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(回顧録:2007年4月14日の出来事(2))
「ゴーン」
夕方5時を告げる寺の鐘の音が聞こえた。
入院病棟の隣のお寺だ。
この5日間、この鐘の音を聞いては、一日の終わりを感じた。
ある日は、「その日、最後の抗癌剤」の点滴が終わった後。
別の日は、まだ「抗癌剤が点滴中」に、鐘が鳴った。
今日、5日目は、既に最後の抗癌剤が、身体に入った後だった。
怒涛のような「全身化学療法」の第1クール「前半戦が終わったこと」を、鐘の音から感じた。
この頃、私の楽しみは、「点滴針が抜けること」と、「第1クールが終わった後、1週間、自宅に戻れること」であった。
標準的な治療スケジュールは、各クールの間に、「1週間の休息期間」を入れる。
患者の「体力を回復させる」目的で、設けられている。
私は、その期間を凄く楽しみにしていた。
夕食前、木村先生が病室に来た。
「よくぞ、この5日間を乗越えた」と言う、ねぎらいも目的だった。
そして、お互い、自然と自分のことを話し出した。
木村先生は、30歳代半ば(当時)。医科大学を卒業した後、附属病院に勤務し、それから昨年まで(当時)、アメリカのメディカルスクールに留学していた。
「アメリカ留学」経験は、お互い共通し会話が弾んだ。
二人とも、「オジサン下手糞英会話」で、苦労したと、盛り上がった。
ますます二人の距離が縮み、「大久保の癌治療」という大プロジェクトを進める推進力となっていった。
そして、会話の最後に、木村先生が切り出した。
「大久保さん、僕は、第1クールと第2クールの間に、休息期間を設けず、治療を続けたい」
「えっ?なんで?俺すっごく楽しみにしているのに、、」
「なぜなら“休息期間中”に、腫瘍マーカーが再び上がることがあるんですよ」
「癌が勢いを盛り返すからです」
「そうなって欲しくないし、大久保さんの「気力」なら、切れ目なしの抗癌剤治療も、出来るんじゃないか?と、期待しているんですよ」
「休息期間なし」を聞き、正直、結構ショックを受けた。
凄く楽しみにしていた事を、取り上げられるのだから。
しかし、私は、あっさりと返事をした。
「解りました。休息期間なし、でやりましょう」