雨宿りがてら入ったブッデンブロークハウス を出ても、まだ少々パラついているようす。
ということで(というより予めそう考えていたですが)、
今度はブッデンブロークハウスの目の前にある教会に退避。
ですが、そんなふうに言っては少々申し訳ないかなと思うのは、
この教会がドイツでは3番目に大きな教会とも言われるからなのですね。
1番がウルムの大聖堂、2番目がケルンの大聖堂、
そして3番目がリューベックの聖マリーエン教会であると。
とまで言っておいて、大きさのなんたるかをよく把握してないんですが、
高さを言っているわけではなさそうです。
(高さではシュヴェリン大聖堂 より少々高くて、ドイツで8番目)
ですが、聖マリーエン教会の凄いところは、
1350年にはほぼ今の形の大きさに出来上がっていたということでしょうか。
ウルムとケルンの大聖堂は大きいのは大きいものの、
建築に何百年もかかって完成は19世紀に持ち越されているようですし。
14世紀半ばにはすっくと二本の尖塔が立っていた。
この辺りもまたハンザ都市リューベックの栄華を見る思いでありますねえ。
しかも、教会権力にモノを言わせて造り上げられたものと違い、
(船主たちが造った聖ヤコビ教会 よろしく)ハンザ商人たちが自分たちのために造ったわけですから。
しかし、残念ながら(というべきか)1941年の空襲でぼこぼこにされてしまい、
戦後になって復元されたとなると、古さで感心するわけにはいかないところでしょうか。
戦火の記憶という点では、尖塔の直下に壊れた鐘楼の鐘が置かれてありました。
それにしてもよく復元できるものですよね。
この天井の装飾なんかも含めて、全部再現したのでありましょう。
ところで、この天井装飾なんですが、もしかして…と思ったのですね。
もしかして、これとおんなじ?と。
これは手元にあって、このところ(これまでそんなに聴いたことがないほどに)聴いている
ブクステフーデのオルガン曲全集のCDジャケットなのですけれど、
聖アネン博物館 の展示を見たところで触れたように、
かの大バッハがわざわざその演奏を聴きに来たブクステフーデ。
そのブクステフーデが弾いていたのが、この聖マリーエン教会のオルガンであったとなれば、
やっぱりこの教会の天井写真なのかも(廉価盤なので、写真の説明は見当たりません)。
で、ブクステフーデの演奏に大満足したバッハですけれど、
おそらくはバッハもまたこのオルガンを弾いたかもしれません。
バッハの力量を認めたブクステフーデは後継者にと考えたようですが、それにはひとつ条件が。
バッハとしては有難い申し出ながら、ブクステフーデの娘を娶ることが条件とあっては
俄かに肯ずることの出来ないバッハ、元の職場のアルンシュタットに帰っていったとさ。
ちなみに、バッハの曲はとても冷徹な、峻厳で計算され尽くしたような印象がありますけれど、
ブクステフーデの方は穏やかな温かみ、そして即興性をそのまま書きつけたような曲でありますね。
とまあ、音楽史上の有名人が相対した聖マリーエン教会、
リューベック商人の、商人による、商人のための教会、
寄付を募るでなく、しっかり入場料(€2)を取るのもむべなるかな…でありましょうか。
プラスαの料金で尖塔の上まで登れたですが、
まだ天候不順でもありましたので、ここでは見送り。
また別の教会で展望を楽しむことになりますけれど、それはまた別の話ということで。