大雪が祟って行き損ねた演奏会はチャイコフスキー 尽くし、

イタリア奇想曲、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第5番という炸裂系プログラム(のはず)でありました。


どれも血沸き肉躍る?ところながら、

個人的に分けても楽しみにしていたのはイタリア奇想曲だったのですね。


演奏効果は満点なのに余りプログラムにのらないこの曲は

演奏時間14~15分とオーケストラの演奏会では前座扱いですけれど、

金菅、打楽器が大活躍することもあって吹奏楽では充分にメインディッシュになり得る。


大学の時分に演奏会で自分も、そうしたメインの扱いで演奏したものですから、

思い入れの方もたっぷりと言いましょうか。


そんなですので、生音では聴けませんでしたがせめてもとCDやらYoutubeやらで

あれこれの演奏を聴いて気を紛らした…と、そういう訳なのでして。


勇ましいファンファーレの冒頭からして金菅組はゾクゾクするところでしょうけれど、

続く憂愁のロシア風は紛れもなくチャイコフスキー。

それがやがて打って変わって陽光燦々に降り注ぐイタリアの明るさに転ずるあたりの

明暗対比も面白いところでありますね。


このあたり、教え子との結婚があっという間に破綻して

暗澹たる日々を送っていたチャイコフスキーが「このままではいけん」と思ったのか、

弟と一緒に出かけたイタリアで気を晴らしたそうなんですが、

そうした気分の明暗が如実に表れてもいるようです。


明るく盛り上がったところで過去を振り返るようにロシアの憂愁が顔を覗かせるも、

再びイタリア的喧騒に包まれた賑わいの中に、気分もどんどんエキサイトして

プレストから最後にはプレスティッシモという激しさに達して幕を閉じる。

どうやら気分的にも憂愁に打ち克ったと言えましょうか。


ところで、この最後の辺りのテンポの速い6/8拍子、

何ともイタリアらしさを醸すところが、いわゆる「タランテラ」なのですよね。


「タランテラ」という言葉はイタリアの舞曲のひとつながら、

その言葉から用意に想像されるのは「タランチュラ」ではないかと。


大きな毒グモとして知られるタランチュラに噛まれると、

死ぬまでタランテラを踊り続けることになってしまう…というのは思い違いでありまして、

(どうやら毒キノコのワライタケなんかとは違うようですね)

タランチュラの毒気を抜くためにはタランテラを踊り続けねばとの俗信がある、

こちらが本当のところのようです(俗信自体が本当ではないと思いますが)。


タランテラが相当にテンポの速い踊りであることから、

これを踊り続ければ大汗をかくのは必至でありまして、

毒気は汗とともに絞りだされると、昔の人は思ったのかもしれませんですね。


しかし、タランテラという舞曲があって蜘蛛にタランチュラと命名されたのか、

タランチュラという毒グモがいるのに絡んでタランテラという舞曲ができたのか、

はて?…と思いましたけれど、どうやらどちらがどちらということでもなさそうな。

いずれもイタリアのタラントという町の名から出ているとのこと。


こうしたついでに、Wikipediaなんかをあれこれ見たところ、

そもそものタランチュラ(まあ、タラントの蜘蛛みたいな意なのでしょうか)と思しき蜘蛛は

毒がないわけではないながら猛毒とは言えないのだそうね。


ですが、「タランテラを踊り続けないと死んでしまう」といった言い伝えとともに

あちこちに伝えられた結果、さも恐ろしげな大きな蜘蛛(毒があればなおのこと)を

タランチュラと呼んでしまうようになったということのようです。


イタリア奇想曲の中のタランテラは激しく速くはあっても、

陰鬱さをまとっているとまではいえないものと思いますけれど、

他の作曲家がタランテラを使ったケースは必ずしも明るいとは言い難い。


例えば、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の第4楽章とか、

シューベルト の弦楽四重奏曲「死と乙女」の第4楽章とか。

まあ、後者に至ってはタイトルがタイトルですから致し方なしともいえましょうけれど、

タランチュラの毒気抜きとするには失敗に終わりそうな曲なのかも…。


てなふうに考えますと、イタリア奇想曲のタランテラ部分はもしかすると

タランチュラ封じにも適当だったりするかもしれません。

もっとも、間違ってロシア的憂愁あたりを口ずさんでしまったら、

待ったなしでイチコロになってしまうやもですから注意が必要ですが。