Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。


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NHK Eテレの『にほんごであそぼ』という番組は子供向け番組だが大人が観ても楽しいので観ている。

 冬になってからこの番組では枕草子も取り上げている。

 

  冬はつとめて 雪の降りたるは言ふべきにもあらず 

  霜のいと白きも またさらでもいと寒きに

  火など急ぎ起こして 炭もて渡るも いとつきづきし

  昼になりて ゆるくゆりびもていけば

  桶の火も 白き灰がちになりてわろし

 

 「清少納言は非生産階級の人間なんだぞ。」

高校の古文の授業でこの作品のこの一節を取り上げた時、先生はそう言った。

 

 冬の一番寒い時を彼女は好きだと言っているのだ。冬の朝、庶民は寒さに震え、その日の仕事の心配をしながら身支度をしているというのに。

 そして「雪の降りたるは…」ときたもんだ。お前、自分で雪かきやる必要ないからそんなこと言えるのだ、と古(いにしえ)の女性貴族に毒づいてしまう。

 

 だが、そういう私も寒い朝、満員電車に揺られながらふと窓の外に眼をやった一瞬、澄んだ空気の向こうにある住宅や公園を美しい、などと思ったりするのだ。

 

「『枕草子』なんてどうでもいいことばかり書いてあるじゃないですか。こんなのがなぜ今残っているんですか?」

と先生に質問した友がいた。私も彼の質問はもっともだ、と思った。

 だが、清少納言が日常の中の美しい一瞬や面白いときを鋭く切り取ったからこそ、今の私たちもついつい彼女のつぶやきが気になってしまうのだ。

 

 

 

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 昭和の終わりに共通一次試験というものがあった。国公立大学を志望する受験生が必ず受けたマークシート式の試験だ。

 もともとは旧帝大などの受験競争を緩和する、とかそういう趣旨で始まったのだろう。しかし、私が高校生の頃はマークシート式の試験によって若者の学力に歪みが出てきた、とかそんな議論がマスコミでは取り上げられていた。そして時の総理大臣が選挙のときの演説で入試改革に言及したりして、そのうちにこのテストは違うものになるらしい、という中で私も入試本番を迎えたのだった。

 

 高校3年の私が共通一次試験を受けた会場は自宅からも出身高校からも結構離れた大学だった。そこに多くの同級生が集まる。中学の同級生で別の高校に通っていた者と再会する。そんな中で私は緊張感よりも非日常的なもの感じていた。

 

 試験開始時間まであと30分くらいの頃だ。私は校舎の外で参考書を読んでいた、というよりも漫然と眺めていた。そうすると男女の声が聞こえた。女の声には聞き覚えがあった。私が好きだった同級生だ。男は知らぬ。よその高校の者か?二人は予備校での知り合いなのか?人生を左右するかもしれない試験の前に、私の胸にズキリとするものが走った。

 

 受験の結果だが、高校で優等生だった彼女は当然のことながら「一流大学」に合格した。一方、中途半端な勉強しかしていなかった私はどこにも受からず、浪人。

 そして、私は彼女に振られた。

 

 親には申し訳ないが、私は大学に落ちたことよりも振られたことの方が悔しかった。そして彼女を見返したいと思って勉強して、その翌年に大学に入った。

 

 私が大学に入った翌年から、共通一次試験は私立大学も利用可能な大学入試センター試験へ移行した。今では大学独自の試験を行なわずセンター試験の結果だけで合否を決める私立大学もあるらしい。

 

 大学を出たあと、私は曲りなりも社会人となった。だが、女性との接し方は未だに分からない。

 

 

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 私があの人の名前を意識したのは2005年1月のことだ。あの人といっても恋人だとかそんなのではない。

 

 2000年12月、女性の人権問題に取り組む団体が、第2次世界大戦中の日本軍による組織的な性犯罪の責任を明らかにするため民衆法廷(模擬法廷)を行なった。「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」(女性国際戦犯法廷)である。

 この法廷は2001年1月にNHK教育テレビのドキュメンタリー番組で取り上げられた。しかし、この番組の具体的な内容は放映前に外部に漏れ、NHKは外部の人物の指示によりこの番組の内容を改変して放映したという。

 

 このことを2005年1月に『朝日新聞』は報道した。報道によると、番組の改変を指示した人物の一人が当時内閣官房副長官だった安倍晋三氏だった。

 この報道に対して、安倍氏はNHKに圧力をかけたことを否定したが、番組について「心ある人」による情報提供があったことを語った。『産経』、『文春』などのメディアが「朝日叩き」を展開する中、2005年9月に朝日新聞社は記事の訂正を発表。それ以降従軍慰安婦問題をメディアが取り上げることはタブーとなった。「美しい国」を標榜する安倍氏の「功績」だ。

 その後、朝日新聞社は萎縮した。現在安倍氏はメディア各社の幹部との会食を重ねているが、朝日新聞社幹部もその中に名を連ねている。

 

 ご存知のとおり、安倍氏はその内閣総理大臣となり、今は彼の第2次政権である。

 ところで、2015年暮れに安倍首相と朴槿恵・韓国大統領との間で元従軍慰安婦への補償に関する合意がなされたが、 合意の中では当時の日本軍の組織的な責任は曖昧にされている。

「日本はもうカネを払ったからいいだろう。」

という人もいるだろう。日本と韓国のエラい人同士ではカタは付いたかもしれない。だが、日本の戦争責任は曖昧だ。私は日本の国を愛するからこそこのことを恥ずかしく思う。

 

 いまマスコミは釜山の日本領事館前に設置された少女像をめぐる騒ぎを報道している。私の友人の中にも、少女像撤去を拒む運動家に対して怒る者がいる。だが、むしろ私は、被害者たちの頬を札束で叩くような日本政府の方に腹が立つ。

 NHKの討論番組で安倍首相は

「今度は、韓国がしっかり誠意を示してほしい。」

と行ったそうだ。「今度は」というが、そもそもあの人は誠意を示したのか?2005年の報道からずっと、私はあの人を信用していない。

 

 

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 学校の年中行事に芸術鑑賞教室がある。私が小学生の時にも春と秋の年2回に芸術鑑賞教室があった。教室の演目は大抵、1年生にも理解できる内容の劇だったが、6年生の秋の教室で出会ったものはそれとは微妙に異なるものだった。

 

 その劇は日本のどこかの昔話のような話で、体育館のステージ部分ではなく、コート部分の半分に設けられた真四角な特設舞台で上演された。そして私たち児童はコート部分の残りの半分で劇を鑑賞した。

 

 劇の前に座長が舞台装置や劇中で用いる楽器の解説をした。座長が解説した楽器の中には中世(鎌倉時代、室町時代)の田楽師が用いた編木(びんざさら)もあった。

 舞台の、役者が出入りするところにはカラフルな幕が下げられていた。役者が出入りする時にはカーテンのように開くのではなく、棒で裾を持ち上げる。座長が幕のことを

「室町時代の○○というお芝居の幕です。」

と解説した。その時の私は○○が聞き取れなかった。

 

「鬼っていったい何だろう?」

という歌で始まったその劇の主人公は鬼だった。それも恐ろしい鬼ではなく、間抜けで人間くさい鬼だった。

 人里を覗きに行った鬼は一人の娘に恋をした。その娘は眼が見えなかった。そのせいで村の子供たちにいじめられていた。いたたまれなくなった鬼は娘を連れて帰り、世話をした。

 いきなり連れ去られた娘は当然のことながら鬼を恨んだ。しかし、鬼の優しさに触れているうちに初めて誰かを好きになる気持ちが湧いてきた。娘は鬼を愛するようになった。そして言った。

「わたしはお前の顔を見てみたい。」

 

 鬼はどうすれば娘の願いを叶えられるか知っていた。愛する娘の眼が見えるようにするため、鬼は崖に咲いている薬草の花を摘みに出かけた。

 

 ここで、娘の父親が登場する。演ずるのは座長だ。

 鬼に娘を連れ去られた娘を父親は探し続けていた。自分の娘が鬼に心を開いたこと、鬼を愛していることは知らない。娘を連れ去った鬼を見付けた父親は鬼を鉄砲でねらうが照準を定められない。父親は私たち観客に向かってその状況を説明する。

「崖にへばりついた鬼が右へ行ったり左に行ったりします。なぜそんなことをするにか分かりませんが、そのせいで鉄砲の狙いを定められません。」

 

 10年以上経って気付いたが、この演出は能楽の間狂言の演出だった。

 能楽では劇のストーリーが転換するようなところで狂言役者が登場してが笑いをとったり物語の背景を説明したりすることがある。例えば源義経の亡霊をシテ(主人公)とした『屋島』では那須与一が扇の的を射抜く有名な話を狂言役者が語る。父親の語りはこの間狂言に倣った語りだった。

 

 その鬼の動きが止まった。鬼が薬草を見つけて摘み取っているのだ。父親は引き金を引いた!そうすると、深傷(ふかで)を負ったはずの鬼は崖を降りて這うように歩き出す。父親は鬼の後を追った。

 ようやっと鬼は自分のすみかに帰り着いた。そして摘み取った花の汁を娘の眼にかけた。鬼が命懸けで採ってきた花のお陰で、娘は初めて眼が見えるよになった。だが、生まれて初めて娘が見たものは、愛する鬼の死に顔だった。鬼を追ってやってきた父親に娘は言い放つ。

「お前はおとっつぁんじゃない、鬼だ!」

そこでエキストラたちが語る。

「娘は鬼になった。」

 般若の面を着けた娘が激しいテンポで舞う。『道成寺』の娘のような、怒り狂った女の舞だ。そして劇は終わった。

 

 そうだ、この劇の真四角な舞台は能舞台に倣ったものだった。先述の幕は揚幕である。

 

 12歳のころの私は、わかり易くてハッピーエンドな物語しか受け入れられなかった。だから、あの日私はあの劇を面白いとは思わなかった。だが、その一方であの劇は私の感性に不思議な陰影を落とした。

 

 大学に入ってから私は、能楽に興味を持つようになった。

「日本人ならば日本文化を知らなければならない。」

と思って能楽堂に行ったとき、男の役者が演技によって女神にも絶世の美女にも化けることに惹かれて能楽ファンとなった。

 そして「おじさん」になった私は思う。

 あの日観たあの劇は新作能だったのだ、と。

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 1990年代後半のことだ。当時私は仙台に住んでいたのだが、人に誘われて徐勝(ソ=スン)の講演会に行ったことがあった。徐勝は在日朝鮮人の社会学者で、韓国留学中に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のスパイだと疑われて投獄された、という経歴のある人だ。

 残念ながら講演の内容は忘れた。そのかわりに覚えていることがある。

 講演があったのは土曜日の午後だった。会場についてまもなくしたら学校の制服らしい格好をした若者の団体がやってきた。

 20世紀末、女子高生の間ではルーズソックスなるものを履いて通学することが流行していた。このときの女子生徒も半数以上がそのルーズソックスを履いていた。制服は…チマチョゴリである。そう、この団体は太白区八木山にある朝鮮高級学校(高校)の生徒たちだった。

 

 この女子生徒たちを見て面白いな、と思った。

 私は少女のルーズソックス姿を見るのが嫌である。そして、彼女たちを見て、ルーズソックスはセーラー服やブレザーと同様、チマチョゴリとも調和しないな、と思った。だが、彼女たちのおしゃれに対する感覚は日本の民族的多数派の少女たちと大して違わない、ということが面白かった。

 なお、この時の彼女たちのチマ(スカート)丈は膝が隠れる程度の長さだった。これは多数派の少女たちのスカートと比べれば長かった。だが、私の記憶にある1980年代の朝鮮高の少女たちはくるぶしぐらいまでのチマを穿いていたから、それと比べると相当短くなっている。

 

 さて、男子生徒だが、かれらは灰色系のスラックスに白シャツという、いかにも高校の夏服らしい格好だった。映画『パッチギ!』の1960年代だと朝鮮高校の男子生徒も詰襟の学ランを着ていたが、90年代になると朝鮮高男子生徒は冬服のときは紺のブレザーが制服になっていたようだ。

 男子生徒の中に足を骨折してギプスを着けている者がいた。そうすると仲間たちがギプスに落書きをする、というのはいかにも10代のガキである。だが、このガキのギプスには旗が描かれていた。朝鮮民主主義人民共和国の旗と、日章旗。二つの旗が双方の旗竿を交差させるように描かれていた。日朝親善である。そうえいば、在日朝鮮人ボクサー・徳山昌守(本名:洪昌守(ホン=チャンス))がリングで活躍していたのもこの頃だった。彼のリングシューズにも北朝鮮国旗が描かれていた、と何かで読んだ覚えがある。

 

 さて、朝鮮学校女子生徒のチマチョゴリ型制服だが、この可愛い制服は1999年度以降街や電車内で見かけることはなくなった。

 それより前から彼女たちは様々な暴力を受けていた。そして、1990年代後半になり拉致事件やミサイル問題がセンセーショナルに報道されるようになる。これらの問題に罪があるのは北朝鮮の為政者だ。多くの北朝鮮住民や在日朝鮮人に罪はない。しかしそのことを分からない、分かろうとしない者がいるために、チマチョゴリを着た女子生徒たちへの暴力がエスカレートする懸念がでてきた。そのため、全国にある朝鮮学校は女子生徒の通学服をチマチョゴリからブレザー型の「普通」な制服に変更したのだった。

 

 2011年3月11日に起きた大地震は仙台の山林に位置する東北朝鮮初中高級学校にも大きな被害をもたらした。このときはイデオロギーを異にする大韓民団の人たちも同胞の子供たちのために復旧を手伝った。

 だがその後、高級学校は閉校となり、現在仙台では小学校、中学校に相当する初中級学校だけで授業を行なっているそうだ。そのことは昨年(2016年11月)行なわれた朝鮮大学学園祭の時展示発表で知った。説明係の学生によるとその理由は「総連離れ」による生徒数減だそうだ。

 

**********

 

 下にリンクしたのは1960年代の京都を舞台にした映画『パッチギ!』の映像である。ここでは沢尻エリカがチマチョゴリ姿で清純な少女を演じている。

 

 

 

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 近年、箱根駅伝の中継で耳にするようになった大学で上武大学というのがあるが、この大学名を初めて聞いて私が連想したのは上武鉄道という鉄道路線だ。上武鉄道といっても、西武や東武のような大手私鉄とは違う。調べてみると会社は西武鉄道の系列だったようだが、路線自体はかつて埼玉県北部で運行していた短いローカル線だ。

 

 上武鉄道は第2次世界大戦中、国鉄八高線丹荘駅と日本ニッケル(後の西武化学工業)のニッケル精錬工場(のちに肥料工場を併設)との間に開業した。当初この路線は専ら日本ニッケル工場の原材料や製品を輸送する専用鉄道だったが、戦後は地方鉄道の認可を受けて旅客も乗せるようになった。

 

 雑誌で上武鉄道の列車の写真を見て驚いた。工場の引き込み線で使うような小さなディーゼル機関車が小さな客車を牽いている。夏目漱石が松山の道後温泉に向かう列車のことを『坊ちゃん』で「マッチ箱のような客車」と表現したがこちらもマッチ箱である。1970年前後の写真だが、新幹線の時代の列車とは思えない。別のカットの写真だとたくさんの貨車が機関車に従っているから、旅客は「ついで」だったことがわかる。終点の駅は工場の構内で、駅舎もホームもなかったようだ。工場の従業員も利用しなかったようで、列車はいつもガラガラだったそうだ。

 

 そんなわけだから、上武鉄道は1972年限りで旅客営業を廃止し、貨物専業の鉄道に戻ったが、貨物輸送の役割が自動車へ奪われていく中で1986年に鉄道自体も廃止になった。私が1993年に八高線に乗った時、丹荘駅構内には上武鉄道のホームや線路の跡が残っていたが最近はそれも無くなったらしい。

 

 

 

 

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 下の写真は『化学と工業』2015年1月号の表紙です。この雑誌は化学の研究者、技術者の組織である日本化学会の機関誌ですが、食に関する特集を新春号で組んだのに合わせて雑煮の写真が表紙に掲載されています。

 ところで、この表紙に写っている雑煮はいずれも三重県内の家庭で正月に作られるものだそうです。澄まし仕立ても味噌仕立てもあんこもあります。よそ者の私にとって三重県といえば伊勢神宮ですが、三重には海もあれば山もあり、いろいろな生業の人が暮らしていて、様々な文化が息づいていることをこの写真から感じます。

 

 ところで私の父方の祖父は愛知県三河地方の出身なので、私は三河にアイデンティティを感じています。そして、私の家の雑煮は鶏肉の入った澄まし汁です。私はこれが三河の雑煮だと思っていました。ところが私の本籍地の隣町出身の人が食べてきた雑煮は味噌仕立てでした。その後、三河の雑煮について少し調べたことがあるのですが、澄まし汁の家庭もあれば味噌汁の家庭もあるようでした。

 

 食は文化なりと言いますが、こうして比較的狭い地域でみても、様々な文化があります。ましてや日本全体で見れば実に多くの文化がひしめいているのではないでしょうか。

 

 私が20代の時出会った人の何人かが

「人と違うことをしていたらいじめられても仕方ない。」

と言いました。今でもインターネットでそういう受け止め方の人による書き込みを見かけることがあります。アイヌや在日朝鮮人といった少数民族への人格攻撃の問題も、いじめの問題と根を同じくした問題でしょう。

 

 しかし、私はこの雑煮の写真を見てあらためて思います。日本にはもともといろいろな文化が息づいている国なのだと。そして思います、人の多様性を認められる人間に私はなりたいと。

 

 

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 新年明けましておめでとうございます。

 昨年はお世話になりました。

 

 昨年も内外でいろいろとキナ臭い動きのある一年でした。こういうことに無関心でいられたらどんなに楽か、と思うこともあります。

 

 ところで、何年か前に『組曲虐殺』という舞台劇を観ました。プロレタリア作家・小林多喜二を主人公として、井上ひさしが脚本を書いた芝居です。そこに出てきたセリフで

「絶望するな。」

というのがありました。多喜二ら労働運動家たちが仲間と別れるときに交わした挨拶です。

 多喜二の生きた社会は、今の日本とは比べようもなく生きづらい社会でした。しかし、今の私たちにも「絶望するな。」は大切な言葉でしょう。

 

 本年、私は紙の年賀状に

「本年が昨年よりは平和でありますように。」

と印刷しました。

 本年も宜しくお願いいたします。

 

 2017年丁酉元旦

和田裕明

 

***************

 

  下の写真は昨年11月に東京・中野で開催されたチャランケ祭りで撮影したものです。埼玉県の子供たちがアイヌの鶴の舞を舞っています。この舞では長羽織の裾を鶴の翼に見立てて踊るのですが、彼女たちの羽織に描かれている鶴の画はアイヌの伝統的な画ではありません。

 

 本当に良い国とは、誰もが自分の居場所を見付けられる国ではないのか、そうい思って今年は紙の年賀状と元旦のブログに下の写真を使いました。

 

 

 

 

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 年末といえばクリスマス。クリスマスになるとサンタがトナカイの索くソリに乗ってやってくると言いますが、トナカイの語源は何語だと思いますか?アイヌ語なんです。

 

 私はそういう話を聞いて

「本当か?」

と思った。だって北海道にトナカイはいないではないか。トナカイはユーラシア大陸の北欧やシベリアといった地域で棲息しているのだ。

 確かに、昔のアイヌを狩猟の民という面から見ればトナカイの話の語源は理解できない。しかし、アイヌは交易の民でもあるのだ。

 アイヌは金属精錬の技術をもたなかった。しかし、アイヌは小刀を所有し日常的に使用してきた。魔除けの儀式の時は錆びた刀を使用した。アイヌはこういった金属製品を交易で手に入れてきた。

 

 彼らの主要な輸出品目は毛皮だった。ヒグマやエゾシカの毛皮は自分たちの居住地で狩猟により入手した。だが、彼らが毛皮を得た手段はそれだけではなかった。彼らはシベリアの先住民と交易して大陸の動物の毛皮も入手したのだ。そうして入手した毛皮をシサム(和人を指すアイヌ語。原義は「隣人」。)の商人に「トナカイ」と言って売ったのだろう。

 

 下の写真は東京国立博物館(上野)の「アイヌと琉球」という展示室に展示されている舟の模型である。板と縄で組み立てられたというこの舟には3本の櫂が付いている。

 アイヌは何と毛皮とを交換してシベリア先住民と交易を行なったのか、交易で彼らはどんな舟に乗ったのが、まだ私にはわからないことだらけだ。

 だが、頭の中にはアイヌの男たちが大陸を目指して日本海へ漕ぎ出すさまが浮かんでいる。 

 


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 安倍晋三首相が天皇を揶揄したという話が雑誌に載っているそうだ。

 『月刊日本』(K&Kプレス)2016年12月号に毎日新聞編集委員・伊藤智永のインタビュー記事が掲載されている。

 安倍首相が首相官邸の執務室で親しい政治家と話をしていて天皇の生前退位のことが話題になったとき、カーペットに膝をついて

「こんな格好までしてね。」

と言ったそうだ。

 「こんな格好」というのは、天皇夫妻が被災地を訪れて、避難所などで被災者に声をかけるために膝をついたときの格好だ。象徴天皇制を支持する人の多くは二人のそういう姿勢に共感しているはずだ。

 

 ご存知のとおり、安倍首相は憲法改正に熱心である。彼は自分の理想とする憲法で天皇を日本の元首だと明記したがっている。彼にとって天皇とは何も物を言わず高いところに座っている人なのだ。そうすれば彼は天皇の威を借りてこの国を動かすことが出来る。

 

 ここまで書いて『大正天皇』(朝日選書。原武史)という本を思い出した。この本で著者が書いていることによると、大正天皇は天皇の位についてから閣僚や軍幹部と対立を繰り返していくうちに身体と心を病んでいったという。そして、それを間近で観た裕仁親王(昭和天皇)は位を継いでから敗戦まで沈黙を通した、と著者は書いている。

 

 昭和天皇が軍部に対して無力だったかどうかについて、私は疑問を持つ。だが、この本で暗示されているように、1945年以前の日本の指導者たちは天皇の威を借りてこの国を暴走させた、と私は思っている。そして安倍首相はそのような指導者たちと同類だとも私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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