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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
アオバ・ポイント より続いております。
現在地は飛行場南方ムカデ高地米軍記念碑であります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/06/guadalcanal/7e/90/g/o0478060513462278866.gif?caw=800)
ムカデ高地とは日本軍がつけた名称。
米軍故障はブローディーリッジ=血染めの丘。
またはエドソン襲撃大隊が崩壊した第一線増援に駆け付け日本軍の攻撃を阻止したことからエドソン丘とも呼ばれております。
そのムカデ高地に建つ米軍記念碑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/7c/df/j/o0605040313462283606.jpg?caw=800)
水無川右岸にある日本軍記念碑と形状がそっくりであります。
水無川右岸日本軍記念碑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20120409/15/guadalcanal/5a/f3/g/o0598044811906205778.gif?caw=800)
2012年3月撮影・たむろしている人々は記念碑周りの草刈を終えた村人
この三角碑はソロモン諸島戦友会(Solomons Islands Wartime Comrades Association)さんが建立された碑なので米軍記念碑も米国が建てたものではないような気が致します。
※ソロモン諸島戦友会とは大戦中海岸監視等の任務についた原住民の会
↓はギフ高地に建立されている米軍の記念碑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140809/06/guadalcanal/98/63/j/o0551036713028893848.jpg?caw=800)
米軍が建てたのであれば星型の記念碑である筈。
どうでも良い事かも知れませんが気が付いたので記録として残します。
米軍記念碑まで来たのでK隊員はまだ言った事がない第二師団の慰霊碑が直ぐ近くに建立されているのでお邪魔する事に・・・
ムカデ高地のラフロードを南下
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/4d/55/j/o0605040313462291827.jpg?caw=800)
数分で到着、第二師団慰霊碑であります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/4b/c5/j/o0605040313462294014.jpg?caw=800)
はめ込まれた金属プレートは健在であります。
何故健在なのかと近づけば埋め込まれたアンカーが強固で盗人の努力が垣間見れるも外れず諦めた形跡が残っておりました。
位置関係は↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/d3/97/g/o0478060513462295209.gif?caw=800)
第二師団慰霊碑の立つ丘の北端より米軍記念碑を眺望出来ます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/2f/a7/g/o0605040313462296968.gif?caw=800)
此の写真は米軍記念碑を撮ろうとしたのではなく偶然写ったもの・・・余程意識していないと見逃してしまいます。
第二師団慰霊碑
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20151023/07/guadalcanal/1c/0f/j/o0605040313462299723.jpg?caw=800)
この碑にまつわる秘話の一つ
父子二代ガ島に骨を埋む
昭和46年10月ガダルカナル島遺骨収集団の中に歩兵第二十九連隊第三機関銃中隊佐藤久夫軍曹の捧持する紫の包みの中に老父の御骨があった。
昭和17年10月24日総攻撃の時散華された会津若松連隊第九中隊長牧田幸夫大尉の御尊父末吉氏の分骨である。
牧田中隊長は南方出征前部下180名に対史父子に優る情熱により各々その家族に自筆の親書を持って戦いに向かう決意を述べ「あなたのお子さんとは不肖牧田父子の誓いを以って出陣します・・・」と書を送り中隊の団結に至情を尽くした。
同中隊は総攻撃の一夜で、全員隊長と共に第一線に戦死、現在(昭和50年)生き残れるものガ島上陸170名のうち連絡掻だった新国寿雄早朝唯一名。
牧田中隊長の父上末吉氏は長男が隊長として部下を悉く戦死させたということを深く心に決し第九中隊060余名の出身遺族を確かめ十年の歳月を費やし墓参された。
昭和46年夏八十三歳病床の末吉氏
「おまえがガダルカナルで死んでから、もはや二十八年。遺骨も帰らぬお前だったが密林に横たわったまま故国を思い肉親をしのびどんなにかせつない長い歳月だったと思う。私の骨は息子の待つガダルの密林にぜひ埋めて欲しい。戦争で実現出来なかった父と子の語らいをガダルカナルの土の中で永遠に続けたい。」
末吉氏の遺言は幾日も待たず派遣団員に伝わり戦友達の計らいで団員出発の日靖国の社頭で佐藤氏に手渡された。
今はムカデ高地の上に全団員の努力によって建てられた大きな墓標の下で、牧田父子は永遠の語らいをつづけている。
親子師弟の思いも、九二、民族の有難さも忘れられてよいかの如き風潮の昨今、この一遍の捧ぐる先は敢えて生き残った戦友よりも、戦後生まれの若い人たちに贈って繁栄の美酒に酔う者への忠告としたい。
※ソロモン創刊号より 大波清平氏の手記概略
牧田中隊長と御尊父末吉さまが語り合われている地こそ此のムカデ高地上の大きな墓標・第二師団慰霊碑であります。
本日は平成27年10月24日。
七十三年前の昭和十七年10月24日が牧田中隊長が散華された日であります。
心よりご冥福をお祈り申し上げます・・・合掌
つづく
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石坂准尉の八年戦争さま
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