参考)。これらだけをシンプルに単剤で治療をしようとしても、臨床的にはうまくいかない人も結構いるのである。だから、どうしても鎮静的な薬物の併用が必要になってくる。その流れで、

鎮静的でない主剤+鎮静的併用薬

という多剤になる。

もしシンプルにしたいからと言って、鎮静的な薬物の単剤で時間をかけて治療をしてしまうと、陽性症状が鎮静化したとき、どっと陰性症状がやってきて、テンションが上がらないような感じになる。芯が抜かれたような状態になるのである。

だから、セレネース20㎎単剤とかリスパダール10㎎単剤などの治療は、たとえ単剤でも美しくない。

僕は、もしそれが最終的処方ならば、非定型とは言え、ジプレキサ20㎎とか、リスパダール6㎎の単剤処方は良くない処方と考えている。

もう1つはリスパダールの問題。リスパダールについての個人的意見は過去ログにも詳しいが、今や内因性の時代は終わりを告げ、器質性の時代に入っていることを考慮すると、そのような色彩のある日本人にリスパダールは相性が悪いように見える(参考)。

安易に使うと、増やすことも減らすこともできないハリネズミ状態に陥りかねない。撤退すら容易ではないのである。こんな時、リスパダールを増やすも減らすも地獄なので、病状を安定させるために他の抗精神病薬が併用される。かくして、難しい状況での消極的多剤併用になってしまう。(この視点では、欧米人に比べ日本人は多剤併用に追い込まれやすいといえる)

このような序盤の選択ミスに起因する多剤併用はもちろん美しくない。

急性期に鎮静系の薬物を用い、なおかつ人間らしい繊細さを保たせるような非定型抗精神病薬を併用しながら寛解の方角に向かえば、精神病状態を抜け出した時の治り栄えが素晴らしい。

だから、鎮静的でない主剤+鎮静的併用薬の組み合わせは、多剤でも合理的で悪くない処方なのである。これを美しいと思うかどうかは主観による。もちろん鎮静系の薬物が気分安定化薬で済むならなお良いが、現実にはそうも行かない人も多い。

急性期の多剤併用と慢性期あるいは寛解期の多剤併用はもちろん意味が違う。過去ログでは、かなり重い患者さんの病棟適応を改善するために、多剤併用をした記事をアップしている。だから寛解期の多剤併用がすべて悪いというのはどうかと思う。

やはり、多剤か単剤は、患者さんのその時の病状、治療の流れによって選択すべきで、マニュアル的に必ずこうしろというのは間違っているのである。

参考
多剤併用についての話
新興宗教と統合失調症の話
IT従事者のうつ状態
短期決戦に構える
リスパダールvsジプレキサ(付録 ルーラン)
統合失調症は減少しているのか?
座敷牢