経済も教育もダメにする競争力強化の猪瀬直樹都副知事vs人にやさしい東京をつくる宇都宮けんじさん | すくらむ

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 昨日、猪瀬直樹都副知事が東京都知事選(11月29日公示、12月16日投票)への出馬を表明しました。それで猪瀬氏のツイートを見てみると、下の画像のツイートが目にとまりました。


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 猪瀬氏自身のツイートで、「東京が成長の推進力として日本を支える」と書き、リツイートで橋下徹大阪市長の「経済成長で最も重要なのは、競争力強化。徹底した競争政策。人間は誰もが楽をしたがる。競争などしたくない。(中略)競争政策こそ成長の源泉」という主張を拡散していました。これは猪瀬氏自身も同じ意見だからこそリツイートしたものでしょう。


 ちなみに猪瀬氏は、「東京は24時間都市に生まれ変わって国際競争力を高めよ」という日経BPnetの記事 の中で「東京を活性化するときの視点は、「時間インフラ」の整備だ。東京は、いまだに真の意味での24時間都市にはなっていない。地下鉄は終夜運転をしないし、羽田空港も夜中には機能を停止する。世界経済は24時間ノンストップで動いているのに、これでは太刀打ちできない。」とも書いています。


 また、ウィキペディアによると猪瀬氏は、「2005年に行われた政府税制調査会における所得控除議論のなかで、何もせず、子供も産まない専業主婦が多くなっているとし、そのような人を「ごろごろしている主婦」「パラサイトワイフ」「変な生命力のない人たち」などと評した。また、そのような人が淘汰され、前向きな人が支援されるような「政策誘導的なもの」が必要になっているとの意見を展開した。」とあり、石原慎太郎前都知事の後継者だけあって典型的な女性蔑視と上から目線を持つ自己責任論者です。そもそも猪瀬氏は小泉内閣時代から構造改革を進める様々な委員なども歴任し、とりわけ派遣労働者から強奪する竹中平蔵氏の「改革利権」 を絶賛してきたことでも有名です。(※例えば自らのサイトで竹中平蔵氏にエールをおくっています。→
http://www.inose.gr.jp/news/post1680/  )


 この猪瀬氏と橋下氏の「経済成長で最も重要なのは競争力強化」という主張は、小泉構造改革からずっと強調され強力に推進されてきた経済政策です。この経済政策によって、以前エントリーした「大企業の国際競争力強化が経済・財政悪化と貧困化の悪循環生む」 という結果に終わっているのが現在です。


 そして、「人にやさしい東京をつくる会」から都知事選への出馬を表明している宇都宮けんじさん(前日弁連会長、反貧困ネットワーク代表) は、こうした経済政策に関して次のように指摘しています。


 最低賃金の大幅引き上げが必要です。少なくとも東京都は生活保護水準以上に最低賃金を引き上げなければいけません。


 それから、いま日弁連の貧困問題対策本部などもキャンペーンをやっていますが、「公契約条例」が必要です。公共事業で下請けに出す場合に入札をすると、1円でも安いところになり、そこで働く労働者の賃金が切り下げられることになります。ですから、入札するところは最低賃金をきちんと上回る業者しか入札させないようにすることなどが必要です。


 公契約条例は本当は国レベルでもやるべきですが、東京都が率先してやることによって労働者の賃金を引き上げ改善していく流れが広がっていきます。じつはこういうした最低賃金の大幅引き上げや公契約条例、そして福祉の充実というのは、内需を拡大して日本の経済を良くする重要な政策なんです。


 どんどん、どんどん、格差と貧困を広げれば広げるほど、内需が細ってデフレ経済が進行してしまいますから、むしろ、本当に生活が苦しい人の底上げをやることこそが経済の活性化につながると思っています。(11月14日に開催された「東京を変えるキックオフ集会」での宇都宮けんじさん のスピーチから)


 それから、「人間は誰もが楽をしたがる」から「徹底した競争政策」が「最も重要」とする考え方は、経済政策だけでなく、猪瀬氏や橋下氏の人間の見方にも貫かれ、それが教育政策につながっていくものです。学力テストの市町村別結果を公表する必要性を強調している橋下氏の教育政策などにもそれは見て取れます。


 石原慎太郎前都知事から後継指名された猪瀬氏は昨日の出馬会見で、「国政で彼(石原氏)、僕が都政でやって、話はつきやすい」と石原氏との今後の連携も表明しています。猪瀬氏が引き継ぎ、今後も連携していくという石原都政の教育政策に対して、宇都宮けんじさん は、次のように指摘しています。


 見過ごすことができないのが教育現場の問題です。


 君が代・日の丸の強制によって、教師に対する管理統制が強化されています。君が代・日の丸の強制は憲法19条の「思想良心の自由」に反する憲法違反の行為です。私は、教員に対する強制、管理統制の強化は、子どもにも悪影響を与えていると考えています。じつは一番の被害者は子どもではないかと考えています。自由に自分の頭でものを考え、そして議論し、そして合意を作り上げていく。こういう民主主義社会の後継者をつくることが、教育の最大の役割です。しかし、このことが管理統制が強化されている現状では困難になっています。


 その上に、学力競争をあおって、子どもの中でストレスがたまっています。こういうことから、いじめや校内暴力、不登校などの問題が起こっているのではないかと思っています。私は、いじめの無い学校を取り戻すために、全力をあげたいと思います。(11月14日に開催された「東京を変えるキックオフ集会」での宇都宮けんじさん のスピーチから)


 猪瀬氏や橋下氏に共通する「人間は誰もが楽をしたがる」から「徹底した競争政策」が「最も重要」とする考え方が、じつは、子どもの学力も幸せも奪っていることを指摘した以前紹介したエントリー「競争が子どもの学力と幸せ奪う - テストやめ学力世界一のフィンランド、競争で学力低下させる日本」 を最後に紹介しておきます。


 自己責任社会での競争原理に基づく日本の教育は、何よりも競争を優先することによる「教育の質の低下」とともに、貧困の世代間連鎖をもたらす「子どもの貧困」もプラスされ、子どもたちを「傷つけ」て「不安」に陥れ、子どもたちから「確かな学力」も「生きる力」も奪い去ってしまいます。自己責任と競争原理に基づく日本の教育が、子どもや若者の「荒れ」「非行」「暴力」、そして、「いじめ」「不登校」「高校中退」「社会的ひきこもり」「自殺」など様々な問題を引き起こしているのです。


 また、「確かな学力」の問題についても、フィンランドが「学力世界一」となるなか、日本の「学力低下」が顕著となってきています。


 こうした子どもたちをめぐる現実が、自己責任社会における競争原理に基づく教育ではなく、無償の教育・福祉・医療をベースにした、人々の暮らしと子どもの生存・成長を支え合う福祉社会の原理に基づく「共同の教育」こそが、子どもたちの豊かな成長と「確かな学力」を育てることを示しているのです。


 フィンランドの教育の大事なポイントは、①すべての子どもに対して平等に高い質の教育を保障する、②競争ではなく共同の教育を保障する、③国家による上からの統制ではなく、子ども・教師・親・地域住民の参加によって学校をつくる、ことが貫かれていることです。


 以下、フィンランドの教育の主な特徴をあげると――


 ◆子どもが生まれると、国から母親全員にベビー服や布団、哺乳びんや絵本などのセットが届き、17歳までの子ども全員に月1万3千円が支給される。


 ◆高校や大学はもちろん大学院や専門学校を含めすべての教育段階が無償である。


 ◆授業料が無料というだけでなく、子どもたちには通学手段、食事(給食)、教科書や学用品が無償で提供される。さらに、校医・学校看護婦・学校ソーシャルワーカー・学校心理士・生徒カウンセラー等のサービスを無償で必要に応じて受けることができる。フィンランドの基本は「生徒の必要に応じて無償サービスを受けることができる」ということ。


 ◆大学生などには月数万円の返済不要の奨学金が支給され、貧富の差なく教育が受けられる。


 ◆労働者に残業はほとんどなく、夕方5時には家族そろって親と子どもがゆっくりすごせる。


 ◆夏休みは2カ月あり、宿題もない。


 ◆授業時間数はOECD加盟34カ国の中で最も少ない。


 ◆ひとつの学級は24人以下の少人数で、実際には20人以下の学級が多い。


 ◆「全国いっせい学力テスト」のような国レベルのテストはもとより、地域レベルでのテストも無い。フィンランド教育省は、「テストと序列付けを無くし、発達の視点に立った生徒評価」が重要と述べており、とりわけ「子ども期」における「競争による序列」を問題視し、小学6年生までは通知表も無い。


 ◆すべての子どもがわかるまでを基本に、結果平等の教育が徹底され、学習に困難が生じている子どもに対しては、即座に特別支援教育によるケアが実施される。とりわけ、低学年時を重視し、学習のつまずきの早期発見によって、学習困難の子どもの問題発生を最小限に抑えている。


 ◆イギリスやドイツなどがフィンランドの「学力世界一」に衝撃を受けたのは、エリート教育に力を注ぐイギリスやドイツよりもフィンランドの「学力上位層」の学力が上だったこと。


 ◆学校や家庭での体罰は厳しく禁止されている。


 ◆学校の運営機関に生徒代表が参加する。


 ――以上のように、フィンランドの教育の特徴を見ていくと、日本の現状がほとんどの場合、フィンランドとはまったく逆の教育になっていることがわかります。


 フィンランドの憲法には第16条に、「すべてのもの――フィンランド国籍であるかどうかにかかわらず――は無償の教育を受ける権利を持つ。国および地方教育当局は法律に則って、すべてのものが義務教育だけでなく能力と必要に応じた教育を平等に受けられる機会を保障し、経済的状況を問わず自己を発達させる機会を保障しなければならない。科学、芸術、高等教育の自由は保障されなければならない」と明記されていて、まさに憲法どおりの教育実践がめざされているのです。


 フィンランドの大人は――子どもの親でさえも――子どもに対して「一番になれ」とか「他者より少しでも抜きん出よ」といった類の発言はしませんし、そうした思いも持っていません。


 子どもたちは、一人ひとり違う個性を持っています。ですから、子どもたち一人ひとりの夢や希望も違いますし、将来やりたいことも違います。フィンランドの子どもたちも大人たちも、他者とテストの点数をくらべることなどには意味が無いことを知っていて、自分のやりたいことへ向かって努力することが大事だと思っています。


 フィンランドの子どもたちは、今の自分を過去の自分とくらべて評価します。フィンランドの子どもたちは、まったく異なった人間である他者と自分をくらべることは愚かなことだと思っているのです。


(byノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)