命日

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今日は、妻の命日です。

昨日ななにやらソワソワしましたが、今日は朝から穏やかな気分です。

出掛ける前に、祭壇に向かって手を合わせました。

実はこの一年、儀式以外では祭壇に向かって手を合わせたことは、ほとんどありません。
むしろ、そうすることが嫌で、避けていました。

今日は、「そうだ、出掛ける前に」と思い、自然に手を合わせていた自分に、ちょっと驚きました。



写真は、玄関の鉢植え。
一年祭(一周忌)の飾り付けにと、息子と飾ったものです。

元気に咲いています。

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二週間前に妻の一年祭(一周忌)を行いましたが、やはり、命日が明日に近づくと、ソワソワした気分になります。

一年前の今日は、生きている妻に最後に会った日。この日、息子と二人で病院にお見舞いに行き、家族三人で半日を過ごしました。

静かに流れる時間の中で、病室とは思えない程、くつろいだ家族の時間。妻は、その時もう喋れなくなっていましたが、とても楽しそうに見えました。



思い出してみると、あの日は朝からおかしな日でした。

当時、お見舞いの前の日課にしていた久伊豆神社への朝詣で。あの日、神社に行った私は驚いて血の気が引きました。

妻がまだ家で闘病していた時によく手を合わせていた、猿田彦太神の石碑が倒れていたのです。



(今朝の猿田彦太神、補修の痕が残っています)

不吉なものを感じた私は、社務所に駆け込み、「猿田彦太神が倒れていますよ!」「何があったんですか?」「いつ直るんですか?」と、宮司さんの奥様を問い詰めました。

話によれば、ちょうどこの頃、神社敷地内の保育園の工事が始まっており、トラックが作業中に猿田彦太神を倒してしまったのだ、とのことでした。

「いま石屋さんに電話したところです。二三日中には直してもらいますから」

宮司さんの奥様の説明を聞き、「わかりました」と言いい一礼して家に戻った私。しかし内心では“それじゃ遅いんだ!”と叫んでいました。

当時の妻は、目に見えて、日に日に衰えていくような状態でした。何かにすがり奇跡を求めていた私にとって、妻がよく拝んでいた神様の碑の転倒は、不吉すぎる出来事でした。



不思議なことは、もうひとつありました。

お昼少し前に息子を連れてクルマで、妻が入院する病院に向かう途中でのこと。

妻が入院していた帯津三敬病院は、川越市にあります。岩槻から川越に向かう途中、西側の風景が開け、秩父や多摩の山々が見える場所があります。天気がよくて空気が澄んでいる日は、そうした山々の向こうに富士山のシルエットが見えるのです。

富士山の「裾野」で育った妻は、通院時、その場所から富士山が見えると喜んでいました。

父母や妹さん達はみな、富士山がよく見える静岡県に今も住んでいます。
自分だけ富士山が見えない遠い場所に来てしまった・・・と時々寂しく感じていた妻は、埼玉から富士山が見えると喜びました。「遠く離れたようで本当はそんなことはないんだよね」と言って。

一年前の今日、クルマで病院に向かう途中、私は祈っていました。“どうか、富士山の威容が見えますように”と。見事な富士の姿が見えたら、それを病室の妻に語ろうと思いながら。

この日、ポイントから富士山は見えました。それは、それまで一度も見たことが無いような威容でした。

しかし、その姿を見た時、私は不吉な思いに捕らわれました。その時の富士は、大きく雄大に見えたものの、とても不気味に見えたのです。

温度湿度のせいだったのでしょう。
富士山の稜線は、うねうねと歪んでたなびくように見え、山の色は青ざめていました。

それはまるで、幽霊のような姿でした。

初めて見る富士山のその姿に、私は嬉しさではなく、恐ろしさを感じてしまいました。

そして、何か不吉なことが起こるのではないかと思いを振り払うのに、必死になっていました。



妻の容態がいよいよ難しい段階に入り、焦りを感じていたあの頃。私にとって、猿田彦太神の石碑が倒れ、富士山がまるで幽霊のように見えたことは、とても不吉なことに思えました。

それ故、今年の一月に、妻の命日とその前夜のことを『ひと月前の今日のこと』というタイトルでアップした時には、この不吉な出来事のことは書きませんでした。

しかし、一年経ってから振り返ると、見え方がまた少し違ってきます。

あの日、猿田彦太神の石碑が倒れ、富士山が幽霊のように見えたのは、あの日がいよいよ妻と過ごす最後の日であることを、伝えるためのメッセージだったのかもしれない。
そんな風に思うようになったのです。

あの日、私はソワソワするものを感じ、病室にずっと居ようという気持ちになっていました。

当時幼稚園生だった息子は、病室で静かにしていることに耐えられませんでした。母親には会いたいものの、病室のルールに耐えられず、1~2時間程度で帰る、ということも少なくありませんでした。

しかし、父親である私の「今日はずっと病室に居よう」と思ったその意思が、あの日は息子にも伝わったような気がします。

息子は、昼寝を挟みながらではありましたが、文句を言わず、病室でずっと静かに過ごしました。

妻も寝たり起きたりの繰り返しの中で、時々意識がはっきりすると、息子の幼稚園の話や作った工作の説明に、ウンウンと頷いていました。

嬉しそうでしたし、楽しそうに見えました。

最後は面会時間の終わりに、三人で手を繋ぎました。

家族最後の日は、そんな風に、長く穏やかで印象深い時間として過ごせました。

この日のことは、私の中でも、息子の中でも、大切な思い出として刻まれています。

それが叶ったのは、猿田彦太神と富士山からの“知らせ”があったからなのかもしれません。

一年たって振り返り、いまはそんな風に感じています。
今日の昼間、親子空手に行く前に、家の前での息子の竹とんぼ遊びに付き合いました。
 
最初は、「見て見てお父さん!」と言っていた息子も、途中からは竹とんぼを高く飛ばすことに集中し、その作業に没頭。「見て見てお父さん!」の頻度が下がっていきました。
 
手持無沙汰になった私は、「手の内」スナップを左右で試して、息子にはばれないように自分の世界に入ります(笑)。その内、息子の没頭度が更に高まったので、「手の内」スナップを一歩進めて、「手の内」で突く無想会の螺旋の突きをやってみることに。
 
実は、11月上旬に新垣先生の無想会セミナーに参加して以降、習ったことを少しずつ一人稽古で試してはいましたが、まだスピードを出して突いてみたことはありませんでした。

理由は、
  • 突きの前に、まず立ち方が出来ていない
  • スピードを出して突く前に、そもそも正しいフォームが作れていない
  • スピードを出して突こうにも、広背筋でスピードを生むことができない
  • 「手の内」スナップが十分にできていない

と、四重苦状態だったため。(もっとよく考えると、他にもありそうです)
 
それに、立ち方やフォームづくり等における「膝は張れているか」「腰は立っているか」といった静的なチェックポイントは一人でもある程度できるかもしれませんが、突きを素早く繰り出すといった動的な稽古は、誰かできている人に見てもらわないとチェックしようが無い、という点も大きな理由になっていました。

できていない人間の一人稽古では、勘違いに勘違いを重ねて「野狐禅」(=悟っていないのに悟った気分になる)状態に至りそうですから。
 
そんなわけで、スピードを出して突くことは避けていました。
 
しかし、今日やってみようと思ったのは、あと一週間すれば南風さんに実地で指導してもらえるため。どうせすぐに見てもらえるのであれば、自分で試行錯誤しておいて「これじゃないか?」という仮説を作っておいた方が当日質問もしやすいはずです。

それと、昨夜見た新垣先生のDVDで、先生の突きを見て、ちょっとやってみたくなった、というのもあります。
 
言い訳はこのくらいにしますが、とにかく今日は、自分で自分に課した禁を解いて、スピードを出して突いてみました。
 

 
「突きは広背筋で突く」、「スピードは広背筋が生む」と指導されたものの、実は広背筋によってスピードが出るという感覚は、私のレベルではまだ理解できていません(広背筋が突きの動きを生むのは理解力したつもりですが、私のレベルは広背筋主導ではもったりとしか動けません)。

一方、「手の内がスピードを生む」、「細かい筋肉がスピードをつくる」という指導もあり、こちらはより納得感があります。
 
また、立ち方や突きのフォームのポイント等を普段しっかり稽古した上で、実際に突く時は、一旦それらを全て忘れ思い切り突けばいい、という指導もありました。
 
これらを自分に都合よく混ぜ合わせ、立ち方はナイファンチ立ちで、意識としては、
  • 広背筋はあまり意識しない
  • 意識するのは手の内スナップ、最後の指の畳みで小気味よく音を出すことを重視
  • 肘の螺旋軌道は意識するがスピードを邪魔しない程度に

という心持ちで、スピードを出して突いてみました。
 
それなりに音が出ます。(右に限ります)
何回か突いていると、最後の指の畳みの音が段々大きくなってきました。
音をより小気味よく、大きくするにはどうすれば?と試行錯誤。やっている内に、引きを強くすると、スナップの掛かりがよくなってくることがわかりました。鞭と同じです。
 
突きは鞭のように、突きは引きが大切・・・そういったキーワードは、こういうことだったのかな? と素人考察しつつ、繰り返し突きます。(幸い肘は痛くなりませんでした)
 
引きを強くする程に、突きが速く、指の畳みのスナップ音が大きくなる感じがして、気分がよくなりました。肘の軌道も、多少は螺旋になっているような・・・。

指の畳みが気持ちいいので、何かモノを突きたくなりましたが、残念ながらコンクリートの電柱くらいしかないので断念。

途中から中心軸で体を回してしまっているようだったので、正中線での激突を意識・・・。でも、これはあまり的確にできている感じがありませんでした。
 
40回くらいやったところで、息子に見つかり、「お父さん、竹とんぼを真剣に見てよ!」と責められたので、そこまでにしました。
 

 
禁を破ってやってみたスピードを出しての突き。
果たして今日のそれが正しいものだったのかどうかは、私には分かりません。一週間後に南風さんに見て頂こうと思います。
 
ただ、ひとつ思ったことがあります。
 
「沖縄空手の突きは受けられない」と言われていることの意味が、少しだけわかった気がしたのです(野狐禅キター!)。
 
通常の空手の突きに対する受けは、相手の正拳を逸らすため、飛んでくる正拳の後ろにある前腕部にアプローチします。正拳そのものを止めるのではなく、その後ろにある前腕部にアプローチするこのやり方は、正拳が辿る軌道に前腕部が常時乗って進む等速度の突きにはそこそこ有効です。それはアプローチすべき前腕が“見える”からです。たとえ目で見えなくとも、
  • 拳が迫ってくる軌道の上に前腕が行儀よく乗っていることが確信できる
  • しかも、拳も前腕も等速度で迫ってくる(むしろ最後は減速気味)ので場所の予測ができる

という条件により、前腕部があるであろう位置が推測できるからです。
 
しかし、この螺旋の突きは、拳が速いことに加え、前腕部の動きがとにかく“見えにくい”と感じます。“見えにくい”のは、
  • 前腕部が複雑な動きをし、拳の軌道上に乗っていない。 → 前腕がどこにあるか探さなければいけない。
  • 拳が最後の段階で手の内スナップによるさらに加速する。→ 等速度の突きであればある程度可能だった「拳が通りすぎた後でその後からやってくる前腕を捉える」が非常に困難になる。

の2つの理由によるもの。
 
なるほどこれならば、「沖縄空手の突きは受けられない」のも分かります。
少なくとも、とても受けにくい突きであるのは間違いありません。

こういう突きを出されるのであれば、突き手の前腕部にアプローチしてどうこうするのは有効ではありません。先に打つか、距離を外すしか無いはずです。
 

 
また、自分の力量不足を棚に上げ、野狐禅空手トークを展開してしまいました・・・

あとで、「あんなの書くんじゃなかった・・・」と反省するかもしれませんが、その時々のレベルで思ったこと、考えたことを書いておくのも、意義があるはずと信じて、アップしちゃいます。
 

体調は回復基調。

しかし、親子で空手稽古はやめた方がいいかなあ・・・、でも、結構元気なんだよなあ・・・

と迷いながらも、最後は勢いで稽古をしてきてしまいました。

 

一周忌名古屋からの友人来訪で二週間連続で稽古を休んでいたので、前回から3週間ぶりの親子空手でした。

 

 

今日の稽古は、、、

 

◎準備体操

例の片足立ちの足首柔軟体操、少しぐらついてしまいました・・・。

やはり三週間あけるとダメですね。


◎基本稽古:手技
・外八字立ち正拳突き
・四股立ち正拳突き
・前屈立ち正拳突き
・前屈立ち前後移動順突き(前進上段⇔後退中段)

 

なんだか、今日は正拳が気持ちよく突けました。

前屈立ち前後移動突きをしている時、腰をやや反らせて前進、腰を丸めて後退・・・とやっている自分に気づき、「これも一種のガマク操作なんろうか?」と思ってみたり。

 

◎基本稽古:足技
(蹴りストレッチ)

・前蹴上げ
・前から後ろ(フルコン内回し)
・後ろから前(フルコン外回し)
・横蹴上げ
・横蹴上げ回し
・後ろ蹴り

(蹴り)

・前屈立ち前蹴り
・前屈立ち回し蹴り
・前屈立ち中段横蹴り
・結び立ち後ろ蹴り

 

前蹴りは、一挙動で蹴ることを意識。

加えて、体重は支持足に乗せない。重心はもとの場所(蹴りだす前の後ろ足と支持足になる前足の間)のまま、つまり蹴っている時の重心は蹴り足よりも支持足よりも後ろに。素早く蹴り足を引かないと後ろに転がってしまう・・・という心持ちで。

 

ここまでで45分。

 

◎型
・基本型第一(前屈立ち下段払い)
・基本型第二(前屈立ち横受け)
・基本型第三(前屈立ち上段受け)
・基本型第四(前屈立ち横内受け)
・平安二段
(・平安三段)
(・平安初段)
(・平安四段)
(・平安五段)

 

今日は、後半75分は全て型。

基本型第一から平安五段までを全員で1回ずつやります。習っていない型に差し掛かったら、ひとつ前の習っている型をずっと繰り返します。

私の場合は、基本型第一~第四を一回ずつ、平安二段を5回やることになります。

そしてその後、自分の課題型(私の場合は平安二段)を10回ほど反復しながら、先生の点検を受けます。合計で、平安二段は15回の反復。

(息子は、基本型第一を20回やることに・・・ちょっと可哀想でした(笑))

 

今日、体に残ったのは、平安二段よりも、基本型シリーズの「前屈立ち前蹴り→そのまま前に出て順突き」の部分。

重心ははじめ、蹴り足となる後ろ足と支持足となる前足の間にあります。前足膝を抜いて前進し、この重心が支持足(前足)より前に出てから前蹴りを放つように心がけました。・・・というか、“そうしなければいけないはずだ”と思って、やってみました。

こうすることで、この初心者向けの基本的な型が、気を抜けないものになりました。

 

◎型の点検
・息子→基本型第一
・私→平安二段
 
稽古の最後に、課題型が共通する数人ずつが前に出て、先生の前で型を打ち、点検してもらいます。
 
息子の基本型第一は“流れ”はいい感じでした。
前屈立ちが不正確なのと、支持足をべた足にする(踵を浮かさない)と蹴り足が高く上がらないのが課題ですね。
 
私の平安二段はひとまずOKをいただきました。
 
 

 

稽古が終わってみて、体にだるさはありません。

終日ぐったりしていた先週末の状態は脱したようです。

 

しかし、ヘソの左横の浅い部分の痛みは、やはり残っています。

そしてこの痛みは、食事とはあまり関係がありません。一時連動していましたが、もうこの連動は無くなりました。

 

なんとなくですが、最後まで残っているこの痛みは、腹筋の損傷のような気がしてきました。

痛みの位置の浅さ、食事との非連動と整合します・・・

でも、だとすると、安静が必要なので、親子空手はまずいですね・・・

 

次は木曜日に、検査結果を聞きに病院に行くので、そこでいろいろ明らかになるはず。

 

ひとまず今日は、気持ちよく汗をかくことができました。


(稽古後の武道館入口。日が短くなりました)

ずっと体調不良が続き、腹痛も収まらず、ついには精密検査まで受けることになりましたが、実は昨夜のマークとの再会あたりから、徐々に復調傾向にあります。

 

事前に予約を取っておいたお店は、肉好きのマークのために“肉バル”。

ところが肝心のマークが疲れで酒も肉もダメだといい、ジンジャーエールと枝豆。体調不良の私が日本酒でグリル肉を食べる、という奇妙な展開になりました。

いや、私も肉はやめようかと思ったのですが、お店に行ってみたら食べたくなってしまい、一口食べたら美味しくて、そのままパクパクと言ってしまいました。

 

その後も、一応大丈夫です。

 

“一応”としたのは、例のヘソの左横の痛みが、激痛はなくなったものの、依然として違和感として残っていたため。

 

ただし、これも海老反りストレッチをやると和らぎました。

もしかすると、内臓の疲れと腹部近辺の筋肉の異常?が同時に発生していたものが、前者が治癒し、後者だけになったのだろうか・・・? 等と素人考察。

 

何にしても、ちょっとマシになってきました。

 

そうなると、多少は体を動かしたくなってくるのですが、無理は禁物です。

それでも、久しぶりに空手のことを考える気分になったので、新垣先生のDVD『極めるナイファンチ』を見てみることに。

 

 

このDVD、今年の春に買って何度か見ていたものです。

しかし、このDVDを見て得た“理解”をベースに実際に新垣先生のセミナーに参加してみると、自分が何も理解していなかったことを思い知らされることに(笑)。

 

ところが、今日改めてDVDを見てみると、自分が理解していなかった各ポイントが、きちんと解説されていたことに気づき、二度びっくり。

理解の土台が無いと、例え、動画で実技を披露してもらい、さらに明確に言葉で説明されていた内容でも、本当に「見れども見えず、聞けども聞こえず」なのだな・・・と思った次第です。

 

(武術のすごい技を「手品」に例えるならば、普通の先生は「手品」をど派手に見せてから「タネ」や「仕掛け」の説明に入る(あるいは「タネ」や「仕掛け」はほとんど説明しない)ことが多いのですが、新垣先生は「タネ」と「仕掛け」側の解説と実演に焦点を当てている・・・というかそれしかしていないことに驚かされます。)

 

 

・・・で、DVDを見ていると、やはり少し体を動かしたくなってきたので、本当に少しだけひとり稽古をしてみました。

 

  • ナイファンチ立ち(ただ立つ) 膝の位置・向きに気をつけて
  • ナイファンチ立ちで「筋抜き」
  • ナイファンチ立ちで螺旋の突き ゆっくり、倒れそうになったらピョン
  • ナイファンチ立ちで「波返し」
  • 型ナイファンチ初段~二段冒頭 鏡を側面において
  • 型ナイファンチの前交差だけ反復
  • 型ナイファンチの後ろ交差だけ反復

 

全部合わせて15分くらい。

最後の方は、ちょっとお腹が痛くなりました。

でも、これは内臓由来という感じではありません。

むしろ、腹筋を“変に使った”ことによる痛みのような・・・

 

このくらいにしておきます。

 

筋トレは無し。

 

 

 

お泊まりで、妻の友だちの家に預かってもらっていた息子を迎えに行く途中。


夕暮れ空に、金星と三日月(月齢2かな?)そして富士山のシルエットが見えました。


写真にうまく写っているかはわかりませんが。


空気が澄んでいる時は、さいたま市からも富士山が見えます。
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強敵(とも)との再会

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午前は検査、午後は授業参観、そして夜。
今日最後のイベントは、ある時は強敵、またある時はパートナーでもあったイギリス人コンサルタント、マークとの再会でした。
(参照 『「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ』)

かつて彼と私が舌戦を交わした、ある日本ベースのグローバル企業の毎年恒例の冬の東京会合。今年も開催されたこの3日間に渡る“缶詰め会合”のために、マークは来日しました。

そして、最終日の今日、私のために時間を作ってくれ、会いに来てくれました。



一年ぶりの再会を、マークは本当に喜んでくれました。

「生活はどうやっているんだ?」
「親が助けてくれているのか?」
「仕事はできているのか?」
「 職場での地位は危うくなっていないのか?」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、久しぶりに口にするたどたどしい英語で答えました。

訳あって親は頼れないが、公共のベビーシッターサービスみたいなものを使って何とかやっているよ。
仕事は、10時~17時まで。時々19時まで働くが、かつてのワーカホリックはもういない。
しかし、幸いなことに、職場では隣のチームから一種のヘッドハントにあって、少ない勤務時間で成果を出せる役割をもらっている。
以前築いたコネクションからくる仕事を後輩たちに振り、助言をしながら彼らが仕事をやりきるのを助けている。
若手の育成にもなるし、新しい顧客は獲得できるし、今のボスは満足しているはずさ。

「そうか、よかった。」
しかし、質問は終わりません。
「息子は大丈夫か? 母親を失って、心に大きなショックを受けてはいないか?」

ショックだったはずだ。
ショックでなかったはずがない。
でも、彼は母親の死に接して、乗り越えていくのに、よい年齢だったのだと思う。
もう少し小さければ、母親の存在が消えることを理解すらできず、パニックに陥っただろう。そして、もう少し大きければ、彼は「母親は天国から見守ってくれている」と、素直には思えなかったと思う。

母親という存在が消えることを理解することができ、そして天国を信じることがで
きた彼は、衝撃を乗り越えられた。

もちろん、心に刻まれた本当の傷の深さは、父親にだってわからない。でも、彼は元気だ。いつも笑顔だよ。

「それはよかった。ところで今夜はどうしたんだ?どこかに預けたのか?」

妻の友だちの家に泊まっているよ。
幼稚園時代の友だちの家でもある。だから、今日の彼はとてもハッピーだよ。

「それを聞いて、安心した。彼は、多くの人々との繋がりの中で育っているのだな。それは素晴らしいことだ。人間には、人との繋がりが必要だ。彼にはそれがある。本当によかった」

そして、懇親会疲れのせいで今日は酒ではなくジンジャーエールを選んだマークは、一口飲んで、ふっと息を吐いて、
「うまくやっているようだな。嬉しいよ」
と言いました。



それからマークとはいろいろなことを話しました。

ブレグジット以降のイギリスの状況、ビジネスをめぐる環境の変化、頼りにしていた部下の離職、そしてある若手の急成長。

30人の社員を率いる経営者であるマークは、多くの困難に直面しながら、それを乗り越え、さらに大きくなっていました。

初めて出会って一緒に仕事をした2011年のあの時に比べると、いささか疲れが見えましたが。



相変わらず、パワフルに生きているな。さすがマークだ。でも、ちょっと疲れているようにも見えるぞ。CEOは大変だと思うが、少しは休んでいるのか?

そう尋ねると、マークは、「大丈夫さ。オンとオフはしっかり切り替えている。今日疲れているのは、お前のいない東京会合をやりきることでヘトヘトになったからさ。」

マークは、多分にお世辞混じりのリップサービスとは思いますが、「お前のいない東京会合は大変だったんだぞ」と言ってくれました。

海外出張が不可となった私は、マークとやりあった仕事から離れざるを得ませんでした。私を雇っていた某社の東京本社は、今年から外資系コンサルティング会社を雇い直し、今回の東京会合に臨んだそうです。

当然のことながら、この仕事から外れた私に、マークは細かな中身は語りません。

しかし、私の後釜となった外資コンサルタントが、頼りにならない、という話は繰り返し語ってくれました。

彼らは確立されたノウハウを適用するのは上手いのかもしれないが、経験の無い領域で、手探りでノウハウを作り上げることには全く不馴れだ。

そして、日本側と欧州側のやり方の違いを埋めるためのすりあわせの議論ができない。
英語力も、ディベート力もあるが、それだけだ。彼らにはハートが無い。国が違って、文化やアプローチが違っても、根源にある価値観や目指すゴールは共有できるはずだという信念が、彼らには無いんだ。

だから、合意点が見つからない。表面に浮かび上がった相違点のすり合わせしか、彼らにはできない。

だから、疲れるのさ。

マークが言ってくれた言葉は、私にとってとても嬉しいものでした。

彼が言ってくれたその部分こそ、私があの業務でマークとやりあいながらも、私の中で揺るがなかった柱でした。

表面に見えるものが相違点だけだったとしても、掘り下げていけば、共有できる共通の信念や原理原則、あるいは目指すゴールに行き着くはず。
そう思ってマークと議論を繰り広げることが、当時の私が心がけたことでした。

マークは言ってくれました。
「みんな、お前がいてくれたらな、と話していたよ。俺や他の欧州側のメンバーだけじゃない。日本側のかつてのお前のクライアント達も、後釜のコンサルタントが帰った後で、お前がいたらなぁと言っていた」

お世辞だって、わかっていますよ。
わかっていますとも。

でも、やっぱり、嬉しいものです。



明日のマークのフライトが早いので、飲み会は22時くらいであがりに。

地下鉄の駅まで、彼を送りに行きました。

去り際にマークは、
「友よ、今日はありがとう。元気にしていることが変わって、嬉しい。また会おう。そうだ、Facebookにアップした息子さんの空手の型は素晴らしかった。俺が感心していたと伝えてくれ。出張は無理でも、プライベートな旅なら英国に来る日もあるだろう。その時は、ぜひ直に見せて欲しい」

私も返します。
「友よ、今日はありがとう。会えて本当に嬉しかった。息子には伝えたおくよ。イギリス人の太極拳の達人がお前の型に感心していたって。そして、太極拳を習いに、イギリスに来て欲しいと言っていた、と」

「オーケー。その時は太極拳のすごさを達人である俺が見せてあげよう」と、マーク。

最後にがっちり握手をしました。

素敵な再会でした。
今日の午後は、今年度2回目の授業参観。息子が受ける5時間目の授業を見てきました。

授業の内容は「道徳」。
相変わらず、ガンガン手を挙げる積極性が見えました。後で誉めることにします。

一番嬉しかったのは、授業前に担任の先生に呼び止められ、

「最近、とてもいいですよ。落ち着きがあって。ケンカを売られても、それを買わずに友だちを呼んだり、先生を呼んだりして争いをうまく避けていますよ。本当に立派。私も安心しました。だから、お父さんも安心してください。そして誉めてあげてくださいね」

と、言ってもらえたこと。

一時呼び出しを受け、先生側もどう対処したものか困惑させてしまうほどだった、息子とある友だちとの「ケンカ問題」。
私も随分あれ これと悩みましたが、紆余曲折、試行錯誤を経て、遂にほぼ解決となったようです。

・・・いいか、ケンカは買わずに、自分が売られた側であることをアピールした上で他人を呼ぶんだ。
怖がって助けを呼ぶんじゃない。戦ったら勝てるけれど、争い事がいけないことだから応じられない。そういう強い姿勢でいるんだ。
間違っても「やめてよ~」と弱々しく言うんじゃないぞ。「やめろ!ケンカはしないと約束しただろ!」と力強く言うんだ。
そういう堂々とした態度で、友だちに先生を呼んでもらうんだ。
分かったな・・・

2ヶ月ほど前に私が教えたケンカ対処法。
それを息子は、忠実に実践していたようです。

ちょっと感心しました。
一番誉めてあげなきゃならないのは、この点ですね。



写真は、息子が作った折り紙絵。
タイトルは、「ヤマタノオロチ」でした。


昨日から意識的に腹部を温める服装をしています。

その甲斐あってか一昨日まで苦しめられた、あのキリキリと痛む鋭い腹痛は消えました。

しかし、食事の後に、軽い喉のつかえ感と、胃もたれ感は、残っています。

そして、今日午後の授業参観で立ち続けると、その疲れのせいか微熱と腹全体が突っ張って鈍く痛むように。

一昨日までの激痛が消えたのはありがたいのですが、まだまだ、本来の調子からは程遠い状態です。

いったい、どうなってしまったのやら・・・


消化器系の不調、微熱、長引く・・・

インフルエンザB型なのだろうか?

丸山記念病院でCTスキャンを受けたついでに、近くにある岩槻大師に足を運んでみました。

岩槻城の大構(城下町ごと城を囲む土累)の一部をなす台地の端に立つ、真言宗のお寺です。

調べてみると、開基は非常に古く奈良時代末。岩槻でも有数の古刹のようです。我らが太田資正の時代にも存在していたはずですが、残念ながら、資正との絡みの逸話や記録は残されていません。





本堂。
この本堂の下にある、地下八十八ヶ所巡りをしてきました。

真っ暗な回廊を壁を頼りに歩いた先に現れる八十八の仏像。四国八十八ヶ所巡りの各札所のご本尊をかたどったもののようです。

この八十八のご本尊の前にそれぞれ砂袋が敷いてあり、砂袋ひとつひとつの上に立って、「南無大師遍照金剛」(ああ大師様、この世をあまねく照らすダイヤモンドよ、という意味でしょうか)を唱えて進みます。

八十八回も、「南無大師遍照金剛」と唱えていると、自分の声が内から外から響き、ちょっとした瞑想状態に入ります。

不思議な心地よさを感じました。
実に、密教的な時間でした。



空手の月謝を払うために、岩槻大師の裏にある郵便局へ。

その帰りに、岩槻大師の後ろ姿をパシャリ。



台地の端に立つお寺であることが、よくわかります。

ちなみに、岩槻大師は、北を向きに本堂が構える「喜多向き不動」。上の写真は、南から撮ったものになります。



最後は、鮒又さんで鰻重でお昼ご飯。
ちょっと奮発です。



以上、岩槻ミニ史跡散策でした。
 

 
岩槻大師の場所を、地理院地図で、確認しました。↓