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2012-02-05 14:37:54

『幻竜秘録 1~5』〈時の車輪10〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


ショーンチャン人が使う、エイ=ダムという道具と、飼い主(スル=ダム)、そして女奴隷(ダマネ)の関係。
最もはやく真相に気付いたのはナイニーヴであり、次にエギアニンが気付いているのだが、そこに関わり合った飼い主と、一時期女奴隷にされた異能者(アエズ・セダーイ)の両方をかかえこんだマットの立場は、察するにあまりある。
しかし、物語の設定として、絶対力を使える女性を一方的に束縛し、道具にする飼い主が、実は、潜在的に絶対力を使える女性であるというのは、凄くおいしい。
この事実が知られれば、女奴隷を大きな戦力とするショーンチャン帝国は大きな打撃を受けてしまう。
いや、それどころではなく、次代の女帝であるトゥオンは、彼女自身、飼い主の資格と技量を持っていることになっている。
つまり、全ての飼い主が実は絶対力を使う力を秘めているとすると、帝国のトップに立つ女性自身が、本来、家畜同然に扱われる野放し女奴隷(マラス・ダマネ)であるという、衝撃的な結果になるわけだ。

ショーンチャン帝国が、これほど絶対力を使う女性をおそれ、束縛する理由は、国を興した鷹羽王アートゥルが、異能者嫌いであったことに起因するようだ。
また、その原因になったのは、男性源(サイデイン)が闇王に汚されたことで、竜王テラモンを初めとする多数の男性異能者が狂喜に陥り、全界を崩壊させたせいなのだろう。

しかし、絶対力の試験を受けて、女奴隷にされるまで、その女性(まあ、若いうちに試験されるらしいので、少女)は、他の少女となんらかわることのない普通の人間として扱われ、人格を尊重されていたはず。
なのに、絶対力を使う力があるとわかると、その人格を否定され、分別どころか、判断力も責任能力もない存在とみなされるというのは、非常におそろしい。
海をこえて渡ってきたところで、少女どころか、成人女性をつかまえて、同じように女奴隷とする、さほどに簡単に、相手の人格を否定できる体制が、ショーンチャン人を不気味に見せる大きな要因になっているのだろう。

そして、「祖先(何千年も前!)の王国があったところだから、そこの土地と主権は自分たちのもん」とみなすショーンチャン帝国の姿勢も、同じところに通じているんだろう。
彼らがその土地を去ってから、おそらく彼らがそこに王国を築いていた時間よりはるかに長い時間、人々がそこで暮らし、生計を立て、土地を(海も)有効利用し、支配していたという事実を、簡単に無視できる精神構造は、なかなか凄い。もちろん、悪い方の意味で。

マットらと行動をともにする間、アナン夫人とつきあうことで、いささかはトゥオンも啓蒙されたのかもしれないが、はたしてそういう、不自然な事実にトゥオンが気付き、変わっていけるかは、大きなテーマになるだろう。
もちろん、残念ながらそうあっさりトゥオンの意識やショーンチャン帝国が変わるわけではないのだけれども。

実は、ショーンチャン人にかぎらず、「人を導くとはどういうことか」というのは、この物語のテーマのひとつになっているようで、シャイドー・アイールにとらわれたファイールが、全く別の切り口から、そこに挑んでいくのが物語のこのあたりだ。
有力な貴族としての立場から、人を指導する教育を受け、それをペリンにも伝え、トゥ・リバーズのたてなおしに大きな力となったファイールが、全く新たな視点から、そこを学び直す事になるのが面白い。
決して、それまでのファイールのやりかたが、間違いではないだけに、興味深いと言える。

勿論、同じように、人を指導するとはどのようなことなのかを学んでいくのはペリンも同じで、もはや自分が一介の鍛冶屋ではなく、なるべくして人を指導する立場になったことを、日々自覚していかなくてはならない。
もちろん、ランド・アル=ソアやマットと同じく、彼の悩みはそれだけではない。
狼との交感能力についてもそうだ。
ホッパーにたびたび指摘されるとおり、夢の中で狼と化しても、ペリンは常に人間としての意識から逃れられない。
どの程度まで、自分が狼となる事を許すのか、それがペリンの悩みどころだろう。
狼には独自の価値観があり、時にそれは人間の価値観より高潔に見えたりするが、完全に狼の基準に従うなら、ペリンはやはり、人間ではない存在となってしまうはずだからだ。

狼は、人間とは別に、闇王と戦うものたちであるらしく、ペリンの立ち位置というのは、最後の戦い(ターモン・ガイ=ドン)の時、人間ではない狼というグループを、ランド・アル=ソアに結びつける役割をするのかもしれないが、そこのところもまだ曖昧模糊としているようだ。


幻竜秘録〈1〉エバウ・ダー脱出―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録〈2〉闇の狩猟―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録〈3〉王国の盟主―「時の車輪」シリーズ第10部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
幻竜秘録4 二つの〈塔〉の策謀 (ハヤカワFT)/ロバート・ジョーダン
幻竜秘録5 黄昏の十字路 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2004年12月~2005年4月
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2012-02-05 14:09:23

『闘竜戴天 1~5』〈時の車輪9〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


この物語は、前提として、「世界の終焉が間近に迫っている」事になっている。
人類にとっての大敵は、闇王と呼ばれる存在で、三千年以上も封印されていたそやつの牢獄は、次々に封印が解けており、全界に闇王の影響が刻々と強まっている段階にあるわけだ。

従って、ともに封印されていた闇セダーイの活躍が活発になっているし、諸王国にはそれぞれ、闇セダーイが入り込んでいる状態。
(王国だけでなく、ショーンチャン帝国や白い塔も例外ではないし、黒い塔も、光の子も、ともかく権力やパワーと関係のあるところには闇の信徒が深く浸透している)。
なんと物語のこの部分では、エレインも、ランド・アル=ソアも、暗殺されかかる。
特に、ランド・アル=ソアの方は深刻で、ますます彼の人間不信を強めてしまう。

一方、エレインはアンドール王国に戻り、混迷している王国で、母の王位を無事に継承すべく、奮闘をする事になる。
アミルリン位としてめざましく成長を遂げていくエグウェーンにくらべると、エレインの歩みはもどかしいところもあるが、妊娠という女性の重荷をにないながら、王位継承者であり、かつ異能者(アエズ・セダーイであるという立場を上手に利用して立ち回る彼女の活躍も、目をはなせないものがある。

ところで、初読した時、このあたりでかなりげんなりしていたのは、主人公であるランド・アル=ソアがどんどん人間不信に陥り、とげとげしく、そして孤独に、冷酷になっていくのを見るのがしんどかったからかと思う。
その状況を改善するために、カドスアンやナイニーヴが活動するのdが、後に、ミンが、「結局はそのふたりも含め、誰もがランド・アル=ソアを思うがままに動かそう(ランド視点では、操ろうというところ)としているのが間違いだ」と看破するとおり、なかなかうまくはいかない。
いやもう、一人で何もかもやろうとして破綻するパターンそのままだ。

も・っ・と・ま・わ・り・を・た・よ・れ・よ!

と、読んでいても凄くやきもきするのだ。
だからこそ、余計に、助言を受けるところは受け入れ、自分の考えを通すところは通す、エグウェーンやエレインの活躍に共感を覚えてしまうのだろう。
特に、エレインの場合、妊娠しているという状態のため、周囲から制約されるところが実に人間らしく、ほほえましくもある。まわりは香料入りのワインを楽しんでいるのに、自分はお湯も同然の薄いお茶しか飲めない(蜂蜜も入っていない!)など。しかも、うまいこと、アビエンダがその「窮地」を救ってくれたり、ビルギッテが絆のためにお酒を制限せざるをえないなど、ほんとに、エグウェーンよりもさらにエレインのまわりは、読者にとって等身大のキャラクターに映る。

また、若者三人に目を向けると、やはり最も面白いのはマットで、ティリン女王との関係もさることながら、いよいよここで、予言の女性である、九つの月の姫君が登場する。
マットとの結婚を運命づけられている女性だというのに……マットが、ティリン女王のツバメであるところに登場するというのは、どうなのか。
これは、あまりにも、ヒドイ。
マット以外の男なら、もう逃げ出してしまうだろうと思えるのだけど、さすがマット。
そのシチュエーションを脱そうと苦闘しつつも、なぜか苦労を感じさせない。


闘竜戴天1・黒アジャ捜索 <時の車輪第9部> (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天2・偽りの英雄・ (〈時の車輪第9部〉)/ロバート・ジョーダン
<時の車輪第9部〉 闘竜戴天3 -九つの月の予言- (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天4 -消えた聖竜士 〈時の車輪第9部〉 (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
闘竜戴天5 -シャダー・ロゴス崩壊― 〈時の車輪第9部〉 (ハヤカワ文庫 FT)/ロバート・ジョーダン
2004年4月~2004年8月
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2012-01-18 19:30:35

『竜騎争乱 1~5』〈時の車輪8〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


かつてエモンズフィールドを出た若者たちは、全界にばらばらにちらばり、それぞれ冒険するのがこのあたりなのだが、同時に諸国は乱れに乱れ、もはや平穏な国を探す方が難しいほどだ。
ランド・アル=ソアは一方でショーンチャン人とぶつかりあい、もう一方ではイレイアンに攻め込んで、サマエルと対決する。

エグウェーンはタール・ヴァロンをめざし、エレインはいよいよシームリンに目を向け、他方白い塔やサリダールからランドのもとに赴いた異能者(アエズ・セダーイ)たちは思いもかけなかった立場に追い込まれる事になる。

しかし、こうしてみると時の車輪の全界は、なんとも女性の力が強い。
原点ともいえるエモンズフィールドでも、「男会」より「女会」の方が実質的に力があるようなのだが、女王の多さにも目を牽かれる。
アンドールは代々女王が支配する国だし、他に、サルダエアなど、女王がおさめる国が目白押し。
アサ・アン・ミエレも支配的な立場に立っているのが女性なら、遠くショーンチャン帝国も女帝に支配されているし、アイール人の間でも首長より賢者が幅をきかせ、言うまでもなく異能者は国家元首より強い権力をふるっていた(過去形になりつつあるとはいえ)。

別に、この物語はフェミニズム的ではないし、もちろん作者も女性ではないのに。
政治の世界に目を向けなくとも、文化的に女性が強い地域も多いようだ。
まあ、もちろん、男が遊んでくらしているのではないが、政治や交易は女の仕事になっている事が多く、そうでない国々でも、そのような仕事に、女性が男と同じくらい多く従事しているようだ。

いやいや、世界観だけではない!
物語を裏から彩る闇セダーイたちにしろ、どういうわけか、男より女の克也卯が目立つ気がする。
実際、アンドールを支配していたラヴィンも、イレイアンを支配しているサマエルも、いろいろ頑張って画策しているようでありながら、そしてランド・アル=ソアとのぶつかりあいは「戦闘として」激しいものでありながら、決着はかなりあっさりしているように見える。
ランフィアやモゲディーン、グラエンダルの方が、ずっとねちこく、露出も多い。
男の闇セダーイで同じくらい活躍するのは、闇セダーイの中ではどちらかというと下に見られているアズもディーンくらいではないだろうか。

だからこそ、ランド、ペリン、マットの三人が際立つという見方もできるだろう。
また、後半への折り返しがスタートしている物語のこのあたりから、マットの存在がどんどん大きくなってくる。
しかし、ランドやペリンと違って、決して戦士ではないマットの活躍は、とても癖があり、ある意味、エグウェーンやナイニーヴら、女性陣と同じくらい、面白い事になっていく。
そう、実は、主人公側も、男性陣の活躍は、女性陣に比べ、単純でいまひとつぱっとしないように見えるのだ。


竜騎争乱〈1〉嵐の来襲―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈2〉金の瞳の密使―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈3〉氷上の盟約―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱〈4〉精鋭たちの召喚―「時の車輪」シリーズ第8部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜騎争乱 (5) (ハヤカワ文庫 FT―時の車輪 (352))/ロバート・ジョーダン
2003年9月~2004年1月
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2012-01-08 20:23:58

『昇竜剣舞 1~7』〈〉時の車輪7

テーマ:海外SF・ファンタジイ




エモンズフィールドを出た5人の若者は、それぞれ重要な役割を果たすようになっていくわけだけれど、ある意味その中で最もユニークなのがマット・コーソンではないかと思う。

羊飼いのアル=ソア、鍛冶屋のペリンと違って、マットだけは、そういう呼ばれ方がない。
故郷では、父親の飼っている牛の乳搾りをした、とあるだけで、とくに(家業の)何を仕事にしていた、という経歴がないのだ。
むしろ、ことあるごとにいろいろな悪戯w3おしていたという事が自他共に記憶に残っているだけだ。

旅に出てからも、ランド・アル=ソアのように運命と闘う事もなければ、ペリンやエグウェーンのように、指導者たるべく努力していくということもなく、ナイニーヴのように激しく自分と戦うという面も持たない。

彼の稼業は、いってみれば、ギャンブルだ。
枯れについていくものも、最初は、彼のツキに引き寄せられたと語られている。
賭の結果、マットの人生は転がり続けていて、首にかけた絶対力をそらすメダルも、英雄蘇生(ヴァリーア)の角笛を吹いたことも、ルイディーンで古代の断片的な記憶のあつまりを手に入れたことも、全てはギャンブルの結果だと言っていい。

悪戯ずき、ちゃらんぽらん、ナンパ師、しかしナイニーヴにいわせると、一度約束した事は決して破らない、必ず守り通す男だという事だ。
マットには英雄としての重みや、苦しげな影はない。
いや、仮にあったとしても、笑い飛ばせる強さがある。
実に魅力的なキャラクターではないか。
自分自身も、人生も、笑って蹴飛ばせる男、マットは、本島にこの物語の中で希有なキャラクターだ。

その彼が、ランド・アル=ソアの依頼を受けてエレインやエグウェーンと接触し、非常な苦境に立つはめになる。
うち、ひとつはとんでもない女性とのラヴアフェアであり、もうひとつはエバウ・ダーに闇セダーイや闇の生き物が登場する事によって、マットや仲間自身が命を落とす瀬戸際に立つ事だ。
実際、何人かの仲間が命を落とす事になるが、その対処も受け止め方も、ランド・アル=ソアとマットでは真逆といっていい。

かつて、アイール人の恋人に、ランド・アル=ソアの影にいる、と評されたり、最後の戦い(ターモン・ガイ=ドン)で勝利の鍵を握ると予言されてたり、角笛を吹いたという(困った)事実があったり、マットの立ち位置はかなり微妙な者であり続けるのだが、そんな綱渡りができるのも、マットならではなのだろう。


昇竜剣舞〈1〉金色の夜明け―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈2〉反逆の代償―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈3〉戦士の帰還―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈4〉伝説の異能者―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈5〉“光りの要塞”陥落!―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈6〉識女の秘密―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
昇竜剣舞〈7〉剣の王冠―「時の車輪」シリーズ第7部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2002年12月~2003年6月
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2012-01-04 19:04:31

『黒竜戦史 1~8』〈時の車輪6〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


ランド・アル=ソアが、ティア、ケーリエン、アンドールの三王国を掌中にし、一方で異能者(アエズ・セダーイ)が二つに分裂し、アイール人も二つに割れている状態となった中盤は、舞台となる範囲が広すぎるためか、なんとなく冗漫な印象を受ける。
どのキャラクターに視点をもっていくかにより、ケーリエン、シームリン(アンドール)、白い塔のあるタール・ヴァロン、分派した異能者が集まるサリダールに加え、エレインたちが向かうエバウ・ダー(アラフェル王国)までめまぐるしく場面が変わってしまう。
もちろん、登場人物はそれぞれ、別々に動いている!

まあ、このあたりは、大河小説の醍醐味という事ができるだろう。
とはいえ、渦の中心は基本的にランド・アル=ソアと、エグウェーンのままだ。


まず、エグウェーンはここで大きな転換点を迎える。
アイール人賢者のもとでの、夢見人の修行は半ばなのだが、サリダールに召還され、アミルリン位につくことになるからだ。
物語の中で述べられていくとおり、エグウェーンの絶対力が強いこと、だけではなく、竜王の再来であるランド・アル=ソアと同じ村の出身である事なども大きくものを言うほか、非常に若いというのも選ばれたポイント。
つまり、三派の異能者が対立しているサリダールで、どの派からもアミルリン位を出す事はできず、エグウェーンほど若ければ、容易に傀儡にできるという判断なわけだ。
従って、アミルリン位になっても、エグウェーンは「あたかも修練生であるかのように」有力者からは見られてしまうし、自分が操り人形だとみなされている事を、彼女は最初から自覚している。
このなかで、いかに真のアミルリン位になるかというのがエグウェーンの課題であり、彼女の戦いはまさにここから始まる。
この戦い、最新刊で一応の決着をみるわけだけど、そう思うと、ずいぶん長い戦いになるわけだ。
ランド・アル=ソアと比べても、彼女の戦いは常に人間が相手であり、そのために最も人間的に成長する事ができたのではないかと思われる。

一方、ランド・アル=ソアは、貴族を相手に政治の世界で戦うところから、今度は異能者を相手にしなければならなくなるというのが、ここ。
白い塔からも、サリダールからも、使節が派遣されてくるが、そもそも異能者は、絶対力を使える男に敵対しがちだし、あからさまに、竜王の再来を自分の手におさめようとしている。
とくに、赤アジャを警戒するのは男にとってあたりまえ。
しかも、シームリン郊外に、絶対力を使える男を集めているという問題もある。
指導者として任命したマツリム・テイムも信用するのは難しい。
つまり、主人公は自分の中にあるゼタ知力(そして竜王テラモン)だけでなく、多様な絶対力の使い手とも向き合わなくてはならなくなっている。

凄惨な決着が、デュマイの泉の戦いという形でつけられることになるけれども、これは、全界の崩壊以来、おそらくはじめて、絶対力が戦場で「相互に」使われた戦いのはずだ。
(一方的なものなら、すでにショーンチャン人が使っている)。
しかも、マツリム・テイムに率いられた絶対力を使う男、アシャ・マンの恐ろしさを際立たせるものでもある。
この聖竜士(アシャ・マン)が登場する事が、異能者(アエズ・セダーイ)の一方的な支配性を弱める、大きな一因となっているところは見逃せない。
実際、ランド・アル=ソアが異能者を、ある意味力ずくでおさえつけるようになるのは、この戦いに至る経緯が原因となるからだ。

ところで、時の車輪の世界は、ひとつの謎がある。
物語でしきりに言及される闇王、ここでも冒頭からあることを行うし、人格をもつ超越者として扱われ、かつ登場するが、これに対応する「創造主」がどのようなものなのか、全くわからないのだ。
闇王は、創造主に刃向かったものらしいけれども、創造主に人格があるようには描かれていない。
人々は、神をよぶかわりに「光」を用いるが、これもとくに人格があるようではない。
それどころか、教会や寺院もなければ、聖職者もおらず、決まった祈祷の言葉らしきものもない。
つまり、宗教らしいものがそこにはない。
(まあそのわりに、光の子らという集団のみ、存在するんだけど)。
ある意味、人々の意識の中にあるのは、悪の中心としての闇王であって、これに対抗するという形でしか、宗教活動的なものがないのだ。
であるにもかかわらず、闇王自体は、「創造主」に対抗するものと設定されてるんだよなあ。
なぜこういう、不思議な構造になっているのか、最後には解き明かされるのだろうか。
あるいは、光の子らや、異能者の中にも、多くの闇の信徒が存在するのは、この不思議な構造の影響なのかもしれない。


黒竜戦史〈1〉偽の竜王―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈2〉闇の密議―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈3〉白マントの野望―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈4〉太陽の宮殿―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈5〉白い塔の使節―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈6〉新アミルリン位誕生―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈7〉黒い塔の戦士―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
黒竜戦史〈8〉竜王奪還―「時の車輪」シリーズ第6部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2002年3月~2002年10月
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2011-12-26 13:15:04

『竜王戴冠 1~8』〈時の車輪5〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


ランド・アル=ソアはティアに続いてケーリエンを手に入れる。
エレインとナイニーヴはタンチコを逃れ、大道芸人の一座に隠れてアマディシアを抜け、サリダールへ向かう。
まさしく全界全てを巻き込む争乱のなか、注目どころはマットとナイニーヴだろう。

竜王の再来として自他共に認められたランド・アル=ソア,アイール人賢者のもとで夢見人の修行にいそしむえぐうぇーん、トゥリバーズの領主、金目の大将軍として祭り上げられたペリンを追うように、まず、マットが独り立ちする。
ルイディーンで手にした鑓とメダル、そして予言の意味はまだ明らかにされぬものの、ますますマネサレンの英雄たちの記憶がマットの中に入り込んでいく。
それと同時に、「頭の中で転がるダイス」というユニークな現象によって、単に強運のギャンブラーというだけではなく、無意識に、軍事にすぐれた指揮者として覚醒していくのが面白い。
衰退される形で指導者となっていったペリンと、道筋は似ているようにもみえるが、古代の記憶に侵食されるという点で大きく異なるし、それが特定の人格のものではないというところが、ランド・アル=ソアとも異なる。
メリンドラとの関係も、甘く切ない展開が待ち受けている。
マットの手勢、赤手軍も、ここでできあがる。

一方、ナイニーヴがたどるのは、茨の道だ。
絶対力に関してはいわば天才である彼女は、指導を受ける前に絶対力を独力で使うようになった「暴れ馬」ならではの壁にぶつかるとともに、村の賢女として思うがままにふるまってきたことによる性格を、いやおうなしに自ら矯めなくてはならぬハメに陥る。
さらに、闇セダーイという強敵が荒wれて深甚な恐怖を味わう。
男女間のことについてもいろいろな初体験があり、エレインとナイニーヴの間に、新たにビルギッテという存在が登場したことにより、エレインとの不仲、そして疎外感も味わう事になってしまうのだ。
自分でも内心は認め、まわりからも指摘されるとおり、ナイニーヴの行動はある意味支離滅裂で、幼稚なものとなっていく。
かわいそうなほどだ。
絶対量kに関する部分だけでなく、ナイニーヴはいろいろな面で、無礼楠r-しなくてはならない状況に陥ってしまうのが物語のこの部分だ。

しかし、主要人物がこのように華々しく活躍する一方で、ちょい役や脇役にも、光った存在があるというのは面白いし、凄い。
たとえば、竜王の旗手を務めることになったペヴィンという男。
争乱のさなか、一人ずつ家族をうしなっていたという以外は、ごくごく平凡な男なのだが、その彼がどのようにして旗手をつとめるに至り、どのようにふるまっているか。
登場期間はこの第5部のみという短さであるにもかかわらず、なかなか印象深い。


竜王戴冠〈1〉選ばれし者たち―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈2〉“竜王の壁”を越えて―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈3〉旅の大道芸人―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈4〉青アジャの砦―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈5〉勇者ビルギッテ―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈6〉ケーリエン攻防戦―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈7〉旅路の果て―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王戴冠〈8〉竜王の旗のもとに―「時の車輪」シリーズ第5部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
2001年5月~2001年12月
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2011-12-20 12:30:14

『竜魔大戦 1~8』〈時の車輪4〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


物語の中心にいるのが若い男女である以上、当然、この物語も、キャラクターの成長物語という一面を無視する事はできない。
物語の序盤から中盤に移っていくこの部分は、まさしくキャラクターが故郷を出て自分の殻を破り、成長を始める部分だと言えるだろう。

最も大きな変化を強いられるのは、ランド・アル=ソアとエグウェーンの二人だと思う。
しかし、絶対力のソースが男性源と女性源に別れているごとく、二人の成長の即席は全く違うものだ。
ランド・アル=ソアは、竜王の再来として最も重い運命を背負わされている。
それに押しつぶされず、また、逃げることもなく、向き合っていくことが、彼の成長の動力源であって、それは、人間が本来逆らいえない「運命」と戦う、英雄本来の成長コースだ。
また、ど田舎の羊飼いが、広い世界に出て、多種多様な文化をまのあたりにし、それらと折り合いをつけていく(しかも自分の背負う運命によって、それらに変化を与えていく)なかで、ヒントを与えてくれる者こそたくさんいるとしても、手に取り足をとって教えてくれる者はない状態だ。
つまり、彼は自分がどのようにすべきなのか、常に、自分で考え、習得していかなくてはならない。
そのことが、自然と、力や風格をつけていくようになっている。

一方、エグウェーンが立ち向かう困難は、常に、同じ人間によって与えられるものに見える。
異能者(アエズ=セダーイ)への道を歩み出した事によって、白い塔での修練をはじめ、一歩債の状況もわからぬままアミルリン位によって、黒アジャ狩りに送り出されるだけでなく、白い塔では長きにわたり登場しなかった、夢見人の能力があることから、全く違う文化圏のアイール人賢者に教えを請う事になる。
この時期のエグウェーンは、非常にスパルタではあるが、ランド・アル=ソアと異なり、いわば手に取り足をとって教えを受けている状態だ。
運命のように漠然としたものではなく、具体的な「指導者」が存在する事で、まず、それを受け入れる事を学ぶのがエグウェーンのスタートラインとなっている。
そして、この経験を踏まえ、後には異能者のパワーゲームの駒にされつつ、自分の目的のために苦闘の道を自ら選ぶ事になるわけだ。
主人公たちの中で、最も、学ぶ機会を多く与えられている優等生がエグウェーンなのだ。

もちろん、かれらのまわりの準主人公たちもそれぞれ困難な道を歩むわけだけれど、仲間のなかにあって、調整者の役割を受け入れながら、将来の女王への道を歩みだしたエレイン王女や、自然とリーダーにまつりあげられていき、その責任を受け止めるペリンなど、ランド・アル=ソアやえぐうぇーんほど明快ではなくとも、それぞれ全く違うカラーがあるのは、とても面白い。
いささか気の毒ではあるが、一番損をしているのはナイニーヴだろう。
生来の短気と傲慢さという特徴もあるのだろうが、そもそも彼女は、最初からある程度絶対力を使う事ができるというアドヴァンテージがあるだけに(また、その潜在能力が非常に大きいとも言われているだけに)、えぐうぇーんとは全く逆に、学ぶチャンスが少なく、謙虚に学ぼうという意欲が小さいのだ。
このために、人間的な成長を始めるのは、身近な人間に限定しても、えぐうぇーんやエレインの方が先となってしまい、この時点では、反面教師的な、「悪い例」の見本になってしまっている。
実に、彼女が良い方にかわりはじめるのはかなり遅い。

さて、物語の背景に目を転じると、まず本筋にかかわる部分としては、闇セダーイがあからさまに表面に出て来ている事があげられるだろう。
セリーンがランフィアである事がはっきりするだけでなく、他数名の闇セダーイがどのような名前で、どの国で活躍しているかもわかってくる。

また、アイール人が前面に出てくるだけでなく、ランド・アル=ソアがルイディーンにおもむく事によって、アイール人の歴史も開陳される。
もちろん、放浪の鋳かけ屋たちとの関わりも明らかになる。
アイール人がふたつに割れるのも、ここからだ。

舞台となるのは、ランド・アル=ソアとえぐうぇーん、そしてアビエンダやモイレインがいるアイール荒地はもちろん、ナイニーヴやエレインのいるタラボン国が目新しいところだが、ペリンとロイアル、ファイールがトゥリバーズで活躍するのも、興味深い。
ふつう、このタイプの物語の主人公は故郷を出てから、一度そこへ戻るという事がまずない。
しかし、ペリンは戻ってくるわけだ。
旅だった時とはまるで別人になっているペリンがトゥリバーズでどのように迎えられるか。
ペリンの成長の鍵は、まさしく、ここにある。


竜魔大戦〈1〉忍びよる闇―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈2〉石城は陥落せず!―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈3〉それぞれの旅立ち―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈4〉聖都ルイディーン―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈5〉狼の帰郷―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈6〉闇が巣くう街―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈7〉白い塔の叛乱―「時の車輪」シリーズ第4部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜魔大戦〈8〉聖都炎上!―「時の車輪」シリーズ第4部/ロバート ジョーダン
2000年3月~2001年3月
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2011-12-13 19:34:10

『神竜光臨 1~5』〈時の車輪3〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


第2部で進む道がbらばらとなった仲間が第3部ラストで再び(偶然にも)集結してくる。
そして、ランド・アル=ソアがとうとう竜王の再来として名乗りをあげるのがここであり、まさしくシリーズ前半のクライマックスと言えるだろう。

異能者(アエズ・セダーイ)の技の片鱗が見えることも、ペリンと狼の絆についても垣間見える事が面白いうえ、いよいよアイール人が登場し、この後非常に重要なキャラクターとなるアビエンダ、そしてファイールも加わってくるなど、注目すべきところはいろいろとある。

しかし、何より重要なのは、ここで大きく、夢の世界(テル=アラン=リオド)が登場してくる事だろう。
エグウェーンが夢見人としての能力を発揮しだすだけでなく、門石から通じる異世界が夢の世界と関連あるのか、また、狼と夢の世界はどういうかかわりなのか、ユニークであり、興味深くもある要素だ。
とくに、狼との関わりは、ほんとにユニークだと思う。
動物が、一種の群体、あるいは集合意識を持つというような設定は、他の作品でもないことはないが、そこに「夢の世界」を持って来ているところは本島に面白い。
ジョーダンはいったい、どこからこの着想を得たのだろう。
単に夢の世界ということであれば、オセアニアの神話をイメージさせるが……。

また、このテル=アラン=リオドと、修練生が異能者候補となる時に体験する異世界とは、何か関係があるのか。

キャラクターにとっての現実世界と、これら(おそらくは複数)の異世界との関わりは、最終的にどのように解き明かされていくのだろう。
世界そのものも、歴史模様に関する説明で、多数存在する、多元宇宙である事が示唆されている。
この難解な要素を、作者亡きあと、後継者がどのように用いるかも、注目したいところだ。

また、狼について考えれば、ケルト・ゲルマンの伝承における狼より、なんとはなしに、北アメリカの伝承の方がモチーフまたは元ネタとして、大きく取り入れられているように思う。
つまり、ゲルマン系の伝承では、狼は戦や戦士と強く結びつけられるものだが、北アメリカでは、導き手として現れる事が多いようだ。
この特徴は、たとえばエディングスも、〈ベルガリアード〉で使用しているけれど、ペリンと跳躍(ホッパー)との関係、そしてそこに関連する夢の世界の方がより巧みであり、非ゲルマン的だ。

小さいところでいうと、石並べ遊びと呼ばれているものが、ここで明らかに、白と黒の石を使う盤ゲームで、石を使った陣取り遊びであえる事が描写されており、東アジアの人間であれば、「ああ、これは碁だな」と連想する。
ティアの下町で、ぬかるみの中を歩くために用いる「木の板」は、下駄みたいだ。
こういう、非ゲルマン・ケルト的というか、アジア的な要素が、実に違和感なく作品のメインを占める中世ヨーロッパ風の世界に溶け込んでいるところも、他のアメリカ人ファンタジイ作家が描くような、非ゲルマン的要素を取り入れた作品に比べ、出色の出来だと思う。
違和感を感じさせないだけでなく、それが存在する事で、自然に、ユニークな世界を形作っているからだ。

一方、非常にアメリカ的な部分もある。
それは、登場人物たちの「自由」志向にあらわれていると思う。
ランドも、ナイニーヴも、エグウェーンも、実にしばしば、「利用されるのはたくさん」と考えている。
たしかに、物語の登場人物は、その物語中の、より高次元な存在(たとえば、運命。ここでは歴史模様など)の、手駒的な扱われ方をするだろう。
しかし、その状態を、やや低位の存在である、異能者と白い塔であるとか、闇王の手先である闇セダーイなどに仮託し、操られたくない、利用されたくない、と考える傾向は、アジアにもヨーロッパにも、あまりないんじゃないかと感じられる。
時として傲慢なまでに、そして自己中心的なまでに、自由である事を渇望する。
ある能力を使いこなすための訓練や知識のようなものを対価としてえられる状況であってすら、他人の目的に奉仕するという事をしたがらない。
こういう部分は、中近東におけるアメリカの動き方などと、なにやら相通じる臭いを感じてしまうんだよねえ。


神竜光臨〈1〉魔人襲来!―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈2〉白き狩人―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈3〉夢幻世界へ―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈4〉闇の妖犬―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
神竜光臨〈5〉神剣カランドア―「時の車輪」シリーズ第3部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
1999年5月~2000年1月
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2011-12-10 13:00:43

[聖竜戦記 1~5]〈時の車輪2〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ


ロバート・ジョーダンという作家が、異世界の構築者として、そしてストーリーテラーとして実に巧みだと思ったのが、この第2巻(翻訳では第2部)であったかと思う。

まzぅ、異世界の構築力という部分。
人間にとってはどうしても、自分が生まれ育った文化圏の視点から離れる事が難しい。
たとえば、自分の国の事であってさえ、歴史上の人物や事件について、どうしても、「現代人の視点」で判断してしまいがちである事を考えてみればいいだろう。
もちろん、他の文化圏に対しても、お互いに同様の事をする。
その点、ジョーダンは極力それを避けているように思われる。

たとえば、この時点でのアミルリン位であるシウアン・サンチェという人物像は、その努力が顕著にあらわれている。
努力されすぎていていささか鼻につくほどなのだけれど、彼女は、漁民の娘であった、という設定があり、このためシウアンは、魚を常食とする暮らし、日常船にのっている者としての表現を多く使っている。
それだけでなく、決して、農民であったり、牧畜をする者がするような表現は使わないのだ。
思えば、トゥ・リバーズ出身の者たちも、山間の村で羊などを飼う農民であることを強くにおわせる表現を用いていた。「頭の中に羊毛がつまったような愚か者」などは、頻繁に出て来た事が思い出される。
もちろん、逆に、他の国出身のキャラクターは、そんな表現は使わない。
モイレリンにしろ、エレインにしろ、その人物が歩んできた「それまでの人生」がきっちりと設定されていて、それに応じた言動をきちんととっている事もわかる。

そして、重要なポイントは、そういった「裏設定」がくどくどと説明されていないというところだろう。
シウアンはどこそこの出身でどういう暮らしをしていたから、こういう風にふるまう、といったスタイルの説明はない。
むしろそのあたりは完結に、「こう一言書いておけばわかる」的なシンプルさで、だからこそ余計にリアリティが増す。
そう見ていくと、この物語の文章は、実に緻密に練られたものだと思う。

もちろん、完璧だというわけではない。
たとえば、誰も絶対力が使えないはずの安息の地で、ヴェリンは、治療の技らしきものを一瞬使ってしまっている。まあ、ときにそのくらいの穴があった方が、いいのかもしれない。

こういった緻密さは、もちろんいろいろな国々や民族の描写にもあらわれている。
この世界を構築するにあたって、ジョーダンは、従来のファンタジイで定番の、ケルトや古代ヨーロッパのモチーフの他に、ロシアや日本などのものも取り入れているという。
根気大きな役割を果たす境界地域のシエナール王国などは、かなり日本のモチーフが取り入れられているのではないかと感じる。
一種の髷を結っている戦士たち、片刃の剣(ということは、厳密には、剣ではなく刀)、などなど。
しかし、これもまた、露骨に日本風なわけではない。
うまいことそういった要素を用いる事で、オリジナリティを出しているところが、良い。

一方、ストーリーテリングとしてはどうだろう。
これは、単純な正邪対立の物語でも、若者たちの成長物語でもない。
後に、アル=ソアが、あるいはエグウェーンが疑心暗鬼に狩られるとおり、ごくごく普通の人たちや、時には周囲が認める立派な人々の中にさえ、「闇の信徒」が立ち混じっているという想定はなかなか怖い。
なかには、最初から闇の臭いがぷんぷんしているキャラクターもあり、「えええっ。マジで? この人がっ?」というような人物もある。
実際、ここでも、まさかこの人がというような人物が、闇と関わり合っていた事がわかる。
すなわち、闇の信徒にもさまざまなスタイルの者がいて、闇王との関わり合いかたも千差万別であるところが、登場人物だけでなく、読者をもうまく煙に巻き、複雑で魅力のあるストーリーにしているわけだ。
それが、シエナールのように、それぞれオリジナル性の豊かな国々を背景に展開するのだから、面白くないわけがない。

ショーンチャン人の、飼い主(スル=ダム)と女奴隷(ダマネ)の関係も面白い。
絶対力を使う事ができる女性を腐りにつないでしまい、その人権も無視するという背景には、ちゃんとこの世界の歴史が理由として存在しているのだけれど、ラストのところで、飼い主の実態が解明されると、その忌まわしさがさらに浮き彫りとなる。
この、多重構造を持つ設定も、ジョーダンお得意の仕掛けのようだ。


聖竜戦記〈1〉闇の予言―「時の車輪」シリーズ第2部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
聖竜戦記〈2〉異世界への扉―「時の車輪」シリーズ第2部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
聖竜戦記〈3〉異能者の都―「時の車輪」シリーズ第2部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
聖竜戦記〈4〉大いなる勝負―「時の車輪」シリーズ (ハヤカワ文庫FT)/著者不明
聖竜戦記〈5〉復活の角笛―「時の車輪」シリーズ第2部 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
1998年7月~1999年3月
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2011-12-07 16:50:21

『竜王伝説 1~5』〈時の車輪1〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ




作者ロバート・ジョーダン亡きあと、最終部(そしてその翻訳)はどうなるのかと懸念された〈時の車輪〉シリーズだが、このたび無事に最終部の最初の部分が日本でも刊行された。

この際、最初から再読してみようかとひっぱりだしてみたところ、日本に紹介されたのは、97年だったのか、と改めて思いをはせる事になってしまった。
つまり、すでに第1巻が日本に来て、14年がたってりうという事だ。
うう~ん、振り返ってみれば、その頃はまだブログなどもなく、書評を自分の書籍情報サイトに掲載してたなあ。
しかし、画像でもわかるとおり、原書の1巻が5分冊で毎月出されるという販売体制で、一見これは途切れなく読めるようだが、コアな読書家にとっては、細切れにされたストレスが蓄積するものでもあった。
実際、最新刊が上下巻で同時に出され、それを読んだ時に再認識したのだが、この物語は、なるべく、ぶっ通しで読みたい物語なのだ。
また、そうしないと感じ取れない部分などもある。

さて、巻数を重ねたシリーズを再読する時は、「いまこうなっているキャラが、最初はこんなだった!」と、ワケシリ顔で見る楽しみもあれば、逆に、「むむ、実はこんなところに既に伏線があったのか~」と再発見する喜びもある。
このあたりは、どのキャラに注目しているか、ストーリーのどういう部分が好みかによってもわかれてくると思うが、なにより、一気に再読して改めて感じたのは、この物語、冒頭に関しては、思ったより、『指輪物語』の影響がでかいな、という点だった。
もちろん、ジョーダンが意図的に似せたのだとは全く思っていない。
しかし、魔法の使い手によって複数の田舎の若者が冒険の旅に出るはめになること、
世界の果て、太古の魔物的存在が封じられている土地をめざすこと、またその手先に最初からつけ狙われていること、旅の比較的初期に、かつては隆盛し、いまは邪悪な闇に支配されている(しかし敵の直接の支配地とはいえない)を通過せざるをえないことなどが、共通している。

そして、この微妙な、そしておそらく意図的ではない類似が、独自の異世界を創り上げている〈時の車輪〉シリーズに、読者が教官をえやすかった理由のひとつではないかとも思う。
『指輪物語』でなじんだモチーフが、全く違う姿で、しかしそれとなく使われているため、不思議となじみやすい異世界であり、かつ、新奇の、魅力的な世界と感じられたのではなかろうか。
たとえば、トロロークなどは、みるからに、「トロル+オーク」っぽい怪物だが、それらを支配するミルドラルは、『指輪物語』の黒の乗り手と似ているようで、全く別の、凄く不気味な(グロテスクな魅力のある)怪物だ。
そもそも、闇に溶けるミルドラルという呼び名が魅惑的。
指輪の幽鬼よりも現実的な肉体をそなえているようなのに、同じくらい超自然的な部分もあるのだ。

一方、踊る子馬亭のバタバーを彷彿とさせる宿屋の亭主が何人も出てくるが、ただひとり、悪いやつは、やせ細った、違うタイプの男だというのも、ある意味露骨で、読者としては面白い。

もちろん、このような類似のモチーフは、次巻からどんどん少なくなっていき、どこからどこまで、〈時の車輪〉は〈時の車輪〉なのだ、というオリジナリティがふくらんでいくのだけれど、この第1巻(翻訳では第1部)に限り、こういった相似がうまく含まれているのだと思う。


竜王伝説〈1〉妖獣あらわる!―時の車輪 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王伝説〈2〉魔の城塞都市―時の車輪 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王伝説〈3〉金の瞳の狼―「時の車輪」シリーズ (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王伝説〈4〉闇の追撃―時の車輪 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
竜王伝説〈5〉竜王めざめる!―時の車輪 (ハヤカワ文庫FT)/ロバート ジョーダン
1997年11月~1998年3月
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