渡航移植批判にどう答えるか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

河野太郎氏の批判に答えないと、臓器移植法改正問題は結局宙に浮いたままで、この国会ではすべての改正案は廃案ということになりそうです。


見事な論理のすり替えが行なわれております。


これまで日本では15歳未満の臓器移植は出来なかったから、やむを得ず日本人は海外で臓器移植を受けていた。

これからは、海外では日本人のための臓器移植は禁止されることになったので、日本国内で臓器移植を行なえるようにしなければならない。

日本国内で15歳未満についての臓器移植が出来なかったのは、ドナーが生前に書面で意思表示をしていないとダメという現行法の規定によるものだから、現行法を改正し、生前の意思表示は不要という法制に変える必要がある。


生前の意思表示が不要だとする法律上の根拠は、「脳死判定されれば、脳死は人の死」、ということに尽きる。

海外では、脳死は人の死としている。


脳死が人の死でないのであれば、海外に行って日本人が臓器移植を受けていることも禁止すべき。

海外で臓器移植を受けるのはOKだが、日本の国内ではダメ、というのはおかしい。

同じ基準で考えるべき。

だから、脳死は人の死、とすべきである。


どうです。

分かりやすい論理でしょう。

河野氏があの情熱で語ると、何倍も説得力が増します。


しかし、私は、A案には絶対に反対です。


まず、日本でも臓器移植を増やすべきだ、という前提を疑ってかかる必要があります。

医療関係者の場合は、臓器移植を日本国内でも普通の医療にしよう、という意図を持って主張していることを見抜く必要があります。


臓器移植に適合する臓器が外国にあったから渡航移植になっただけで、外国で移植を受けられなくなったから今度は国内で必要な臓器を調達できるようにしよう、というのは、ずいぶん恐ろしい発想です。


人を見ては、この人はいい心臓を持っていそうだ、とか、この人の腎臓は使えそうだ、などという、とんでもない妄想の世界に入ってしまいかねません。

臓器移植ビジネス、臓器売買、臓器移植のための幼児誘拐。

おぞましい言葉が浮かんできます。


そんな世界に入らないために、何重にも蓋を閉めておいたほうがいい。

それが私の直感です。

脳死が人の死だとすると、そもそも本人の生前の意思表示はいらない、という極端な結論にもなりかねません。

遺族の承諾、家族の承諾だけでいい。

そんな発想に直結します。

これが、恐ろしい。


しかし、河野太郎氏を説得することは不可能なようです。


せめて医師会や移植学会の方々には理解していただきたいと思います。

移植医療の正しい普及・発展を望むのであれば、出来るだけ極論は避けていただきたい。

味方を敵扱いして、どんないいことがあるんですか。