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hitorigoto 4

思ったことをただ書くだけです。


料理の仕込で時間がかかる代表格が、ラーメンの仕込み。


もちろん、麺とスープは出来あいのものを使うのだが、俺が言う仕込みとは、具のこと。


で、ラーメンの具と言えば、まずメンマだが、ここでは日本のように、桃屋の瓶詰めなどは、簡単には手に入らない。


そこで俺は、日本にいる間に中華街で業務用の塩漬けメンマを買い込み、それをこっちで戻すわけ。


まず、塩抜きに、2時間くらいかかる。


そして、味付けの煮込みに、だいたい5時間くらいかかるんだ。


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でも、そうして出来たメンマはとても美味しく、桃屋の瓶詰めよりも美味しいぞ。


次は、味付け煮卵。


まず、ゆで卵を作り、醤油やみりんに砂糖を加えた汁で煮込み、冷蔵庫で保存する。


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これも、ラーメンには相性が良く、美味い美味い。


ウスターソースを少し加えて煮込むと、味付け卵らしい香りがよく出るのも、ポイントだ。


メンマと味付け煮卵、この二点はラーメン必須アイテムですな。


日本から戻った日は木曜日で、翌日金曜日は休日だったので、さっそく料理の仕込みに取りかかった。


その仕込みだが、休暇中の日本で色々と考えた結果、今までとは少し作戦を変えることにした。


一人暮らしの自炊生活という言うと、聞こえはいいが、実際には、買い物含めてかなり大変で、しかも、栄養バランスを考えると、どうしても偏ってしまう。そして、仕事をしながらの毎日の自炊生活となると、どうしても、作りだめし、冷凍・解凍が中心となるのだが、冷凍出来る料理にも限界があり、そこで考えたのが、、、


オリジン弁当作戦だ。


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上の写真の左上から、豚肉とナスの辛味噌炒め、ラーメン用メンマ、エビマヨ、ラーメン用煮玉子、塩コチョーの焼き鳥、インゲンとタコの醤油煮、


下の写真の左上から、鳥の唐揚げ、豚肉のしょうが焼き、シーチキンと玉ねぎ煮、トマト、ブロッコリーの塩ゆで、白身魚のバター炒め、海老のニンニクオリーブ炒め、そして、揚げ茄子だ。


まさに、オリジン弁当だろ。


これらは、冷凍はせず、基本的に、全て冷蔵庫に保管する。


こうした作りだめを休日に一気に行い、なくなる度に、新しい何か一品を追加していけばいい、そして、毎日、食べたいものを組み替え、そこに、冷凍しておいたご飯をチンして、味噌汁でも加えればいいじゃないか。


追加の一品を作るだけなら、平日の仕事の後でも可能だからね。


こうして食べた帰国後最初の夕食がこれ。


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インゲンとタコの醤油煮と鶏肉に柚子コショウを添えてみました。


うーん、写真で見ても、なかなかいいな。


パリからの帰国後、忙しいような、だらけていたような、そんな適当な時間を過ごしながらも、あっと言う間に俺の何回目かの休暇は終わり、気が付いたら、再び中東の地に戻っていた。


現地の俺にはフィリピン人の運転手がいることは前に書いたが、だいたい彼も休暇は、俺の休暇にあわせて取るようにしており、今回も、俺が戻って少したってから、母国フィリピンから戻ってきた。


ボス・タダイマ、これが彼の口癖だ。


そして、ハイコレ。


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フィリピンからのお土産のマンゴーです。


これがとても甘くて美味しく、あっという間にペロっと食べてしまいました。


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もちろん、俺も彼には日本から毎回お土産を買ってきており、今回のお土産は、背中に「愛」と書かれたTシャツ。


ちなみに、前回の休暇時のお土産は、「侍」と書かれたTシャツ。


前々回は、「男は度胸」。


こういうのが喜ばれるんでね。


で、いつもサイズは、XXL。


もちろん、ここには行ったけど、展望台に昇るための人が長蛇の列で、昇ることはあきらめました。


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エッフェル塔です。昇るのは、次回に挑戦です。


さて、パリと言えば、やっぱりここでしょう。今なお、18世紀の豪華絢爛な王室生活を見せつける、ここ。


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朝から行ったけど、入場までに3時間も並び、さあっと気合いを入れ直して中に入るも、中がまだすげー広い。宮殿内部だけの見学に約2時間、庭園の見学に1時間、そして、マリアントワネット王妃の別宅の見学に1時間、なんだかんだで計4、5時間もいましたよ。


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そうです、パリと言えば、って言うか、マリアントワネットと言えばの、ベルサイユ宮殿です。


そうそう、早朝から出発し、一日かけて、こんな所にも行ってきました。


普段は海の中にそびえ、潮が引くと見渡す限りの砂地の中に立つ修道院、


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1000年以上も前に建設が始まり、その後も増改築を繰り返し、ようやく16世紀に今の姿になった、パリからバスで約4時間の所にある有名な修道院です。


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モンサンミッシェルです。


いやあ、疲れた。細くて迷路のような回廊や階段をひたすら昇り、てっぺんの塔まで行くのだが、この日は旅行日程の最後の方で、しかもその日は起きたのが早朝であまり寝てなかったので、思い出は、ただ単に疲れたなあ、、、、、そんなモンサンミッシェルでした。


まあ、行くのが簡単な場所だと、モンサンミッシェルがここまで伝説の修道院になることもなかったと思うし、中世には要塞としても使用されたらしいから、陸の孤島にあるのは、仕方あるまい。


そんなこんなで、パリ旅行はあっと言う間に終わってしまうわけですが、パリはいい!


と言うのが、率直な感想です。


食べ物は美味しいし、街並みは美しい、都会生活に慣れてる俺らにとっては、便利で程よい都会でありながらも、どこかに庶民生活の香りも残しているパリ、、、、。


住みやすそうな街でした。


ここは、また行きたいし、はっきり言って、一度は住んでみたい、そんな風なことを感じた6日間のパリ旅行でした。


パリと言えば、食とワイン。


というわけで、パリで食べたものの紹介。


でも、パリとか行って、食事が出てくるたびにカメラを向けるのもなんだか変でしょ、、、観光客みたいで、、、まあ、観光客なわけだが、、、というわけで、あまり料理の写真は撮らなかったので、少しだけの紹介でご勘弁。


さて、まずフランスと言えば、やはりこれでしょう、到着したその夜に食べたのがこちら。


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エスカルゴに、オニオングラタンスープ、そして白ワイン。これは美味しかった。オニオングラタンスープの量が多く、もうそれだけで腹いっぱいになってしまったが、美味しかったので問題なし。


数日後に同じお店で注文したのが、オイスターと、またまた白ワイン。


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歴史があるがリーズナブルな値段で大人気とガイドブックで紹介されていた庶民的なレストランにも行きましたが、やはり人気で、外で20分ほど並んで待ちました。で、中に入ったらビックリ、当然のことだが大混雑。


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ようやく店内に入るも、なかなかオーダーを取りにこない。怒って、早くしろと言うと、「そんなに慌てんなよ」とウエイター君。まあ混んでるから仕方がないかとあきらめて待ち、どうにかこうにかオーダーに成功し、注文したのが、赤ワインとカモ肉。


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味は、、、いまいちだったね。ガイドブックに紹介されてるお店はよくないという典型のようなレストランだったわ。


そんなパリでの食生活の中、行列のあるお店を見つけたら、、、


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なんと、うどん屋!


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国虎屋といううどん屋で、これが大人気のお店。ここの行列は納得ってぐらい、味の方も良く、普段は中東の地にいて、駆け足で成田からすっ飛んできた俺にとっては、もう嬉しいお店でした。


もちろん日本人のお客さんも多かったけど、パリの人はもちろん、他の国から来た旅行者やビジネスマンにも人気のようで、店内は、いったいここはどこの国?といったぐらい多国籍で、不思議なうどん屋でした。


結局、このうどん屋で食べたうどんが、パリで食べた料理の中で一番美味しかったかも。


まあ、あれだね、パリと言えば確かに「食の都パリ」なんだろうけど、短期滞在だと、どうしてもガイドブックを頼らざるを得ないのが実際。そして、そうして入った店は、どうしても混んでいて、味もいまいちだったりしてしまう。


かと言って、適当に入った店が美味しいかどうかは、もう博打のようなもので、パリのような大都会の短期旅行で、美味しいモノを探すのは本当に難しい、そして、それは運だろうと感じた、今回のパリ旅行でした。


ワインの注文はもっと大変。たぶん、店の中には、美味しいワインはあるのだと思うが、フランス語と英語で書かれた膨大なワインのメニューの中から、自分にあったワインを見つけ出すのは、困難きわまる。もちろん店員のお勧めを聞くのだが、値段の高いワインを勧められてしまう、つまり、カモられてしまう危険もあるわけで、それも含めて、本当にワインのオーダーは難しいとも思ったね。


ワインをちょっと勉強してみたいとも感じたパリ旅行でした。



4月27日深夜便で中東から日本へ帰国、翌28日夜に成田到着、翌29日朝の便で成田を出発という強行軍でのパリ旅行でした。


さすがの俺も、28日夜はどこにも飲みに行かず、ホテルで休んでました。


今までもパリに行ったことは数回あるんだが、どれも仕事による出張で、本格的に旅行するのは、実は今回が初めて。


パリと言えばまずはここでしょう、まずはルーブル美術館に行きました。


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歴史ある本館の前にそびえたつピラミッド型のガラスの建物、、、完成した十数年前は、景観をそこなうとか言われて、けっこう評判が悪かった受付棟だが、、、最近はあまり悪い評判は聞かないね。


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世界一有名な美術館の中の世界一有名な絵の前は、さすがに黒山の人だかり。


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そう、モナリザです、レオナルドダビンチの傑作です。


こちらも大人気、ミロのビーナスです。


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俺は美術館に行くと徹底的に見てしまうのだが,今回もやはり、、、て言うかルーブル美術館はデカ過ぎ、結局、開館と同時くらいに入館し、出てきたのは,夜の閉館のちょい前でした。


まあ、色んな絵が見れたし、モナリザやミロのビーナス以外の傑作なのかどうかも分からないその他多くも、それはそれは良質の絵画や彫刻であふれていて、良い目の保養になりました。かなり疲れたけどね。


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近々、一時休暇をとって日本に帰る。


日本に戻るに時はいつもそうなのだが、戻ったらすぐに俺は横浜の馴染みのお店をまわる。


でも、日本滞在期間にも限りがあって、一日に一軒なんて余裕はない。


だから、一日に、5、6軒をまわるわけ。


しかし、それはかなり体力がいるものであり、精神的にも、かなりのハイテンションが求められる。


体力は、無理をすればいい、それだけのこと。


しかし、テンションは意識をしないと高まらない。


だから、俺は帰国前には、横浜にまつわる歌をなるべく多く聴き、勝手に盛り上がる。


というわけで、横浜にまつわる歌を紹介します。


まずは、「横浜ホンキートンク・ブルース」。


エディ藩が歌うオリジナルが一番いいけど、実は、日野美歌バージョンも捨てがたい。


"あなたの影を探し求めて、一人さすらったこの街角"という歌詞が、特に好き。


横浜という街は、皆が何かの影を探し求めて酒を飲んでいる街であり、実は、そこにいる誰もが孤独なんだと思う。


そういう孤独を歌ったブルージーなこの歌が大好きです。


自分を見るようでね。


渋いところでは、吉幾三の「あの日の横浜」もいい。


"さみしくないのよ、さみしくないけど、、、、"という歌詞が、実に横浜らしくていい。


横浜で夜な夜な飲んでる人達は、寂しくないふりをしているだけ、でも実は、本当はみんな寂しいんだろ?


分かってるさ、多分俺もそうだから。


ゆずの「桜木町」もいい歌だね。


基本的には失恋ソングなんだけど、"変わり続けてく、見慣れてた街並みも、だけど今も目を閉じれば、あの日の二人がそこにいる"と、桜木町という街を思い出の場所として歌うと同時に、明るく前向きに歩み出す第一歩の街としても歌っていて、みなとみらいの明るさを歌っているのが実にいい。


関内で明け方まで飲んだくれ、歩いてみなとみらいまで歩き、朝日を浴びている自分を思い出します。


東京電力の社長さんが福島県の避難所を訪問し、避難を余儀なくされた方々の前で、土下座をして謝っている光景を、テレビのニュースで見た。


放射能をばらまいてしまった企業のトップとしては当然の行為だと思うし、それを求めて、社長を罵倒する避難民の方々の気持ちも、当然だと思う。


しかし、それをセンセーショナルに報道するマスコミのやり方に俺は違和感を覚える。


もちろん、今回の責められるべき直接の事象は、安全を管理できなかったことであり、その意味では、東電は、誰が何と言おうが加害者だ。


でも、そもそも、絶対に安全な工場などあり得るのだろうか?と、今回の事故を振り返り、あらためて思う。


今、俺たちは気付いたわけだが、安全に対する警告を誰かが、ちゃんと行うべきだったんだと思う。


それは誰か?


その役割こそが、原子力安全委員会の仕事であり、さらには、それすらも監視するべきマスコミの仕事でなかったのか?


原子力安全委員会は、今まで何をしていた?


マスコミは今まで何をしていた?


特に、マスコミの責任は、とても大きいと思う。


日本のマスコミはいったい何を監視していたんだと言いたい。


ちゃんと、原子力安全委員会を監視していたのか?


東京電力を監視していたか?


福島第一原発をちゃんと監視していたのか?


東電の犬としてただCMを垂れ流し、事故が起きたら、手のひらを返したような東電叩き、遅いだろ。


遅いだけじゃなく、こずるい。


この機に及んでなおもセンセーショナルな報道で視聴率だけを求める日本のマスコミこそ、福島の避難民の皆さんの前で、土下座をしてこいと言いたい。


スーちゃんが亡くなった。


まだ55歳だったのにと、早すぎる死を残念に思うと同時に、キャンディーズもそんな年齢になっていたんだと、年月の移り変わりの速さを、あらためて感じてしまった。


最初のヒット曲である「年下の男の子」は正直、記憶にない。


しかし、「8時だよ全員集合」や「見ごろ・食べごろ・笑いごろ」でのコミカルなキャンディーズはかなり鮮明に覚えているし、「春一番」なんかは、頭の中で音楽というものを心地よく思った最初の歌だったかもしれないと思う。


「やさしい悪魔」はかなり鮮明に覚えてる。


小学校低学年で初恋も体験し、女の人を意識し始めたばかりの俺にとっては、あの悩ましく、大人っぽい感じの曲を歌うキャンディーズをテレビで見ては、何かエッチなことを感じていたのかもしれないと、今になって思う。


俺は、スーちゃん派ではなかった。


今でも断言できるが、俺は、ミキちゃん派だ。


お姉さんタイプのランちゃん、健康的なスーちゃんよりも、なんか目の下にクマがあって、幸薄そうなミキちゃんが好きだった。


でも、圧倒的な人気は、ランちゃんだったんだよね。


しかし、解散後は、スーちゃんが一番成功したと思うし、女性としても、すごく魅力的になっていったと思う。


だからこそ、今回の訃報を大変残念に思うし、とても悲しい。


俺のiPodに入っているただ一つのキャンディーズの歌は、ラストシングルの「微笑みがえし」。


あらためて何度も聴いてみたけど、やはり名曲だよ。


この歌の中には「お別れ」という歌詞が多く出てくるのだが、スーちゃんとは本当にお別れ、そして、これで永遠にキャンディーズともお別れだと思うと、一言では言えないが、本当に悲しい気持ちになる。


なんだか、少年時代の思い出の一部が、ぽっかり欠けてしまったような気がしてね。


ナスを油で揚げて、ショウガ、かつお節をのせ、醤油を少々かけた、「揚げナス」です。


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トマトと卵と豚肉を炒めて、混ぜ合わせ、塩コショーを少々、ニンニクをたっぷり加えた、「トマトと卵と豚肉の炒めもの」です。


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どちらもとても簡単な料理で、かつ美味しくて、マイメニューに追加だよ。


しかし、このような小料理に、酒がないのが、ちと寂しい。


と言うわけで、自家製ワインの製造もスタートです。


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