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(回顧録:200755日の出来事)



5月5日、「子供の日」だった。

私は、木村先生からの提案に同意して、通常と違うスケジュールで治療していた。


通常であれば、第1クール(21日間)の治療が終わると、1週間の休憩期間がある。

回復の為だ。


そして、その後、第2クール(21日間)が、始まる。


しかし、私の場合、その休憩時間無しで治療を続けるアイデアを提案され、そうすることにした(参考ブログ )。



その結果、2007年のゴールデンウィーク中は、入院しての「抗癌剤治療」となったのだ。


この年、5月3日(憲法記念日)、4日(みどりの日)、5日(こどもの日)、6日(日曜日)と祝・休日が続き、病院内は、ひっそりしていた。


テレビをつけると、世の中は「大型連休中」で、各地の行楽の話題が流れている。


一方の私は、抗癌剤の吐き気と、点滴アレルギー(参考ブログ )と闘っていた。




それを気遣ってか、度々、木村先生と讃岐先生が病室に顔を出してくれた。


もうこの頃になると、私は、先生達と、昔からの友達のような仲になっていた。



「大久保さん、いかがですか、ゴールデンウィーク中の抗癌剤は、、?」


「(木村)先生、最悪に決まってるじゃないですか!世間は旅行と行楽なのに、私は吐き気と闘っているんですから、、、(笑)」



「それにしても、治療効果が出ていて良かったですね」


「ありがとう、先生。 先生も、連休中に病院のお仕事なんて、ご立派ですよ、、」




一見明るそうなのだが、この日は、5日間連続投与の「全身化学療法」5日目が終り、私は、結構、ぐったりしていた。




そして、夕食後、讃岐先生と、ラウンジで真面目に話した。



「(讃岐)先生、お願いがあるんですが、、点滴アレルギーが、酷くて、本当に辛いんですよ、、」


「今日で、抗癌剤治療は、ひとまず終わりだから、この点滴を外してもらえませんか」



「大久保さんは、これが凄く嫌なんですよね、、」




「何でも先生の言うことに従いますから、この点滴だけは外してもらえませんか?」


「わかりました。外しましょう。そのかわり、一日3,000 c..以上の水を口からとって下さい」



そう言うと、讃岐先生は、「頭痛の種」の点滴ルートを外してくれた。


「やった!」


まるで、手錠を外されたようで、解放された最高の気分になった。


しかし、この後、当然の報いが私に来る。


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