久しぶりに弦楽四重奏 を聴いてきたのでありますよ。
カルミナ四重奏団演奏会@第一生命ホールですけれど、
奇しくも(なのかどうか…)昨12月5日はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト の祥月命日、
プログラムはオール・モーツァルト・プログラムになっておりました。
とはいえ、ここでの選曲はなかなか異彩を放つものだったのでして、
珍しい曲にはつい食い付く性質のものには見逃せない。
見事に釣り上げられてしまった…と、そういう次第です。
始まりは第2ヴァイオリンが登場しないので可哀そうですが、まあギャラは均等按分でしょう…
ということはともかく、弦楽三重奏による「バッハ の作品による6つの前奏曲とフーガK404 a」より
第1番二短調というもの。
モーツァルトがまだ26歳くらい、バロック音楽 を範に対位法の学び直しをしている頃の作品とか。
(もっとも偽作説もあるそうですが…)
編曲なればか、モーツァルト色は薄く、というより「バッハだな…」という印象であったのは、
プログラム・ノートにはニコラウス・アーノンクールへの師事によって
「古楽器奏法への強い関心を育ませた」てなことが書かれておりましたので、むべなるかな。
ノン・ビブラートっぽい演奏ではなかったかと。
お次はモーツァルトの真骨頂、弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465「不協和音」。
当時としては聴き手のとまどいを生んだ第1楽章冒頭の不穏な響きも
今ではその後に続く「疾走する第一主題」との対比を際立たせてる効果大と
至って穏やかに受け止められるところかと。
で、本当の(?)弦楽四重奏好きであれば、この曲でこそ多くを語るべきなのかもですが、
本日の目玉が次に控えているとなりますと、どうしてもそちらの方に目(耳)が。
何とまあ、メイン・プログラムは弦楽四重奏版編曲による「レクイエム 」の全曲なのですよ。
要するに小ぢんまりした演奏形態にしたものかなと最初は思ったものですから、
合唱の代わりにソリスト4人が登場するとかと想像するや、これは大きな思い違い。
合唱部分まで含めた全曲をまるまる弦楽四重奏に置き換えたものなのですなあ。
モーツァルトの時代に音楽の愉しみといえば、
(誰でもが楽器を手にすることができたわけではないにせよ)「聴く」ことと「演奏する」ことが
並立していたわけで、大編成の楽曲を小編成のアンサンブルに編曲することがままあった。
そうしたことから「レクイエム」までが俎上に乗せられたのでしょうけれど、いささか際物の感も。
そんな時代背景から生まれたと思しき編曲版は長らく埋もれたままであったのが、
20世紀末にミラノのヴェルディ 音楽院で発見され、2006年に出版されて広く知られるようになったとか。
カルミナ四重奏団はこの版に手を入れた独自のバージョンで演奏しているそうなんですが、
ヨーロッパでは「コントラバスを加えた五重奏版とし低音の響きを厚くして」演奏したそうな。
今回は純然たる弦楽四重奏による演奏ですけれど、
果たしてあの「レクイエム」がどうなってしまうのか。
興味津々だったところが、驚くほど良くできているというのが素直な感想かと。
感情を揺さぶらずにはおかない合唱はもちろんないながら、
ついつい合唱部分を頭の中で勝手に補ってしまう一面がありつつも、
むしろたった4人の演奏に刈り込まれたことで
純粋に音楽そのものと向き合うことにもなったのではと思うところです。
迫力にごまかされないと言っては語弊がありましょうけれど、
曲の終わりには近頃無かった肌のぞわぞわ感が到来しましたですよ。
と、思いもよらず「いいもの、聴いた」と思ったですが、
演奏者の側でもいささかの際物っぽさを意識しているのか、
アンコールには純然たる弦楽四重奏曲で勝負とばかりにシューベルト の「ロザムンデ」第3楽章、
そしてベートーヴェン の弦楽四重奏曲第4番から第4楽章を。
クラシック音楽との付き合いは長いですが、
もっぱら管弦楽志向できたのが少しずつ間口が広がって、
昨今ようやっと昨今室内楽を聴くことに立ち至りましたですが、
こうした聴きものに巡り会いますとますます探究せねばと思うところでありますよ。