Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。


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 新聞の広告を見て、電車の吊り広告を見て、いつも思うんだが、予備校のCMに出てくるのはなぜいつも可愛い女の子ばかりなんだろう?清楚な女の子が制服のネクタイをちゃんと締めて、スカートは短すぎず、それはそれで可愛くていいんだが、なにか面白くない。

 
 でもってこんなのを考えた。
 
CM1

場面1 高校の校庭

     筋肉隆々のラグビー部員たちがパスやタックルの練習に

     いそしむ。

場面2 ラグビー部の部室

     練習を終えてラグビー部員たちがジャージから学生服

     に着替えていると、山下真司(#)演じる教師が入ってくる。

 先生  「お前たち、ラグビーのあとは勉強だ!」

 部員たち 「はい!」

場面3 予備校の教室

     ラグビー部員たちが熱心に授業を受けている。

場面4 ○○予備校のロゴ

 野太い声 「男なら○○予備校」

 

CM2   

BGM DREAMS COME TRUE『晴れたらいいね』

場面1 高校敷地の一隅に設けられた土俵

     肉付きのいい相撲部員たちが四股や掛かり稽古に

     いそしむ。

場面2 相撲部の部室

     稽古を終えた相撲部員たちが廻しから学生服に着替え

     いると石田ひかり(%)演じる教師が部室に入ってくる。

 先生 「みんな、相撲の後は勉強よ!」

 部員たち 「はい!」

場面3 予備校の教室

     相撲部員たちが熱心に授業を受けている。

場面4 ○○予備校のロゴ

 野太い声 「男なら○○予備校」


…なんていうこと書いていたら、こんなCMが見つかった!!

 

 

 

 

 

 

 

# 1984~85年、高校ラグビーをテーマにした青春ドラマ『スクール☆ウォーズ』がテレビで放映された。ここでは、伏見工業高校ラグビー部監督だった山口良治をモデルとする熱血教師を山下真司が演じた。

 

 

% 1992~93年、東京・下町を舞台にした朝ドラマ『ひらり』がテレビで放映された。ここでは、栄養士として大相撲に関わるヒロインを石田ひかりが演じた。

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 日韓関係が悪化している、とマスコミは報道している。かと思えば、つい最近は朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の要人暗殺と思われる事件が発生した。
 だが、こういう時だからこそ確認しよう。あの半島にいる子供たちにはなんの罪もない。彼らの将来を否定してはならないと。
 
 2017年2月19日、東京都千代田区内で『南北コリアと日本のともだち展』をやっていたので観てきた。昔は小学校だった建物が会場だ。会場には日本、韓国、朝鮮、中国の子供たちの画がいっぱい展示されていた。日本の子供は多数派の日本人もいれば在日コリアンもいる。多分中国からも漢族と朝鮮族の両方の子供たちが出品していることだろう。

 さて、朝鮮の子供たちの画だが、全体に硬い印象があった。しかし、子供たちが描いた題材は様々、個性も様々である。

 こんな画があった。

 教室で「わたし」と仲良しの友達が向かい合って座っている。クラブ活動で暗算競争をやっているのだという。友達は余裕のよっちゃん、という顔だが「わたし」の顔は苦々しい。
 二人の頭の上には「?」とか「!」が描いてある。これが「わたし」と友達の戦況らしい。二人の真ん中には先生らしい女性が座っている。先生の傍らにはタイムキーピングに使う目覚まし時計が置いてあるのだが、その上にはキノコ型のものが描いてある。漫画でプンプン怒っている人物の頭上にキノコが描いてあることがよくあるが、そのキノコである。今「わたし」はこの時計にせっつかれているのだ。
 そう、このこの画の作者は漫画に影響されてこの画を描いたようだ。

 男の子が水槽の金魚にエサをやっている画がある。この画を描いた「ぼく」は金魚が好きで、将来は金魚の研究者になりたいそうだ。だったら、いつか日本の金魚を研究に来い、と声をかけたくなる。

 その他にも、スキー、映画鑑賞、日曜日の朝寝、宇宙旅行、といった画があった。
 
 この画を描いた子供たちは朝鮮では相当恵まれているだろう。だが、この画を描いた子供たちには個性がある。それを実感できた展覧会だった。
 




 
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 愛知県岡崎市の大樹寺は日本のどこにでもある寺のように見える。しかし、この寺は徳川将軍家と縁の深い寺なのだ。もともとこの寺は徳川家の祖先である松平家の菩提寺だった。そして徳川家康は自分の位牌を大樹寺に納めるよう遺言した。以降、第14代将軍家茂まで($)、歴代将軍の位牌がこの寺に納められた。
 そうして納められた歴代の位牌はこの寺の宝物殿で公開されている。その位牌がとても大きい。高い身分の人の位牌は大きく作られることが多いが、ここにある位牌は将軍の身長に合わせて作られている、と言われている。
 大抵の将軍の位牌の高さは、当時の成年男性としては普通の身長である150~160 cmだ。だが、中には極端に低い位牌もある。

 第5代綱吉の位牌の高さは124 cmである。当時としても極端に低い身長である。彼が軟骨無形成症のような病気を患っていた、と推測する人もいる。だが、綱吉の体格について信頼できる記録はないようだ。彼の遺骨も調査されていないので、位牌が本当に彼の等身大に作られたのかどうかは分からない。

 第7代家継の位牌は135 cmだ。彼は数え8歳、満6歳10ヶ月で夭折した。その歳にしては彼の身長は高すぎる、と言われる。ちなみに、現在の6歳男児の平均身長は110 cm台だ。彼の身長も謎である。なお、増上寺に葬られた彼は第2次世界大戦後に改葬されたのだが、長い年月を経て彼の遺骨は喪われていたそうだ。
 
 ***********
 
 下の写真は大樹寺の大樹寺本堂から眺める山門である。大樹寺の山門と本堂は岡崎城天守閣と一直線に並ぶように建てられた。現在の天守閣は戦後に再建されたものだが、今でも山門を通して天守閣を眺めることができる。

$ 最後の将軍・慶喜の位牌は大樹寺にはない。明治を生き抜いた彼が大正年間に没した際、大樹寺では慶喜の位牌受け入れの準備を進めていた。しかし、慶喜の葬儀は神道式で行ない、位牌も制作していない旨の連絡が徳川慶喜家からあった、という話が大樹寺の宝物殿内に掲示されている。

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 居酒屋で呑んでいたら、厨房のそばに置いてあるダンボール箱が気になった。
「幸福メークイン 大地」
幸福というと、鉄ちゃんにはピンとくるものがある。北海道の帯広近郊にあった鉄道駅の名前だ。

 ウィキペディアなどに記載されている幸福駅の名前の由来はこうだ。
 もともとこの地域は「サチナイ」と呼ばれた。ここを流れる川は幅は広いわりに水量が少なかったので、「乾いた川」という意味のアイヌ語が地名となったのだ。明治時代になり、アイヌモシリだった北海道が大日本帝国に組み込まれると、アイヌが呼び慣れた地名の多くは漢字を当てて表記されるようになる。多くの場合、「~ナイ」という地名は稚内のように「~内」と表記されるのだが、この地を管轄した役人は「サチナイ」を「幸震」と表記した。震は古語では「なゐ」と読むのだが、当時でも多くの和人はこの読みに馴染めなかった。そのため、この地は「こうしん」と呼ばれるようになるのだが、福井県からこの地に入植した人たちが故郷の名から一字を取って震と入れ替えることでこの地域の名前は「幸福」で落ち着いた。

 昭和に入って、帯広と広尾とを結ぶ広尾線が開業することでこの地域を鉄道が通るようになった。そして戦後に幸福駅が開業した。幸福駅は1970年代にテレビで取り上げられ、縁起のいい名前の駅として有名になった。一駅挟んだところに愛国駅もあり、「愛国発幸福行き」の切符も売れ、観光客も訪れた。しかし過疎化とモータリゼーション(車社会化)が進む中、縁起のいい駅だけでは路線の経営状態は改善しなかった。そして1987年、広尾線が廃止されることでこの駅も鉄道施設としての役割を失った。現在、幸福駅は観光施設として維持、管理されている。

 さて、私が幸福メークインの箱を見つけたのは東京・大久保にあるアイヌ料理店・ハルコロである。アイヌ料理店だから、多くの食材を北海道から取り寄せている。このジャガイモもその一つというわけだ。店の大将に聞くと、甘みがあって美味しいから使っているという。
 そのうちに注文していたオハウが来た。アイヌの伝統的な汁物料理だ。この店では昆布出しの汁に根菜を入れている。汁に入っていた幸福メークインが歯に触れると、とろけるように崩れて胃の腑へと落ちていった。




 
 
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 新宿二丁目を舞台にした『EDEN』という映画がある。ショーパブに勤めるおネエたちの話だ。

  映画の冒頭で、ノリピーというおネエが急死する。店で仲間たちがノリピーに献杯していると、警察官が彼女の遺体を運び込んできた。彼女の父と兄が遺体の引取りを拒否したのだ。彼女の遺体に化粧を施しているうちに、一人の仲間が言う。
「死んでもおうちへ帰れないなんてかわいそう。」
そして、トラックを借りたおネエたちはノリピーの遺体を送るため彼女の故郷へ向かうのだった。
 
 トラックの荷台で棺を囲んだおネエたちは、初めは修学旅行気分で大騒ぎするのだが、やがて誰かが松田聖子の『赤いスイートピー』を歌いだすとしんみりする。
「あたしたちおネエって、どうして聖子ちゃんの歌が好きなのかしら。」
「だって、聖子ちゃんの歌って胸がキュンッ、となるじゃない?」
 
*******
 
 松田聖子は好き嫌いの大きく分かれるアイドルで、私はアンチの側についていたのだが、それでも『赤いスイートピー』は嫌いでなかった。
 この歌は「古風」だ。

  春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ

 この歌はこういうフレーズで始まる。この歌が発表された1982年1月当時、蒸気機関車が索く文字通りの汽車は過去のものとなっていた。おそらく多くの人は、線路の上を走るものを一括りにして電車と呼ぶようになっていただろう。そんな中、この歌のヒロインは「汽車」という古めかしい言葉を使っている。
 そんな彼女が「あなた」に海へ連れて行ってもらう移動手段が汽車である。私が大学に入ったバブル時代には「アッシー」という言葉があったが、カッコイイ車を持っていなければ女の子にはモテない、という価値観は当時からあったのではないか。それでもこの歌の彼女は、汽車の古めかしい席で「あなた」と一緒に同じ景色を眺めたいのだ。
 そしてこの歌を聴く者は二人とともに汽車で幻想の世界へと向かうことになる。

  I will follow you
  あなたについてついてゆきたい
  I will follow you
  ちょっぴり気が弱いけど
  すてきな人だから

 この歌のサビはこうだ。
 不器用でも、一所懸命に生きていれば意中の女の子は受け入れてくれる、あの頃の私はそんな幻想を持って青春へと突き進んでいった。
 あの歌の歌詞はそんな私の心に響いたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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 NHK朝ドラマ『ごちそうさん』の再放送を観ている。このドラマは「食」をテーマにしていて、杏が演じるヒロイン・め以子は鋭い味覚と料理への情熱を持つ女性だ。

 ドラマは大正から戦後にかけて続くが、場面設定が1941年夏となったところで肉をテーマにした話がでてきた。日米開戦となったのはこの年の12月8日だが、1937年に始まった日華事変(日中戦争)はすでに激化しており、食糧事情は悪化していた。前年ならばカネを出せば霜降りの牛肉を入手できたが、この頃は肉屋も売るものがほとんどない。しょうがないから肉屋はオットセイとかタツノオトシゴとか言葉を濁して怪しいものを売った。
 
 め以子の長男・泰介は中学校(旧制)野球部の正捕手。甲子園を目指して練習に励んでいる。め以子は息子を応援するため、いつも以上に手をかけて料理をつくることとなる。
 そんな中、め以子は怪しげな肉を使ってカレーライスを作った。家族を怖がらせないよう肉はミンチにして煮込んだ。
「身体の中がポッポする。」
ということで家族の受けはよかった。
 長男たちの努力や母の応援によりチームは地方大会を勝ち進んだが、あっけない形で彼らの夢は消えた。全国中等学校野球大会が中止となったのである。

 この話を観て、私は自分の高校の大先輩たちが書いた手記を思い出した。
 私は都立高校を卒業したのだが、その学校の前身は高等女学校だった。第2次世界大戦中、日本では労働力不足を補うため、学徒動員といって学校の生徒を軍需工場や土木工事現場で働かせた。そして、この女学校の生徒たちは飛行機工場で働いた。その当時在学していた卒業生たちが1970年代に執筆した手記をまとめた文集が出版されていて、私はそれを読む機会があった。

 文集の中で印象に残っているのは食べ物の話だ。
 こんな話があった。彼女たちは飛行機会社の寮から工場に通っていたのだが、ある日の寮食堂の献立がカレーだった。そのカレーには珍しく肉が入っていたので生徒たちは喜んだ。
 別の日、手記の筆者がたまたま寮の厨房の前を通ったらそこにはカラスの死骸が積まれていた。彼女はカレーの具が何であったかその時悟った。
 
 戦争が終わり、飽食の時代になるとカラスが生ゴミを漁ってゴミ集積場が荒らされる、ということが問題になった。そこでカラスを捕獲して食肉処理し、カラス肉を売った収益を次のカラス駆除の費用に充てる、という事業を試みた人がいた。ところが元々食肉用に飼われているニワトリとは違い、カラスの可食部は少ない。しかもカラス肉は臭みがあり、食べるためには手間をかけて下ごしらえしなければならない、ということでカラス肉は商業ベースに乗らなかったそうだ。そういうものも戦時中は食べなければならなかったのだ。

 手記にはこんな話も載っていた。
 工場の近所の農家から学校に苦情が寄せられた。お宅の学校の生徒がうちの木の実を盗んだ、と。
 手記の筆者はある日、柿かなにかの木の実を何者かがもいで食べるところを目撃した。自分と同じ学校の生徒らしい少女だった。

 1937年生まれの父から、あの時代はひもじかった、という話を私は子供のころ何度も聞かされた。そしてあの頃は、食べ盛りの子供だけでなく乙女もひもじかったのだ。
 
 
 
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 石原慎太郎氏が東京都知事だった時、公の場で「三国人」という言葉を使ったことがある。陸上自衛隊の式典で
「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒擾(そうじょう)事件すら想定される。」
と隊員に向けて発言したのだ。
 外国人を一括りにして犯罪者扱いしたように受け取れる発言だ。

 戦後の混乱期に「第三国人」という言葉が使われていた。「三国人」とはその「第三国人」のことだろう。私がこの言葉に初めて触れたのは遠藤周作の小説『わたしが・棄てた・女』だった。

 『わたしが~』は戦後混乱期の東京から物語が始まる。主人公は森田ミツという若い娘だ。これまで浅丘ルリ子や酒井美紀(#)が映画でミツを演じているが、原作のミツは彼女たちとは程遠い容貌の田舎娘である。このミツに関わるのが吉岡務という青年だ。
 吉岡は苦学生であり、学費、生活費を自分で稼いで大学に通っている。その吉岡にアルバイトを紹介する人物が金さんである。金さんの紹介する仕事は怪しげなものだ。
 金さんの紹介したアルバイトで「もてさせ屋」というのがあった。着飾った女性の前で依頼人が大会社の社長を名乗る。吉岡はその社員のフリをする。そうして吉岡は、依頼人が地位のある男だと女性に思わせる手伝いをするのだ。
 「スケベ」を「スケペ」と発音することで、金さんは朝鮮半島出身だと読者は察する。その金さんを吉岡は第三国人だという。作品を読んだとき、私はこの言葉の意味がわからなかったが、石原氏の発言をめぐる報道によって意味がわかった。

 かつて朝鮮と台湾が日本の植民地となっていた時代があった。その時代、これらの地域にルーツを持つ人達の国籍は大日本帝国だった。しかし、彼らは内地の国民と法的に平等に扱われていたわけではない。日本国民の戸籍は内地、朝鮮、台湾に3種が作成され、どの戸籍に属するかで身分が決まったのである。
 1945年8月15日、日本は連合国との戦争に敗れ、植民地を放棄した。その後、1947年5月2日すなわち日本国憲法施行の前日に出された外国人登録令で朝鮮と台湾の出身者は日本国籍を剥奪され、外国人として法的に扱われることとなった。まだ戦後の混乱が続く中で摘発される犯罪者の中にはこうして外国人となった者も数多く含まれていたが、人は彼らを第三国人と呼んだ。吉岡の使う「第三国人」は旧植民地出身者を十把一絡げにした言葉なのだ。

 生きることは綺麗ごとではない、生きていくためには他人を踏み台にしてもいい、それが吉岡の考え方だ。私は父(1937年)から、あの時代の人の生活がいかに貧しかったかを聞いている。吉岡の価値観を安易に論評することはできない。そんな吉岡は、金さんに親しみを感じていて、就職後も彼と連絡を取ったりしている。吉岡はおそらく朝鮮人や台湾人を差別していただろう。しかし、金さん個人のしたたかさには共感していたのではないか。

 吉岡は金さんから教わった方法によりミツと出会う。それは芸能雑誌の文通欄を利用する、というものだった。吉岡はミツが自分に好意を持っていることにつけ込み、彼女を連れ込み旅館で押し倒す。吉岡はミツを鬱陶しく思うのだがその後も性欲処理のためにミツと会う事になる。

 吉岡は釘の販売会社に就職した。小さいが将来性のある職場として選んだ会社だ。そこで社長の娘と親しくなり、社長にも見込まれる。

 一方、ミツは腕にできた赤い腫れ物がハンセン病によるものと疑われ、御殿場にあるキリスト教系の療養所に入所させられる。まだハンセン病患者を社会から隔離するのは当たり前だと考えられていた時代のことだ。療養所に入所後、ミツがハンセン病に感染したというのが誤診だったことが判る。これでミツは自由の身になったのだが、入所者たちを他人とは思えなかった彼女は療養所に残ってシスター達とともに彼らの世話をすることを決意した。
 入所者たちに頼られ、太陽のように親しまれたミツだったが、交通事故であっけなく世を去る。入所者たちが懸命に鶏を世話して生産した鶏卵を出荷する際の出来事だった。鶏卵をかばっていなければ免れていたかもしれない死だった。
 シスターたちは虫の息だったミツに洗礼を受けさせた。洗礼名はマリア。マリアのこの世での最後の言葉は
「務さん…。」
だった。一人のシスターが吉岡に手紙を書いて、彼を愛した女性の死を伝えた。

 この頃、吉岡は社長の娘と結婚し、社長の後継者として社内で扱われるようになっていた。だが、それは同僚たちの嫉妬を受けながら生きることを意味していた。生きることは綺麗ごとでない、という吉岡の価値観に変わりはなかった。それでも、隣人に無償の愛を与えたミツの生き方は吉岡の心に微妙な影を落とした。

 皮肉なことだが、石原氏による三国人発言の報道を聞いたとき私が最初に思い出したのはミツの物語である。
  
 
# 酒井美紀主演で1997年に映画化された作品の題名は『愛する』



 
 
 
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 TOKYO MXで放映された報道番組『ニュース女子』が問題になっている。
 沖縄県東村高江で米軍ヘリパッドの建設工事が行われている。2017年1月2日に放映された同番組はこの工事に対する反対運動を取り上げたのだが、その内容は「反対運動をしているのは過激な左翼だけ」というステロタイプ的なものだという。

 確かに、沖縄以外から多くの人が現地に集まっている。だが、現地の人だって反対運動に関わっている。表立って反対運動をしていないが基地に反対する気持ちを持つ人も現地にはいる。なによりも、ヘリパッドは現地の人の生活、そして沖縄の自然を破壊するものだ。丹念に取材すれば分かることを報道せず、インターネットで飛び交っている言葉を受け売りにしていることが問題なのだ。

 この番組で批判的に取り上げているのが辛淑玉(シン=スゴ)だ。辛は東京生まれ、東京育ちの三世の在日朝鮮人だ。人材育成コンサルタントとして働きつつ、様々な人権運動に関わっている。そんな彼女は沖縄の基地問題にも取り組んでいる。
 辛が代表を務める運動団体・のりこえねっとでは「高江市民特派員プロジェクト」を行なっている。「本土」から高江へ赴いて反基地運動に参加する人たちに旅費5万円を支援し、現地で体験したことを報告してもらう、というものだ。沖縄は日本のほかの地域から遠く離れている。高江はその沖縄でも僻地だ。志はあっても仕事や家族の都合で行けない人も多い。そういう人達のカンパで、時間の融通が効く人を送り出そうというものだ。それを番組は悪意で取り上げる。辛淑玉は「反日」で「親北」の韓国人だ、と。

 だが、辛にとって国籍だ、民族だ、というのは二の次のことなのだ。虐げられている人がいれば、韓国人であれ、日本人であれ、力になってあげようとしているのだ。

 私は辛淑玉の運動を支持する。今日、私は「のりこえねっと特派員救援基金」に5万円カンパしてきた。

 
 
 
 
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 世の中にはいろいろな暦がある。それぞれの暦に正月がある。そして、本日2017年1月28日は太陰暦の正月である。
 現在多くの国ではグレゴリオ暦を日常的に使っている。しかし、季節の行事は旧暦で行なうコミュニティも少なくない。中国、台湾、韓国では旧正月を盛大に祝うため、この前後が年末年始休暇となる。(#)シンガポールでも華僑系住民のために旧正月は公休日だ!($)

 日本ではグレゴリオ暦で正月を祝うが、そのようになったのはいつ頃からだろうか。日本では明治5年12月2日の翌日を明治6年(1973年)1月1日とすることで公式な暦をグレゴリオ暦に切り替えた。しかし、その時を以て庶民の正月も切り替わったようには思えないのだ。

 『橋のない川』(住井すゑ・作)は奈良県の被差別部落を舞台とした大河小説だが、ここには断片的ながら明治大正の正月に関する記述がある。
 小説の冒頭に、明治末の旧正月の描写がある。
 父が日露戦争で戦死し、母と息子二人、そして祖母が暮らす家庭。母・畑中ふでは貧しいながらも特別な朝食を用意する。誠太郎と孝二の兄弟はそれを食べて学校へ行く…。
 次に記述される正月は大正の半ばの正月だ。正月といっても世知辛い話である。第一次世界大戦中の1917年(大正6年)にはコメの相場が上昇した。そして地主の中にはそれに便乗して儲けようとする者が現れた。それまで、小作人が地主にコメを納める納期は旧正月前だったのだが、相場で儲けようと考えた地主は早くコメを確保するため、新暦の正月前にコメを納めるよう小作人に要求したのである。
 そうして地主や米穀商がコメを売り惜しむ中、庶民の生活は困窮し、米騒動が起きるのである。
 この作品では日本の庶民の正月がいつごろ旧正月から新暦の正月に切り替わったのかについて断定的なことは書いていない。だが、他人の苦しみには眼をくれず、己の物欲だけを満たそうとする者たちによって伝統は捨てられたのではないか、そんなことをこの作品では考えさせられる。

# 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も儒教や漢字といった中国発の文化を共有する地域である。だからここでも旧正月は休みなのでしょうが私は知りません。どなたか教えてください。

$ シンガポールの多数民族はイスラム教を信仰するマレー人である。ムスリムにとって最も重要な年中行事はラマダン明けなので、シンガポールではこの日は公休日だ。また、インド系住民のため、ヒンズー教の正月も公休日となる。

 
 
 
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 いろいろなところで日本人横綱を待望する声が上がっている。最近のテレビ中継を観ていると、横綱昇進に期待が掛かっている日本人力士が土俵に上がった時に国技館の観客が盛大な手拍子を力士に送っている。

 将来ある力士を応援することは大いに結構なことだ。

 だが、最近の大相撲は外人力士ばかりでいやだ、と言う人も多い。例えば私のは母はスポーツには一切関心ないはずなのに

「相撲はモンゴルばかりで嫌だ。」

と言う。その度に私はこう言う。

「白鵬よりも着物を着こなせる日本人は今どれくらいいる?」

「アメリカ人がイチローの悪口を言ったらどう思う?」

 

 今の大相撲で問題なのは日本人横綱がいないことではない、と私は思う。政治の世界が自民党ばかりが強い一強多弱ならば、今の大相撲は白鵬ばかりが強い一強多弱である。

 現在、白鵬の他に二人のモンゴル人横綱がいる。しかし、この二人は横綱であっても強い横綱ではない。おまけに今場所(2017年初場所)この二人は途中休場した。

 

 いま、白鵬は衰えつつある。最近は相手と四つに組んで勝つのではなく、猫騙しや肩透かしのような「横綱らしくない」相撲が目立った場所もあった。今場所は14日目で大関・稀勢の里が優勝した。だが、昇り龍のような若い力士が彼を破って引退を決意させるような世代交代劇が今の大相撲では期待できないのだ。

 

 国籍や民族は問わぬ。大相撲を面白くさせる力士よ、早く出て来い!

 

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