私もはじめて資産公開を求められたときに、ちょっと嫌な気がした。
こんなことまで公開しなきゃいけないのかしら。
現在はそういう立場ではなくなったので、自分の経験に即して少し自由に語ってみたい。
私がはじめて自民党の公認で選挙に出た時に、それまで面識のなかった地元の有力者の方々の面接を受けた。
皆さん長年選挙を経験しているから、選挙が実に金を食うものだということを肌で知っている。
どれだけの資金があればどれだけの選挙運動が出来るか、ということが分かる。
皆さん、自分自身が後援会を維持するためにこれまでどれだけお金を使い、どれだけの労力を使ってきたかが、身に沁みている。
落下傘みたいに決まった候補者を自民党の公認だから応援しろ、といきなり言われてもそんな気にはなれないのが人情だ。
どうしても冷ややかな目で新人を見る。
なにか偉そうにしているな。
どうしてもそんな印象を与えてしまう。
自分の理想やそれまでの経験、今後の抱負などをまくし立てれば立てるほど、周りの人の心は醒めてくるものである。
そんなときに、こんな質問が出てくる。
で、候補者はどれだけ用意できるの。
資産家は、お金があるということで、お金を使った選挙を余儀なくされる。
自分が使うのではなく、選対の人達が使う。
選挙は、何が有効で何が無効かよく分からないから、選対が必要だという限りあらゆる目的の為に金が出て行く。
選挙のプロが入っていると、それこそ億単位の金が必要になる。
打合せということで、様々なレベルでの飲み会の費用が全部候補者の事務所の負担になってくることもある。
お金のある候補者は、市内のすべての呑み屋さんに自分のボトルを入れておいて、誰が呑んでもいいようにしていた、などという話を聞くと、選挙などには迂闊に関わらない方がいい、とさえ思えてくる。
で、いくら用意できるの、と聞かれたときの答えが、一つの勝負どころである。
1000万円用意できると言うべきか、それとも2000万円と言おうか。
全財産を叩けばもう少し何とかなりそうだが、それでは家計がおかしくなる。
私は、1000万円なら何とか用意できます、と言った。
国政選挙のレベルでその程度の金しか用意できないのでは大した選挙運動は出来ないな、これでは当選は無理だな。
何度も選挙をやってきた人は、すぐそう判断する。
候補者としてはしぶしぶ受け容れるが、後は自分で適当にやってよ、ということになる。
勝てないことが分かっている選挙というのは、こんなものである。
一方、勝つかも知れない、という選挙は熾烈だ。
ビラを全戸配布しろ。
一度では駄目。二度、三度、隈なくやれ。
電話戦も徹底的にやれ。
戸別訪問用の秘書部隊も100人程度張り付けろ。
賄いは大丈夫か。
弁当じゃ駄目だ。もっと旨いものを食わせろ。
こんな調子で選挙戦を盛り上げていくことになると、莫大な経費がかかる。
今は故人となっている地元の県議が、私に本当の話をしてくれた。
「早川は、金がない。
その早川を担ぎ上げるんだったら、金はどうするんだ。
ここにいるみんなが300万づつ用意して、これで選挙をやれ、と言わなきゃ、選挙にならないだろう。
みんなそれだけの覚悟があるのか。」
誰からも声が上がらなかったということだ。
随分乱暴な物言いをする人だったが、人の心をぐっと掴むことが出来る人だった。
しかも、選挙に思い切った金の使い方をする人だった。
こういう風土の中で、4度目の国政挑戦で私は当選した。
身体は使うが、金は一切使わない政治の素人、人付き合いもそれほど良くない、ケチケチの堅物ということで、はじめて当選したのである。
その私が、はじめての資産公開で、預貯金が数千万円と報告した。
何となく気恥ずかしい。
少ないと馬鹿にされそうだし、多いと、金持ちなのにケチ、ということになる。
私の同期の如何にも資産家風の仲間に聞いたら、彼は殆ど普通預金にしていた。
昨日の国会議員の資産公開で小沢氏の預貯金がゼロだったということを知った。
選挙の荒波を潜って来た人達は、こうして資産公開を免れている。
「沢山お金を持っているということが分かったら、まずいと思った。」
やはりそういうことだったのだ。
こんな資産公開だったら、止めにした方がいい。
今だから言えることだが。