ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
十四~十八日の 西山日誌
十四日以降の 若林日誌絶筆後の第十中隊の記録 完
十六日以降の 亀岡日誌 完
十七~九日の アウステン山の記録
十五日~六日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦
十六日~十七日の 矢野大隊の記録 
十六日~十七日の アウステン山・独山10連隊の記録

↓アウステン山陣地布陣予想図
ガダルカナル Guadalcanal
↑図の124i各部隊、独山10聯隊とも16日に撤退を開始しマタニカウ川右岸の稲垣大隊予備陣地とギフ高地の稲垣大隊主力しかアウステン山陣地に日本軍は存在しない状況です。

↓22~3日米軍侵攻図
ガダルカナル Guadalcanal
↑図と稲垣大隊の資料を合せた要図↓
ガダルカナル Guadalcanal


米軍公刊戦史ギフ高地の戦闘記録 
1月21日、日本軍の防御線を突破する為の戦車用道路が確保され第二大隊は戦車の使用が可能となった。

ジープ道を前進する軽戦車の音を紛らわす為、迫撃砲と機関銃の連射を実施、第25師団の騎兵偵察中隊は三輌の軽戦車が日本軍の第一線への前進を可能にする為、木の伐採を行った。
二輌は故障し三番目を進んでいた一輌が最初に第一線に到着した。

1月22日10:40 16名の歩兵の支援の下、軽戦車はギフ高地北東G中隊の線に達した。
戦車と突入部隊は37mm戦車砲と高性能爆弾そして機関銃で日本軍に攻撃し三箇所の掩蓋銃座を制圧。

次に戦車は左へ(南)へ転進しギフ高地の東端に達した。

15:00高地に北側に数次にわたり攻撃をかけ五つの掩蓋壕を破壊した。
部隊は闇に包まれる前に移動し夜に備えた。
同日、E中隊は西より攻勢をかけたが突破に到る前に闇が訪れた。

軽戦車は数時間で一ヶ月にわたり歩兵の攻撃を耐えていた日本軍防御戦を200ヤードにわたり引き裂いた。

22日から23日にかけての深夜は02:30までは静寂だった。
稲垣部隊主力の将兵約100名は絶望的な攻勢に出た。
手榴弾が投擲され小銃による射撃と共に突撃して来たが、彼らの前面にはF中隊が陣取っており反撃を加えた。
敵の攻撃を制圧した跡地には8名の士官と15名の下士官を含めた85名の亡骸が発見された。
彼らは第二大隊最強のトーチカを備えた前面に突撃を敢行した。
G中隊の守るヒル27の北西または南西に対し攻撃していたなら脱出の成功率はもう少し高かったかも知れない。

第35歩兵連隊・第二大隊はギフ高地の一ヶ月にわたる戦闘で64名の戦死者と42名の負傷者を出した。
その代償として日本軍は518名の戦死者を出し、40の機関銃、迫撃砲12、小銃200、軍刀38を鹵獲したと報告された。




※自分の翻訳なので怪しい部分は多々あろうかと思いますが、川井兵長の記録とほぼ同じだと確認が取れました。
絶望的な戦闘を戦い抜いた稲垣大隊の御英霊に心より追悼申し上げます 合掌

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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
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石坂准尉の八年戦争さまと相互リンクさせて戴きました。

平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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