2009-10-12 09:59:06

企業に捨てられたら人生おしまい -日本社会の岩盤なくし「NOと言える労働者」へ

テーマ:ワーキングプア・貧困問題

 10月10日夜に開かれたシンポジウム「考えよう、若者の雇用と未来~消費される青年労働者の実態」(氷河期世代ユニオン主催、市民社会フォーラム共催)に参加しました。シンポジストは、作家で反貧困ネットワーク副代表の雨宮処凛さん、首都圏青年ユニオン書記長の河添誠さん、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さん、東京大学教授の本田由紀さんの4人。このメンバーがそろっての2時間は、あっという間で、もっともっと聞きたいことがたくさんあるのに残念っ!という感じでした。今回は、湯浅さんが発言された「日本社会の岩盤」についての要旨を以下紹介します。(byノックオン)


 昨年秋からの「派遣切り」などで、「日本社会がもたなくなってきている」「持続できなくなってきている」危険な状況にさしかかっているとの認識が「年越し派遣村」なども通じて、多くの人の認識に広く浸透してきたと思います。


 大きく見ると、60年代後半以降の社会運動というのは、「アイデンティティー立脚型」の運動だったと思うんですね。私自身も1995年に、野宿の運動を始めたときはそういうふうに思っていました。野宿問題における「野宿者性」「野宿者のアイデンティティー」にこだわって運動を進めようとしていたわけです。「野宿者のアイデンティティー」がまるごと排除されているという問題意識で運動を進めていたのです。そうした社会運動のキーワードは、おそらく「反差別」だったと思うんですね。


 ところが、そうやっているうちに、日本社会全体として「階層分化」「格差社会化」、とりわけ「貧困」が広がって、それぞれの分野の中で、たとえば、障害者の少なくない部分が貧困化していくとか、女性の貧困化が進むとか、一般世帯含めて貧困化していく状態が広がっていったわけです。


 いわば「排除」「差別」というのは、「内と外」の概念です。貧困化していくというのは「上下」の概念がさらに重なり合って、「外」に「排除」された上に、「下」の領域に落とし込まれ、その「貧困の領域」がこの間どんどん広がってきてしまったのです。


 そこで、反貧困ネットワークは、従来の「アイデンティティー立脚型」の各分野の運動に横串(よこぐし)を入れて、いろんな分野をつなげて、横断的に貧困問題に取り組むという、これまでとは、ちょっと違った社会運動のステージを刻んでいくということになると思っています。


 この間の反貧困運動の中で、「貧困問題がタブーじゃなくなった」という意味での功績は大きいと思っています。この間の様々な運動によって、言ってみれば、「日本社会が正しい自画像を持ち始めている」ということだと思います。従来の日本社会は、「貧困があっても貧困だと思っていなかった」、あるいは、長らく続いた自民党を中心とする日本政府は、「貧困があっても貧困の存在を認めようとしなかった」のです。これは、「日本社会の自己誤認」だったわけです。


 「貧困があることをあると認めよう」というふうに、「日本社会の正しい自画像を持ち始めている」というのが今の段階で、一つの区切りとして、感慨深いものがあるのは、先週、長妻厚生労働大臣が「貧困率の測定」を行い、日本政府として公認の貧困率の数字を確認することを決めたことです。これまでの日本政府は、「貧困は存在しない」「貧困はあっても見ない」という態度をずっと続けていたわけですから、これは大きな転換です。


 今後は、その貧困率をどうやって減らして行くのか、貧困率を減らして行く国のあり方というのは、どういう形なのか、貧困率を減らす経済や企業のあり方はどうあるべきか、貧困率を減らして行く社会保障や税制はどうあるべきなのかが問われることになります。そこに私たちの運動がコミットしていくことが求められていきます。


 この間、「貧困は本人のせい」という「自己責任論」は、一定静まって、社会の責任としてどうしていくのかが問われるようになってきました。でも、依然として突破できず、大きく立ちふさがるのが「とにかく企業最優先」という考え方です。私はこうした強烈な考え方を、「日本社会の岩盤」というふうに言っています。とにかく企業が成長すれば人々の暮らしもよくなるというトリクルダウン=企業利益がしたたり落ちていって国民の生活を潤すという考え方が日本社会は強いわけですね。


 ところが、実態をきちんと見ると、企業の成長と国民の暮らしの豊かさがリンクしないどころか相反しています。人々の生活をきつくすることで、企業が成長していくというのがずっと続いていて、とにかく企業が成長しないとどうにもならない、そのためには個々人の生活が犠牲になっても、みんな我慢しなくちゃならないという理屈がまかり通ってしまう。こうした「とにかく企業最優先」という日本社会の「岩盤」は強固です。


 「NOと言える労働者」というのは、例えば「きょうは残業しないで帰ります」と言えるということですね。それがなかなか言えない、多くが「NOと言えない労働者」にされていて、これが「企業支配社会」「企業一元社会」「企業中心社会」などと表現される日本社会の状況です。それは別に今の若者だけに限らないし、今だけの話でもありません。昔の正規労働者もNOと言えたのかといえば、相対的には今よりNOと言えたかも知れませんが、基本的には「NOと言えない労働者」だったわけです。


 日本の企業というのは、サービス残業を折り込み済みで労働者を働かせて、それに対して企業内の福利厚生で見返りをするみたいな日本型モデルだったわけです。たとえば、時給1,000円の人が1時間残業したら、法定上は1,250円になるわけで、サービス残業はようは1,250円のお金を労働者から社長が泥棒する、かすめ盗るということです。しかし、日本の職場全体がやってることなので、サービス残業を1時間やっても違和感がないわけです。だけど、社長が「ちょっといま会社の経営苦しいから」などと言ってつかつかとやってきて、社員の財布から1,250円抜いたら、みんな「社長何するんですか」と騒ぐと思うのです。実際にやられてることは同じなんですが、財布から1,250円抜かれたら大騒ぎする人も、サービス残業で残業代をかすめ盗られても別に何とも思わないというか、みんなそうしてるからそんなもんだというぐらいに思っているのが日本の職場の現状です。それだけ「雇用の公正さ」「雇用のまともなルール」というのが、崩れている社会だと思うのです。圧倒的に企業経営側が力を持ち、労働者を支配してきたわけです。


 雇用の公正さが崩れているというと、依然はまともな雇用だったように聞こえますが、日本社会にはもともと「雇用の公正なルール」はありませんでした。そこからの転換というのが重要ですが、これだけ雇用が厳しくなってくると、たとえば新卒者や就職活動中の学生の間で、終身雇用を求める声が8割という結果が出てくる。それはなぜかというと、終身雇用に、現在の安定と将来の見通しを求め、現在の生活の安定と将来の生活の見通しを与えてくれるものは、「企業しかない」という大前提が動いていないということだと思うのです。


 だから、世の中が不安定になると、「企業がちゃんと抱えてくれる社会」が良かったなと思う。企業ではなく、「社会が現在の生活の安定と将来の生活の見通しを与える」ようになればいいなとは、どうしても思えない。そういう選択肢が浮かんで消えたというよりは、浮かんでも来ない。このことも私は「日本社会の岩盤」だと思っています。


 この「日本社会の岩盤」は、今回のリーマンショックなどで新自由主義が破綻したら無くなるようなものではなくて、戦後日本社会からずっと形づくられてきた「日本社会の岩盤」だと思います。


 この「日本社会の岩盤」が、ずっとこのままだと、状況が厳しくなればなるほど、みんな「NOと言えない労働者」になっていってしまう。


 ようするに、「企業に見捨てられたら人生おしまいだ」「働くことは生きること」「仕事がなくなることは人間性を失うこと」という理屈が一貫している限り、「NOと言えない労働者」になってしまう。だから竹中平蔵さんのような方に、足元を見られて、「失業がこの程度で済んでいるのは、非正規労働を増やしたからだよ。労働者のみなさん、ありがたいと思いなさいよ」などと言われて反論ができなくなるのです。


 「生活できない非正規労働」だったら、「生活できる失業」の方がいいと反論する必要があるのだけど、反論しないんですね。そんなこと言うと「お前は働く気がないのか」と叩かれるからです。そこが「絶対的な是」となっていて、それ以外の生き方が認められない。そうすると、賃金を上げたり、労働者の権利を向上させると、企業は海外に逃げちゃうよとか、会社ごとつぶれちゃうよとか、「企業あっての人生だよ」ということになってきて、みんな「NOと言えない労働者」にされ、企業側、経営者側からはいつまでたっても足元を見られることになり、「貧困スパイラル」 を止めることができなくなるのです。


 以上が、10月10日のシンポジウムでの「日本社会の岩盤」に関わっての湯浅誠さんの発言要旨ですが、あわせて過去エントリー「派遣労働なくすのがグローバルスタンダード」 に対して、「派遣労働者は好きでやっているんだからいいんだ」という趣旨のコメントが寄せられていますので、雑誌『経済セミナー』(09年6.7月号、日本評論社)の「労働問題の本質とは~仕事と人格の結びつきを解く」の中で、湯浅さんが語っている一節を最後に紹介します。


 湯浅 野宿の人たちは、「俺はこれでいいんだ」、「俺はこういう暮らしが性に合っているんだ」と言い、派遣の人は「これは自分が選んだんだ」と言うわけです。それは、決して本心を偽っているわけではなく、そうでも思わないとやっていけないからで、そのときの本心なんです。「こんなはずじゃなかった」と、毎日考えていたらおかしくなってしまいますから、出口がなければないほど、そう考えるようになっていくんです。


 本当に不当な問いだと思いますが、昔よく「野宿は好きでやっているのか」と言われました。当時、野宿から脱却できるルートは一切ありませんでしたから、一度落ちたら、好きだろうが嫌いだろうが、そこにいるしかなかったわけです。そうすると、「好きでやっているのか」という答えようのない質問に、「これで俺はいいんだ」と言うしかなくて、結局「この人たちは好きでやっている」という話になってしまう。フリーターやニートも基本的には同じです。


 条件を変えていくしかなく、それを「もやい」 ではやっています。「この暮らしが性に合っている」と言っていた野宿者が、アパートに入るとそこで普通に生活していくわけです。条件が変われば、本心も変わるのです。物質的な条件が意識に影響を与えるのであって、それを主観的なレベルで、「好きでやっているのか」と、状況を変えずに問うても意味がないと思います。(湯浅誠さん談、雑誌『経済セミナー』09年6.7月号 8ページからの引用)

コメント

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1 ■無題

「企業に見捨てられたら人生おしまいだ」この根性は確かに終っているが、こう思わざるを得ないのが、「一旦正社員として入社したら安泰」だという背景があるからでは。
転職したら生涯収入が数千万円も下がってしまうような状況って、それこそ労働者の選択権を奪っているようなもんでしょ。
会社は、社員を家族のように愛する必要は無いし、社員の人生の面倒を見る必要も無いのです。
だから、必要が無くなったら使い捨てればいい。必要になったら、気軽に雇えばいい。
そういう状況になれば「企業に捨てられること」を恐れる必要なんてなくなります。
今の労働法は社員を家族のように大切にしなくてはいけないと言っているようなもんなので、大切に思っていなくても、仕方なく飼い続けるしかない。
必要なのは、企業が社員を過剰に保護しないことです。

2 ■無題

色々検索しておりまして、

経営者で検索していたらここにたどり着きました。

とても興味深い記事を書かれていますね。

私の友人ですが、こちらも面白い記事を書いているので、是非遊びに来てくださいね。

http://blog.livedoor.jp/yume2323/

3 ■無題

追記。
「派遣労働者は好きでやっているというのは、実はそうではなく、そう思い込まないとやりきれないからだ」という趣旨がありますが、これは本当に湯浅さんの弁なんでしょうか?
だとしたら少し見損ないました。
バカにしないでください。湯浅さんは、そこまで派遣労働者を上から目線で見る人ではなかったはずです。
私は、心の底から派遣労働者として働いていくことを望んでいる人間です。現状、日本で正社員として働くことは退職金など過剰な保護をエサに、会社に忠誠を誓うことを要求されるようなものなのです。これがイヤでイヤで仕方が無いから、私は派遣社員という働き方を選択しているに過ぎません。そんな人間が本当に無視できるほど少数派だとでも思っているのでしょうか。

4 ■上から目線という言葉の悪魔的性格について

 上から目線という言葉を使うことによって、それ以外の本当に必要な意見をちゃらにしてしまうことは、とてもばかげたことだと思います。

 上から目線というなら、派遣を心から愛しているのだ馬鹿にするなというその発言そのものが上から目線といえる。なにせ人を馬鹿にするなとののしっているのだから、あきらかに上から目線だ。対等の目線なら、馬鹿にしているのだと思われるのだけれど、いかがでしょうか?と疑問ふをつけて聞かなければなりますまい?

 今の社会の問題点は、もう明確なのだけれど、ひとりで六千億円もためこんで、まったく使わないような状態が、世界の大金持ちの間であり、その使わないお金のために経済が回らずに、貧困が拡大しているということです。何百兆円もの金額がたんすに眠っているのだから、何億という人間が餓死するのです。

 だから、その溜め込んでいるお金の一割でいいから人の命を救うためにはきだすべきだというのが、私はまっとうな人間の考えだと思うなー。

 そうしたほうが、また新しい競争が起きて、社会が活性化するかもしれないしょ。世界のトップが自分たちの全財産の半分ばかりを国連に使ってほしいと支払えば、数百兆ともいえるお金で新しい仕事ができるでしょう。そうすることを、要求できるようにならなくちゃ。おもしろくない。

5 ■無題

>何百兆円もの金額がたんすに眠っているのだから、何億という人間が餓死するのです。

実際には、そのお金が存在するのは銀行の中。
銀行預金から1割も現金を抜けば、銀行の信用創造力が毀損され、経済は破滅へ向かうでしょうね。
多額の金は銀行に貯金されているだけで役に立っているのです。

>国連に使ってほしいと支払えば
発展途上国の権力者が着服するだけでしょう。

6 ■無題

NOと言えない労働環境はどれくらい存在しているのですかね。
私にはほとんどないように思えますが。
 
「NOと言えない自分」や「NOと言わない自分」がいるだけなのではないですか?
NOと言えば失業する恐れがある、不当な扱いを受ける可能性がある。
だとしても言いたければNOと言えばいいだけであるし、NOと言っても受け入れられる自分にまで価値を高める努力が必要なのではないでしょうか?
もちろん、そればかりではないでしょうが。
 
企業側も労働者側もどちらが悪いということではなく、単に両方とも努力不足というだけだと思います。
 
私ならば仮に自分が経営者や上司であったとしても、もしくは単に同僚だとしても、周りの人が簡単にNOと言えるような労働環境では絶対に働きたくないと思います。
 
そんな企業として計画にブレが生じやすい危険な労働環境では自分のこの先の雇用も危ぶまれますから、一つの目的に向ってチームプレーをしている企業の一因としてその会社で働くことは大きなリスクになります。
当然、そういう観点を私自身も勤め先を選ぶ際の一つのファクターとしています。
 
「欧米では」とよくおっしゃいますが、日本と全く同じような派遣労働の実態やNOと言えない環境は普通に存在しますよ。
私はイギリスで正規雇用と派遣社員、フランスで派遣社員、ギリシャで正規雇用と派遣社員、スイスで派遣社員を経験しましたが、日本と全く変わらない実態でしたし、「すぐに切られる危険性」という意味では欧州のほうがもっとシビアでした。
 
さらに日本に帰国して、その日に働くか働かないかを選択できるようなシステムを体験し、日本は労働者天国だと思いました。
労働選択の自由が浸透しているので本人の自由意志が尊重されていていいなと感じました。
 

企業に切られたら終わり。
そんなに日本の労働者の価値は低いのですね。
一つから切られても他で欲しがってもらえる、もしくは自分で経済活動を起こせる。
そういう実力や価値が無い人が日本には考えられないくらい多いということですね。
 
企業側を批判する前に、労働者に価値を高める啓蒙活動をするほうが先のようですね。

7 ■湯浅誠氏に必要なのは来た道を引き返す勇気

湯浅誠氏の活動についてはその意思の美しさや動機については個人的には素晴らしいと思っているんだけど、自分の中の”かわいそうな派遣社員像”を他者に押し付けすぎのような印象を受ける。
たとえば学者を目指すも学者になれず、塾の講師に甘んじている人間が居るとする。
でもそんな人に、「この人は塾の講師の仕事に誇りを持っていると言っているけど、本当は学者を志して失敗したからその惨めさを払拭するために"塾の講師という道で青少年の学業を導く"という看板を背負ってだましだまし生きているんだ」などとは、たとえ真実でも言わないだろう。
そう考えると日雇いなどで働くことに納得している人に対して、メチャクチャ失礼なことを言っていると思う。
そこまで人の"生き様"におせっかいを焼く資格が、果たして湯浅誠氏と言えどもあるのか疑問。

繰り返すが俺は湯浅誠氏のことは偉い人だと思う。だけど、"派遣切り問題をなんとかしたい"という気持ちを派遣村の設営というエネルギーに費やすのはもったいない気がする。何万人も居る"かわいそうな"非正規雇用者のうち、対症療法的に微々たる人数を救っても意味がない。
おまけに、湯浅誠氏が手を組んでいる相手は労働組合側の人間も居たりする。これは事実だ(調べればわかる)。湯浅誠氏が嘆いているはずの就職難、失業問題の原因と言って差し支えない存在であるはずの労働組合を、氏は"仲間"と考えているフシがある。
彼らは、既存の労働者の雇用を守れというばかりか、賃金を上げろとまで言っている人間たちだ。そんな人に湯浅誠氏は何も思うところがないのだろうか不思議だ。
無論、"社会的名声"を得た湯浅氏にしてみれば、"派遣社員かわいそう"という看板は生きる上で大きなモチベーションになっているのだろう。だからおいそれと振り上げた拳をひっこめるわけにもいくまい。
だけど、それでも言いたい。湯浅誠氏には、間違いに気づいた時には潔く自分の行いを訂正する勇気、引き返す勇気を持ってほしい。

8 ■既得権益労働者ですが

湯浅さんとは会ったこともないですが、彼はずっと「正規・非正規を対立させて、正規を非正規に近づけて労働者間の均衡を図るのは、財界の思うツボ」ってことを言ってきたと思います。だから労働組合=敵じゃないですよね。いまだに「非正規切って給料上げろ」と主張する組合なら別ですが。「龍」さんのように「タンスに眠っているお金」を回るようにしていこう、そのために下支えになる社会制度を作ろうとアクションを起こしているんだと思います。(私見です)
HWですから私も仕事に誇りをもって働いてきた派遣の方と話す機会が当然あります。仕方なく派遣だった方もいます。かつて派遣スタッフは教育訓練を受けた「ブランド」社員でした。規制緩和で業者が乱立した結果、労働条件のダンピングが行われました。1人の労働者が生み出せる利益は今も昔も大して変わらないのに、2社で利益をあげようとするから、労働者の取り分が少なくなる。派遣会社の正社員の離職票を見てもそんなに給料高くないし、それ以上にサービス残業しているでしょう。結局、役員や配当のタンスにしまわれてしまったのでしょうか。そういう派遣制度の構造的部分にメスが入るのなら=労働の対価としてきちんと処遇されるのなら、派遣という働き方を誰も批判しないと思います。

9 ■Re:無題

>kituneさん

>湯浅さんは、そこまで派遣労働者を上から目線で見る人ではなかったはずです。

上から目線ってより内心小馬鹿にしてますよ
湯浅氏に限らずこういう支援活動家は

貧困ビジネスを批判しつつ
己はその対象 当事者たるワープアをネタに
メシを食ってるわけで

だからこそ逆に狡猾 悪辣なんですね

10 ■無題

>「正規・非正規を対立させて、正規を非正規に近づけて労働者間の均衡を図るのは、財界の思うツボ」

これは世間を知らない人たちがよく言う理屈だけど。

じゃあ、それで利益を得ている人って具体的には誰ですかね?
経営者?
ある程度以上の企業に勤めたことある人なら分かると思うけれども、たいていは社長の給与だって、中間管理職に毛の生えたようなものですよ。
役員報酬だって、苦しいところはみんなカットしてますし。
「配当削れ」とか「内部留保」取り崩せとか、無責任なことを言ってる人までいますけど、そんなことをしたら企業潰れますよ。
だから、散々言われているように、後は経営陣も含めた労働者間の分配の問題なんですよ。

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