ガダルカナル戦書籍一覧


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ガ島第一線要図 クリックすると大きくなります。
ガダルカナル Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
同日の 西山日誌
七日の 若林日誌絶筆
前日の 亀岡日誌
八日の アウステン山の記録
三日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦

第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長
小川陣地亀岡隆夫中尉の日誌 昭和十八年一月十日 日 晴後雨
ガ島上陸88日目
夜明けと同時に未だ曽てなき様な猛烈な砲撃4i方面に受く。
予は壕内に居りたる関係上海岸方面と誤り、之は敵の上陸企図と誤判し、一大事と身の痛みも忘れて飛び起き戦闘準備に身を固めたるに、砲撃は海岸方面に非らずして4i正面と分かり、俄かに身の痛みを覚え、再び休む。
軍医の診断を受けたるに大した事なき由、安心す。


歩兵第十六連隊一月十日御戦没者 戦死6、戦傷死1、戦病死1

一等兵 高内 金之助 新潟市
一等兵 本間 忠次(治) 岩船郡
兵長 五百川 進 北蒲原郡
一等兵 近藤 末吉 三条市
兵長 廣川 藤夫 長岡市
一等兵 宮 久衛 北魚沼郡
上等兵 五十嵐 久吉 中蒲原郡
上等兵 吉田 吉雄 中蒲原郡
謹んで哀悼の意を表し・・・合掌


亀岡日誌に登場する4iとは二師団仙台編成歩兵第四連隊です。
以下 歩兵第四連隊史からの4i概史
4iの第二大隊は川口支隊総攻撃の際、青葉大隊として登場し第一線を突破し敵司令部附近まで迫るも続く兵力無く後退。
その後連隊主力が十月初旬タサファロング上陸、二師団総攻撃に併せ海岸線より牽制攻勢を掛けるべくマタニカウ川左岸に進出布陣したところを挟撃に合い中熊連隊長をはじめ多くの戦没者を出した。
中熊連隊長戦死後、二大隊長田村少佐が連隊長代理となり16iの指揮下マ川左岸の戦闘を継続していたが11月16日、17軍司令部付であった鈴木章夫大佐が連隊長として着任し16iの指揮から離れた。
この頃の4iは連隊と言う戦闘集団の名前こそ立派ではあるが、戦闘に堪え得る兵力は連隊長以下約150名、通常の一個中隊強程度の戦力で、且つ第一線小川上流に布陣していたのは第一大隊だけでした。
一月三日第一大隊長の連隊長への状況報告
「大隊は一意現陣地を死守するもその確保は不可能ならん。現在死傷者、熱病患者続出し、すでに第二中隊全滅、中隊長僅かに第三中隊長ただ一名に過ぎざる状況なり」
これを受け鈴木連隊長は第二・三大隊、連射砲通信等の各部隊より戦闘に堪え得る人員をかき集め佐々木中尉以下二十七名を増援第一線「小川上流」の増強に努めた。

とある。

昨年訪れた際に撮った「小川上流」附近の密林
ガダルカナル Guadalcanal


布陣位置は海岸線小川陣地と歩228第一大隊が布陣する第二拠点の中間、「小川上流」と呼ばれていたようです。
亀山日誌で言うところの
「未だ曽てなき様な猛烈な砲撃4i方面に受く」
は恐らく見晴台への砲撃を指していると考えて間違いないでしょう。

ガ島第一線航空写真 ギフ高地はシーホースのさらに左となります。
ガダルカナル Guadalcanal

現在の航空写真:第二拠点と小川陣地接続地帯が歩兵第四連隊の守備する「小川上流」と推察します。
ガダルカナル Guadalcanal



つづく
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年8月18日(土)より9月1日(土) 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal





○原発関連情報○

独逸天気予報より →  放射能予報

文科省発表 → 全国放射能濃度一覧

武田邦彦教授の → ブログ





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