天安門での車炎上と新疆ウイグル自治区について | 朝倉新哉の研究室

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天安門車炎上事件 新疆ウイグル自治区で捜査

中国・北京の天安門広場の付近で28日、
車が歩道に突っ込んで炎上し、5人が死亡した事件で、
捜査当局は、政府に不満を持つ新疆ウイグル自治区の出身者
事件に関与した疑いがあるとみて、新疆ウイグル自治区に担当者を派遣するなどして調べています。

28日、北京の天安門広場の付近で、
車が歩道に突っ込んでおよそ500メートル走ったあと、
天安門の前にある橋の欄干に衝突して燃え、
車内にいた3人と巻き込まれた観光客2人の合わせて5人が死亡しました。
さらに、上海在住の30代の日本人男性1人を含む、
観光客など38人がけがをし、捜査当局は事故ではなく事件として調べています
これについて、香港の有力な新聞「明報」が、
車内で死亡した3人のうち少なくとも2人はウイグル族だったと報じるなど、
香港などのメディアは、
中国政府に不満を持つ新疆ウイグル自治区の出身者が関与した疑いがあると伝えています。
関係者によりますと、
北京の捜査当局もこうした見方を強め、
新疆ウイグル自治区に担当者を派遣して、
事件の背後関係や車内で死亡した3人のほかに
関係者がいないかなどを調べているということです。
ただ、新疆ウイグル自治区では、
政府に対する抗議活動などに関係した人たちへの当局の締めつけに根強い反発があり、
今回の捜査が新たな反発を招く可能性も指摘されています。
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131030/t10015663061000.htmlから引用。
(青字強調は筆者による)

この内容だと、

新疆ウイグル自治区の出身者(ウイグル人)が、

なぜこんな事件を起こすほど中国政府に不満をもつのか、

よくわかりません。

地図1 新疆ウイグル自治区 ウィキペディアより転載
$国家戦略研究

この土地は、本来中国の領土ではありません。

歴代のシナの王朝で、この地を支配したのは、

後漢と唐だけで、それも長い歴史の中では、一時的な支配にすぎません。

基本的に”遊牧民が支配する土地”だったのです。

地図2
$国家戦略研究


新疆というのは、新しい領土という意味です。

17世紀からこの地を支配していたジュンガル王国を

清王朝が滅ぼして、新たに領土としたため、そう名付けられました。

本来なら、東トルキスタンと呼ぶべき地域なのです。

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1757年、乾隆帝の清朝は、ながらく宿敵の間柄にあった
ジュンガル王国の内紛に乗じて、その討滅に成功した。
当時、イリ渓谷に本営をおいていたジュンガルの民は、
ほとんど皆殺しにされた。
60万、あるいはそれ以上といわれる。
まさに「ジェノサイド」(民族大虐殺)である。

乾隆政府は、遊牧の民ジュンガルを文字どおり根だやしにした。
ジュンガルが最後の遊牧王国といわれるゆえんである。

これは、歴史上ながくつづいた天山南北の形勢を、まったくくつがえした。
清朝は、中国本土より漢族農民を天山北側に入植させた。
遊牧民の天地であったところは、巨大で肥沃な「フロンティア」として、
一挙に農耕地帯と変じた。

清朝は、パミールから東に出現した大版図を「新疆」、新しい領土と命名した。
新疆という枠組みは、純客観にいって、
歴史上まれにみるジュンガル遊牧民の「一掃」という事実のうえに築かれている。
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『遊牧民から見た世界史 増補版』杉山正明 日経ビジネス人文庫より抜粋して引用。

地図3
$国家戦略研究

















http://ohayo-urumqi.com/xinjiangshokai/06/xinjiangshokai06-08.htmlより転載

イリ渓谷やジュンガル盆地に住む遊牧民を一掃した清朝でしたが、

清朝の皇帝は、ジュンガル帝国を継承するという名目で、

東トルキスタンを支配しました。

地図4
国家戦略研究
『軍事帝国中国の最終目的』杉山徹宗 祥伝社黄金文庫 より転載
(クリックすると拡大できます)

上の地図でわかるように、5つの国の君主を兼任するという形で支配していたわけです。

1911年に起こった辛亥革命で清朝が倒れたので、

満洲と皇帝の支配地以外は、それぞれ独立するのが自然です。

(清朝は満洲から起こった王朝で、満洲から中国本土、
 内モンゴル、チベット、東トルキスタンと支配地を広げていったのです)

それを如実に示しているのが、下の地図です。

地図5 1932年の中国の地図 
$国家戦略研究




















http://ameblo.jp/lander1208/entry-11642497213.htmlより転載
(元々はジャパニズム14号に掲載)

この地域区分は、現代中国にも影響を与えています。

地図6 現代中国の民族分布
$国家戦略研究




















http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Rres_CH.htmlより転載

現代中国の民族分布は、地図4、5の地域区分とだいたい重なっています。

ところで、トルキスタンとは、トルコ人の土地という意味です。

現在のトルコ共和国は、アジアの西の端にあり、領土の一部がヨーロッパであるため、

新疆ウイグル自治区がなぜ、”トルコ人の土地”になるのか不思議に思うでしょう。

地図7
$国家戦略研究
http://1000ya.isis.ne.jp/1431.htmlより転載

地図7は、6~8世紀に存在した突厥第一帝国の最大版図です。

突厥はトルコ系(テュルク系)の人々が打ち立てた国です。

トルコ人が住んでいたから、トルコ人の土地=トルキスタンと言うわけです。

その後、トルコ人たちは、西へ移動したため、

今、新疆ウイグル自治区となっている地域が、トルコ人が住む地域の中では、

東のほうになるため、東トルキスタンなのです。

地図8
$国家戦略研究








































地図8で見ると、テュルク回廊の東にあるから、東トルキスタンだ、

ということがよくわかります。

そもそも新疆ウイグル自治区というのは、

東トルキスタンであり、現在の中国が支配しているのは、おかしいのです。

今の中国に東トルキスタンを支配する資格はないのです。

ジュンガル遊牧民の大虐殺→清朝が支配→中華民国が支配を継承、

そして、1933年、東トルキスタン・イスラーム共和国として独立を宣言。

1944年にも東トルキスタン共和国として独立を宣言しています。

しかし、1949年、東トルキスタン政府の首脳11名が飛行機事故で消息を絶ちました。

残った政府幹部のひとりセイプディン・エズィズィは、

中国共産党政権への合流を表明しました。

同年12月に、中国は、東トルキスタン全域に人民解放軍を展開させました。

セイプディン・エズィズィは、新疆ウイグル自治区政府の初代主席となりました。

この流れを見れば、

飛行機事故というのも仕組まれたものだろうというのは、想像に難くありません。


なぜウイグル人が、天安門広場で自爆テロのようなことをするのか、

なぜウイグル人が中国政府に不満をもつのか、

おわかりになったと思います。

TBSの「ひるおび」では、事件の背景を、中国国内で格差が広がっているためだ、

などと言っていました。

そうではありません。

そもそも中国ではない地域を不当に支配していることが原因です。

格差の問題だ、などというのは、

中国による東トルキスタン不当占領を、隠ぺいしようとするものです。


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