正社員の既得権益を奪えば世の中ハッピーになるのか? | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんと、慶応大学教授の金子勝さんの対談(対談収録『湯浅誠が語る現代の貧困』新泉社)がおもしろかったので、ほんの一部ですが要旨で紹介します。(いつもの勝手な要約ですのでご了承ください。byノックオン)


 「年越し派遣村」で「現代の貧困」が大きく可視化されたにもかかわらず、新自由主義者は、今度は「恵まれている正社員が悪い」「正社員の既得権益が問題だ」「ワークシェアリングが必要だ」などと主張している点について、金子勝さんは、次のように語っています。


 新自由主義者が言うように、全員非正社員にしたら世の中ハッピーになるのかと言ったら、もっとひどい不況になります。めちゃくちゃな主張なのですが、メディアもそれを見抜けない。構造改革の中で正常な感覚がまひしてしまっています。


 たとえば、道路に毎年6兆円使います。6兆円かけて道路を作っている間に人が飢えて死にそうになっています。病院にかかることができなくて患者が死にそうになっています。それでも6兆円かけて道路を作り続けるって一体どういうことなのか。まず予算の組み換えをしようという当たり前の発想がありません。


 人が生きていくために予算ってあるはずだと思うんです。車がほとんど通らないような高速道路を作ることが必要なのか、今ここで生き死にの問題で苦しんでいる人を救うのが大事なのか。どっちにあなた、税金を使うんだって考えれば、それは火を見るより明らかでしょう。


 さらに言えば、財政の問題が、消費税増税か歳出削減かという二者択一になってるでしょう。これもみんな倒錯なんですよ。どっちも嫌だという選択肢が、あらかじめ排除されています。


 アメリカではグリーン・ニューディール、ドイツではエネルギー産業革命という形で、企業が社会保障負担のほかに環境税を負担するということで工夫してやっているわけです。そのように政策のあり方は、いくらでも工夫の余地があるのに、日本ではやるべきことをやっていません。なのに、政府とマスコミがいっしょになって、財源は、金はどこにあるんだという居直りのような仕方しかやらない。


 税金の取り方だって、なんで消費税増税か歳出削減かの二者択一しかないんでしょうか。これも政府とマスコミがみんなをそういう催眠にかけようとしています。


 構造改革路線が強まって以降、労働分配率がどんどん落ちている。一方で企業の内部留保や株主への配当、役員の報酬がべらぼうに高まった。アメリカで今問題になっているような何百億という単位で報酬をもらったりするようなひどい格差社会が片方で生まれたわけです。


 労働分配率が落ちて、非正社員が増えて、大企業の労働者の賃金さえ減っていますから、戦後最長の景気が続いたと言われても誰も実感がないということになります。こういう資本主義のあり方が、内需を冷やして、輸出主導の日本経済をつくって大失敗に導いているんです。


 結局のところ、構造改革は新しい成長産業を何もつくれなかった。ホリエモンとか村上ファンドとかグッドウィルとかだけで。結局、為替レートを下げて、賃金下げて、雇用を流動化して輸出頼みでやってきたので、世界同時不況の影響をもろに受けてしまった。構造改革とは、既存の輸出大企業の既得権保護政策以外の何ものでもなかったわけです。実際、垂直落下のように輸出が落ちると同時に、鉱工業生産も垂直落下してしまう。そうすると、今までやってきたことのツケが全部、若年の派遣労働者へ押し寄せてきて、今の状態になってしまっている。


 たとえば派遣労働者の年収が200万円として、大手企業が1,000人雇ったとします。そうすると200万円で1,000人ですから、人件費は20億円です。10年雇っても200億円ですよ。トヨタ1社の内部留保は12兆3,000億円で、ケタが3つも違って比較にならないでしょう。「ここまで儲けるか?」「何のためにそんなに金をためているんだ?」と。むきだしの19世紀の資本主義に戻ったような状態です。「内部留保を使え」と言っても、それは派遣労働者の年収を500万円にしろという話でもなく、せめて解雇しないでくださいというささやかな話なのに、ワークシェアリングが必要だとか、そういう話にいきなり飛んでしまうというのが、今の恐ろしい倒錯状態をあらわしています。


 そして、湯浅誠さんは次のように語っています。


 基本的に正社員も非正社員も均等待遇にするというのは、もちろん最終的な目標としていいのですが、住宅・教育・医療・社会保障の今の状態で企業側が主張する形のワークシェアリングをやると、たんにみんなが食えなくなるだけですね。なぜかと言うと、家計の支出カーブが日本では山型を描いています。そのことを考えないで、たんに正社員の賃金カーブが山型で非正規がフラットだから間を取ればいいんだという話になると、結局両方とも食えなくなります。子育てができなくなる、子どもに教育を与えられなくなる、ということになりますね。


 ヨーロッパで、ある程度職能型で、賃金カーブがフラットでもやれているのは、家計の支出がフラットだからです。児童手当がたくさん出る、大学はタダで行ける、住宅も安く提供されている。家計負担がどんどん増えていかないからです。


 竹中平蔵さんがよく言っている「雇用を流動化したから失業がこの程度ですんでいるんだ」という理屈も同じで、あれは「失業より非正規労働のほうがましなんだ」という大前提で語られています。「では、食える失業と食えない非正規労働だったらどっちがいいんだ?」ということも本当は問われていい。だって、食えないことが問題なんですから。しかし、そういう話は出てこなくて、「労働があればありがたい。あればいいんだ。労働の質は問題ではない」というような、生活が出てこない労働論みたいなものが強すぎると思うんですね。生きている実態を無視している。


 雇用のミスマッチ論も基本的には似ているところがあって、「職がない、ないって騒いでいるけれど、こっちにあるんだぞ」という時に、その質は問われないわけですね。質を問おうとすると、「何ぜいたく言っているんだ。ゼロよりはましだ」と言って、セーフティーネットも絡めて生きていくというあり方を働ける人には基本的に認めていません。生活できるかどうかという話はすっ飛ばして、とにかくあるんだったら就かなくてはいけないという前提になっています。「求人しているのに応募しないじゃないか」って、結局、労働者叩きであって、本当に人を動かすにはどうしたらいいかということをマジメに考えていないでしょう、という話を逆に反論として出していく必要がありますね。