改めてリューベックの街歩きに繰り出すにあたって、
前日は中の島状の旧市街の南側 を歩いたこともあり、
この日は北辺から中心部に迫ろうかという作戦に出たのでありました。


駅前バスターミナルから聖カタリーネン教会の前まで、まずはバス移動。
歩けない距離ではありませんけれど、この先ずっと歩き廻るものですから。


この教会が現在修復中でクローズしていることは知っていましたけれど、
ものの本によると「正面の壁面にあるバルラッハの彫刻、よろし」とあったので、
どれどれどんなものかいなと。

聖カタリネン教会 バルラッハ彫刻①


聖カタリネン教会 バルラッハ彫刻②


美術館を訪ねても、彫塑作品を置き去りにして廻るほどに疎い方なのですが、
こちらへ来るにあたって初めて知ったエルンスト・バルラッハ(1870~1938)の作品は
北ドイツではちょこちょこお目にかかるものなのでして、
ぱっと見のユーモラスさ(含むところはそればかりではないと思うものの)に
ちと興味をかき立てられていたのでして。

聖カタリネン教会斜向かいの建物


ところで、教会の斜向かいくらいでしたか、
滑車でもって荷物を吊りあげるために使われていたはずの最上階の窓から
あたかも滑車を使うかのように棒が付き出しているのが見えました。


いかにもリューベックの旧市街を廻っちゃうよという気持ちの高まりを
後押しされた気がしたものでありますよ。


とまれ、リューベックの北側を廻ろうということですので、

聖カタリーネン教会の前を通るケーニヒ通り(王様通り)を北上してしばし、

広場に面している分だけ聖カタリーネン教会よりもその堂宇の立派さを見上げやすい

聖ヤコビ教会に到達します。


聖ヤコビ教会@リューベック


先に大聖堂を通り過ぎたおりに「大聖堂よりも重要な教会が他にある」と言いましたけれど、

聖ヤコビ教会の見た目が十分に立派でありながら、実はその教会ではないのですね。


リューベックは、その成り立ちこそ1143年にホルシュタイン伯が町づくりを始め、

その後ザクセン公ハインリヒ3世(シュヴェリン の町を築いた人)によって作り上げられた…

てなような経緯を持つだけに、東方の辺境でキリスト教会組織の及ばない場所にあったわけですね。


ですから、ローマ帝国の周辺部への広がりがキリスト教とともに合った古い都市に比べ、

そもそも教会組織が後から追っかけてきたような恰好のようですね。


それだけに教会権威とは一線を画した市民自らの教会が市民の手で作られることになった…

ということで、町の中心にあるのは大聖堂ではなくして、

ハンザ商人たちが商人の、商人による、商人のための教会として作った

聖マリーエン教会というものが堂々鎮座ましましているわけです。


この教会も後から覗きに行くのですが、

ここに登場した聖ヤコビ教会はもっぱら船主たちのための教会なのでありまして、

近くには1535年に建設されたという「シッファーゲゼルシャフト」(船員組合)のギルドハウスが

これまた古い佇まいを見せておりましたですよ。


シッファーゲゼルシャフト@リューベック


諸々のガイドブックによれば、このシッファーゲゼルシャフトの館内にあるレストランが有名

(天井から船の模型が吊り下がっている)とのことでしたですが、ちとお高いとのこと。

まあ、もそっと庶民的なところを探そうと、このたびはそのまま通り過ぎることに。


とまれ、辺りはどこを見ても何やらの歴史を詰め込んでいると思しき建物ばかり。

大聖堂から聖アネン博物館 への道で見かけた「Statius von Düren Haus」ではありませんが、

個性や歴史を感じさせる建物を逐一UPしていてはきりがないところながら、

「こりゃあ、取り分け古そうだぁ」という建物に遭遇しました。


Kranen-Konvent@リューベック


近付いてみれば、小さな解説板が付けられていて、

「Kranen-Konvent」というこの建物は、リューベックのレンガ造りの建造物の中でも

最古の部類に入るひとつらしく、1260年に建てられたのだとか。


レンガの感じが「そうとう来てるなぁ!」感に溢れているのも、むべなるかな。

日本だと鎌倉時代 かぁ…と。


「Kranen」はたぶんクレーンのことだと思いますので、

やっぱりエリア的にも船と荷捌きに関係する建物でしょうけれど、

これに面した下り坂の細道を、地図を見るてなこともなく下っていきますと、

やおらトラヴェ川に到達。


現在のリューベック港


トラヴェミュンデ のところで書きましたように、

一大貿易拠点であったリューベックは海に面しておらず、河川港であったわけですが、

今でも港らしき様子は窺えるものの、往時の賑わいはさぞや大騒ぎ状態だったのでしょうね…。


川岸の倉庫沿いに、先に見える鉄橋のところまで歩いてみましたが、

(その辺りが中州状の旧市街の北端にあたろうかと)

行き交う船とてなく、のどかなものでありましたですよ。


トラヴェ川沿いの道


で、鉄橋のところまでたどり着いてみますと、

ここにはかつて鉄道が通っていたのだなという名残が。


リューベック旧市街北端の廃線跡


かつてはこのリューベック河川港から貨車に積み替えて

内陸部へ、それこそ首都ベルリンまでも鉄道で輸送するような需要があったのでしょうね。

断ち切れた鉄橋の部分には、「Berlin 1990」と読めるプレートが付いておりました。


線路は続くよ、ベルリンへ…


北端までやってきたところで折り返し、またまた旧市街へと戻っていくのですけれど、

ホルステン門が旧市街西側の守りなら、北側の守りにはブルク門がある!というわけで、

ブルク門をくぐってもうひと歩きと参ります。


ブルク門@リューベック