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Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 1984年とはいってもジョージ・オーウェルのディストピア小説の話ではない。私の少年期の思い出だ。

 

 1984年の私は中学3年生、受験生だった。その年の夏には米国・ロスアンゼルスでオリンピックが開催された。同級生の中には塾の先生からオリンピック中継をテレビで観るな、と言われた人もいたが、私は結構オリンピック中継で記憶に残る場面がある。もちろん、勉強もやった。そして、私にとって1984年のオリンピックは夢を感じることのできた唯一のオリンピックだ。

 

おりんぴっくか

 

 開会式。金髪の美女が国名のプラカードを持ち、その後ろを各国の選手団が入場する。印象に残っている選手団は日本ではなく、イスラエルと中国だ。

 

 イスラエル選手団の国名が読み上げられると、観客席から大きな拍手が沸き上がる。選手たちが立ち止まり拍手に応える。旗手である女性選手がアップで映される。1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナゲリラが選手村を襲い、イスラエル代表選手が殺害された。その事件を受けてのオベーションだと実況アナウンサーが静かに語った。

 その後、この地の情勢はイスラエルが善、パレスチナゲリラが悪、という簡単な図式では理解できないことを知ったのは私が大学に入ってからのことだ。

 

 この大会は中国が初めて選手団を派遣した大会だという。初めてにしては選手の数は多かった。それまで中国人の服装といえば無彩色の人民服、というイメージだ強かったが、この時の選手団の制服は明るい青のブレザーに赤いネクタイ。そうして若い国をイメージづけたかと思うと体操やバレーボールの選手たちが金メダルを獲った。

 

 あの頃の私はオリンピックの表彰式で、日本の国歌が流れ、日本の国旗が揚げられる、という風景に「素直に」感動した。

 

 だが、そういうなかでも「メダルの価値って何だろう?」に疑問を持つこともあった。

 あれは柔道無差別級(当時柔道に女子の種目はなかった)。この種目に出場した日本代表は山下泰裕。彼は準決勝で足を負傷していたのだが、決勝でエジプト代表のモハメド・ラシュワンを抑え込みの一本で破り、金メダルを獲った。表彰式では銀メダルのラシュワンが足を怪我したまま表彰台に登る山下を手助けする様子がテレビで流されたが、決勝ではラシュワンは山下の怪我した足を攻撃せず上半身だけを攻めた、ということも当時は報道された。

 ではラシュワンのスポーツマンシップはメダルに関係なく称賛されるべきものではないか、と表彰式から少し時間が経ってから私は思ったのだった。

 

 表彰式といえば、体操の具志堅幸司が何かの種目で中国代表の李寧と同点優勝で金メダルを獲った。その表彰式では、具志堅が李に順番を譲ったことで中華人民共和国国歌が『君が代』より先に演奏されたのだが、これは日本人がメダルに今ほど関心を持っていなくて、日中関係も険悪でなかったときの出来事だった。

 今大会で、日本代表が中国代表に順番を譲ったら国のお偉いさんもネット右翼も騒ぎそうで、想像するといやな気がしてくる。

 

 本日7月24日は芥川龍之介の命日で河童忌。彼が胡瓜とか河童とか好きだから河童忌なのだが、彼の作品に『河童』というのがあるのも忘れてはならない。

 

 架空の河童の世界を通して現実の社会を視るディストピア小説。この中では失業した労働者を毒ガスで殺して、その肉を食肉として利用する、という話も出てくる。ナチスがユダヤ人虐殺を行なう十数年前に書かれた話である。

 

 ナチスが毒ガスを使って殺害したのユダヤ人だけでない。ロマや障碍者も虐殺の対象だった。

 方や日本はどうか。最近、優生保護法に基づいて障碍者に不妊手術を強制したことについての国家の責任が最高裁で認められ、岸田首相が当事者に謝罪した。法の下の平等をうたった憲法を制定してもなお、行政が人の命にながいあいだ軽重をつけいていたのだ。

 

 人の命に軽重をつける考えは私の中にも巣食っている。

 

JR東海飯田線は東海道本線の豊橋駅と中央本線の辰野駅との間を、山間部を抜けて結ぶ総延長195kmの鉄道路線だ。7月の連休に、この路線の列車に乗った。
 
 
 連休最終日の朝、豊橋駅を降りて飯田線の列車を待っていると、やってきたのは213系電車。営業運転を開始したのは1987年の国鉄分割民営化後だが、設計は国鉄により行われた車輛だ。
 この電車、運転台の助手席部分のすぐ後ろにロングシートがあるのだが、そこが空いていたのでこの展望席に座る。
 さあ、出発だ。途中、豊川までは名古屋の通勤圏内で線路は複線。そこを過ぎると阿房列車の旅は本番だ。緑濃き風景の中を列車は進む。
 

 列車が長篠城駅に近づくと、進行方向左側の車窓に鳥居右衛門磔刑地のモニュメントや長篠城址のモニュメントがみえる。
 1575年(天正3年)、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍がこの地で戦った。織田軍が鉄砲による攻撃で武田軍の騎馬部隊を壊滅させ、戦国日本の情勢を大きく変えたといわれる長篠の合戦だが、この辺りは有名な屏風絵で描かれているような広々とした平野ではなく山々に挟まれた場所である。
 

 
 長篠城を過ぎると列車は山また山、トンネルを抜けて鉄橋を渡り、渓流をわきに見ながら進む。山険しい地形のため、この辺りの区間が開通したのは1937年。この地を測量した川村カ子ト(かねと)は旭川出身のアイヌで、アイヌ文化の伝承かつ活動で名を遺した人だ。現在旭川には彼の名を冠した博物館があり、その一角には飯田線の駅名標も飾られている。
 

 
 

 
 

 
 このような山深い区間は静岡県浜松市域内にある。浜松市は政令指定市で、駅の所在地も浜松市天竜区となる。山深いのに住所には「区」がつく、という場所は札幌や仙台にもあるが…。
 
 途中列車は小和田駅に停まる。ここも静岡県浜松市天竜区。1993年、現在の天皇の婚約が発表され、婚約者の小和田雅子がヒロインとして祭り上げられた時、この駅も彼女の姓と同じ漢字表記の駅ということで話題になった。2000年の夏にも私はこの路線で乗り鉄をしたが、列車が停車するとき車掌が
「皇太子雅子さまが…」
とアナウンスしていた。彼女が皇后となった今、車掌のアナウンスはどうなるだろうか…、と思ったがほかの駅と同じアナウンスとなっていた。
 
 列車が静岡県を抜け、長野県内に入る。飯田駅に列車が近づくと
「町に来た…」
と思う。それからも列車は人里と人里を結んで走る。辰野からはJR東日本中央本線の線路を進む。中央本線の文字通り「本線」と合流する岡谷駅で新宿駅に向かう特急列車に乗り換え、阿房列車6時間の旅は終わった。 
 

 
 

 

 愛知県というと名古屋を連想する方は多かろう。愛知県は大和時代の行政区分に沿って尾張と三河の二つの地域に分けられる。「尾張名古屋は城でもつ」というとおり、名古屋は尾張だ。尾張地方のほぼ全域が江戸時代は尾張徳川家の領地だった。方や、三河地方は小大名や旗本の領地のモザイクだった。

 私はそんな三河地方の西尾市に何となくアイデンティティを感じている。

 

 現在の西尾市域に限ってみても、江戸時代はモザイクだった。そのモザイクのピースの一つに西尾藩がある。名古屋鉄道西尾駅から西に15分歩くと西尾城址があるが、ここが西尾藩の拠点だ。

 とはいっても西尾藩は江戸時代、何度か大名家が入れ替わっている。そして1764年(明和元年)から1868年の廃藩置県まで西尾藩を領有したのが大給松井平家だ。西尾を領有していた大給松平の藩主に松平乗全(のりやす)がいる。彼は井伊直弼が幕府大老だった時その下で老中を務めていた。

 江戸時代、私の先祖はこの大給松平家の家臣だった。藩主が国替えとなるたびに私の先祖も引っ越しをして武士の時代の終末をこの西尾で迎えた。

 廃藩置県から十余年後、私の父方の祖父はこの城下町で産まれた。その関係で私の本籍地は愛知県西尾市となっている。

 

 
 西尾駅の西側、西尾城址の北側に碁盤の目状に細い道が付けられた場所がある。ここが西尾城の城下町だ。
 

もむ

 

 2024年7月13日、私はこの町を訪れた。これで何度目だろうか。初めて訪れたのは小学生の時、家族旅行で。その次が1994年、学生の時一人で。

 

 あの時から意外にもこの城下町の風景は変わっていない。昔の商家が建てられた時からあまり姿を変えずに今も建っている。最近になって建てられた建物もそういう建物と調和する外観デザインとなっているのが面白い。

 翌日私は犬山城を観に愛知県犬山市へ行ったが、あちらの建物は観光客のために整備されているのに対し、こちらは住む人が時代に折り合いをつけて建物を維持している。

 どちらも済む人には大変だろうが、私は生活臭のある西尾の町並みが好きだ。

 

 この西尾のことを小京都と呼ぶ人もいるが、それはどうかと思う。
 数ある城下町の中には、領主が京都を意識して都市設計をした町もある。そういう町ならば小京都かもしれないが、西尾でそういう話は聞いたことがない。
 西尾は西尾だ。
 
 町を訪れた私は花屋で花を求め、先祖の墓のある菩提寺を目指した。しかし、単調な町割りのせいか、なかなか菩提寺にたどり着くことができない。しかし、町の人ふたりに道を尋ねて、ようやく菩提寺にたどり着き、先祖の墓に手を合わせることができた。
 私の本籍地は菩提寺のすぐそばにある。祖父の生まれた場所に今どんな人が暮らしているのかはわからないが、その前を通って町を散策する。
 
 
 
 西尾の城下町には様々な寺がある。その中には境内で原爆写真展をやっている寺もあった。これぞ御仏に仕える寺だ。お布施を置いてきた。
 
 西尾の町で日本一となってる事項がある。それは抹茶の生産高だ。
 宇治と較べて西尾の抹茶の知名度は低い。私は裏千家で茶道を習っているのが、私が習っている先生も西尾には関心がないようだ。
 だが、三州西尾は抹茶の町だ。
 
 昔懐かし丸ポストも抹茶色に塗られている。
 
 

 西尾歴史公園に着く。ここはかつて城があった場所だ。廃藩置県時に天守閣をはじめ城の施設は取り壊されたが、現在は櫓が木造漆喰づくりで再建されているほか、二の丸の石垣のあった場所がかさ上げされていて往時をしのべるようになっている。
 その他、公園内には公家近衛家の屋敷が京都から移築されている。この屋敷の中で名物の茶を点ててくれるので一服いただく。
 
 そういえば、街のあちこちこちから太鼓をたたく音が聴こえる。夜の営業に向けて屋台の準備を準備をしている人たちがいる。
 7月の連休にこの町では祭りが催されるのだ。祭りの名は祇園祭。先ほど西尾が小京都と呼ばれることに異議を述べたが、祇園祭の名は良しとしよう。
 

 

 山車や神輿が城跡に集い、浴衣姿の女性も目に付くようになった。
 午後4時半、大名行列が城の門から出てきた。
 今夜は祭りだ。
 

 

2024年9月21日から23日にかけて東京・高円寺の座・高円寺で「日韓琉 鎮魂祭り」というイベントが開催された。そこで能が演じられたので観てきた。

 

22日土曜日の脳は『望恨歌(マンハンガ)』。

第二次世界大戦中、朝鮮半島から連行され強制的に鉱山や工場で働かされた朝鮮人徴用工を話だ。

この能、観るのは今回で3回目だ。

 

参列者が白い麻の服をまとった朝鮮式の葬列で能は始まる。

あばら家に見立てた作り物が舞台に据えられ、そこを日本の僧が訪ねる。僧は九州の炭鉱で一命を落とした青年が妻に宛てた手紙を携えているのだが、青年が手紙をしたためてからそれが見つかるまで時が経ち、妻は老婆となっている。

 

 最初は受け取りを拒む妻だが若い夫の手紙を読んで涙する。

 最後は老婆が舞うのだが、一瞬老婆が夫と別れたときの年齢に戻ったように見えた。

 老婆は夫の魂と再会した!

 

 こういう瞬間があるから観能はやめられない。

 

翌6月23日は沖縄慰霊の日。そしてこの日の能は『沖縄残月記』。この曲は大和の古語とウチナーグチの「二か国語」で演じられた。

 

父と幼い息子がおんばを訪れる。

 

幼子がおんばの口寄せで亡くなった曾祖母の話を聞くのだが、その話が1945年の沖縄戦の話だ。

 

おんばが灰色の羽織を脱ぎ、白い着物姿になると、そこは戦場だ。おんばがもんぺに白シャツ姿の若かりしときの曾祖母に、幼子は彼の知らない大伯父になる。

 最低限の舞台装置で演じられる能ではこうやって場面が換わる。

 

 軍隊によりガマ(洞窟)から追い出された女。彼女は幼い息子の手を引くとともに赤子を抱いている。

 その幼子が息絶える。これはそれまで彼が持っていた風車を落とす動作で象徴される。赤子も失い、一人になった女。

 

 女が紅型をまとうことで時間は現在に戻る。大おんばが羽織る紅型、花に見えたものをよくみると地上に降下する兵士の落下傘(パラシュート)だった。兵士が搭乗していた飛行機も紅型には描かれている!

 

この舞台、通常の能では地謡(ぢうたい)が座っているところに沖縄の武士の装束をまとった蛇皮線弾きが座っている。蛇皮線と鼓の音に合わせておんばが舞い、静かに舞台は終わる。

 

 このイベント、いずれもシテ(主役)は清水寛二。彼は2021年にもこの場所でシテを務めた。この時の演目はパレスチナ問題を題材にした『ヤコブの井戸』。

 

 

 

 

『望恨歌』、『沖縄残月記』も、原作は多田富雄。多田は著名な免疫学者であり、マルチ人間である。

 私は大学、大学院と理系で学んだが、周囲は人文科学方面には関心がない、という人が多かった。あの頃は学生運動のことを強烈に覚えている先生も多く、学生が社会問題に関心を持つこと自体に否定的な先生もいた。それに研究予算を獲得する上で、社会に関し自分の考えを持つことは不利になる、という考えの人もいただろう。

 そういうことに思いもめぐらすと、多田先生はすごい、とおもう。

 NHKBSでは朝海外のテレビ局が放映しているニュースを通訳付きで流している。海外のテレビ局にはイギリスのBBCやフランスのF2もある。現在日本の首都では東京都知事選挙が行なわれているが、これらの国では総選挙がおこなわれている。そしてこれらの国のニュースを観ていて印象的なのは選挙のことを積極的に取り上げていることだ。
 ニュースでは与党、野党を問わず政党代表者に政策を語らせているし、不祥事を起こしている候補者がいればその不祥事を丁寧に報道する、まちなかで有権者にマイクを向け、どんな政策に関心を持って候補者を選ぶかを尋ねる。
 そんなニュースの中で、フランスの若い女性へのインタビューが印象に残った。
「私はまだどの候補に入れるか決めていません。多分投票する間際までどの候補に入れるか迷うでしょう。」
それでも彼女は投票に行くのだ。
 
 それに引き換え日本のテレビは…、と私は思う。
 こちらは7月7日夜には都知事選挙の開票速報のため大河ドラマを放映しない、というNHKの告知。こうやって開票はスポーツ中継のように熱心に取り上げるのに、なぜ日本のテレビは投票日前に選挙のことをしっかりと報道しないのか、と思う。
 
 何年か前、国政選挙の時にニュースでこんなインタビューを流したのが脳裏に焼き付いている。
 公園で、若い母親が幼い子供を遊ばせている。インタビュアーがその母親に投票へ行きますか、とたずねる。
「私政治のこと分らないし、政治のことがわからないのに投票してはいけないと夫が言うから多分投票しません。」
テレビ局は他人事のようにそんな声を流す。そして他人事のように多くの有権者は選挙に関心を持っていないと伝える…。
 
 さっきのフランスのニュースとは大違いだ。フランスにだって選挙に関心のない若者は数多くいるだろう。だが、ニュース番組の作り手は若者の無関心を言い訳にはしない。
 
 そういうことを思っているうちに今度は
「先進国って何だ?」
という疑問が湧いてきた。国民が物質的に豊かな暮らしをしていれば先進国か?高い工業生産力があれば先進国か?
 例えば中国。あの国は1980年代以降目覚ましい経済発展を遂げて工業大国となった。しかし、独裁国家のあの国を先進国と呼ぶ気にはならない。
 
 では日本はどうか?
 政権についている政治家たちがいくら腐敗してもそれにとって代わる人材がいない。そしてそれに対して何も感じなくなり、物質的な豊かさにだけ心を動かす人たち…。
 悲しいが、私は自分の祖国を先進国とは思えない…。
 
*****
 
 下の写真は東京都知事選挙のポスター掲示板。(高田馬場駅前広場)
 
 NHKから国民を守る党が掲示板ジャックをした、女性のヌードや何年か前に他界した俳優の顔写真がこの政党のスペースに張られた、というのがニュースになっているが、この掲示板には「日本語校正」なるポスターが張られている。
 
 こういう選挙をおもちゃにした行為を防ぐため公職選挙法を改正すべきだ、という声も挙がっている。だが、テレビの政見放送で卑猥語を発する候補がいたから、公選法を改正して卑猥語は削除するようにしても、今度は政策を語らずにただ服を脱ぐ候補が現れたりするのだ。
 
 多くの人たちが選挙に対して白けていれば、受けを狙ってふざけた行為をする者は跡を絶たないだろう。
 
 こういうことを防ぐため、まずメディアは有権者の無関心を言い訳にせず報道活動をしてもらいたい。
 

 
 現在都知事選が行なわれている。56名が立候補しているが、メディアの選挙報道で取り上げられるのは「有力候補」ではなく24人の候補者を出したNHKから国民を守る党(NHK党)だ。
 1人だけを選出する都知事選で24人も候補者を出して、何をする気なのかと思ったら、彼ら、というより代表の立花孝志氏は党へカンパをした人にポスター掲示板に自由にポスターを張らせる、と言い出した。
 都内に約11,000か所のポスター掲示場所があるが、党にカンパする人はどこの掲示場所でポスターを張るか決めてカンパをする。
 立花氏は選挙後没収されるであろう供託金をこのカンパで回収する気のようだ。
 
 メディアは、ポスター掲示板のそういったスペースに、女性の全裸写真が張られた、と報道しているが、NHK党スペースに張られたポスターはそういうものばかりではない。
 
 下の写真は新宿区内のポスター掲示場だ。
 掲示板下側のNHK党スペースに張られているのはメディアが取り上げるお色気モノではなく、怖い印象を与えるものだ。青い色調の中で、左上に印刷された日の丸が強く印象に残る。
 

 

 Facebookで、このポスターを問題視して取り上げている人がいたので気になって見に行った。このポスターのスローガンは

「すべての拉致被害者をすぐに返せ!」

というものだった。拉致被害者とは1970,80年代に朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)当局により拉致された人々だ。このスローガン自体はもっともなものだ。しかし、このポスターを用意した人は全く的外れな場所を掲示場所に指定したのだ。

 

 この場所は東京韓国学校のすぐ近くの場所だ。

 東京韓国学校は在日韓国人やニューカマーの韓国人の子供たちが通う小中高一貫の学校だ。日本の学校教育法での位置付けは各種学校で、大韓民国の法律に準拠しているという。

 この学校は同じ朝鮮半島でも、南側の政権を支持する人たちが運営する学校なのだ。

 

 朝鮮当局による拉致がメディアで報道されるようになってから、朝鮮学校の子供達が相次いで心無い言葉を浴びせられたり、朝鮮学校が高校無償化の対象から外されたり、ということが起きた。こういう朝鮮当局と子供たちとを一緒くたにした行為に対しては毎度まいど反吐が出るが、今回あのようなポスターを張り出した人たちは南でも北でもみんな一括りにして、半島にルーツのある人たちを意図的に差別しようとしている人たちだ。

 

 私は土曜の午後、このポスター掲示場に行った。地下鉄大江戸線若松河田駅を降りて東京女子医大と東京韓国学校の前を通って行った。途中、親に迎えに来てもらって下校する子供たちと多数すれ違った。おそらく多くの子供たちはこのポスターを眼にすることなく登下校しているのだろうが、それにしても嫌なものだ。

 

 朝鮮当局による拉致は解決されなければならない。だが、日本の政治家たちは被害者やその家族のために何をしたのか?ただやっています、というポーズだけではないのか?

 

 こんなことがあった。

 森喜朗氏が首相だった時だ。当時日本政府と朝鮮政府との間で、数名の拉致被害者を第三国経由で帰す、という交渉が秘密裏に行われていたようだ。そうすれば拉致を指示したであろう朝鮮労働党の責任はうやむやにされるかもしれないが、とにかく被害者は帰ってくる。

 しかし、森氏がそれをポロっとメディアに対してばらしたせいで、その被害者が帰国する機会は奪われた。

 それでも森氏を非難する声は強くは上がらなかった。

 

 現職都知事の小池百合子氏も拉致問題に関して問題のある言動をした。

 下の写真は蓮池透氏のツイッター投稿のスクリーンショットである。蓮池氏のフェイスブック投稿から転載した。

 蓮池氏は拉致被害者である蓮池薫氏の兄である。その彼が遭遇した出来事だ。

 2002年9月17日、この日は小泉純一郎首相(当時)が朝鮮を訪れて金正日総書記(当時)と会談した日だが、会談で拉致被害者の数名の生否を朝鮮労働党は明らかにした。薫氏は生存していて、後に帰国したが、14歳で拉致された横田めぐみさんは亡くなっている、というのが朝鮮労働党の回答だった。

いの

 被害者の生否が発表された後の家族会の記者会見に、当時保守党の衆議院議員だった小池氏も出席し、横田さんの両親の言葉に涙を流すところがテレビに映ったようだが、問題はそのあとだ。

 記者会見が終わり、家族会の人たちが会場に残って話し合いをしているところに、小池氏が忘れたハンドバックを取りに戻り、

「私のバック、拉致されたかと思った。」

と言ったという。

 

 

 
 

「慰霊の日」のスタンプがあったのでブログを書くことにしたのだが、このスタンプを企画した人は「慰霊」という言葉は知っていても本日6月23日が沖縄慰霊の日だというその意味は解っていないんだな、と思った。

 
 1945年に戦争があった。日本がいくつもの国を相手に戦争をしていたのだが、今の日本の領域で唯一沖縄で地上戦があった。兵士だけでなく住民も数多く亡くなった。6月23日は沖縄での組織的な戦闘が終わった日、とされているがこの日より後に戦闘で亡くなった人も多い。
 
 1937年生まれの父は幼いとき沖縄にいた。祖父に肩車してもらって、沖縄県営鉄道の汽車を眺めた思い出があるという。だが、貿易会社に勤めていた祖父に、本土へ戻るよう矢のように手紙をよこす人がいた。祖母の兄だ。そして父たち一家は沖縄を離れた。1941年12月、真珠湾攻撃に前後したころだ。
 
 父からもう一つ沖縄の思い出を聞いたことがある。祖母に連れられて市場へ行き、祖母が買い物をしている間市場の前で遊んでいたのだが、父より少し年上のおにいちゃんが一緒に遊んでくれたいう。
「あのおにいちゃんは戦争でどうなっただろうか…。」
と父は言葉を詰まらせた。
 
 今朝NHKのニュースを観たら、沖縄慰霊の日関連のニュースをやっていたのだが、
「国際情勢の変化を受けて沖縄の防衛上の重要性が増しています。」
と他人事のようにアナウンサーが言うのを聴いて、
「だからお前らは国営放送だとバカにされるんだよ。」
と言いたくなった。
 
 中国と台湾の緊張が増して、戦争が起これば日本も戦争に巻き込まれる、という人が増えてきたが、そうしたら沖縄は米軍や自衛隊に守ってもらえるどころか基地を狙われて大変なことになるだろう。
 
 二度と戦争が起きないよう、私達は努めなければならない。
 慰霊の日に思う。
 
 

 

 

最近お墓参りした?

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 東京都知事選挙が始まった。候補者は56人。首都で行なわれる選挙だといわゆる泡沫候補が何人も出るものだが、今回はまた極端だ。
 新聞に立候補者の一覧が載っている。たいていの候補は最終学歴を書いているのだが、それだけからはその人となりは見えてこない。それにしても、現職の小池百合子の「カイロ大卒」は目立つ。
 
 小池氏については学歴詐称疑惑が持ち上がっている。彼女が本当にカイロ大学を卒業したのかどうか、という話だ。彼女はその証明書類を公開しているが、それというのが私たちが資格取得手続等のため出身学校に発行してもらう卒業証明書とは違うようだ。彼女のアラビア語力にも疑惑があるが、英語とは違い、多くの日本人にはその真偽を確かめることができない…。
 
 ここでは彼女が本当にカイロ大学を卒業したのか否かについてこれ以上引っ張るつもりはない。では、彼女はカイロで何を学んだのか?
 
「海外留学で国際性を学びました。」
 
という人はよくいる。小池氏もその口だろう。ではその国際性とは何だ?
 
 私は小池氏が嫌いだが、その理由は関東大震災の後の朝鮮人虐殺被害者の追悼式典に追悼文を送らない、と宣言したことだ。タカ派色の強い石原慎太郎氏さえ追悼文を送ったにかかわらず。
 そういえば、小池氏が初めて都知事選に立候補したのは2016年の選挙だ。この時は都立高校の跡地を韓国人学校の用地として韓国政府へ貸すことが決まっていたのだが、小池氏は都知事に就任すると白紙撤回した。彼女が立ち上げた政党は都民ファーストの会だ。しかし、この決定は彼女が言う通り待機児童のためではなく、排外主義者の歓心を買うためのカギ括弧付きの「日本ファースト」ではないか、と私は思った。
 
 外国暮らしをした経験のある知り合いで、日本以外のアジア人の悪口をペラペラいう人がいるが、彼女もそういう人なのだ。
 
 小池さん、あなたはカイロで何を学んだ?
 
 
 
 

のせん

 

 Mrs. GREEN APPLEというバンドの『コロンブス』という歌のミュージックビデオ(MV)が問題となっている。このMVを観ようとしたらすでにネットからは削除されていたため、私は記事はスチル写真でしかこのMVのことを知らないが、コロンブスか誰かに扮したバンドメンバーが類人猿に人力車を牽かせたり、音楽を教えたりする様子には何かいやなものを感じる。

「差別するつもりはなかった。」

というのは言い訳にしかならない。

 そもそも『コロンブス』というタイトルにも違和感を覚える。コロンブスとは15世紀末、インドへの新航路を開拓しようとスペインから西へ航海してアメリカ大陸に到達した人物だが、その後この大陸で先住民が住むところを奪われ、アフリカの黒人が奴隷として連れてこられた歴史に思いを巡らすと、彼を英雄として扱う気にはならない。

 

 

 

 

 

 このMVの写真を見ていて、
「名誉白人」
という言葉を思い出した。
 かつて南アフリカ共和国で人種隔離政策がとられていた時、多くの国がこの国に経済制裁をしていたのに対し、日本の企業はこの国から大量の地下資源を輸入した。そのとき南アフリカ政府は日本国民を「名誉白人」だとして白人専用の施設の利用を認めた。
 日本に限ったことではないだろうが、白人に対する劣等意識の裏返しで、自分たちの国は他の非白人国より優れている、と思いたがる人が結構いるようにおもう。そういう人のことを私は「名誉白人」と呼びたくなる。
 
 私の上司だった人で、「名誉白人」がいた。
 
 私は理系の大学院を中退して、同じ大学の別の研究室の研究員として就職したのだが、そこの上司だった人がそういう人だった。夜遅く仕事をしているときはクラシックを流していたので最初彼は芸術好きだと思ったが、彼の好きな芸術は西洋のものだけで、私が日本の民謡や古典芸能に関心を持っていることに対しては冷ややかだった。 
 
 大学の研究室というところは、外国からの研究者がよく来る。彼らは自分と訪問先の研究者の研究について議論し、情報交換をするために来るのだが、大学内で議論や講演会をやった後、街なかの飲食店で懇親会をすることがある。
 そして韓国の研究者が来た時のその上司の態度がひどかった。飲み会で乾杯をする前から上司は韓国人に対して英語でまくしたてる。
「お前たち韓国人は日本を侵略者だというが、キリがないからそういうことはやめろ。」
韓国人研究者は苦笑いをして黙って聞いている。酒も料理もまずくなる。
そんなことが2度あった。
 
 研究室にはキューバ人の女性留学生がいたのだが、その上司は白人と黒人の両方の地を否定るであろう彼女のこともバカにしていた。
 研究室の行事で、大学から車で2時間くらいのところにあるセミナーハウスでセミナーを行なったときのことだ。夕食前に近くの温泉街にある公衆浴場に皆で行ったのだが、風呂から出た後、その上司はキューバ人に
「差別されなかった?」
と薄笑いを浮かべて聞いたのだ。留学生の彼女は日本語で日常会話ができて、公衆浴場では地元の女性と会話を楽しんだようだが、それに冷や水をかける一言だった。
 

 

 

 先述のMVだが、Mrs. GREEN APPLEのアーティストたちは歴史を知らない、という批判があった。いや、彼らは歴史を知っている。

「世の中には優れた者がいて、彼らが劣った者を支配する、そして、自分は優れた者の側にいる。」

彼らやその他MV制作に関わった人たちの頭の中には無意識のうちにそういう「歴史」が入り込んでいたのではないか。」