…そしてバッハのマタイ伝による受難曲を聞いていると、この不思議な世界の暗澹と力強い受難の輝きが神秘的な戦慄をもって私をひたした。今日なお私はこの音楽の中に、また「神の時は至上の時」(悲壮な行為)の曲の中に、すべての詩と芸術的表現の精髄を見いだすのである。

これはヘルマン・ヘッセの小説「デミアン」の一節ですけれど、

ここで取り上げられているバッハの「マタイ受難曲」、こうまで言われてしまいますと、
むしろ敬遠(文字通りに敬して遠ざけることを)してしまうところにもなりましょうか。


また、同曲の名盤のひとつと言われるメンゲルベルク指揮によるライブでは
聴き手のすすり泣きが聞こえるてなことも言われるわけでして、
引けてくるといいますか、敷居はどんどんと高くなるといいますか…。


とはいえ、世に名曲の覚えめでたい一曲を敬遠したままというのもやはりもったいなく思われ、
意を決して(?)まずはさらりと「ながら聴き」でと思い立ったのは先に終えた「ユダ」 を読みながら。

ユダにまつわる本を読みながらイエスの受難を物語る曲を聴くというのも不敬なようですが、
まあ、そこはそれ、キリスト者ではありませんし。


で、最初の取っつきとして聴くともなしに聴くというのが功を奏したのか、
時々に聴こえてくるしめやかな部分や激情的な部分にどんな場面かを想像するとともに、
聞きかじりのメロディーに痛く惹きつけられるところがあったりしたのでありますよ。


常々バッハの音楽に感じていた冷徹さと言いますか、

そうしたものとは異なるひと肌の湿度感があったものですから、

こうなってくると改めて真面目に?聴いてみようかとも思うところでありまして、
いざ!とばかり、CD3枚の長丁場に挑んだ次第でありました。


St Matthew’s Passion


「マタイによる福音書」をベースに、イエスによる自らの受難の予告から最後の晩餐、

ユダの裏切り、ペテロの否認、磔刑、そしてイエスの埋葬までの物語を語り、歌い、

音楽を通して綴るものでありますけれど、この感情に訴えかけてくるものは何でしょうかね。


キリスト者でないものにも(多分に雰囲気的なるものであるにせよ)こうした印象をもたらす、

これはキリスト教 が長い時間を掛けて作り出したドラマティックな人心掌握の術を

バッハの音楽が極限まで高めていると言ったらいいのでしょうか。


大仰な言い方になってしまってますが、音楽の方を主に考えてみるならば、

例えばイエスがローマ総督ピラトの前にひっ立てられたときに

イエスかバラバのいずれかの赦免を群衆に問うた際の「バラバ!」との群衆の叫び。


名前をひと声で叫ぶだけですから、

ここの部分だけを取り出して音楽と言えるのかとも思うところながら、

やみくもな叫びではなくして、音符に裏打ちされた効果を狙ってのものでしょうから、

こりゃあ凄いと。


また、これの後に群衆の合唱が「Lass ihn kreuzigen(やつを十字架にかけろ!)」と続くところ、

悪意に満ちて無軌道になった群衆心理の発露たるやかくのごとしと、感じずにはおられない。


そして、イエスが鞭打たれる場面でまた同じ合唱が、今度は調を変えて、

言葉が突き刺さらんばかりに一層尖った形で現れるあたり、

強烈な印象を残す部分ではなかろうかと。


もちろんこうしたところばかりではなくして、

第8曲のソプラノによるアリア「血を流せ、わが心よ」ですとか、

第15曲のコラール、第42曲の独奏ヴァイオリンなどなどなど、

心に染み入ってくるところも数多あり、ただただ音楽として聴くとしても

(本来的にそういう音楽ではないのでしょうけれど)「バッハ、すげえな」と改めて。


ちなみにこの曲の作曲年代は1727 年(最終的には1736年頃まで手を入れていたようですが)、

その22年ほど前にバッハはリューベック に旅してブクステフーデ と会い、

条件付きで後継者となるような話があり、これを断るわけですが、

このときにリューベックのオルガニストにおさまってしまっていたら、

「マタイ受難曲」はできなかったかもしれない。


先の条件とはブクステフーデの娘と所帯を持つことだったと言われますが、

つくづくバッハがかの娘さんを気に入らなくってよかったというべきでありましょうかね。


おっと、それからついでの話ですけれど、リューネブルクを訪ねたときに

聖ミヒャエリス教会前にあるバッハ広場 の曰く因縁が分からなかったわけですが、

このほど改めてバッハの年譜をひも解きますと、

何と若き日(十代)のバッハはリューネブルクにやってきて聖歌隊員ともなり、

また聖ミヒャエリス教会付属の学校で学んでもいたのだとか。


いやあ、敬遠して聴かず嫌い的でもあった「マタイ受難曲」はことのほか素晴らしい曲でしたし、

ついでにリューネブルクでの引っかかりも解消しましたし、

今日の良き日とはこうしたことでありましょうかね。