ガダルカナル戦書籍一覧


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↓ガ島中央戦跡要図
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal

作文 従軍慰安婦・慶子
前日の 西山日誌
七日の 若林日誌絶筆
前日の 亀岡日誌
八日の アウステン山の記録
三日の 堺台第一拠点の記録
堺台第二拠点 歩228連隊12中隊のガ島戦


第38師団歩兵第228連隊 
第三大隊長 陸軍少佐 西山 遼 氏の日誌


現在地、見晴台大隊本部
昭和十八年一月十日 日 晴午後雨あり  
ガ島上陸67日目
昨日は終日一分一発各方面に対し後方遮断射撃を実施せり。
補給行動困難に陥りしも敢然実施しつつあり。
夜は比較的平静、本朝は三時半頃より一斉射撃、各方面に対しドンドコ射撃。
一部出撃し来る模様あり。
深田隊正面、銃声盛んなるも敵方の銃声のみにして我方冷静に監視しある様子なり。
深田隊兵山田上等兵退院追及し来る者の言によれば源隊初年兵・補充兵約千五百名、原少佐の指揮の下ラバウルにて待機しありと、原少佐は予の同期にして後任として来れるが如き噂なり。
或いは予の転出を師団・軍にては考慮しあるにや、陸大無審査入校の栄典を二度、作戦行動により延期せる予に対し大いに同情を表せるものとも思はる。
敵は本朝の砲撃に○○○攻撃に出しが如く深田隊正面に対する重圧猛烈なり。
ガダルカナル Guadalcanal
電話なき状況判明しざりしも十五時に到り深田深田隊展望哨に敵約百余攻撃し来り、深田大尉以下二十名奮戦十六時に及ぶ、十六時頃敵は後退せりと、負傷兵若干を出せしは増援部隊の壕なかりしため損害を出せるごとし。
其の後も夜は砲撃を緩める事なし、実に執拗に我見晴山奪取ょ企図しあり。
大隊は飽くまで現在地を死守せん。
閣下西部見晴台に敵侵入を心配され岡島隊を予の指揮に入れしめる。
予はその主力を第四陣地に出し之を死守せしむ。
岡部隊方面も敵の攻撃激烈なり。
其の後再び深田隊正面戦闘激烈を極め連絡とれず。
而も雨来り暮色迫らんとする日没少し前上本曹長息せき切って駆け来り、只今深田隊長以下全員展望哨に於いて全滅すと。
実に~解読不可~いよいよ最悪に直面せるか。
ガダルカナル Guadalcanal
勝野准尉以下負傷者等合わせて十数名増援のため前進する。
嗚呼陣地確保しあれば可~解読不可~日は将に暮れたり。
ガダルカナル Guadalcanal
予は直ちにMGより清水少尉の指揮する十名を増援に出すと共に竹島少尉をして深田隊を指揮せしめ、その小隊をして第一陣地を撤し敵を展望哨台上に併て頑強に死守せしむべく命ず。
而して夜に入る。
状況全く不明、予は副官と共に予の壕に入りて報告~解読不可~
永き夜なり。
ガダルカナル Guadalcanal
深田隊正面矢張り断続○○○
ガダルカナル Guadalcanal
十一時(23時?)過ぎ小針軍曹連絡に来る。
深田大尉以下三十名戦死、展望台は敵に奪取され勝野准尉は増援途中敵に遭遇、台上を死守し陣地を構築中なりと。
隊には既にLGもなく小銃のみなり。
十九名悲惨!!
されど未だ絶望せず。
然し予は村瀬大尉副官を招き最後の決意を明かし現大隊本本部位置に於いて最後まで戦い抜く決意なりと。
竹島小隊、夜と雨のため未だ連絡ならず。
実に焦燥の極みなり。
副官~解読不可~過去を談じつつ夜の明くるを待つ。
ガダルカナル Guadalcanal


日誌にある
>十五時に到り深田深田隊展望哨に敵約百余攻撃し来り
は↓図のヒル50・展望哨です。
見晴台布陣図
ガダルカナル Guadalcanal
一月十日米軍見晴台侵攻図
ガダルカナル Guadalcanal

そしてその場面を描いた図が
歩228第11中隊深田隊斉藤清一郎氏の記録
ページ中ほどに昭和18年1月10日、展望哨戦闘記録として公開されております。
上の二枚の図と斉藤氏の展望哨戦闘記録を併せ見ると見事に位置関係が一致します。

1月10日第11中隊の展望哨勝野准尉の記録
展望哨死守編成
展望哨長 勝野 准尉
分隊長 水野 欣二 軍曹
鈴木 二一 伍長
三林 留一 伍長
溝口 晃 兵長 戦傷独歩不能
河野 敏資 兵長
筒井 薫 兵長 戦傷独歩不能
金岩 和雄 上等兵
斉藤 清一郎 上等兵
↑が上記ご紹介させて戴いた斉藤氏
東の 空が白んできた頃より太鼓を連打するような発射音が遠く敵陣より聞こえ、左下密林内の若林隊第二第三陣地へ轟然と砲弾が炸裂し朝の静寂な空気を掻き乱す。
短時間の間に数百発の砲弾が若林隊の陣地に集中し、昨日まで緑に覆われていた密林が荒野と化して行く。
砲撃が止むと敵機の爆音、若林隊へ猛烈な銃爆撃が繰り返えされた。

展望台にも前後に五発、十発と山が崩れ砂や石が飛び交う。

04:30乱舞していた敵機が一機去り、二機去り静寂が戻る。
展望哨を守る水野分隊は全員無事で、敵歩兵部隊が来ると察せられた。
台上に上がり敵陣を監視すると敵二個中隊以上の大部隊が監視哨に向って来る。
若林隊第二・第三陣地へは二・三個中隊の大部隊が群がるように攻撃前進する様子が展望される。

勝野准尉は戦傷者の小銃を握り展望台横の斜台上へ移動部下を各所に配置する。
六名対二個中隊以上の対決である。

米軍資料の画像説明:見晴台攻撃に向う米軍将兵
ガダルカナル Guadalcanal

数分後展望台前十数米に敵が迫り、英語で号令している声が手に取るように聞こえる。
号令と共に敵手榴弾が一斉に飛んでくる、炸裂音と共に数え切れない手榴弾が飛んで来るが幸いにも全て後ろの崖に落ちて爆発し被害を受けることは無かった。
私も手榴弾を投げ応戦するもすぐに投げ尽くしてしまった。
台上岩陰より斉藤上等兵が手榴弾をくれと手真似で合図する。
負傷者の手榴弾を集め斉藤上等兵に投げてやるが全部で六発のみ、木にあたり足許に落ちた敵手榴弾を掴み投げ返す。

炸裂音と共に大きな喚き声が聞こえる。
もう一発、炸裂音と共に喚き声。
台上の水野分隊も手榴弾を投げ尽くしLGと小銃だけの応戦となる。
眼前二・三十米に見える敵を片っ端から狙い撃つ。
斜右二十米の山陰より金岩上等兵も一発必中の弾丸を撃ちまくり少なくとも四十以上の死傷者をだしたようだ。

英語なので何を言っているか判らないが、あちこち大声で騒ぎ立てる。
死傷者を収容するためか一瞬手榴弾の投擲が止んだ。
ふと見ると展望哨左頂上で敵指揮官が双眼鏡で大隊本部方面を展望している。
水野分隊の兵かと躊躇するが鉄帽が違う。
僅か三米そこそこの至近距離、一発で命中、敵中隊長である。
これを機に敵は遺体と負傷者を収容し一斉に撤退を始めた。

米軍資料の画像説明:見晴台攻撃で負傷後退する米軍兵士
ガダルカナル Guadalcanal

代わりに対面する台上より機関銃の一斉射撃、撤退の援護である。
撃つわ撃つわ敵は糧秣も弾も無尽蔵にあるらしく、展望台上より再び山が崩れ降って来る。
頭も身体も土砂まみれだ。
戦闘中忘れていた負傷者が気になり様子を見に行くと筒井も溝口も文字通り血達磨で余りの姿に目を背ける。
すぐに交代が来るからそれまで辛抱してくれと頼むと「はい、大丈夫です」と答える筒井の声は殆ど聞き取れず、溝口もうつろな眼で時に顔をしかめ苦しそうだ。
顔をそむけ片手で拝む。

台上、水野軍曹以下地の利を得て敵に多大な与えるもLG射手河野兵長は敵自動小銃により頭部に猛射を受け壮烈なる戦死、狙撃手として常に台上で奮闘した三林上等兵もまた敵弾に倒れる。
今ここに生あるは地の利を得たと言え将に天佑である。

昨夜報告に出した鈴木伍長密林に迷い一晩中歩き捜し、朝七時中隊に到着前夜の報告を深田中隊長に報告するや、深田中隊長最期の意を決してか真新しい軍服に身を固め戦闘に堪え得る全員(横井少尉以下十四・五名)を指揮し展望哨陣地へ急ぎ来られた。
深田中隊長は展望哨の惨状を見て「皆ご苦労でした。よくやってくれた。」と眼を伏せ静かに一言、負傷している筒井、溝口といたわりの言葉をかけられ「中隊長が仇をとってやるから」と励ましの言葉をかけられた。

米軍資料の画像説明:
手榴弾によって負傷者2人に応急処置を行う25師団の医療大隊リターベアラ1943年1月10日

ガダルカナル Guadalcanal

勝野准尉、水野分隊員は戦死者を埋葬、負傷者を収容、第一線を交代し中隊へ戻るよう命を受け展望哨を離れている。
この時の中隊兵力
勝野准尉
土本曹長
江端軍曹
水野軍曹
鈴木上等兵
金岩上等兵
斉藤上等兵
以上七名が健康者
他、戦傷者、マラリア患者等、長谷川少尉以下十三名
(竹島小哨の竹島少尉以下兵力除く)

以上 歩228連隊史より勝野准尉の記録概略


正に斉藤氏のホームページで描かれている戦闘図と勝野准尉の記録が一致します。
ガ島では多くの戦闘が行われたのですが、ここまで詳細な位置関係が判明する事はありません。
斉藤氏のホームページに描かれた図を残され公開して戴き心より感謝申し上げる次第です。
また、勝野准尉の記録と西山日誌を読み比べると勝野准尉交代の後、展望哨全滅、深田中隊長も戦死された事が読み取れます。

余談ではありますが、1999年に上映された映画「シン・レッド・ライン」は見晴台の戦闘がモデルとなっております。
最期の丘を攻略するシーンは勝野准尉の記録に酷似しています。

現在の展望哨、ヒル50
ガダルカナル Guadalcanal
米軍は画像奥、集落端方向から展望哨へ侵攻して来たと思われます。

ここに謹んで哀悼の意を表し見晴台で戦われた深田隊の御名簿を掲載させて戴きます。

歩兵第二二八連隊第十一中隊御戦没者名簿
(恐縮ではございますが、敬称を略させて戴きます)

新巻 勉 ガ島
荒尾 幸夫 ガ島
浅井 哲三 ブーゲンビル
石田 信一 ガ島
石井 大吉 ガ島
大塚 秀雄 ガ島
大津 鉞守 ガ島
川辺 正男 ガ島
加藤 光雄 ガ島
近藤 五郎 ガ島
佐々木 大七 ガ島
清水 量一 ガ島
杉浦 悦治 ガ島
鈴木 林吉 ブーゲンビル
竹島 正美 ブーゲンビル
筒井 薫 ガ島
寺沢 久夫 ガ島
内藤 正雄 ガ島
長谷川 章 ガ島
早矢仕正○ ガ島 ○不明
樋口 武雄 不明
石原 仲次郎 ガ島
石川 義男 ガ島
大谷 明 ガ島
大原 宮雄 ガ島
各務 計 ガ島
海田 徳正 ガ島
小塚 桃桜吉 ブーゲンビル
土屋 春三 ガ島
佐合 利八 ガ島
鈴木 豊之 ガ島
武田 源一 ブーゲンビル
中川 正春 ガ島
原 亮平 ガ島
林 相二 ガ島
深田 敬三 ガ島
細井 深 ガ島
伊藤 春二 ガ島
泉並 勝治 ガ島
小椋 治作 ガ島
小川 良夫 ガ島
小川谷三郎 ブーゲンビル
河野 敏資 ガ島
加藤 領次 ブーゲンビル
坂本 一男 ガ島
鈴木 二一 ガ島
高島 次郎 ガ島
寺町 ○明 ガ島 ○金へんにリで一文字
富田 斎一 ガ島
内藤 保 ブーゲンビル
橋本 初九郎 ガ島
橋本 義一 ガ島
波多野 正美 ガ島
藤谷 重俊 ガ島
星野 一二 ガ島
稲垣 改造 ガ島
石井 孝義 ガ島
石田 弘一  ブーゲンビル
大塚 正行 ガ島
小川 勇 ガ島
蟹江 金雄 ガ島
川上 ○二 ガ島 ○金へんに杉の右側で一文字
後藤 胤勇 ガ島
佐高 弘 ガ島
鈴木 光雄 ガ島
高味 義光 ガ島
寺田 利一 ガ島
西部 一男 ガ島
早瀬 清一 ガ島
原田 信作 ガ島
疋田 逸雄 ガ島
藤井 功 ガ島
堀場 正吾 ガ島
前田 正春 ガ島
宮崎 辰雄 ガ島
武藤 佐与吉 ガ島
山田 錦清 ガ島
吉元 佐太郎 ガ島
渡辺 繁 ガ島
松川 義貞 ガ島
水谷 章一 ガ島
山田 二郎 ガ島
吉田 鐘八 ガ島
渡辺 正春 ブーゲンビル
森田 壽男 ブーゲンビル
松沢 茂登 ガ島
三林 留一 ガ島
水野 良作 ブーゲンビル
森 辰次郎 ガ島
山北 仁郎 ブーゲンビル
増田 ○次 ブーゲンビル ○金へんに莫で一文字
溝口 晁 ガ島
森 進 ガ島
矢田 龍男 ガ島
安井 孝司 ブーゲンビル

あらためて、展望哨を死守された八名
勝野 准尉
分隊長 水野 欣二 軍曹
鈴木 二一 伍長
三林 留一 伍長 展望哨にて戦死
溝口 晃 兵長 
河野 敏資 兵長 展望哨にて戦死
筒井 薫 兵長 
金岩 和雄 上等兵  
斉藤 清一郎 上等兵

のうち負傷されていた
溝口 晃 兵長 
筒井 薫 兵長


報告に向った
鈴木 二一 伍長

さらには
金岩 和雄 上等兵
もガ島の土となられた事が読み取れます。
心よりご冥福を祈念申し上げます・・・合掌

ガ島第一線航空写真 ↓中央やや左「展望哨」
ガダルカナル Guadalcanal

現在の航空写真 ↓ヒル50が「展望哨」
ガダルカナル Guadalcanal

つづく
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ
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冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。



新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。



平成24年9月8日 日本青年遺骨収集団さま主催による ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 の皆様がガ島御遺骨収集をされ7柱の御遺骨をお迎えされたそうです。
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