小宮勝男「岩槻城は誰が築いたか」(2012年、さきたま出版会)は、とても興味深い書籍です。
史学界の雄が提唱し、今や定説になろうとしている学説に対し、市井の郷土史研究家が、反論を展開する。それも、学者が根拠とした史料を、学者以上に丹念に精査することで。
知的好奇心をくすぐられ、その上、ケレンミある痛快さも味わえる書籍なのです。
※
テーマは、埼玉県さいたま市岩槻にあった岩槻城(岩付城)の築城者の比定です。
岩槻城は、戦国時代には、関東管領・扇谷上杉氏と新興の北条氏との抗争の中で重要な役割を果たした城。江戸時代には、徳川将軍の日光参拝旅の一泊目の宿泊地ともなりました。
この岩槻城は、長年、太田道灌の父・道真が築いたとされてきました。
しかし、近年、第一級の同時代史料によって有力な新説が現れました。
その新説は、
・築城者は道真ではなかった、
・武蔵国北部の成田氏が築城したのだ、
とし、史学界では既に定説の地位を得た状態です。
この新説の提唱者は、黒田基樹氏。
黒田氏は、著名な日本中世史の研究者です。
これまで十分に精査されていなかった関東各地の一次史料を集積し分析を進め、従来には無かった緻密さで関東の戦国時代に光を当てることで、多くの業績をあげてきた方です。
(個人的に大ファンです。私のバイブル「岩付太田氏」(岩田書院)の編者ですし、「太田資正のこと」を書く上で参照している書籍の多くが、黒田氏によるものです)
※
斯界の大家が唱え、学界では反論する者もなくなった新定説、岩槻城・成田氏築城説。
これに対して、地元・岩槻の一市民が否を突き付けたのが「岩槻城は誰が築いたか」です。
著者の小宮勝男氏は、岩槻出身の実業家。引退後に郷土史研究を始めて、若き大家・黒田氏の新説に挑みます。
「岩槻城は誰が築いたか」には、小宮氏が、岩槻城・太田道真築城説を否定する根拠とされた同時代史料「自耕斎詩軸並序」を丹念に読み込み、黒田説の矛盾を見つけていくプロセスが描かれています。
これが非常にスリリングでエキサイティング。読み応えがあります。
実業家・経営者として輝かしい経歴を持つとは言え、歴史学は素人だったはず。よくぞこれほど当時の史料を読み、分析したものだと、頭が下がります。
※
しかし、「岩槻城は誰が築いたか」には“問題”もあります。
小宮氏は「郷土の誇りであった、岩槻城・太田道真築城説を否定するとは許せん」という想いが、あまりにも強いのです。そのため、結論を急ぐ場面が非常に多く、読み手が混乱してしまうことも一度や二度ではありません(少なくとも私はそうでした)。
まず第一に、小宮氏は、岩槻城・太田道真築城説を支持する数多く推論とその根拠をロジカルシンキンクで言うピラミッドストラクチャーにはまとめていません。
あのピラミッドストラクチャーをそのまま本に載せる人はほとんどいませんが、頭の中にあのストラクチャーを浮かべてこそ、論理展開は分かりやすくなります。
その点では、小宮氏の論理展開は、構造化されていません。
かなりパワフルな根拠&推論も、「それは我田引水に過ぎるのでは?」と感じてしまうものも、どちらも同列に一つ一つ紹介してきくのが、小宮氏の文章展開。しかも毎回「だから、岩槻城を成田氏が築城したのはありえないのです」と云った赴きの飛躍した結論付けが続くのです。
結果として、非常に説得力のある根拠&推論を提示しているのに、こうした弱い推論についても同等のに扱いで紹介するスタイル故、他の推論まで疑わしく思えてしまう方も出てくるのです。
実に残念なことです。
小宮氏の論説が、史学界からほぼ無視されている(新井浩文氏が岩槻史林の小宮氏の論考を参照したことがある程度)のも、この論理展開の非論理性が原因となっているように思えてなりません。
私は、地形の観点から、
・岩槻城(岩付城)・成田氏築城説は考えにくい、
・岩槻城(岩付城)は、古河公方と抗争していた時代に扇谷上杉側側の建てたと考えるのが自然、
と考えている(→稿末の【関連】をご参照ください)ため、小宮氏の論考には、基本的に賛同したい立場にいます。
しかし、その私ですら、小宮氏の倫理展開は、「?」となってしまう部分があり、すっきりと賛同できません。
結局、私がたどり着いた結論は、
・小宮氏の「岩槻城は誰が築いたか」を読むだけではダメ、
・小宮氏の論拠・推論の一つ一つを抽出して、自らの手で、説得力の有無を精査しなければ、小宮説の総体としての信憑性は判断出来ない、
というもの。
急がば回れ。
頭の中が混乱したら、ひとつひとつ確かめていくしかありません。
それに、黒田氏や小宮氏が、同時代史料に当たって読み解き、考察を加えたことに比べたら、現代語で書かれた論考の内容を整理するなど、大した話ではありません。
ということで、次稿で、小宮説を整理してみようと思います。
→「岩槻城は誰が築いたか」を読む(中)
【関連】地形から考える岩槻城(岩付城)
・岩付城(岩槻城)が睨む方向
・「岩槻城は誰が築いたか」を地形から考える
・地図妄想:「敵は騎西城にあり」ならば・・・
*
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史学界の雄が提唱し、今や定説になろうとしている学説に対し、市井の郷土史研究家が、反論を展開する。それも、学者が根拠とした史料を、学者以上に丹念に精査することで。
知的好奇心をくすぐられ、その上、ケレンミある痛快さも味わえる書籍なのです。
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テーマは、埼玉県さいたま市岩槻にあった岩槻城(岩付城)の築城者の比定です。
岩槻城は、戦国時代には、関東管領・扇谷上杉氏と新興の北条氏との抗争の中で重要な役割を果たした城。江戸時代には、徳川将軍の日光参拝旅の一泊目の宿泊地ともなりました。
この岩槻城は、長年、太田道灌の父・道真が築いたとされてきました。
しかし、近年、第一級の同時代史料によって有力な新説が現れました。
その新説は、
・築城者は道真ではなかった、
・武蔵国北部の成田氏が築城したのだ、
とし、史学界では既に定説の地位を得た状態です。
この新説の提唱者は、黒田基樹氏。
黒田氏は、著名な日本中世史の研究者です。
これまで十分に精査されていなかった関東各地の一次史料を集積し分析を進め、従来には無かった緻密さで関東の戦国時代に光を当てることで、多くの業績をあげてきた方です。
(個人的に大ファンです。私のバイブル「岩付太田氏」(岩田書院)の編者ですし、「太田資正のこと」を書く上で参照している書籍の多くが、黒田氏によるものです)
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斯界の大家が唱え、学界では反論する者もなくなった新定説、岩槻城・成田氏築城説。
これに対して、地元・岩槻の一市民が否を突き付けたのが「岩槻城は誰が築いたか」です。
著者の小宮勝男氏は、岩槻出身の実業家。引退後に郷土史研究を始めて、若き大家・黒田氏の新説に挑みます。
「岩槻城は誰が築いたか」には、小宮氏が、岩槻城・太田道真築城説を否定する根拠とされた同時代史料「自耕斎詩軸並序」を丹念に読み込み、黒田説の矛盾を見つけていくプロセスが描かれています。
これが非常にスリリングでエキサイティング。読み応えがあります。
実業家・経営者として輝かしい経歴を持つとは言え、歴史学は素人だったはず。よくぞこれほど当時の史料を読み、分析したものだと、頭が下がります。
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しかし、「岩槻城は誰が築いたか」には“問題”もあります。
小宮氏は「郷土の誇りであった、岩槻城・太田道真築城説を否定するとは許せん」という想いが、あまりにも強いのです。そのため、結論を急ぐ場面が非常に多く、読み手が混乱してしまうことも一度や二度ではありません(少なくとも私はそうでした)。
まず第一に、小宮氏は、岩槻城・太田道真築城説を支持する数多く推論とその根拠をロジカルシンキンクで言うピラミッドストラクチャーにはまとめていません。
あのピラミッドストラクチャーをそのまま本に載せる人はほとんどいませんが、頭の中にあのストラクチャーを浮かべてこそ、論理展開は分かりやすくなります。
その点では、小宮氏の論理展開は、構造化されていません。
かなりパワフルな根拠&推論も、「それは我田引水に過ぎるのでは?」と感じてしまうものも、どちらも同列に一つ一つ紹介してきくのが、小宮氏の文章展開。しかも毎回「だから、岩槻城を成田氏が築城したのはありえないのです」と云った赴きの飛躍した結論付けが続くのです。
結果として、非常に説得力のある根拠&推論を提示しているのに、こうした弱い推論についても同等のに扱いで紹介するスタイル故、他の推論まで疑わしく思えてしまう方も出てくるのです。
実に残念なことです。
小宮氏の論説が、史学界からほぼ無視されている(新井浩文氏が岩槻史林の小宮氏の論考を参照したことがある程度)のも、この論理展開の非論理性が原因となっているように思えてなりません。
私は、地形の観点から、
・岩槻城(岩付城)・成田氏築城説は考えにくい、
・岩槻城(岩付城)は、古河公方と抗争していた時代に扇谷上杉側側の建てたと考えるのが自然、
と考えている(→稿末の【関連】をご参照ください)ため、小宮氏の論考には、基本的に賛同したい立場にいます。
しかし、その私ですら、小宮氏の倫理展開は、「?」となってしまう部分があり、すっきりと賛同できません。
結局、私がたどり着いた結論は、
・小宮氏の「岩槻城は誰が築いたか」を読むだけではダメ、
・小宮氏の論拠・推論の一つ一つを抽出して、自らの手で、説得力の有無を精査しなければ、小宮説の総体としての信憑性は判断出来ない、
というもの。
急がば回れ。
頭の中が混乱したら、ひとつひとつ確かめていくしかありません。
それに、黒田氏や小宮氏が、同時代史料に当たって読み解き、考察を加えたことに比べたら、現代語で書かれた論考の内容を整理するなど、大した話ではありません。
ということで、次稿で、小宮説を整理してみようと思います。
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【関連】地形から考える岩槻城(岩付城)
・岩付城(岩槻城)が睨む方向
・「岩槻城は誰が築いたか」を地形から考える
・地図妄想:「敵は騎西城にあり」ならば・・・
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