Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

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 現在東京都では知事選挙が行われている。前任者が金だなんだで問題起こして辞任したから選挙だ。その前の人も、そのまた前の人も任期途中で辞任した。いま東京の有権者には審美眼が求められている。

 

 

 都知事選挙というと思い出すことがある。あれは2012年の選挙だっただろうか。

 数多く立った候補者の中に、弁護士出身の宇都宮健児氏がいた。宇都宮氏のポスターは、顔写真の横に大きな活字で縦書きに「宇都宮」と印刷したものだった。

 この時は他に幸福実現党からトクマ氏も立候補した。彼は尖閣諸島に強行上陸したことがある、と言って愛国者ぶりをアピールしていた。彼のポスターは、黒字に大きなゴシック体で縦書きに「トクマ」と名前だけが印刷されていた。

 さて、都内各地に設けられた公設ポスター掲示場に彼らのポスターも掲示されたわけだが、そのときは宇都宮氏が右側、トクマ氏が左側、と隣り合わせに掲示場所が決められた。そして掲示場の前を通った時、私の眼には「宇都宮トクマ」という文字が飛び込んだ。候補者とは別人で、有名な人がいたな、とおもったらそれは宇都宮徳馬氏(故人)だった。

 徳馬氏は自民党の参議院議員だった。彼は後に自民党を辞めるが、それからも保守系の政治家として活動した。だが、かれは平和運動家でもあった。彼が創刊した『軍縮問題資料』を真剣に読んでいた時期が私にはある。昔の保守には幅があったのだ。

 

 さて、都知事前任者の舛添要一氏が辞任した際、 宇都宮健児氏が野党統一候補として立候補するものと多くの人が思った。そうしたらジャーナリストの鳥越俊太郎氏も立候補する、という。結局宇都宮氏は知名度のある鳥越氏に委ねることとして立候補を取りやめた。フェイスブックでの投稿を見ると、このことに対するリベラル派の考え方は様々だった。私としては、これまで都政について大いに勉強したはずの宇都宮氏に出て欲しかった。だがここは大同団結すべきだ。

 自民党関係者や支持者はこういう動きを「野合」、「誰とでも組む」と揶揄するだろう。だが、自民党はそもそもさまざまな派閥が大同団結して長いあいだやってきた政党である。それにいま自民党は公明党と連立を組んでいる。時には的に知恵に学ぶことも大事だ。

 

 さて、幸福実現党だが、こちらはまたトクマ氏が出るのかと思ったら違う人が立候補した。七海ひろこ氏、32歳の女性だ。ポスターを見ると、「若さ綺麗さ」を前面に出しているようにしか思えない…。

 

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 「母なる海」と言う人がいる。だが、それは海のほんの一面に過ぎない。突如として海は変貌する。人間の生命を脅かす脅威に。

 3.11の津波被災地・荒浜を私が訪れたのは2016年の海の日だった。

 私は以前も何度か訪れたことがある。初めて訪れたのは大学に入ってからすぐのゴールデンウイークのことだった。できたばかりの友人の家でパーティがあって、その家が荒浜にあったのだ。

 仙台駅から深沼海岸行のバスに乗ると、問屋街を抜けたバスは水田の中を東に突っ走る。まもなく終点、というところに住宅街がある。そこに友人の家があった。

 

 

 彼女の家のすぐそばは砂浜だった。あの日、俺は将来何者になるのか、などと考えて私は海を眺めた。この海にもう一つの面にがあることをあの時の私は知らなかった。

 

 

   3.11震災から約半年経った2011年9月にも私はここを訪れた。 深沼海岸近くの家々はことごとく津波に流され、土台だけが惨たらしい姿をさらしていた。風呂場の床のタイルが妙に生々しかった。その土台の中で、どれが友人の家の土台なのかは分からなかった。そもそも、あの日も友人がここに住んでいたのかも分からない。

 そのとき雨が降っていたせいもあっただろうが、私はこの場所から生命を感じることができなかった。 

 

 

 先程の写真とはアングルが異なるが、これも深沼海岸近くの住宅街の写真だ。家々の土台の多くは撤去され、その跡は荒地になっている。ここに人が住むことは二度とないだろう。

 

 

 こちらはコンビニエンスストアの跡。震災後しばらくしてコンビニは営業を再開したが、だれも利用する人がなく、間もなく営業を止めたという。車椅子のマークが、ここが駐車場だったことを示している。

 

 

 こちらは海岸近くの荒浜小学校。2011年9月当時はバイクの残骸などの瓦礫が校庭に積まれていた。校庭に立派な舗装がされているが、これは復興作業用車両のための舗装だ。被災後しばらくは自衛隊がここを復興作業の拠点としたが、土の校庭に重い車両が頻繁に出入りすることは無理があったのだ。

 

 

 こちらは2016年7月の荒浜小学校、というより荒浜小学校跡地だ。被災後、荒浜小学校は隣区内の東宮城野小学校を間借りして授業を行っていたが、隣の学区である七郷小学校と統合されて2016年3月末をもって歴史を終えた。校舎には子供たちが「ありがとう 荒浜小学校」と書いた横断幕が掲げられていた。

 

 

 荒浜をあとにして、土の入れ替えられた田んぼの中の道を仙台駅へ向かって進む途中、仙台東道路の下を車は通る。仙台東道路は仙台平野を縦断する自動車道路で、盛土の上に道路が通っている。あの日はこの盛土に登って助かった人も数多くいた。

 現在、この東道路には、次の災害に備えて避難用のはしごが随所に設けられている。この写真に写っているはしごは、鍵を開けることで下の道路に下ろして人が登れるようになる仕組だ。このはしごの鍵は、普段は町内会長といった地域で責任のある人が預かっているという。

 

**************

 

ご参考までに

 

 防災の知恵を学ぶため被災地を訪れる人達のために仙台の複数のタクシー会社が被災地 巡りのコースを設定しています。インターネットで「仙台 被災地 タクシー」と検索すればタクシー会社の案内サイトを開くことができます。今回私は荒浜・ 閖上3時間コースを利用しました。このコースは3時間で16,380円(中型車1台)でした。

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 閖上(ゆりあげ)というところがある。宮城県名取市にある地域だ。門構えに水、という文字は20世紀のコンピュータでは使えなかった。もしかしたら宮城県内でもこの文字を読めない人が結構いたかもしれない。3.11の震災が来るまでは。

 名取川の河口にあるこの町は漁業の町。周囲には平地が広がっていた。3.11での名取市の死者・行方不明者は1027人。そのほとんどは閖上の住民だったという。

 

 

 2016年7月18日、私は閖上を訪れた。カネは掛かるが、運転手からいろいろと詳しい話を聴けることを期待してタクシーを利用した。(#)

 

 冒頭の写真は「日本一低い山」である日和山から眺めた河口である。あの時、山よりも高くあがった津波が頂上にあった神社の社殿を押し流した。

 

 

 日和山の山頂には社殿の傍らにこんな石碑も建っていた。1933年(昭和8年)3月3日の三陸大地震の記念碑である。あの日、津波は陸中のリアス海岸だけでなく閖上も襲ったのだ。災害は繰り返された。現在、この石碑は山の麓に寝かせて安置されている。

 

 

 この写真に写っているのは閖上での津波の水位を記憶に残すための記念碑だ。高さは8mを超す。その後ろにある建物は仙台名物笹かまぼこの工場だった建物だ。この建物は写真の左側に広がっていたのだが、2階建てだった部分を残してあとの部分は津波により壊された。

 

 宮城県南部の太平洋沿岸は平地である。閖上の周りには広がっていた水田はことごとく海水をかぶった。その範囲は海岸線から2kmのところまで及んだ。現在、比較的海岸から離れた場所の耕作地は土を入れ替えて再び田畑として利用されている。しかし、海岸付近は人が住むことも耕すことも認められなくなった。荒地となった場所には田畑から取り除いた土を盛って避難用の高台が造られている。

 

 

 

 

 

 この小さな木々は将来防災林に用いる木の苗である。

 ここの海岸には防風林として松が植えられていた。しかし、根の浅い松は津波によってことごとく抜き去られた。抜かれ、流された松の木は今度は建物を直撃し、被害を拡大した。

 その教訓から、抜かれた松に代えて複数種の木がここの海岸に植えられる。

 

 

 これは津波で亡くなった一家の家である。被災して住めなくなった家は取り壊されるべきだが、ここに住んでいた家族も、近隣にすんでいた親類縁者も津波の犠牲となった。そして、生きている人はだれも取り壊しに同意できないままこの家は朽ちていく。

 

 

 閖上の近くには仙台空港がある。

「仙台空港が早く復旧したのは米軍のおかげ。」

と運転手は言った。どういうことかというと、こういうことだ。

津波によって沢山の車が空港に押し流されてきた。当時の法律に則れば、1台ごとに所有者の承諾を得なければそれらの車両を撤去できない。だから日本の自衛隊はそれをやろうとした。一方、トモダチ作戦でこの地にやってきた米軍は日本の法律に構わずどんどんと車両を撤去していった。

 なお、今は日本の法律も改正され、このような災害の時には所有者の承諾がなくても復旧作業が進められるようになったそうだ。

 

 運転手は日本の自衛隊と米軍の両方を間近に見て大いにカルチャーショックを受けたという。トラックから荷物を下ろす際、米兵は地面に敷いたマットにドカンドカンと荷物を投げ落としたそうだ。確かにそれなら短時間で荷物を降ろせる。

「いま戦争をしている軍隊は違いますよ。」

と彼は言った。

 

# 防災の知恵を学ぶため被災地を訪れる人達のために仙台の複数のタクシー会社が被災地巡りのコースを設定しています。インターネットで「仙台 被災地 タクシー」と検索すればタクシー会社の案内サイトを開くことができます。今回私は荒浜・閖上3時間コースを利用しました。このコースは3時間で16,380円(中型車1台)でした。

 

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2016年7月11日、参議院議員選挙が終わるとすぐに沖縄では新たな基地建設が始まった。沖縄県東村の高江ヘリパッドのことだ。選挙で「勝利」した自由民主党が、選挙民を嘲笑うかのように。

 全国各地から集められた機動隊員が、工事強行に抗議する人たちを排除する。機動隊の車が抗議する人を轢き逃げした、という情報もある。

「国の決めたことになんで反対するんだ?」
という人がいる。それでは民主主義じゃなくて独裁だ!

「選挙では自民党の安全保障政策が信任された。」
という人もいるだろう。自民党や公明党が獲得した議席の数だけを見ればそう言えるかも知れない。だが、沖縄の有権者は何を選択したか!?沖縄県選挙区では現職の沖縄・北方担当大臣の島尻安伊子氏が自民党から立候補したが、反基地を訴える伊波要一氏に負けた。米軍に頼って国を守るのが日本国民の意志だというなら、私たち「本土」の者は沖縄の基地を「本土」で受け入れるべきだ。

「愛の反対の言葉は無関心です。」
マザー・テレサの言葉だ。最近になって彼女の影の面が指摘されるようになったが、この言葉は真実を突いている。沖縄の基地問題に無関心なまま沖縄に親近感を持つことなんて嘘だ。



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 盛岡で麺類といえばじゃじゃ麺、冷麺にわんこそばだが私には他にも印象に残っている麺類がある。それはおしんラーメンだ。

 

 1990年代の後半のことだった。観光ではなく用向きで盛岡に行って、昼食をとろうと飲食店に入った。安く食事できる店だったが、壁に掲げてあるメニューに他の料理より極端に安いものがあった。それがおしんラーメンだった。

 

 おしん、それは1980年代日本の国内外で大人気を博したテレビドラマの主人公の名前だった。日本の近現代史を描いたこのドラマでも、少女期のおしんが苦難の勤め奉公をする序盤は大いに話題となった。このラーメンの名はそのおしんから取ったのか?どんな料理なのか店員に聞いてみた。

「何ものっていないラーメンです。」

何ものっていないだと?空の丼しか出ててこないのか?それじゃドリフのコントだ…。気になってそのおしんラーメンを注文した。

 

 出てきたのはしょうゆ仕立てのつゆに麺、そして刻みネギが少々。確かにそれ以外は何ものっていなかった。チャーシューも、メンマも。

 ラーメンを食べられる人はあのときのおしんに比べたら遥かに恵まれている。だが、限られた小遣いで手っ取り早く腹を満たしたい者もいるのだ。この店は岩手大学や盛岡一高の近く。体力気力の有り余る若人のためにこの店は営業していた。

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 夏休みの宿題というと話題に上るのは小学校での思い出だが、高校でも夏休みには宿題が出る。

 私にとって印象に残る宿題は高校2年の時、英語の先生が課したものだ。先生は私たちに1冊の本を渡した。タイトルは『想い出のアン』。本自体は薄いが、本文は英語である。それを夏休み中に読むこと以外には特に先生から指示はなかった。

 

 宿題の本『想い出のアン』は和田登の小説『青い目の星座』を原作として、1984年に制作された映画のストーリーをなぞったものだった。

 

 物語の舞台は結核療養所である。この療養所はキリスト教団体が運営していて、施設内には教会があった。主人公の少年・周作はその教会の牧師の息子だ。療養所にはアンという、周作より年下の少女がいた。アンはカナダ人で、彼女の父はこの療養所の医師だった。物語は2.26事件のあった1936年から戦後にかけて進行する。($)日本がアメリカ・イギリスなどの連合国と戦闘状態に入り、敵性外国人であるアンたち家族が療養所から軽井沢にある収容所へと引き立てられるところが物語の山場だ。

 

 さて、先生はこの本について読むことだけを私たちに指示したが、私はついついこの本のテキストを訳して先生に提出した。それはちょっと気になる場面がこの作品にあったからだ。

 周作がアンたちの収容されている別荘を探す場面があるのだが、そこには周作が草軽電鉄の線路を横切ったといった記載があった。草軽電鉄とは、軽井沢と草津温泉を結んでいた鉄道路線の名前だ。現在は廃止されているが、独特の形状の電気機関車が列車を牽引したことで観光ガイドブックでも紹介される路線である。そういう場面があったので、ついつい面白くなって本文を全部訳した。

 本には映画のスチル写真も掲載されていたが、そこに写っているティーンエイジのアンにキュンとしたのも本文を訳そうとした動機だったのかもしれない。

 

 鉄道だとか女の子だとかの話の他にも、この作品には印象に残ったことがある。それは崔さんという登場人物だ。

 周作とアンは牧師館の屋根裏で遊んでいた時、 崔さんと出会った。崔さんは朝鮮から連行されて土木工事に従事させられていた。現場から脱走した崔さんに牧師と医師が隠れ家を提供していたのだ。その後、崔さんは故郷へ帰るために牧師館をあとにするがその後も意外な形で周作たちと関わることになる…。思えば、第2次世界大戦中、大陸から連行された人たちが強制的に労働に従事させられた、という話はこの本で初めて読んだ。

 

 意外なことをきっかけに、私は夏休みの宿題の話を思い出した。政府与党である自民党のホームページに、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というサイトが設けられたというのだ!このサイトは学校で政治的中立性を逸脱した授業をした教師がいたら通報するよう呼びかけるものだ。このサイトからは、E-メールではなく、自民党のサーバーに直接アクセスする形で通報が行なえるようになっている。私がこのブログを書いている時点で掲載されているのは下にような文言だが、当初は中立性を逸脱する事例として「生徒たちを戦場に送るな」と主張することが挙げられていたという。

 「教師に政治的中立性を求めることなんて当たり前じゃないか。」

と思う人もいるだろう。だが、「中立性」なんてどのようにでも解釈できる言葉なのだ。「中立性を逸脱した」先生が誰かに密告される。先生たちはお上の顔色をうかがいながら授業を行なう。そんな状況で子供たちは人を尊敬できる大人になるだろうか。子供たちの創造性が摘み取られることはないだろうか。

 

 『想い出のアン』が夏休みの宿題になった、それを昔話にしてはならない。

 

 

 

 

$ 私が読んだ本ではアンたち親子は第2次世界大戦が終わってから帰国したように思ったが、ウェブに記載されているあらすじによると映画の方は彼女たちは戦時交換船で帰国する、というラストらしい。映画と本で内容が違うのか、私の記憶違いなのかは分からない。

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 参議院議員選挙の投票日前日となった2016年7月9日夕方、東京都選挙区の候補者である三宅洋平の選挙フェスに行ってきた。

 下の写真は三宅と島田雅彦のツーショットである。私が会場に着いた時には反貧困活動家の雨宮処凛もステージに上がっていたところだった。

 

 

 この日の彼の演説で印象に残ったのは原子力発電の代替エネルギーの話だった。この日音響や照明に使っていた電源はR水素(再生可能水素)のモジュールを持ち込んで賄っていたものだという。R水素とは、太陽エネルギーと燃料電池を組み合わせたシステムだ。太陽光エネルギーで水を分解して得られた水素を水素貯蔵合金などを用いて貯蔵する。そして必要に応じてその水素で燃料電池を駆動させ、発生した電気を利用する、というものだ。2000年ころ、私は太陽エネルギーを用いた水の分解は実験室レベルでしか行われていなかったが、現在オーストラリアでは6階建てのビルで実証実験をやっているという。

 地産地消で利用できるR水素は原子力発電の代案として大いに着目するべきだ。

 

 

 

 集会が終わったあと、酒を飲んでいたら福島瑞穂の支持者と話す機会を得た。彼女は社会民主党から比例代表区に立候補している。社民党というと未来がないように思う人もいるだろう。だが、社会全体でも国会でも多様性が保証されるべきだ。比例代表は彼女に入れようか…。

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 7月10日(日)は参議院議員選挙の投票日です。今このブログを読まれている方の中には、選挙を棄権しようと思っている方も、消去法で自民党の候補に入れようと思っている方もいるでしょう。ですが、今回は

「自民党を勝たせ過ぎない」

という選択をしていただけないでしょうか。

 

 今回の選挙で自民党は憲法改正を大きくは掲げていません。しかし、自民党、公明党、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党が衆参両院の議席の3分の2を占めれば高い可能性で憲法「改正」が発議されます。

 

「憲法なんて関係ない。」

と思う方もいるでしょう。でも、関係あるのです。

 

現在の憲法第25条では生存権を定めています。年金のような福祉制度を整える、という庶民に対する義務を日本の国家権力は有していますが、今の憲法はその根拠となっています。国を縛るのが憲法です。

 しかし、安倍首相のような人たちは、これを骨抜きにしようとしています。それどころか、憲法を私たち庶民の心を縛るものに作り変えようとしているのです。

 

「いま日本にはおかしな奴が多いから、憲法を変えたほうがいいのじゃないの?」

という方もいるでしょう。しかし、泥棒をするな、人を殺すな、といったことは刑法で定めています。個人と個人の揉め事、個人と企業の揉め事を解決するために民法などのさまざまな法律があります。国を縛る法律、庶民に対する国の義務を定めたのが憲法です。もちろん、今の憲法にも問題はあるでしょう。しかし、安倍首相たちが望むような「改正」を許したら、私たちは当たり前に生きていけなくなるかもしれません。

 

 

今回の選挙では、どうか

「自民党を勝たせ過ぎない」

という選択をして下さい。日本が自分らしくあれる社会となりますように。

 

 

 

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「たった一人の兵士の身勝手な行動で戦争が起きたのですよ。」

中学3年のとき、修学旅行のガイダンスで体育館に集まった私たちに先生はそう言った。この先生の科目は社会。この頃この先生の授業では近代史の単元をやっていて、ちょうど第2次世界大戦ののことを取り上げていた。

 1937年(昭和12年)7月7日、中国北京の郊外にある盧溝橋では日本軍と中国軍が睨み合っていたのだが、この日の夜日本軍の部隊が兵士の点呼を取ると一人の兵士が返事をしなかった。そこで部隊長はこの兵士が中国軍から危害を加えられたと疑って中国軍側に発砲するよう他の兵士たちに命じた。これが日中戦争の始まりである。

「行方不明になっていた兵士は点呼の時立ち小便をしていたようです。その後その兵士は戦死したそうですが、その兵士の身勝手な行動が日中戦争の始まりになったことに変わりはありません。」

と先生は授業の時話していた。

 今思うと、先生の話には不正確な部分がある。一人の兵士の身勝手な行動は導火線に火を付けることになった。しかし、その前から爆薬は日本から中国へ持ち込まれていたのだ。

 1931年(昭和6年)9月18日、瀋陽郊外の柳条湖で当時日本が権益を有していた南満州鉄道の線路が爆破された。これは日本軍の自作自演だったが、これを機に日本軍は中国各地に駐留することとなったのだ。当時日本政府は欧米列強からアジアを解放することを戦争の目的として掲げていたが、それは大義名分に過ぎない。当時の中国は軍閥の群雄割拠していたが、だからといってこちらから軍隊が押しかけて行っていいわけではない。向こうから見れば、日本軍は土足で入り込んで資源を奪おうとしたのだ。

 

 一人の兵士の話は、学問というよりも私たちへの戒めとして先生が語った話だ。実際先生方は私たち生徒が修学旅行中他校の生徒と問題を起こすことはないか、と神経をとがらせていたようだ。

 

 

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