【長崎・別府ぶらぶら紀行 目次】
○上巻:ほっこりペンギン編
○中巻:日本三大何ちゃら編
●下巻:無人の軍艦島編
○別府・地獄めぐり編
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ペンギン
と長崎散策
を楽しんだ次の日は、
昼過ぎのかもめで別府に移動予定。
その時間までの午前中、
さぁ、何しよ??
うーむむむ。。
さんざん悩んだのですが、
M崎氏が面白いツアーを探して
予約をしてくれてました!
その名も
「軍艦島上陸クルーズ」。
おぉー・・何か強そうな感じ
でも、最初は、
「えぇー、どうせ戦艦ヤマトとか
そういう類のでっかい船とかが見れる、
男の人が好きそうな感じのやつでしょ」
って思ってました。
名前だけで。
まぁ、私も昨日は
ペンギンに付き合ってもらったし、
ここは私も付き合ってあげないとね、、
的な?そういうノリでした。正直。
しかし、今となっては、
そんなハンパな気持ちで
すみませんでした。
って思ってます。ホントにね。
めちゃめちゃ奥の深いところでした
(⇒軍艦島の奥深さはコチラから
)
まずは船に
乗り込みます。
長崎駅から程近い、
長崎港ターミナル。
マルベージャ1号
っていう船です。
2階デッキの進行方向右側の席ゲット!
(コレが後に功を奏します。)
朝9時、出航~
電車は酔うくせに
船酔いはしないいっぴーさん。
直射日光で体力を消耗しないよう、
日傘片手に長崎クルージング
女神大橋。
外国籍の
大型客船が
長崎港に
入ってこれるよう
作ってあるので、
橋の高さが
めっちゃ高い!
伊王島。
長崎屈指の
リゾート地として
有名な島。
リゾート地っぽい
建物がちらほら
見えますね。
高島。
伊王島のお隣りの島。
この大きな風力発電で
島全体の電力が
まかなえるらしい。
風の力すごい!
とまぁ、クルーズの見どころ全てが
ベストポジション!
軍艦島クルーズの際は、
ぜひとも進行方向右側の席でね!
そんなこんなでゆ~ったり
1時間かけて長崎の海を
クルージングしてました。
海もおだやかで、お天気もよくって
高島の風力発電機、
かっちょよかったなー。
なんて、ぼんやりと
長崎の島々を楽しみつつ
と、そこへ。
あ、また島が見えてきた。
今度は中ノ島だって。
ちっさい島やなぁ。
大阪の中之島とおんなじ名前やぁー
そんなちっちゃな
かわいい中ノ島の
左後方。
ぎ、ぎゃあ~!
何じゃアレ!?
船が進むにつれて、
その要塞のような姿の"アレ"は、
徐々に大きくなってきた。
ここまで見てきた
島々とは一線を画す、
かなり異様で
おどろおどろしい姿。
海の上を漂流する
幽霊船にも見えます。
そう、これこそがまさに、
「軍艦島」!
船に乗ってた
他のお客さんたちも
「うわー」「すごい!」
と歓声をあげて
写真ばっしばし撮りまくり。
皆そろって大興奮
本当に、見れば見るほど、めちゃ不思議な島!
島やのに、遠目から見るとまったく島っぽくない!
島を囲むコンクリート塀と
高層アパートの密集するその外観が
軍艦「とさ」に似ていたことが、
「軍艦島」と呼ばれるゆえん。
実際の島の名前は、「端島(はしま)」。
1810年頃にこの島で石炭が発見され、
100年あまり、炭鉱の島として
稼動していました。
炭坑で働く人々とその家族が、
この小さい島にどんどん移り住んでいき、
最盛期の20世紀初頭頃には、
6300人もの人々がここに住んでたそうです。
(当時の東京の人口密度の9倍!ぎゅうぎゅう!)
戦後は、石炭需要の減少にともない、
1974年に閉山、無人島になりました。
それから数十年、眠りについていた
この端島ですが、ここ最近は
近代産業遺産として、注目を集めているのです。
いよいよ端島上陸。
天候や海の
状態によっては
上陸できないことも
あるらしいですよ。
上陸前にもらった
この名札の色で、
班ごとにわかれて
島内を見学します。
ココは一体どこ??って感じの光景。
昨日の「耳をすませば」
に続き、
またもやジブリの「天空の城ラピュタ」を
思い出してみる
この軍艦島は、閉山からずーっと、
40年近くもほったらかしになっていた島。
建物は全くメンテナンスもしておらず、
いつ崩れたり倒れたりするかも
わからないので、上陸できる場所はごく一部。
(それ以外の区域に入ることは条例で禁じられてます)
主力坑だった
第二堅坑の坑口へ
続く桟橋の跡。
階段を登って、
桟橋から昇降機に
乗って、地下深くまで
降りて行きます。
(ま、昇降機はもちろんもうないけどね)
第二堅坑の深さは、地下600m。
そこからさらに海面下1kmも掘り下げて、
気温30度・湿度95%の中で
石炭を採掘していたそう。
ひぇ~!
めちゃめちゃ過酷な現場!
総合事務所。
赤レンガがキレイ。
いわゆる会社の
「総務」的なとこ?
共同の大浴場もあったそうです。
仕事を終えた鉱員の石炭汚れのせいで、
お湯は常に真っ黒だったとか。
島中央の
いちばん高台にある
高級職員用の
3号棟アパート。
各部屋にお風呂も
ついていて、
けっこう贅沢な
暮らしぶりだったみたい。
端島は、その場所柄、
台風や高波の影響を
モロに受けるところだったので、
いざというときのために困らないよう、
特に重要な職に就いている人の
お家は、こういうエエとこにあったらしい
プール。
これは2代目。
1代目は、後述の
小中学校の前にあったそう。
台風で壊れちゃったらしい。
水は海水をはってた
とのこと。
貯炭ベルトコンベアー
(橋げたのみ)。
精製された石炭を
貯炭場へと運ぶのに
使っていたようです。
なんか、ギリシャの遺跡っぽい。
30・31号棟アパート。
鉱員用の住宅です。
左の31号棟には、
地下に共同浴場があり、
1階には郵便局や
散髪屋なども。
30号棟にもお店が
入ってたそうです。
見たところ普通な感じの
このアパートは、何と、日本最古の
7階建て鉄筋コンクリート造高層アパート!
現代には、もちろんこれより
もっとすごいマンションもあるから、
そういう意味では特筆すべき物ではないけど、
大正5年でコレが建っていたことを考えると、
感心せずにはいられません
以下は、立入禁止エリアにあったので
ちゃんと見学はできなかったけど、
船から見えた建物たち↓
いちばん左の、森の上あたりに
ぎりぎり見えてるのが、端島神社。
毎年4月3日に山神祭という祭りが
行われてたらしい。
現在は祠のみ残ってます。
その隣の7階建ての長い建物は、
端島小中学校。
1~4階が小学校、
5階から上は中学校。
超マンモス校!
写真のちょうど中央は、
65号棟アパート。
これまた大きな建物ですが、
これも鉱員のアパート。
屋上に幼稚園なんかもあったそうです。
その横は、端島病院と隔離病棟。
ここが島のいちばん端っこになります。
ところせましと並ぶ
鉱員用アパート。
各棟は渡り廊下で
全部つながっていて、
外に出ずして
建物間の移動が
出来ちゃうのです。
いやー、すごいインパクトでした
何十年と建物に手入れをしてないから、
こんなにもオンボロになってしまってるけど、
19~20世紀初頭だった当時からしたら、
あれだけ高層の建物が
あんな小さな島にバンバン建ってる様は、
すごい未来的で、先駆的存在だったろうな。
ココには書ききれないけど、
細部のあらゆる1つ1つのものにも
圧倒されてしまい、この島の
並々ならぬ存在感をひしひしと感じました!
見学終了後、船に乗り込み出発。
行きのルートをそのまま戻ります。
改めて船から端島を見てみると、
いやー、やっぱりコレは普通じゃない。
現実にこんな島、ありえん!
コレは夢か?うつつか??
この感じは、実際行ってもらわないと
ちゃんと伝わらんと思う
端島は、ユネスコの今年の
世界遺産暫定リストにも掲載されてます。
(「九州・山口の近代化産業遺産群」
の中の1つとして)
もし今後、世界遺産に認定されたら、
果たして、この端島をどう維持していくのか?
世界遺産になれば、
確実に観光客は増えるから、
安全の確保と整備の必要がある。
でも、この現状の壊れている建物に
メンテナンスを加えてしまっては、
島のもつ良さが失われることも懸念されるし。。
はてさて、、難しいですね
とにもかくにも、
世界遺産になる前の、
まだ人がそれほど多くない今、
見に来ることが出来たというのは
かなり良かったかも。
ホンマに、ものすごく貴重な体験でした
⇒まだまだ続く!(別府温泉編へ)
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