解雇規制緩和でなく劣悪な仕事なくす社会保障が必要 - 福祉国家づくりと均等待遇こそ不可欠 | すくらむ

すくらむ

国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 「正社員と非正規社員の格差是正のため、正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要」と述べたのは、経済財政諮問会議の民間メンバーだった八代尚宏・国際基督教大学教授です。(※発言は、2006年12月18日に開催された内閣府の労働市場改革シンポジウムでのもの)


 この間、解雇規制に関するエントリーに対して、様々なコメントが寄せられています。いろいろな理屈がつけられてはいますが、「正社員の解雇規制を緩和せよ」という主張の本質を、ズバリひとことであらわしたのが、この八代尚弘氏の言葉です。


 「雇用の流動化」の美名のもと、正規雇用を非正規雇用に置き換え、ワーキングプアを量産して、史上空前の大もうけを上げてきたのは大企業です。史上最長となった「いざなみ景気」のとき、「実感なき景気回復」を庶民が味わった根本原因は、大企業による「富の独占」です。(※下のグラフ参照)


     ▼企業の経常利益・内部留保は史上最高額
      一方で労働者には貧困が広がる
       (1997~2007年、財務省、国税庁、総務省の統計から)

すくらむ-各種数字

すくらむ-グラフ


 そして、下のグラフのように、「いざなみ景気」のときに、ひたすら労働者への「パイの配分」は減らされてきたわけです。それは、とりわけ大企業において顕著になっているのです。


 ▼労働分配率の国際比較(IMF World Economic Outlook 2008 )

すくらむ-分配率項目
すくらむ-労働分配率


        ▼労働分配率(財務省「法人企業統計」より)

すくらむ-労働分配率


 この労働者への「パイの配分」を減らした大きな原因が、「雇用の流動化」「労働法制の規制緩和」です。


 過去エントリー「日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由」 で紹介したように、日本は「福祉国家不在」の「企業主義統合」です。「『福祉国家』ではない日本の労働者にとって、日本型雇用の長期雇用と年功型賃金が頼りであるのに、『構造改革』『新自由主義』はそこを破壊」してきたわけです。


 そこのところを少し詳しく紹介したのが、過去エントリー「ワーキングプア解消への福祉国家づくり」 です。


 貧困が急増した背景には、二つの問題がある。一つは、日本型雇用がほぼ破壊され、労働市場の巨大な転換がこの10年間で起きたこと。もう一つは、もともと日本の社会保障がたいへん弱い姿をしていたこと。ただ弱いだけではなく、勤労世帯を社会保障で支えるという構造がほとんどない特殊な形をしていた。ようするに日本では、賃金収入が下がればそのまま貧困世帯が増える構造になっている。こんな先進国は他にないのに、このボロボロのセーフティネットさえも構造改革で削り続けている。


 そして、年功賃金や新卒正規採用・長期雇用などを特徴とする日本型雇用の解体が、大きな転換点となった。2001年春、小泉内閣が登場し、不況下にもかかわらず、「不良債権処理」を打ち出し、巨大なリストラを強行。その結果、500人規模以上の大企業の労働者数が、2001年春から2002年春で125万人減った。全体で1000万人弱のところからたった1年間で125万人もの巨大リストラがやられた。2001年の6月以降の半年間で100万人減っているが、半年で100万人リストラされたのは日本では初めてのことだ。4年間で324万人がリストラされ、2004年春、財界は「企業収益が回復する条件をつくることに成功した」と勝利宣言を出し、実際に大企業の企業収益、役員報酬、株主配当は史上空前の水準となり、労働者の賃金は下がり続けた。


 しかし、大企業の労働組合はこれに抵抗せず、マスコミ、ジャーナリズムもこの問題を報道しなかった。ほとんど抵抗なく財界・大企業は、巨大リストラをなしえた。このことが今に続く「格差と貧困」の拡大を作り出した大きな原因になる。つまり、自分たちの思いどおりに“何でもできる”という感覚を日本の経営層は手に入れたといえる。これ以降、財界発の制度改悪や悪政は数え上げればきりがないほどだ。


 今後、日本型雇用が元に戻ることはありえない。となるとこれから先、何をすべきか。一つは労働組合運動を根本的に変えないとどうにもならない。今は残念ながら資本独裁、経営者独裁といえるような状況だ。労働組合がきちんと労資関係で規制する労働市場に変えていくことと、同時に福祉国家を本気で追求することが大切だ。


 日本型雇用が解体し、現在の企業別労働組合では規制できない弱肉強食の野蛮な19世紀型の労働市場が今の日本に出現したといえる。それをただし、規制するのはやはり労働組合しかない。いまの企業別労働組合を産業別労働組合につくりかえ、これまでの日本型雇用と年功賃金を前提とした企業内の賃金・雇用の運動から完全に脱却し、福祉国家づくりをめざす必要がある。


 格差と貧困の拡大、ワーキングプアの増大は、企業によって与えられていた家族手当を国による児童手当に、住宅手当を国の住宅政策の充実に、企業年金を国の年金制度の充実に、といった企業から国家への転換の必要性が大きな世論になりうることを示している。


 すべての労働組合は、新自由主義による教育・医療・社会保障・社会政策の構造的な改悪に反対しつつ、あるべき国の姿として福祉国家を労働組合戦略として掲げる必要がある。


 かみくだいて言うと、過去エントリー「ニート・非正規・周辺的正社員 - 若者が生きられない日本社会、生産性低下の悪循環へ」 で紹介したように、「今までは企業福祉、たとえば、年功型賃金にあるように、企業がかなり従業員の生活を家族ぐるみで抱える形でやってきました。その上で、家族がなんとか支え合うというか、抱え合ってきた。企業の正社員の賃金は、働いている人一人の賃金じゃなく、家族全体を支えるための賃金だったわけです。そういう意味で考えると、一家の生活が丸ごと依存していた。これで、メインストリームの人たちはある程度やってこれちゃったわけです」


 そして、過去エントリー「正社員の既得権益を奪えば世の中ハッピーになるのか?」 の中では次の湯浅誠さんの話を紹介しています。


 基本的に正社員も非正社員も均等待遇にするというのは、もちろん最終的な目標としていいのですが、住宅・教育・医療・社会保障の今の状態で企業側が主張する形のワークシェアリングをやると、たんにみんなが食えなくなるだけですね。なぜかと言うと、家計の支出カーブが日本では山型を描いています。そのことを考えないで、たんに正社員の賃金カーブが山型で非正規がフラットだから間を取ればいいんだという話になると、結局両方とも食えなくなります。子育てができなくなる、子どもに教育を与えられなくなる、ということになりますね。


 ヨーロッパで、ある程度職能型で、賃金カーブがフラットでもやれているのは、家計の支出がフラットだからです。児童手当がたくさん出る、大学はタダで行ける、住宅も安く提供されている。家計負担がどんどん増えていかないからです。


 竹中平蔵さんがよく言っている「雇用を流動化したから失業がこの程度ですんでいるんだ」という理屈も同じで、あれは「失業より非正規労働のほうがましなんだ」という大前提で語られています。「では、食える失業と食えない非正規労働だったらどっちがいいんだ?」ということも本当は問われていい。だって、食えないことが問題なんですから。しかし、そういう話は出てこなくて、「労働があればありがたい。あればいいんだ。労働の質は問題ではない」というような、生活が出てこない労働論みたいなものが強すぎると思うんですね。生きている実態を無視している。


 また、過去エントリー「劣悪な仕事をなくす社会保障」 では、次の専修大学・唐鎌直義教授の話を紹介しています。


 いまヨーロッパ諸国における社会保障の課題は若者の問題だ。フランスでは1988年に25歳未満が対象の生活給付制度ができている。どうやって劣悪な雇用に若者が組み込まれないようにするのかが、ヨーロッパ諸国の社会保障の課題となっている。


 もしも社会保障で生活ができることになれば、劣悪な労働条件の仕事につきたいと思う人はいなくなるのではないか。いまの日本は、どんな悪い労働条件でも働く人はいるということで、企業が優位に立って労働条件をどこまでも切り下げている。雨宮さんが告発している製造業派遣にしても、どんな非人間的な扱いをしても企業にとってみれば需要と供給があるということで労働者使い捨てが公然とされていく。


 (※雨宮処凛さん談:若者の生存そのものがマーケットのターゲットにされている。派遣会社フルキャストの登録カードには、サラ金のカード機能がついてくる)


 そうしたひどい状況に歯止めをかけるために、労働条件がひどければ働かないという選択肢を若者に保障する必要がある。ヨーロッパ諸国の職業安定所は、劣悪な労働条件の仕事を労働者に紹介しないようにきちんとチェックして、問題があれば企業側につきかえし改善させていくという機能も果たしている。若者に劣悪な仕事をさせないために、若者が社会保障で生活するという選択肢をつくり、ただし、まともな仕事をきちんとすれば給料はもらえるという仕組みをつくっている。


 こうしたことのためには、「失業者という社会的地位の承認」が必要だ。失業者という地位を社会的に認め、失業していたら、次のきちんとした仕事が見つかるまで社会的に所得保障していく。これがヨーロッパの基本的な考え方だ。完全就労と失業者の間に、不安定な雇用、劣悪な雇用を許すと、労働者全体の労働条件が切り下げられることになる。不安定な雇用、劣悪な雇用を許さない社会をつくることは、すべての労働者・国民の課題だ。


 日本では、貧困は自己責任とされ、社会がカバーできるのに対策をとらないところに大きな問題がある。貧困は自己責任でも、個人的な問題でもなく、社会に原因があるという認識の発展が社会保障発展の大きな糸口でもある。高齢者も若者も日本の社会保障の後進性の犠牲者といえる。


 それから、『週刊朝日緊急増刊・朝日ジャーナル』(2009年4月刊)掲載の東大・本田由紀教授による「見殺しにしつつ自らの首を絞める『正』と『非正』のパラドキシカルな関係」から一部を紹介します。


 「日本的雇用」そのものが、牧歌的とは程遠い苛烈な性格を色濃く持っていたことを、しっかりと頭に刻み込むべきだ。企業にしかすがるものがないという状態は、すがりうる正社員にとっては企業が生殺与奪の力を握ることを意味し、すがれない非正社員にとっては真空に放り出されることを意味する。「いざとなれば企業にすがらないでも生きてゆきうる余地」を正社員・非正社員のいずれにとっても増大させることによってのみ、働く者は働き方の選択や雇う側に対抗する力を手にしうる。非正社員を「餓死への恐怖」から解放すること、そして正社員を「餓死への恐怖に陥ることへの恐怖」から解放することが不可欠なのだ。


 その「いざとなれば企業にすがらないでも生きてゆきうる余地」の中核をなすのは、住居・教育訓練・医療など生活にとっての最も基礎的な土台が、雇用状態のいかんを問わず普遍的に、低廉な個別負担により供給されることである。


 地域単位や特定の産業分野単位で、自治体・教育訓練機関・労働組合・企業などの諸主体の連携のもとに、個人が教育訓練を通じて取得した具体的な能力を正当に評価し雇用や処遇に反映させる「キャリアの梯子」を、地道に組み立ててゆく必要がある。


 また、企業以外に所属・帰属する場・集団・組織を個人が持てることも重要だ。たとえば、個々の企業を横断し、かつ非正社員と正社員の区分をも横断する、産業別ないし職種別の労働組合や、相互支援的なNPOなどである。そうした集団性なくして、働く者が雇う側との間に力の均衡を保つことが不可能であるのはいうまでもない。


 規制緩和・自由化・流動化論者はしばしば、働く者を守るためのこうした「余地」や所属する場を鍛えることなく、すがりつく正社員の手を振り払って企業にさらなる自由を与えようとする。そのあとに残るのはただ恐怖ばかりだ。またここでの主張は、企業の放恣を容認し、その結果として生み出される害悪や悲惨を、すべて社会福祉によって補おうとすることでもない。企業の放恣を抑制し、適正な雇用と働き方をつくり出す責任をきちんと果たさせるために、働く者にとっての恐怖を薄くし、交渉のための力を得てもらうことの必要を述べているのだ。(※引用はここまで)


 本田由紀教授が指摘するように、「集団性なくして、働く者が雇う側との間に力の均衡を保つことが不可能」です。フレキシキュリティを導入しているデンマークやオランダなどにおいても、強力な労働組合が、働くものを差別させない均等待遇の確保と、失業しても誰でもやりお直しがきくセーフティーネットを、セットでサポートしているのです。


 それと、コメントで、正規が非正規に犠牲を一方的におしつけて、正規は解雇も賃下げもないのはけしからん、正規の解雇規制を緩和して非正規と平等にせよという趣旨の意見が寄せられています。


 先日のエントリー「日本はすでに解雇規制が弱い国(30カ国中7位)、1位のアメリカめざした経済財政諮問会議は消滅」 の中で、下のグラフを紹介しました。日本の正社員の解雇規制は、フランス、ドイツ、オランダ、スウェーデンよりも弱いのです。それもそのはずで、ヨーロッパには解雇を規制する法律がきちんとありますが、日本には存在していないのです。日本の場合、大企業の正社員が不当解雇されても、それをただすには、裁判でたたかい勝つ以外にありませんが、その裁判でさえも最近はあやしくなってきているのが現状です。


 ▼日本はOECD30カ国の中で7番目に雇用保護規制が弱い国
  正社員の解雇規制だけを見ても弱い
  (内閣府「経済財政白書」2009年)

すくらむ-解雇規制


 直近の大企業の正社員の実態を見ても、過去エントリー「大失業・減給危機 - 巧妙で悪質なリストラの手口、吹き荒れる企業の横暴、第2のロスジェネ生み出す」 で紹介したように、大企業の「正社員解雇」が横行しています。


 また、直近1カ月の新聞報道をひろってみても、以下のように、正社員の解雇が問題になっています。


 共同通信(8月28日付)は、「『子供に何と言えば…』正社員からも悲痛な声」と題した以下の記事を配信しています。


 雇用情勢の悪化に歯止めがかからない。28日発表の7月の完全失業率は過去最悪の5.5%を超え、5.7%になった。最近は非正規労働者ばかりでなく正社員の失職も相次ぐ。「子供に説明できない」「ローンが払えない」。強引なリストラで退職に追い込まれた人から悲痛な声が上がっている。


 東京都内の外資系コンピューター機器メーカーで営業職をしていた男性(40)は昨年10月、上司から「水増しでもして売り上げを上げろ」とプレッシャーをかけられた。業績不振を理由に仲間2人が退職に追い込まれたばかり。上司は「彼らみたいになりたくなければ」と付け加えた。


 製品の販売をあらかじめ見込んだ売り上げの水増しは約10年前から続いており、業務命令に従った。6月中旬、「不正を行った」との理由で懲戒解雇。ほかに10人以上が水増しに関与したとして退職させられたという。男性は「上司に逆らえなかった。懲戒に名を借りたリストラだ」と憤る。


 小学2年と4年の息子たちの教育費や住宅ローンが重くのしかかる。「子供の手前、日中は家にいられない。今後どうすればいいか」


 都内の情報技術(IT)系企業で管理職をしていた40代の女性は3月、社長から経営悪化を理由に年俸の6割カットを言い渡された。950万円から360万円への激減。「理不尽だ」と抗議したが、「わめこうが、どこに駆け込もうが、納得できなければ解雇だ」と二者択一を迫られ、泣く泣く減収にサインした。


 7月中旬には「5日後に解雇する」とのメールが突然届く。会社から貸与された携帯電話やパソコンを返すことも付記されていた。会社員の夫と2人暮らし。「マンションのローンが払えない」と途方に暮れた。


 だが今度は簡単に応じるつもりはない。「納得できない」。個人加入の労組に加入し解雇撤回を求めている。(※共同通信からの引用はここまで)


 「読売新聞」(山形県版、9月19日付)は次のように報道しています。


 山形労働局がまとめた2008年度の県内労働相談状況によると、相談総件数は9,787件(前年度比20%増)となり、統計のある1995年度以降で最多となった。(中略)個別労働紛争では、「解雇」に関する相談が最多の430件で、次いで「いじめ・嫌がらせ」が302件、「賃金、退職金等の引き下げ」が235件など。相談者の内訳をみると(中略)労働者のうち43%は正社員で、パート・アルバイトは17%、期間契約社員8%、派遣社員6%。相談内容は、不況を反映して厳しいものが多く、「正社員として働いていたが不況による生産調整に伴い解雇を言い渡された」といったケースが目立った。(※読売新聞からの引用はここまで)


 「産経新聞」(9月11日付)は次の記事を掲載しています。


 6月の「全国一斉労働トラブル110番」で、派遣切りを含む解雇・雇い止め・退職をめぐる相談が26.2%を占め、最も多かったことが分かった。全国青年司法書士協議会(新宿区)が全国24会場で実施。相談は388件で、解雇・雇い止めなどのほか、賃金切り下げや配置転換など労働条件をめぐるトラブルが24.7%、賃金未払い・サービス残業など賃金問題21.1%となった。相談者は、男性が3分の2。雇用形態別では正社員が33.0%、派遣社員13.1%、パート・アルバイト12.6%など。相談の中には「40歳以上の正社員を基準に整理解雇された」など深刻なものも多かった。(※産経新聞からの引用はここまで)


 以上、見てきたように、そもそも「正社員の解雇規制が強い」などという言説自体が事実と違うのです。ですから、「解雇規制緩和論」の前提自体が成り立っていないのです。過去エントリーで紹介したように、いま必要なことは、「非正規から正規へ賃金を2倍に上げると海外に逃げる企業を日本国内に押しとどめ不況脱出なる」 ということです。


 雇用問題を改善していくためには、正規労働者の解雇規制を緩和することなどでなく、無権利な非正規労働者の労働条件を、正規労働者並みに引き上げることこそが必要なのです。その財源が十分にあることは、すでに紹介しています。(※過去エントリー「大企業の内部留保の4割強は雇用維持に活用可能 - ほんの一部の取り崩しで雇用を守れる」


 最後に、2009年の貧困ジャーナリズム大賞を受賞した、竹信三恵子氏の『雇用劣化不況』(岩波新書)の中から「責任をとらない市場主義」と見出しを打たれたところを以下紹介します。


 責任をとらない市場主義


 均等待遇を確立できなかったことによる非正社員の賃金の総崩れで、ワーキングプア化は進んだ。非正社員の増加によって、安全ネットがゼロの非正社員同士のカップルも増えた。増えた非正社員の労務管理に追われて、ぎりぎりまで減らされた正社員は走り回り、正社員の過労死も増えていった。こうした歪みに直面した政策決定者にとって「助け舟」となったのが、「規制を緩和して市場に任せれば、おのずから人材は適正配分される」といった市場主義的な主張だった。


 「市場に任せる」という土俵の中では、「適正配分」を、だれが、どのようにして実現するかの議論は決して煮つまらない。なぜなら、その主語は「市場」という主体のはっきりしないものであり、うまくいかなかった場合の責任の所在さえもはっきりしないからだ。「市場主義」はその意味で、政策の責任の放棄を許す要素を色濃く持ち、「人間は働いて食べて生きていくもの」という現実から目をそらすことを容易にした。だからこそ、政策決定者にとって魅力的だったといえるかもしれない。これが、2つ目の間違いとなった。


 責めても手ごたえがない「市場」以外に責任者がいなくなった社会で、働き手は、必要なものを必要と求めることができなくなった。「市場」に何かを訴えても、空しいだけだからだ。住宅や食べ物など最低限の暮らしに必要なものを確保できない賃金でも、「賃金がもっとほしい」と求めることもできず、「過去最高益」の企業をよそに消費は低迷し、「雇用劣化不況」は続いた。


 疲れ果てた働き手は、新しいことに取り組む意欲も失い、この時期に生まれた新規産業は、増えた貧困者を対象にした消費者金融業や日雇い派遣業など「貧困ビジネス」と呼ばれるものばかりだった。


 2005年に人材コンサルタント会社「タワーズペリン」が行った調査では、日本人の仕事への意欲は、調査対象の16カ国中、下から2番目となったが、転職への意欲も低いことがわかった。会社の外へ出て、よその会社へ移っても仕事に見合った賃金が保障される均等待遇もなく、デンマークのような積極的な手厚い就職支援もない。失敗すれば、「市場の厳しい判断に耐えられなかったあなたが悪い」という叱責だけしかない社会で、転職を目指すのは、簡単ではないからだ。


 企業自体も変調をきたしている。ガテン系連帯の小谷野毅さんは、大手メーカーが派遣切りを始める直前まで派遣社員の大量募集をしていた事実に気づいた。「いつでも切れる働き手をみつけたことで、会社の生産見通しに緊張感がなくなった。人件費の歯止めがなくなって、会社はモラルハザードを起こしている」。


 非正社員の安全ネットづくりを素通りさせた働き手の暮らしへの想像力の欠如は、さらに、正社員にも影響を及ぼそうとしている。雑誌『WEDGE』2009年2月号には、非正社員とのワークシェアリングのために、強い解雇規制など正社員の「既得権益」をゆるめるべきだとの特集が登場した。一見、EUで聞いた「正社員と非正社員との壁の低い社会」への道に似ている。だが、日本のように公的安全ネットの手薄な社会で正社員の解雇規制を今以上ゆるめれば、働き手は、ただ放り出され、長期失業者に落ち込むおそれもある。妻の多くは、「夫の存在」を前提に、低賃金・不安定状態で放置されてきた非正規雇用だ。非正社員カップルと同様に、本当に必要なのは「解雇の自由」ではなく、「働き手が安心して会社の外に出られる安全ネット」だ。にもかかわらず、「解雇自由のデンマーク!」といった根拠のないはやし文句が、またしても巷を駆け巡る。(※竹信三恵子氏『雇用劣化不況』より)


(byノックオン)