Fuck Boredom Let's ××!
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無力な生き物と暮らす日々。

いつかのテレビでKANが愛は勝つを歌っていた。正直下手だと思った。
KANの前に歌ってたジャニーズっぽいアイドルの方がよっぽど上手いと思った。
でもそのアイドルの歌は全然忘れて覚えてないけど、KANの歌は今でも忘れられない。
下手だけどすごく心に響いた。思わず画面にかぶり付いた。感動した。

うまく言えないけど音楽ってそういうことなんじゃないかと思った。

深夜高速。

こんな時間のテレビでやってたフラカンの深夜高速が心にしみる。

お金は大事だよ。

しかし、地獄の2日間を越えると入院生活は天国だった。

昼は母児同室でずっと子供の世話をしていたし

夜も3時間ぐらい置きに授乳に呼ばれていて余り眠れなかったけど

母乳で足りない分のミルクは助産師さんが全部用意してくれて

自分では何もしなくて良かったので本当に楽だった。

それに何か用事がある時やシャワーの時などは子供を預かってもらえたし

上げ膳据え膳で、ベットも寝心地がよかったし

総合病院だったけどご飯はおいしいし、おやつの支給もあった。

体はまだ辛かったが、ちょっとした休暇を過ごしている気分だった。


こんなに楽ちんなら里帰りもできないし

半月くらいは入院してたいなぁなんて思ったけど

そんなことはもちろんできるわけないので8日の入院で無事退院となった。

帰りに窓口へ寄って入院費の清算をしたのだが

高額療養費制度を使ったので預けていた保証金は全て返ってきた上に

入院費用が出産育児一時金の支給額より安かったので

その差額ももらえるという。

さらに加入している保険からも保険金が下りるので

お金を払うどころか、かなりの金額がプラスになった。

現金な話だが、ここで初めて帝王切開も悪くないなと思った。


幽白の幽助を思い出した。

3日目の朝、回診にきた先生から今回の手術でわかったことを説明される。


「血液検査の結果、母体に炎症が見られたが

お腹を開けてみたところ羊水も濁っておらず

赤ちゃんもすごく元気で出血も多くなかった。」

「一応赤ちゃんの血液検査もしてみたが

感染などは起こしていなかった。」

「ただへその緒が赤ちゃんに巻いていたので

普通分娩ならかなり時間がかかっていた。」

「今回のケースは帝王切開にして正解だったと思う。

早く外に出してあげたから赤ちゃんが元気で産まれてくることができた。」

とのことだった。


しかし、前日までなんの異常もなかったのに

どうしていきなり高熱が出たのかなどの原因は結局わからなかったらしい。

最後は 「お産はなにが起こるかわからない。」 という言葉で締めくくられた。


その日の昼間にはベッドから起き上がって歩く練習が始まる。

まだ体を起こそうとした時点で激痛が走る

しかも点滴と尿の管が入ったままなので非常に動きづらい。


でも早く体を動かさないと血栓のできるリスクが高まるし、

床擦れもできてしまうので痛いだろうけど

今日は頑張ってと看護師さんたちに励まされる。

自分としても歩けるようにならないことには

子供に会えないと必死で手すりを掴み、立ち上がる。

2日間寝たきりだったので

足に力が入らない感じがして心もとないが、何とか歩けそうだ。


すると看護師さんが

「赤ちゃんにも早く会いたいだろうし

一度ベッドに戻ってしまうと立ち上がるのがしんどくなるから

もうこのまま授乳室にいきましょう。」 と言い出したため

尿の溜まった袋をぶら下げたまま授乳に向かうことになった。


点滴のバーを歩行器代わりにし、

腰をかがめ手すりを掴みながら少しずつヨロヨロと進む。

入院した病室は授乳室から一番遠く、道のりが果てしなく感じる。


歯を食いしばり歩き続け、ようやく授乳室へとたどり着き室内に入る。

中では数人のお母さんたちが授乳をしていた。

自分は尿の袋をぶら下げたままの上に

頭は鳥の巣のようにボサボサ、しかも3日も風呂に入ってないので臭いという

相当見苦しい状態だったので、

あまり他の人にこの姿を見られたくなかったが

この際そんなこと言ってられない。

せめてもの気遣いとして、他の人からは離れた所に座るようにする。


看護師さんに子供を連れてきてもらい

ようやく明るいところで子供の顔をしっかり見ることができた。

やはり自分には似ていないと思う。

抱いてみるととても小さくてふにゃふにゃしている。

ちょっとしたことでポキッと骨が折れたり、死んでしまいそうだ。

こんなのを本当に育てていけるのだろうかと一抹の不安を覚える。


入院しているうちになるべく多くのことを

助産師さんから学んでおかねばと強く思う。

何しろ抱っこの仕方から、オムツの替え方まで一切わかっていないのだ。

しかも他の人よりも学ぶスタートが2日遅れている。

このままの状態で退院したら

家に帰ったとたん確実に大混乱に陥るだろう。


戻ってくる時が一番危ない。

気がつくと病室にいた。

まだ麻酔は効いているはずなのにひどく体が痛む。


近くのイスに配偶者が座っていた。

赤ちゃんがどんな様子だったのかを訪ねる。

「子供は元気だった、顔は自分とそっくりだった。」 と答える。


まだ自分は顔すら見ていないし、抱いてもいない。

早く子供に会いたくて仕方ない。

やってきた看護師さんに 「子供に会わせて欲しい。」 とお願いする。

しかし待てど暮らせど子供を連れてきてもらえない。

そのうちに面会時間が終わり、配偶者は帰ってしまった。


1人になると不安が襲う。

『今日はもう子供に合わせてもらえないのだろうか…。』 などと考えていると

夜遅くにやっと子供を連れてきてもらって抱かせてもらった。

部屋が暗くてハッキリとは見えなかったけど、

目を閉じて眠っているようだった。

確かに配偶者によく似ている、というか全然自分に似てない。

『確かに自分が産んだんだけどなぁ…。』 と思っているうちに

看護師さんが戻ってきて、子供は新生児室へと連れて行かれてしまった。


仕方がないのでもう寝ようと思ったが、痛くて全然眠れない。

知らなかったのだがお産の後には後陣痛というものがあり

個人差はあるが痛みを感じるとのこと。

帝王切開の人は子宮収縮剤を投与するので

痛みを強く感じる傾向にあるらしい。

不運なことに自分はこの後陣痛が強いタイプだったようで

痛み止めを点滴してもらっても

丸2日間は眠れないくらい地獄のように痛かった。


しかも次の日になっても子供に会うことができない。

帝王切開の人は産後2日間は新生児室で赤ちゃんを預かり

母子同室はできないという病院のルールがあって

ベッドから一歩も動くことができない自分は

もちろん新生児室にも授乳室にも行くことができず

出産当日の夜に10分くらい抱かせてもらった以外は

2日間子供の顔すら見ることができなかった。

(後で聞いたのだが、この週は連休でスタッフが少ないのに

分娩が立て込んでおり、動くことすらできず

子供の世話ができない自分には子供に会わせるしても

看護師さんが最低1人付きっきりにならないといけないので

可哀想だけど会わせることがとても対応できる状況になかったらしい。)


自分と同室の人たちが看護師さんに授乳へ呼ばれたり

赤ちゃんを連れてきて一緒に過ごしたり

自由に子供と会ってるのを見ているのは羨ましくて辛かった。

一刻も早く子供に会いに行きたいが

体の痛みがひどくベッドから起き上がることすらできない。

不甲斐なさや、こんな体で子供を育てることができるのかという不安

痛みはいつ良くなるのかという焦りなど

いろんな感情が溢れてきて辛くて1人になると泣いていた。


帝王切開が楽だなんていう人がいるようだけど

全然そんなことなかった。

あんなに痛い思いをしたことなかったし、

食事はともかく水分が取れないのも地味に辛い、

何より子供に会えなかったことが本当に辛かった。


1人の時はずっと 『今どうしてるのかな、元気でいるのかな、

寂しくないかな、泣いてないかな。』 と考えていた。

自分がいつまでも痛みに勝てないせいで

子供を1人にしていると思うと堪らなかった。


もう二度とこんな経験はしたくない。

しかし、もし次回妊娠することがあったら帝王切開にするよう

先生から強く進められてしまった、絶望だ。

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