今日は何かを語る前に、まずこの動画をごらん頂きたいと思います。
CM「黒い絵」
さて、この動画どうお感じになりましたか?
先生は「何を書いてもいいんだよ」と言いながら、
子どもが、カラフルで情緒豊かな絵(と映り易いもの)を描くことを望んでいます。
意識はしていませんが、それは潜在的にあったのだと思うのです。
そして子どもが書いた真っ黒なだけの絵に大人たちは驚きます。
その絵を通じて、先生と両親は悩みます。
医者もその輪に加わり、彼は精神科病棟に入院させられたのでしょう。
しかし、やがて担任教師は気づきます。
その絵の本当の意味を。
そして、そこに子どもらしい豊かな感性と創造性がある事を。
結局は、単に表現方法が違っていただけなのです。
しかし、その表現方法は、大人たちに勝手な解釈をされ、
子どもの心に深い闇があるように誤解されてしまいます。
彼の熱中的な態度は、誤解に拍車をかけています。
そこに気付きがなければ、この子は精神に異常のある子として、
隔離されたまま生涯をすごしたかもしれません。
うまく自分のことを説明できない子達に対して、周囲の大人たちは、
どうあるべきかを問うている作品だと、僕は感じました。
【想像性の能力の実態】
発達障害があると、想像性に障害を持っているといわれています。
他人の意図や思いを、その表情や顔色からくみ取れないがために、
人の感情を害してしまったり、人との共感を得にくい障害だといわれています。
しかし、最近僕は、この障害は
本当にそういったものだのだろうかと考える時があります。
つまり、当事者さんの意図や思いをくみ取れて居ないのは、
定型の側ではないのかと思うときがあるのです。
定型発達と言えども、実際相手の意図や思いを、
100%間違えることなく見抜ける人など決して居ません。
もし居たとしたら、それは霊能者か超能力者という事になります。
定型発達にできる事は、
今まで自分が学習してきた経験に照らし合わせて、
他人の意図や思いを、連想することなのでしょう。
ただそれでは、不確実であるがために、
定型発達にはその不確実性を補うもうひとつの能力があります。
それが、相互コミュニケーションです。
言い換えれば、「共感作業」ですね。
連想は出来ても、確実でないがために、
定型発達同志では、互いの連想が正しいかどうかを、
コミュニケーションの中でやり取りし、
確認しあっているのだと思うのです。
【当事者さんと定型発達の間に起っている事】
では、当事者さんはなぜ誤解されるのでしょう。
また、なぜ、疎外されるのでしょう。
そこにひとつ仮説を立てるなら、
当事者さんには、前述の相互コニュニケーションに問題があり、
定型発達にとっての確認作業に、適切な態度で応えられないことが、
原因として疎外されるのではないかという事です。
言い換えると、定型発達の側から見たときに、
当事者さんの内面にある本当の気持ちと、
その人の態度から定型発達が想像する
当事者さんの意図との間に差があり、
誤解を受けているのではないかと言う仮説です。
相手に障害があると気付かずに接している定型発達は、
当事者さんが見せる態度に、自分達の経験を結びつけて、
勝手に想像して、勝手に怒り、
勝手に疎外している可能性があると言う仮説です。
例えば、ある当事者さんは、目上の人と待ち合わせをしていたとしましょう。
その人は数分遅刻をしてきました。
しかし、大変遠方から、わざわざその当事者さんに会いに来たのです。
それにもかかわらず、当事者さんは、
「3分遅刻ですね」と言ってしまいます。
言われた目上の人は「わざわざ来たのに、3分位で失礼な」と怒ってしまいます。
この場合、言われたことにただ怒ったというよりも、
その言葉に「わざわざ、嫌味を言ってきた。なんてヤツだ」と、
当事者の内面に有るか無いかも判らない「悪意」を想像して、
勝手に怒っているように感じます。
定型発達なら、言って来るはずのない台詞を言われたことで、
相手の気持ちに強い悪意を想像している訳です。
でも、当の当事者さんは、ただ事実を言っただけです。
遅れたから、「遅れましたね」と言っただけなのに、
そこには何の悪意もなかったので、
相手がなぜ怒ったのかわかりません。
これはひとつの例に過ぎませんが、
当事者さんと定型発達のやり取りの中には、
こうした定型側の想像性が作り上げた、
有りもしない悪意に基づく誤解があるように、最近感じるのです。
【自分達の常識を全てに当てはまることの危険性】
さて冒頭の動画は、一体何を訴えているのでしょう。
ぼくは、子どもが見せた行動を、
大人たちが自分達の常識に勝手に当てはめてしまって、
ありもしない心の闇を、
さもあるかのように決め付けてしまう怖さを描いていると感じました。
しかし、その誤解を破る為に必要な事は、
ほんの少しの「気付き」です。
その子が本来持っているものを、その子が感じているものを、
まっすぐに受け取って、感じ取るチカラと言い換えられるのでしょう。
この動画は、発達障害を扱ったものではないと思うのですが、
非常に大切なテーマの啓示をしてくれているように感じます。
自分達の常識の押し付けが、
発達障害の当事者さんをいかに苦しめているのかと言うことです。
こう書く僕とて、本当に息子の真実に、
すべて気付いているかと問われると、
決して力強く「大丈夫です」などといえたものでは有りません。
自戒の意味を込めて、今日の記事を書いてみました。
皆さんはどうお感じになりましたでしょうか。
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