3.11から13年 | Kura-Kura Pagong

Kura-Kura Pagong

"kura-kura"はインドネシア語で亀のことを言います。
"pagong"はタガログ語(フィルピンの公用語)で、やはり亀のことを言います。

 2011年3月11日、岩手県沖で発生した地震が東北や関東の大地を揺らし、地震に伴なって起きた津波は2万人近い人々を呑み込んだ。
 私は1989年から1999年にかけて仙台に住んでいた。震災が起きたのは私が仙台を離れておよそ10年経ってからだが、大地にとっての10年はまばたきのようなものだろう。
 地震と津波により福島県の太平洋岸にあった原子力発電所で大規模な放射能漏れが起き、多くの人が住む家を追われた。この原発事故により人生を大きく変えられた友もいる。
 
 今年(2024年)元旦、今度は能登で地震が起きた。今も多くの人たちが不自由な避難所暮らしをしている。
 能登半島には志賀原発があるが稼動していなかった。かつては半島の先端、珠洲市でも原発をつくる計画があったが、地元住民の反対運動のため建設には至らなかった。もしも志賀や珠洲で原発事故が起きていたら、今度は能登の人びとが大変なことになっていたかもしれない。
 
 3.11をわすれない。