そもそもこの程の静岡行きは静岡市美術館でのシャガール展を見、
そしてその関連イベントである講演会を聴くというのが発端であったわけでして、
これまでの街道歩きはむしろついでであったのですね。
さりながら実際の旅程に沿って話を続けてきたところ、
会期はとうに終了(3月30日まで)してしまったですねえ…。
ま、静岡市美術館でご覧になった方がシャガール展を思い出すよすがとなるやもしれませんし、
また4月17日以降に愛知県美術館でご覧になれる方には興味を醸すことになるやもしれません。
ということで遅ればせではありますが、
シャガール展@静岡市美術館のお話ということで。
手を変え品を変えて度々開催されるシャガール作品の展覧会ですけれど、
「またぁ…」と思いつつも脚を運んでしまうのは、その作品を魅力的と感じるからですが、
その大きな要素と言えるのが色彩、色遣いでありましょうね。
何しろ鮮やかで、屈託がない。
フライヤーに使われている「花」(部分)を見てもある程度の想像は付くところながら、
今回注目のひとつであったパリ・オペラ座天井画制作に関連した下絵などなどは
もはや何が描かれていようと関係ない!と思ってしまうほどに鮮烈な色彩です。
とはいえ、場所がパリ・オペラ座ですから、モティーフにはオペラやバレエの場面などが描かれ、
それはそれで大層関心のそそられるところではありませんか。
モーツァルト 、ベートーヴェン 、グルック、ベルリオーズ、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ビゼー、
チャイコフスキー 、アダン、ムソルグスキー、ドビュッシー、ラモー、ワーグナー、ヴェルディ と
並ぶ作曲家たちは誰が見ても納得の大作曲家とも言い切れないところがありそうで、
このあたりは例えばアムステルダムのコンセルトヘボウ(コンサートホール)内に記された
数多の作曲家名と同様に「なぜこの人?」と思うところでありますね。
こうした選定基準といいますか、それには時代背景やら何やらの要素があったものと
想像されますが、その辺の探究はまた改めて。
で、シャガールの色彩に戻りますと、
本展ではステンド・グラス作品などにも着目した構成でしたので、
そも目にも彩な加減は弥増すばかりでありましたですよ。
と、こうした色彩の面ばかり、しかもいきいきとした原色を見ていると酷くあっけらかんというか、
底抜けにハッピーというか、そうした安直な思いにもとらわれがちなところかと。
ですが、今さらになって気付いたんかいね?と思われましょうけれど、
こうした特に際立つ色彩の作品を見て回りながら、思ったですね。
「心底、幸せそうな絵はまずないね」ということを。
シャガールには恋する人々を題材にした作品が多々ありますが、そうしたものも含めて
冷静に見てみますとむしろ翳りがあるやに思われるわけですね。
これはヴィテブスクというロシア(現・ベラルーシ)の片田舎のユダヤ人地区で生まれ育った際の
貧しさや苦い思いをついには払拭できなかったからだろうか…などと思ったものです。
それがパッと見の色彩としてはこれ以上ない程に鮮やかに明るく塗りこめながらも、
題材にはどうしても晴れないものが宿ってしまうと。
シャガールに毎度おなじみのモティーフは、
故郷ヴィテブスクの村の景色、クレズマーとは切り離すことのできないヴァイオリン、
(ですから、モーツァルトの「魔笛」に想を得た作品でもフルートでなくヴァイオリンが出てくる)
「ドナドナ」で売られていくようすを想起させる牛だか、むしろ荷馬車を牽いてる側のロバだか、
そのいずれにも、またいずれにも見えないような動物…などがありますが、
いずれもイディッシュに根ざしたものであるわけです。
こうした明るさと翳りが重層化した作品群を「ふむふむ」と思いながら見て回ったところで
聴きに行った講演会のタイトルは「シャガールの晩年・ユダヤの記憶」というもの。
帰りの新幹線の都合で最後の最後を聴き逃したですが、
内容的には晩年に焦点を当てたというよりシャガールの生涯であって、
その生涯を通じてユダヤの記憶が色濃く…と
まさに作品を見て思うところとシンクロする話でもありました。
ただ、ここでも「今さら気がつくなよな…」と思われるであろうことですけれど、
シャガールはユダヤ人であった。つうことは偶像崇拝は禁じられている。
それが、絵画という偶像を生ぜしめることを生業とすることは
実に実に背教的なことであったのだなということですね。
とはいえ、シャガール以外にユダヤ人の画家はいないことはないと思うものの、
それがなかなか浮かばない。
時期的に近しいと思われるモディリアーニあたりもユダヤ系と言われるとしても、
イタリア人と考えた方が自然かなと。出自の関係が大きいのでしょうけれど。
つまり、生まれ育ちを通じてユダヤ性を培った上で画家となるというのは、
やはり(限りなく無宗教に近いというか、何事も鷹揚に受け止め、受け入れる)日本人には
測り知れない葛藤があるのでしょう。
ですから、当然にシャガールが絵描きになることは周りじゅう誰も賛成してくれず、
シャガール自身は天賦の才を活かす術として神は許容されるはずと思ったかもですが、
それでもすっきり釈然とはしていなかったのでありましょうね。
ここで思い出しましたが、やはりエコール・ド・パリ
の画家であるスーティンも似た出自ながら
過去との訣別の絶対的なところにおいて、シャガールとは異なるのでしょうね。
シャガールがスーティンほどに過去を断ち切るに至っていないのは、
先ほど挙げた絵の題材に見るとおりではないかと。
それだけにシャガールの絵を見て感じるところは、
鮮烈な色彩の眩惑をも越えてやってくるのでしょう。
ただ、こうしたことが読み取れてはいけないというのが、
晩年に携わった多くの公共制作であったそうな。
公共制作とは言ってもパリ・オペラ座の天井画のように、
その文化基盤はキリスト教
に根ざした世界ですし、
ましてやステンド・グラス作品が収められたのはキリスト教の教会だったりする。
ということは、ユダヤとの関わりが読み取れるものが受け入れられるはずもないわけですね。
ですから、それまでのシャガールが「分かる人に分かればいい」と忍ばせてきた過去の記憶、
あるいは滲み出てしまっていたのかもしれませんが、
そうしたものを描くのでは済まないところに来てしまったことになります。
先に展示を見て廻っているうちに「翳り」を見出したわけですけれど、
公共制作たるパリ・オペラ座天井画関連の作品に立ち帰ってみれば、
それまで見え隠れしてしまっていた「翳り」を封印したものと解せば、
あの付きぬけた感のある色彩に改めて得心がいくというものです。
それだけに題材として選ばれたオペラ作品、バレエ作品に
何らかの意図がもしやあるのでは…と、当初とは別の意味でやはり気になるなと。
ま、こうしたあれこれ気付きのある展覧会であったなと
帰路の新幹線の車中で思ったものでありましたですよ。