息子の希望を受け、初のカレー弁当。
ただし、息子はスープ用の缶型弁当箱を嫌がり、この弁当箱に。この弁当箱だと、横にするとカレーが仕切りを越えて、ご飯ゾーンや野菜ゾーンに流れ込みます。

「縦にするな。水平に持て!」
と、息子には伝えています。

たのむぞ!


AD

翼無き今、どう飛ぶか

テーマ:
今日は、私がプロジェクトリーダーを務める業務でのセミナーの日。

国際的に活躍されるある有識者に、講演をいただきました。

世界を飛び回り、各所でキーパーソンとのコネクションを作り、彼らと語らって大きな絵を描く・・・という今日の内容は、実に刺激的。

ささやかながら、私も以前は、そのミニチュアのような働き方をしていました。そうした自分の経験に重ねながら、懐かしさを感じたり、「大きい仕事をなすにはこうするのか」と感心したり。
楽しい時間でした。

しかし同時に、今の自分には、翼が無いということも痛感させられました。

組織の壁を越えて縦横無尽に世界を飛び、人と会うことなど、夢のまた夢。

会ってみたかったキーパーソンに、海外空港でばったり遭遇。ここが勝負所と、スケジュールを変更して何とか自己紹介して飲みに誘った。その時の関係が※※のコンソーシアムに繋がった。

そういう世界に対して、10時~17時しかオフィスで働けず、国内出張すらままならない今の自分は、何と遠いところにいることか。

もちろん、頭を使えば、この条件の中でできることもあるはずですし、それなりに努力をしてきました。しかし、かつて自分も謳歌した、時間・空間の点での圧倒的な自由の喪失は、今日の講演を聞いて、改めて巨大であると思わせられました。

ある意味では、気づかないようにしていた喪ったものの大きさに、今日気づいてしまったのでしょうね。

・・・

まあ仕方ない。
喪ったものの大きさをきちんと見据えた上で(そこを誤魔化したりせず)、何ができるか、もう一度考えよう。

昨夜は、ひさしぶりにストレッチを30分くらい。

 

  • 足裏合わせて膝パタパタ
  • 片足閉じ前屈
  • 四股立ちで腰上下
  • 開脚前屈
  • 片足タンス乗せストレッチ
  • 壁開脚

いやー、硬い!(笑)

 

私のストレッチを見た息子が真似を始めましたが・・・

 

コヤツ、いつのまにか、170度くらい足が開くようになっていました。

子どもはいいなあ。

 

ついでに、回し蹴り、前蹴り、横蹴りのフォーム指導、寄り足順突きのステップをしました。

    つい2時間ほど前の、息子との会話。

    寝室にもテレビ端子があるの を見た息子が、尋ねてきました。

    「ここにもテレビが付けられるんだね。なのに、なんで、テレビはリビングだけなの?」

    「Rちゃん(←生前の妻をちゃん付けで呼んでいた癖はいまでもそのままです)が嫌がったんだよ。寝る時にテレビ見ると眠気が飛んでしまうから、寝室に置くのは絶対に嫌だって」

    「やっぱり、家のことは、お母さんが決めるんだね」

    「そうだな。家って場所は、パパよりママの方が長く時間を過ごすからな。俺は、自分がどう思うかより、Rちゃんがどう思うを最優先したんだよ」

    「そうしないと、お母さん怒るしね」

    「お、お前・・・。送り盆は済ませたが、まだこのあたりをフワフワ浮いているかもしれないぞ。言葉には気を付けようぜ」

    「大丈夫だよ。自分(←息子の一人称はなぜか『自分』)は、お母さんのすぐ怒るところが好きだったから。」

    「へえ。そうだったのか・・・」

    「うん。好きなところを話しているんだから、お母さんも怒らないはずだよ。」

    「なるほど。そうかもな。それにしても、Rちゃんのすぐ怒るところが好きだったとは・・・。そういう女性の趣味だと、苦労するぞ、お前」

    「だって、かわいいじゃん。『え、そこで怒るの?!』みたいなことで怒るお母さんは、かわいいと思ったよ・・・」

    そこまで言うと、息子はスースー寝入ってしまいました。

    なんだか苦笑いです。
    息子が、母親をそういう風に見ていたとは。

    そして息子が、将来、女性に振り回されて、苦労する人生を歩みそうで、ちょっと心配になりました。

    いったい、誰に似たのだか・・・
    あ、俺か。

    将来、妻によく似た女性を連れて来そうな気がしてきました。

    ※ 写真は先月のキャンプの際のもの。本文とは関係ありません。



    昨日の土曜出勤が思った以上に体に響いたようで、今日は起きられませんでした。
    初盆やら、その後の栃木行きらやで、疲れもたまっていたのかもしれません。

    二週間ぶりに行くつもりだった親子空手ですが、私が起きたのは、なんと稽古の開始時間(笑)。

    今日は空手は諦めて、昨日息子と遊べなかった罪滅ぼしに、鉄道博物館に行くことにしました。

    ※ ※ ※

    今回息子がはまったのは、工作コーナー。
    木片をボンドで組み合わせます。
    電車好きな息子ですが、選んだのは各種電車模型ではなく、カメラ。

    なぜ?




    博物館のヒストリーコーナーの二階にも、長時間滞在しました。

    この長い廊下(↓)を行き来する鉄道模型を、ひたすら追いかける息子。体力は有り余っています。(空手やらせたかったな)



    私も、十分に寝て体力が回復したので、息子が鉄道模型を追いかける間、こっそり“寄り足ワンツー”の足運びの練習を・・・

    突きの動作はしてません。足だけです。
    このスペースはほとんど人がいなかったので、何卒お許しください。

    そんな日曜日でした。
    人間の手は他人をぶん殴るために進化した?!

    ということは、空手の正拳は、人類進化の到達点だったということ?!

    興味深い研究ですね(笑)。
    拳を存分に使う空手は、ある意味で、進化の先にあった必然だったのかもしれませんね。

    一方で思いました。
    空手という武道は、人類進化の到達点としての拳の術でありながら、「受けに始まり受けに終わる」精神性に辿り着いている点が素晴らしい!と。

    「型の最初と最後のあれは受けじゃないよ」という玄人の突っ込みは、いまはご勘弁を(笑)。

    ちなみに、空手オタク的に言えば、この研究で解明された正拳の親指の効用は、 『空手の理』の柳川理論のまんまですね。
    1990年代から主張していた柳川先生に教えてあげたいものです。

    伊東潤『峠越え』

    テーマ:

     

     

    本能寺の変の後の混乱の中、当時堺にいた家康は、領国である三河に帰るため、陸路で伊賀を越えます。後に、「神君伊賀越え」と呼ばれることになる危険な峠越えです。

    本作は、この峠越えクライマックスとして、徳川家康の前半生を描いた歴史小説です。

    凡庸ながら己を知り、忍耐強く生きる家康が、天才にして奇才、そして異能の人であった織田信長とともに、どう戦国の世を生き抜いたかが、丹念に描き出されます。

    家康から見た信長。
    家康を補佐する垢抜けないが粘り強い三河武士たちと、彼らと家康の関係。
    この二つが、本作の魅力でしょうか。

    私にとって家康と言えば、小牧長久手以降の秀吉政権下のナンバーツー。鈍なれど強く、ひたすら巨大な存在感を誇った大大名との印象が強いので、天才・信長に振り回され、戦慄しつつも生 き延びる本作の若き家康の姿は、なかなか新鮮でした。

    天才でなくとも、己を知り、粘り強く人生の峠を一つ一つ越えていけば、やがて活路が拓かれる。というメッセージも、我ら凡人には、心の癒しになりますね(笑)。

    読んで損はない作品でした。

    ただ・・・小説として面白いかと問われれば、100点満点で55点くらい・・・ですね。

    家康の心の有り様の描き方に、 もうひとつ深みが感じられませんでした。

    ※ ※ ※

    さて、通勤読書は終わりです。
    仕事するぞ。