正直に言うと、以下の点が理由で、読むのがしんどい本だった。
それは、著者が意図してのものなのか、著者幼少の頃の教育などからくる無意識のものなのかは知らないが、なんでもない文脈のはしばしに、「韓国には××がある(良いこと)」、「日本にはこれこれがない、またはこれこれをよく見かける(いずれも、悪いこと)」が登場し、ことあるごとに韓国を日本の上に置こうとする韓国人の「お国意識」が滲み出ているところがあるからだ。
かえって、これが、政治的な主張をしている本ならどうということもないが、そういうものとはなんら関係のない民話の本として読む時、いくらさりげなく(いや、考えようによっては露骨に)はしばしに登場するだけとしても、非常に鼻につく。
そればかりか、その時テーマにしている事とはほとんど関係のない、「言わんでもいいような事」を日本についてあてこするシーンすらあるのだ。
まったくもう……。
もっと素直に語ってくれないものだろうか。
というのは、本書におさめられた民話の数々、著者が幼少のみぎり、自ら聞いた民話を収録している、しかもなるべく著者自身による潤色をおさえたという事なので、それがとても貴重だと思うからだ。
著者自身が主張しているように、原語である韓国語で聞いたら、リズムがもっと面白いだろうと思うけれども、日本語で書かれていてもなかなかリズミカルで面白い。
日本では鬼や天狗、カッパ、狐など何種類かの「異界の存在」がするような事、ヨーロッパなら、人間の住まいに近いところにいる何種類もの妖精がするような事を、朝鮮半島では、どうやら、トッケビひとりがになっているらしい。
打ち出の小槌にも似たパンマンイという棒を持ってたり。
また、この本では、民話に加えて、著者自身が韓国で経験した事をエッセイのようにつづっているため、このパンマンイについては更に面白い事も書かれている。
それは、韓国の日常の暮らしの中で、いろいろな「棒(これらもパンマンイと呼ばれる)」が使われてきたこと、居酒屋などで飲み騒ぐ時、多くの韓国人が、箸で器物を叩いてもりあがること、台所用品などを打楽器がわりに使うパフォーマーの集団がある事などだ。
つまり、単に、打ち出の小槌に煮たパンマンイという呪宝があるというのだけでなく、棒で何かを叩く(そしてそこから歓びを得る)という事が、日常に浸透していると語っているわけだ。
なかなか、面白いだろう?
そういえば、箸で碗などを叩く事は、日本では行儀が悪いと言われるね。
また、飯茶碗を手に持って食べる事が日本では行儀がいいと言われるが、逆に韓国では行儀が悪いと言われるのだそうだ。
隣国であり、かつ、似たところがたくさんある国だと思っていても、実は、どうして、真逆の事も、た~くさん、ある。
しかし、韓国の人が熊に親しみを感じる事は、日本列島の文化の一部に通じるし、実はこの熊への親しみは、日本と韓国(ていうか朝鮮半島)だけでなく、広く北アジアに共通する文化的モチーフでもある。
もうひとつ興味深い要素として、朝鮮半島では、そりゃあ虎(ホランイ)が民話のアイドルになっているのだが、これは、虎が崇められr尊重される北アジア文化圏でもちょっと珍しいと思う。
韓国民話での虎は、日本ならば、山姥にあたる役割なども担っている。(これがロシアに入れば、ババ・ヤガーがかわりに登場する事になり、こちらも鬼婆だね)。
それは、半島であり、かつ山がちな部分も多く、虎が棲息する北アジアの他の地域に比べて、虎が人間の領域に入って来やすい(また、人間が虎の領域を侵害しやすい)という事情が影響したのかもしれない。
しかし、虎が好まれる一方、韓国では猫が好かれないそうだ。
逆に、日本では(樺太のアイヌには虎が登場する民話があるようだけれど)虎がいないためか、猫が人気。
民話にも登場する。
そして、中国北部には、虎と猫にまつわる民話もあるな。
そこでは、猫が虎に木登りを教える先生だが、肉体的には虎の方が強いので、智慧でその一歩上をいく事になっている。
いずれにせよ、韓国の民話に登場する虎は、他民族の民話や伝承に登場する虎と比べ、より人間的で愛嬌もあり、ちょっと滑稽ですらある。
それだけ、虎に親しみを感じているという事なのかもねえ。
ともあれ、冒頭に述べたような部分さえ気にせずに読み進むなら、なかなか面白い民話集であるし、新書などで基本的にすぐ読了できるはずだ。
うん。できるはず……!(笑)
民話で知る韓国 (生活人新書)/ちょん ひょんしる
20064月10日初版