昨日は、荒川自転車道で30キロ走ったせいで、息子も私もヘロヘロに。

もともと昨日は、親子で通う糸東流空手と無想会東京同好会の稽古が重なってしまった日。
息子が「糸東流をやりたい」と強く主張したので、無想会を休むことにしました。

しかし、昨日の糸東流は、稽古開始時間が15時と、少し遅めでした(いつもは11時や13時)。

「空手の時間まで何する?」
「自転車!」

荒川自転車道に行ったのは、そんな流れだったのです。

なのに・・・(笑)。

自転車でヘロヘロになった息子は、「足がフラフラで空手できない」。

なんだとー!

親子で稽古を欠席しようかとも思いましたが、そこは貧乏性の私。月謝を払っているのに勿体ないと思ってしまい、一人で稽古に参加することにしました。
(息子は見学)

でも、少し無理をしましたが、昨日の稽古は、出てよかったと思います。

本土伝統派の上級者の組手を“体験”することができたからです。



少し遅れて到着したので、基本稽古からの合流。

■基本稽古:突き
・外八字立ち正拳突き
・四股立ち正拳突き
・前屈立ち正拳突き(中段)
・前屈立ち前後移動正拳突き
 (前進上段突き、後退中段突き)

前屈立ちの前後移動が、足に辛い(笑)。
膝を張ってガマクを掛けて瞬時に移動・・・のつもりですが、ガマクを掛けた後の足の寄せ・送りが遅いのです。

体幹から動き、足は後から勝手に付いてくる!
という身体操作ですが、足に疲労が溜まっていると、その影響は出てしまいますね。


■基本稽古:蹴り
・蹴りの準備体操
-前蹴上げ
-前から後ろ(内回し)
-後ろから前(外回し)
-横蹴上げ
-横回し蹴上げ
-後ろ蹴上げ

・前屈立ち前蹴り
・前屈立ち回し蹴り
・前屈立ち下段足刀
・前屈立ち中段横蹴り
・結び立ち後ろ蹴り

この足ふにゃ状態で蹴りか・・・
と思いましたが、前屈立ちの前後移動よりも疲れませんでした。

足の筋肉で蹴るのではない。
足は飛ばすだけなのだ。
とひたすら念じた成果かもしれません。


■基本稽古:受け
・下段払い受け
・上段挙げ受け
・横受け
・横内受け
・手刀受け
・掛け受け

ここで基本稽古終了。
少し長めの休憩へ。


■組手 目慣らし

休憩中、いつも息子に目をかけてくれている黒帯のY先生が、「あれ?今日は彼は?」と、武道場の隅で転がる息子に気づきました。

理由を話すと、Y先生は息子に、
「それじゃあ、今日は、お父さんと遊んでもいいな?」

「いいよ」と、先生にもタメ口の小2男子。

休憩時間はいつも息子がY先生に飛び付き、遊んでもらっているのです。
息子が絡み付きに行かないことで、Y先生も、ゆっくり休めますね。

・・・?
お父さんと「遊ぶ」?

「じゃあ、お父さん、少しやりましょう」とY先生。
「組手の“目慣らし”です。お互い交互に技を出して、その技を見切って避けたり、受けたりする稽古です」

以前、白帯同時でやったことのある稽古です。要するにフルコン空手で言う「受け返し」と「マススパー」の中間のような稽古法、と私は理解しています。

「え、今ですか?」と私。
「ええ。今です。組手の時間はなかなか取れないので、こういう時に短時間で密度の濃い稽古をするんです」

確かに時々、黒帯・茶帯だけでそういう稽古をしているのを見たことがあります。

「顔以外は多少当たっても構いません。さぁ、やりましょう!」と、笑顔のY先生。「お父さんとは、拳を合わせたくて、楽しみにしていました。多少、前に習っていた空手が出ても結構ですから、思い切りやり行きましょう。」

そんな訳で始まったY先生との“目慣らし”。

休憩時間の中だったので、攻守入れ換えて五回くらいでしたが、確かに“濃い”稽古となりました。

黒帯で体も大きいY先生の攻撃は、迫力が違います。あの巨体でスピードの乗ったワンツーを繰り出されると、どう避けていいか、どう受けていいか分からなくなります。

伝統派のワンツーは、ワンとツーの時に相手との距離が違います。

ワンを捌いても、その後のツーは更に踏み込んだ位置から繰り出されるので、その場に止まって突きを捌いていると、アッと思った時には決められています。

このワンツー、私もこの会派に入ってから移動稽古で反復しています。しかし、避け方、受け方の反復稽古はしていません。

つまり・・・
このワンツーの避け方の定石を俺は知らない!

さあ、どうする?

フルコン感覚でのその場に留まってのワンツー捌きでは、中に入り込まれます。

最初のワンへの捌きをしっかりやって、ツーを出せないレベルに相手を崩そうともしましたが、あのスピードの引きの速いワンに対してそれは無理でした。

伝統派の組手動画を見ると、左右にかわしたり、大きくバックステップしています。
左右へのステップでかわして反撃の突き!と思いましたが、頭で考えた動きは遅く、かわしてもあっという間に詰められて突きを決められてしまいます。

ダメだ!
圧倒的に、組手の定石動作の反復稽古が足りません。

それを知らしめ、課題を与えるための“目慣らし”なのでしょう。
そうか、俺はこんなに動けないのか!と、思い知りました。

ありがとうございました。
よーっく、わかりました!

しかし、このままで終わるのも少々癪です。

前に習っていた空手が出てもいい、とのことでしたので、自分にとって最も体に染み込んだフルコン空手の技術を混ぜてみることに。

ワンの後の二度目のステップインツーが厄介で、今の私にこの二度目のステップを外す足が無い以上、取れる手立ては・・・

二度目のステップを出させないこと。

Y先生からの最後の攻撃に対して、ワンを受けつつ前足に「インロー」(当てました)。二度目のステップを止めたところで、高速上段気味に右上段逆突きを・・・と動作に入ったところで、体勢を戻したY先生の中段逆突き。相討ちと思いたかったのですが、Y先生の方が先。

完敗です。
(勝負ではありませんが)

Y先生は「最後のは前にやってた空手の技ですね。勉強になりましたよ!」と楽しそうでした。

ちなみに、私が「攻」となった際は、どの攻撃もY先生に届きません。

寄り足ワン→寄り足ワンツー→さらに歩み足で左中段逆突き、のような移動距離の出せる連打も繰り出してみましたが、足で距離を外されて、全く追いきれません。スピードが違います。

唯一、そこそこ距離を詰められたのは、高速上段気味のワンツー→右アウトロー→左逆突きのみ。
しかしこれも、フルコンチックなローキックを織り混ぜたのが“反則”ですし、Y先生を捉えた感じはありませんでした。
最後の左逆突きが居着いた突きになってしまい、距離が出なかったのです。

Y先生は笑顔で、「これも面白い!こういうのがあるんですね」。

攻守入れ換えての五回を終えて、Y先生に指摘されたのは、目を閉じている瞬間がある、ということ。
攻守の足捌きがまだ身に付いていないのはこれから練習すればよいとして、目は今すぐ直すべき。決して閉じてはいけない。

言われてみれば、確かにそうです。

最初の踏み込みのワンまではいいのですが、次のさらに踏み込んでのツーを目の前にした時、私の脳は「なんだこれ?!」と処理できなくなっているのです。その脳のパニックの現れが、目に出ているのでしょう。

そんな風になっている自分。
これは、なかなかショックです。

反復稽古も実践も足りていないのが原因ですが、Y先生も言ったように普段の道場稽古ではその時間はありません。(このブログの稽古録を見ていただければわかるように、基本稽古→移動稽古→型、で終わる型中心の会派です)

ひとりで意識し稽古して、今回のような機会を使って検証していくしかないのでしょうね。

Y先生には、相手の直進をかわす足捌きを確認させてもらいました。


■移動稽古
・前屈立ち追い突き
・前屈立ち逆突き
・組手立ち寄り足順突き
・組手立ち寄り足逆突き
・組手立ち寄り足順突き(上段)→寄り足逆突き(中段)

休憩時間の“目慣らし”での動けない自分にショックを受けたので、組手立ちの寄り足移動は、いつも以下に真剣に。

■型
・基本型第一
・基本型第二
・平安三段

最後は型。
疲れと集中力切れが起こり、ちょっとダラダラしてしまいました。



今回の稽古は、
・攻守にともに動けない自分、
・相手のグイグイ前に出る動きにパニックになる自分、
を突きつけられました。

まさに“洗礼”。
白帯・色帯同士の稽古では、気づけないことを気づかせてもらえました。

道場では組手の稽古時間はあまり取れないので、今日の課題に向き合うのは、ひとり稽古しかありません。

攻守ともに自在に動ける自分、動けることで相手の動きも冷静に観の目で見られる自分を目指すには、意識して稽古するしかありません。

自在に動けるようになるには、無想会で習った身体操作の活用が役立つはず。
(ナイファンチのダダダッとか)

そこは試行錯誤してみたいと思います。
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すっかりチャリンコ男子となった息子。
今日は、荒川自転車道を走りました。

西遊馬公園からスタートし、上江橋を越えて北上。圏央道を越えて数キロあたりで折り返し、また西遊馬公園に戻りました。

走行距離は往復で30キロメートルくらい。調子に乗って走り過ぎ、父子ともに足ふにゃふにゃになりました。

※ ※ ※

振り返ります。

西遊馬公園からスタート。⬇︎
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自転車道に踏切が!
電車マニアの息子、興奮。⬇︎
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上江橋。
以前も書きましたが、この橋は、
・西に富士山や多摩・秩父の山々、
・北に群馬や栃木の峰々、
・東にはさいたま新都心のビル、
・南には池袋のビル群
が望める展望の利く場所です。

ある意味、埼玉(武蔵国北部)という
土地を凝縮した場所と言えるまもしれません。

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上江橋を越えると、こんな風景がずっと続きます。雄大です。⬇︎
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ホンダエアポート。⬇︎
飛行機、飛んでました。
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息子は、飛行機に目もくれず、前へ。
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圏央道。⬇︎
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圏央道を越えたあたりから、だんだん疲れてきました。⬇︎
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Google mapで出発地点から距離を測り、15キロメートルになったところで折り返しです。⬇︎
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帰路も意外に元気だった息子。⬇︎
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西遊馬公園に戻って、クルマでお弁当。
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雄大な景色を楽しみながら、スピードを出して走れる自転車道。荒川自転車道、最高です。( ゚∀゚)o彡゚さいたま!さいたま!


昨日の見沼代用水自転車道と比べると、景色の雄大さやコースの走りやすさ(スピードの出しやすさ)は、圧倒的に荒川自転車道ですね。

眺めが良くて、疲れを感じずに走り続けることができてしまいます。(ある意味、とても危険なコースです)

しかし、自然の濃さや休憩所の充実では見沼代用水でしょうか。

休憩所がなくて、結局30キロ走って出発地点に戻ってお弁当、というのは少し残念だったかもしれません。

まあ、堤防の上の自転車道だから仕方ない点ですが。

それにしても、景色が素晴らしいので、ついつい走ってしまいましたが、やはり素人&小2男子に自転車30キロは疲れます。

この後で行った糸東流空手は、息子は疲れで稽古できず(息子が稽古したいというから無想会 東京同好会を休んだのに!)、「親子空手」ならぬ、「親父だけ空手」になってしまったのでありました。
「同じコースをぐるぐる回るんじゃなくて、道をどんどん進んで探検するみたいなサイクリングがしたい」

そんな息子の希望を受け、今日は、見沼代用水自転車道(緑のヘルシーロード)を走ってみました。

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スタートは、見沼自然公園から。
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見沼自然公園から隣接する自転車道に上がります。
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で、走ります。
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ぐんぐん走ります。
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一時間ほど走ってからランチ休憩。
今朝作ったサンドイッチを食べました。
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ちなみに私は、使わなくて錆だらけになっていた通勤用自転車を最低限だけ修理して乗ってみました。息子のサイクリングの付き合いなら、これで十分ですね。
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見沼代用水の様子。
川のほとりを走るのは快適です。
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七里総合公園まで来ると、「公園で遊びたい」と息子。自転車を降りて公園を散歩しました。
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七里総合公園で折り返して、見沼自然公園へ。途中でお菓子休憩。
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見沼自然公園に戻り、今度は公園を散歩。
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この後は、見沼自然公園から再び自転車道を南下。

カフェに寄って休憩してから、氷川女體神社を過ぎて、見沼大橋の辺りまで。

雨が降ってきたので折り返して、見沼自然公園に戻って、サイクリング終了としました。

南下コースは、菜の花が咲き乱れていて眺めが最高てしたが、小雨がパラついていたのと、疲れてリュックからiPadを取り出すのが面倒になり、写真は無し(笑)。

撮っておけばよかったと、今は反省しています。



走行距離は、11キロメートル。
景色もよくて、気分よく走ることができました。

近所にこんな素晴らしい自転車道があったとは、恥ずかしながら知りませんでした。

気分は、( ゚∀゚)o彡゚さいたま!さいたま! です(笑)。

今日走ったのは、自転車道のほんの一部。
息子も気に入ったようなので、今後もう少し開拓してみようかな。

楽しいサイクリング・デイでした。

詰め切れなかった

テーマ:
新年度早々、なかなか余裕の無い日々を送っています。

今週は、提案書2本、報告書1本を仕上げなければなりませんでしが、間に合わず、提案書1本は来週へ先送りすることに。

しかし、提案書1本、報告書1本でも、サクサクとは片付けられずに苦戦中。

明日は報告書の完成にあてたいので、残した提案書1本は今日の内に終わらせたかったのですが、うーん、できは6割弱か。

ということで、明日は、二正面作戦の日と相成りました。

間に合うか?
息子の宿題を見て、ベイブレード遊び(最近ハマっています)の相手を少ししてから、ちょっとだけ突きの稽古。

パンチングミットを例の場所(柱の凹の場所)にテープで固定して、
・ナイファンチ立ちの正面突き
・撞木立ちの突き
をミットに当てます。

腰・肩を回さない。ガマクを突きの進行方向に掛け、肩から入る。引き手をしっかり取り、広背筋で肘を操作する。

そんな身体操作になっているかを確認しながら、突いていきます。

突きながら、ふと感じました。
自分の突きには、上半身(腰から上)の重みしか掛かっていないのではないか?
下半身(腰から下)の重みが、全く活かせていないのではないか?と

あくまでも感覚的なものです。

しかし、自分の突きには何か足りないと常々感じてい注意ました。それがも下半身の重みなのだとしたら・・・

仮にそれが正しいと仮定して、ならばどうすれば下半身の重みが突きに乗るのか?

そう考えた時、エス隊長が教えてくれた、刀禅と無想会の突きの関係のことを思い出しました。
「基本は袴腰。骨盤は前傾。でも、突きのインパクトの時は・・・」

エス隊長が教えてくれた突きのインパクトの際の腰のあり方は、サンチン(三戦)突きの際のそれに見えました。

骨盤を後傾させた腰のあり方。
仙骨を締める、ウンコ我慢の姿勢、肛門を締める、とも言われるその立ち方は、上半身と下半身を繋いで一体化させるものと言われています。

上半身と下半身が一体化するなら、上半身で放つ突きに、下半身の重みが乗るはずです?!

ということで、やってみました。
突きのインパクトの際に、腰をサンチン突きの状態(仙骨締め、ウンコ我慢、肛門締め)をしてみたのです。

結果は・・・

突きの威力が、一段階上がる感じです。
ミットの音が違います。下半身の重みが突きに乗っているような。

特に撞木立ちの突きの威力アップが著しいと感じました。
進行方向にガマクを掛ける身体操作と、袴腰→ウンコ我慢姿勢の移行は、同時にできて、相性がいいのです。

一言で言えば、拳がミットに刺さる感触。
南風さんやNさんの突きに、少し近づけたか?!

しかし、問題もあります。

広背筋の肘操作に加えて、腰の変化(袴腰→ウンコ我慢の姿勢)も行うと、突きが遅くなります。単に慣れていないだけかもしれませんが。

もう1つの問題は、気持ちよくガツガツとミットを叩いていたると、振動が全身に伝わり頭も揺れてしまったのか、途中から気分が悪くなってしまったこと。

柱の凹部にミットを置き、突きに合わせてミットが凹んで変形するようにしていたため、これまでは突きのインパクトがそれなりに逃げてくれ、気分が悪くなることはなかったのですが・・・

突きの威力アップと解釈すれば朗報です。
しかし、凹柱+ミットで、家でも当てる突きの稽古ができる?!という私の目論見が崩れてしまったという意味では悲報とも言えます。これでは、ずっと続けていたら、セルフパンチドランカーになってしまいます。


もしも本当に、今回感じた気分の悪さが、突きの威力アップによるものだとしたら・・・

やはり、スタンド式マキワラでも、買わなきゃいかんですね。

ああ、出費が・・・

もっとも、私の突きの威力アップの体感が正しいのかは、まだまだ疑問ではあるのですが・・・

以上、試行錯誤の記録として。

風呂前に、ナイファンチ(内帆船)全伝も三回ほど。前交差横移動のスムーズさが、まだ全然足りません。

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(毎回、代わり映えしない写真ですが・・・)
先日、「セイサン(十三、セイシャン、半月)研究への期待」と題して紹介した、無想会 新垣師範のセイサン解明。

セイサンの「技」の解明に関するブログ投稿(読む人が読めばわかるレベルで書かれています)が続いた後、今度は「セイサンは鍛練形である」という命題の検証が、主テーマとなっています。

門下ながら、
「うわぁ、こんなこと書いちゃって大丈夫なんですか!」
と不安になってしまう(反発を招くのでは?という観点で)ほど、踏み込んだ内容です。

新垣師範と言えば、かつて1990年代に、「空手に逆突きは無い」と発表して世間(空手界)を驚かせたことで有名です。

あの「逆突き無し」理論は、伝統派の組手技術やその方法論として、21世紀の2017年の今、当たり前のものになった感があります。

すでに常識となった“2軸”身体操作の組手技術や“高速上段突き”は、「逆突き無し」の空手本来の身体操作が、組手ルール内という制約条件の下で、部分的ながら、しかし実証的に再現されたもの、と私は理解しています。

(どちらが先か云々を論じるつもりは、ありません。不毛ですし、私に論じる力量はありません。重要なのは「そんなバカな?!」と当初受け止められた「空手に逆突き無し」が、いまや組手競技の世界では当たり前になっている点です。また、両者が完全に同じものだと論じるものでもありません。両者が一致するのは「足を止めて中心軸回転で腰を回して突く逆突きでは、全く使えない」という点です)


さて、今回、新垣師範が空手界に突きつけたのは、「鍛練形は存在しない」という命題です。

「空手に逆突き無し」に比べ、地味な指摘かもしれませんが、ある意味では、それ以上にショッキングな内容だと私は思います。

反発する方は、少なく無いと思います。
いや、はぁ?ふざけるな!と感じる方が多いと思います。

しかし、まずは読んでから。

セイサン(十三)は鍛練形?
鍛練形は存在しない
サンチン(三戦)は鍛練形?


個人的には、形稽古には“鍛練”の効能があると思っています。

殺傷力の高い使える技法。
それを真に効果的に放つための理想的な身体操作。
これらを己に強いることは鍛練になるはずです。

新垣師範の「鍛練形は無い」も、(私の理解の範囲ですが)上記のような形の鍛練効果を否定するものでは無いと読めます。

新垣師範が批判しているのは、「そのままでは使えないが、鍛練にはなる」という位置付けの“鍛練専業の形”。

そんなものは無い。
鍛練形として名高いサンチン(三戦)も、本来は殺傷力全開の相手をボコボコにする形だった。

皆さんは、どう受け止めますか?

新垣師範の言う、サンチンに様式として残る「相手の首を折る」技。どれだと思いますか?

(多分、アレですよね。受けで終わる形は無いはず)
戦国時代の関東。反骨の知将と知られた太田資正(三楽斎、道誉)は、なぜその生涯において、反北条を貫いたのか?

実は若い時には、10年以上に渡り、北条氏の忠実な配下として過ごした時代(天文17年~永禄4年)もあった資正。

後半生は、何故あれほどまでに北条との対峙対決路線を志向し続けたのか。

ネットのどこかで、そんな疑問を見かけたことがあります。

私は、その理由は単純で簡単だと思います。

太田資正が、領国・岩付(岩槻)を追われて尚、反北条の戦いを止めず、生涯それを貫いたのは・・・

それしか、生きる道が無かったためでしょう。



太田資正には、北条氏に再服属し、その配下として生きる道が残されていなかったのだと、私は考えています。

太田資正の領国・岩付(岩槻)は、北条氏の本国に接し、その中核に肉薄した土地。
その地にあって北条を裏切り、上杉謙信(長尾景虎)に付いて戦った資正は、北条氏にとってあまりに危険な存在です。

永禄4年~7年の四年間の太田資正の苛烈にして、智を尽くした戦いぶり、そしてそれを支えた大戦略は、北条氏を大いに苦しめ、焦燥させました。

仮に、それだけのことをやってのける男が降服を申し出たとして、北条氏が、本国に隣接する領国を安堵したままその男の服属を許すでしょうか?

許すはずがありません。

領国から切り離して、“飼う”という選択肢もあるかもしれませんが、いつ敵と内通し、外敵を誘い込むかわかったものではありません。

領国を安堵しても、領国から引き剥がして“飼った”としても危険な男。こんな男は殺すしか手はありません。

資正には、反北条の戦いをやめ、降服し、服属することで、新たな人生を歩むという道は残されていなかったのです。



もしも・・・

もしも、資正が、関宿くらいに北条本国からある程度離れた土地の領主であれば。
また、あれほどに苛烈に北条氏と戦い、その心胆を寒からしめたことがなければ。

それならば、北条氏は、資正の降服を受け入れた可能性があります。
服属させ、外敵との最前線を守らせる他国衆とすれば、北条氏にも利があるからです。(天文17年~永禄4年の北条服属時代の資正がこれでした)


しかし、永禄7年以降の資正にその選択肢は無いのです。

資正に残された選択肢は、死ぬか、武将をやめるか、死ぬまで反北条側で武将として戦うか、のみ。

資正は、敢えて孤高の道を選んで、反北条の生き方を貫いたのではありません。

それしか、生きる道がなかったのです。



・・・

しかし、こうは書いたものの、私の中には、全くの想像・空想ながら、別のイメージも存在しています。

資正がその後半生において反北条を貫いた別の訳。私は、それを“復讐”だったのではないかと空想します。

北条氏が、己を打ち破ったことに対する“復讐”ではありません。

憎んでも憎みきれないものを奪われたことへの“復讐”です。



以下は、全くの空想です。
私は、資正には、生涯北条氏を許さぬと誓った瞬間があったと思うのです。

それは、己の嫡男、太田氏資の討死の報を聞いた瞬間です。

資正と折り合いが悪く、岩付太田氏の中での親北条の代表であった、嫡男・太田氏資。

氏資は、北条氏に無謀な戦いを挑む父・資正を見限り、クーデターによって追放。領国・岩付(岩槻)ごと北条氏の傘下に入ります。

追放された資正は、心の底から恨んだはずです。裏切って恥辱を味あわせた息子、氏資を。

実際、岩付(岩槻)を追放された資正は、放浪の三年の間に、たびたび岩付城の奪還を企て、息子である氏資と刃を交えています。

資正にとって氏資は、もはや息子ではなく、敵になっていたのです。

しかし、歴史は残酷で、意外な展開を見せます。

北条氏を慕い、父親を追放してまで服属を決意した太田氏資は、頼った北条氏によって裏切られ、殺されのです。



強敵・里見氏との三船山での負け戦の殿(しんがり)。

北条氏当主・氏政は、わずか五十数騎で参戦していた太田氏資に命じます。もともと千騎の大将である岩付領主の氏資が、わずか五十数騎で合戦に参加しているのもおかしな話ですが、その少数の岩付衆に、危険な殿を命じるのも、酷な指令です。

氏資はこの命に従い、家臣とともに役目を果たし、主従全員が討ち死にしたと言います。

壮絶な全員討ち死の様子は、氏資に対する評価が辛い太田家の家史『太田家譜』においても、同情的に描かれています。

古来、太田氏資の討ち死は、北条氏政の謀略だったと疑われています。

北条氏政は、例え親北条の新当主が現れようとも、本国に肉薄した岩槻を、かつて敵対した勢力に治めさせたままおくことを嫌ったのでしょう。



この氏資討ち死の報を聞いた時、太田資正は何を思ったか。

憎んでも憎み足りない、恨んでも恨み足らない裏切り者の息子、氏資。

そこまで恨んだ息子が、信じて、頼んだ北条氏に、無惨に捨て駒にされたと知った時、資正の胸には複雑な想いが沸き起こっていたのではないかと、私は想像します。

憎しみはそもそも、愛情の存在がなければ生まれない感情です。

憎しみの奥に愛情があったことに気づいた資正は、生意気で己に歯向かってばかりだった少年時代の氏資の姿を思い出したのではないか。

生意気で腹が立つ我が子。
しかし、腹を立てながらもかわいいと思う我が子が、殺された。

信じて、頼った相手に。

愚か者め。
と、資正は、心中、氏資をなじったことでしょう。
だから言ったではないか・・・。

そして、次の瞬間、資正は、決意するのです。

許さぬ、と。
残されたこの命、北条氏を滅ぼすことに捧げると。

もちろん、すべては私の妄想ですが。
一昨日の無想会 東京同好会の稽古後、実はすぐにさいたまに帰らず、息子の町歩きに付き合わされました。

息子の目当ては、ギター屋さん。
M大学周辺は楽器屋さんのメッカで、息子はいつもその横を通りつつ、飾られている種々の弦楽器が気になっていたそうです。

(父親は空手のことしか考えていないので、ギター屋さんは全く視界に入ってきません(笑))

何軒かギター屋さんをハシゴして、最後に息子がたどり着いたのは、ウクレレ専門店。

飾られている色も形も多様なウクレレを見上げる息子。ずーっと見上げていたので、接客を終えた店員さんが、入門器(ですが約一万円の品物)を下ろして息子に触らせてくれました。

「お前、落とすなよ!汚すなよ!」とビビる父親をよそに、息子はウクレレを胸に抱え、ぎこちない指づかいで弦を弾いて喜んでいました。

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(本来は撮影禁止ですが、「商品陳列と値札が見えなければいいですよ」とのご厚意に甘え、パシャリ)


もちろん、買わずに帰りましたが、帰路の息子の会話はウクレレ一色になりました。



妻の家系は、みな音楽好きです。
義父は本格的に声楽をやっていましたし、妻の姉妹は全員ピアノを習い、妻自身も一度は音楽系の高校への進学を薦められたことがあったそうです。
子ども達世代も、皆まずはピアノ。

従兄弟の中でピアノを習っていないのは、うちの息子くらいなのです。

まだ元気だった頃の妻が、「ピアノやってみる?」と尋ねても息子は拒絶。

音楽家系の血が、私のせいで薄まったかな、と思ったりしていました。



しかし、2年くらい前から、どうやら息子は単にピアノに興味がないだけで音楽そのものは好きらしい。楽器としては、とにかく弦楽器が好きらしいと、わかってきました。

生前の妻と行った最後の家族旅行(妻の闘病生活がいよいよ厳しくなり「これが最後かもしれない」という予感しつつの旅行でした)の行き先のグアム。そこで、お土産の安物ウクレレを見た息子は、かじりついて離れようとしませんでした。

「あきは、こういうのが好きだったんだね。ピアノじゃなくて」
妻はそう言って、そのお土産ウクレレを買ってあげたのでした。

しかし、調弦してもすぐ狂ってしまうお土産ウクレレは、音感の無い私には手にあまります。弾き方もよくわかりません。妻も私も、闘病最優先の生活で、自らウクレレのことを調べる心の余裕もありませんでした。

息子は、頑張ってウクレレの弦を弾いていましたが、調弦がめちゃくちゃなので、「こういう音じゃない」と不満げ。

特に妻が他界し、不慣れな父子生活を始めてからは、息子に「ウクレレ弾こうよ」と言われても、精神的に重荷に。
私はウクレレを押入の奥に隠すことにし、以来、息子も、ウクレレのことを忘れてしまった・・・

ように見えました。



そんな風に、親の都合でこっそり封印していた息子のウクレレ熱が甦る。

それも、親の趣味(空手)で振り回され、付き合わされた先で、ウクレレ専門店に出会うことで。

これも何かの運命か。

専門店で、ぎこちない手つきでウクレレを弾く息子を見ていると、グアムでの妻の言葉が甦りました。

「あきは、こういうのが好きだったんだね」。



しかし、そうは言っても、気まぐれな小2男子です。

かるーい気持ちでの「欲しい」にホイホイ付き合うには、楽器は高級品でありすぎます。

だから、日曜日の帰路は、息子と約束を交わしました。

どこかで一度、ウクレレをちゃんとした先生に習ってみて、本当にいいな、続けたいなと思って、そして続いたら、あのウクレレを買ってあげよう。
多少うまくなるまでは、教室で借りたウクレレで我慢しなさい。
と。



そんなわけで、ひとまずの私の課題は、近場で体験レッスンができるウクレレ教室探しです。

ひとり親コンサルタントとしては、日々暮らしていくだけで大変なので、そこにウクレレ教室探しや体験レッスンの予約が入るのは、正直、めんどくさい(笑)。

次の週末にでも考えることにします。

もしも、時間が空いて、息子のウクレレ熱が冷めてしまうようならば、それまで、ということで。

はてさて、どういうことになるのやら。