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Japanese govt pushing Fukushima evacuees back to high radiation areas - Greenpeace
2017/2/21 RT News
https://www.rt.com/news/378168-fukushima-evacuees-back-greenpeace/

日本政府は、グリーンピースが発表した報告書によると、放射線被ばくの危険にもかかわらず、福島からの避難民が原子力災害現場に戻ることを奨励している。

福島県は、飯舘町の6,000人の避難命令が解除される3月31日から、避難民の住宅支援を削減する計画だ。 これは、チェルノブイリの除外ゾーンに匹敵する放射線レベルにもかかわらず、グリーンピースジャパンの報告書から発見。

「住宅の内外の放射線量が比較的高いため、市民が飯舘に戻ってしまうと、放射線リスクが許容できなくなる。 照射された家に帰る市民は、週1回の胸部X線に相当する放射線を受ける危険性があります。これは正常ではない、あるいは容認できるものではない」と、グリーンピース・ジャパン エネルギー担当の柏木愛は、火曜日にグリーンピースが発表したプレスリリースで述べている。

グリーンピース・ジャパンの調査では、政府の目標をはるかに上回る放射能のレベルが確認されています。 彼らのチームは、地域の周辺の家屋を測定し、平均年次暴露率を計算しました。 土壌試料を採取し、2016年2月に2戸の家屋に設置された個人線量バッジを回収した。

飯舘の平均放射線被ばくは、国際放射線防護委員会(ICRP)によって設定された年次ガイドラインを超える、70年間(自然放射線を除く)に39ミリシーベルト(mSv)から183mSvであることが判明した。 ICRPは、1年間の最大放射線被曝量は1mSvであると述べている。

グリーンピースによると、日本政府は生涯放射線被ばくリスク評価を完了していない。

「政府は、科学的もしくは公衆衛生を保護する目的で政策を立てていない。 それは、飯舘市民の生涯放射線被ばく量の推定値を提供せず、森林からの再汚染が、何十年にもわたって脅威になることを考慮していない」と、グリーンピースベルギーの放射線専門家Jヤン・ヴァンデ・プテ氏は語った。

「安倍首相は、福島第一原発事故の発生から6年後の虚偽の現実を作り出そうとしている。 現実世界では、何十年もの間、飯舘での緊急事態(放射線状況)は、何の変化もないだろう」と付け加えた。

声明で、グリーンピースは、被災者に帰還を余儀なくされることなく、また被ばくを減らすために、政府に対し、被災者への資金援助を提供し続けるように求めている。現在、政府は3月31日まで資金援助を引き続き行うとしている。その後、援助ははるかに制限されるだろう。

福島原発での2011年の事故は、1986年のチェルノブイリで起こった悪名高い災害以来、その種の中で最悪でした。 東日本大震災とその後の津波の後、いずれかの原子炉の冷却システムが機能しなくなり、溶融が起こった。 約50万人が避難し、20キロの除外ゾーンが設定されました。


グリーンピースや国際放射線防護委員会(ICRP)が、怪しい機関という話は置いておき、この件については、マトモなことを主張しております。

安全基準は、市民が声をあげ、政府を突き上げ、変えさせないと駄目と書いてあります。
チェルノブイリ事故の、ウクライナの例が参考なる↓



原発事故 国家はどう補償したのか ウクライナの補償
http://hokinet.jp/30.html


被ばく対策がほとんど取られていない日本にとって、非常に重要なテレビ番組が昨年放送されています。チェルノブイリ原発事故から5年後に、ウクライナでは「チェルノブイリ法」を制定して、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域は「強制移住区域」とされ、1~5ミリシーベルトの地域は「移住選択区域」として住民に移住の権利が与えられました。また、移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用と住居を提供、引越し費用や移住によって失う財産の補償も行いました。移住しなかった住民にも非汚染食料の配給、無料検診、薬の無料化、一定期間の非汚染地への「保養」…などを定めて、住民の健康と生活を守ろうとしてきました。そして、29年が経った今も、厳しい経済状況の中で補償を続けています。一方、事故から5年近くたっても「20ミリシーベルト基準」を撤回せず、20ミリ以下は安全だとして住民を汚染地に戻している日本。。。

原発事故 国家はどう補償したのか ~チェルノブイリ法23年の軌跡~ ETV特集
(2014/08/23 NHK ETV)番組の書き起こしから抜粋



1986年4月26日、チェルノブイリ原発が爆発事故を起こしました。膨大な量の放射性物質が放出され広い地域が汚染されました。ウクライナ政府が 現在被災者と認めている人は213万人。被災者に対する補償はウクライナ政府によって続けられてきました。補償の根拠となっているのが事故の5年後に制定 されたチェルノブイリ法です。そこには「国が被災者の生活と健康を世代を超えて守り、被害の補償を続ける」と規定されています。



チェルノブイリ法は事故後の長い議論を経て生まれました。しかし、チェルノブイリ法の制定から20年以上が経った今、被災者への補償は2割以下しか 実施されない事態に陥っています。ウクライナ政府は内戦の前から深刻な財政難に陥り補償にあてる予算を捻出できなくなっていたのです。高い理想を掲げなが ら大きな壁にぶつかったチェルノブイリ法。その成立過程を明らかにする資料が去年初めて公開されました。

2013年10月、ウクライナのキエフで「チェルノブイリの経験をフクシマへ」と題されたワークショップが開かれました。これまで日本から多くの政 治家や研究者がウクライナを視察に来ています。今回ワークショップを主催したのは元環境大臣ユーリ・シチェルバクさん。ウクライナが原発事故の被災者をど のように救済してきたのか報告されました。

チェルノブイリ法の特徴は事故による被ばくが5年後の時点で年間1ミリシーベルトを超えると推定された地域を補償の対象としていることです。



被災者をどこまで救済するかは、日本が現在直面している課題です。
チェルノブイリ原発の西120kmにあるコロステン市には、チェルノブイリ法が補償の対象とした地域があります。被災者には年1回、症状に合わせた 保養所の旅行券が支給されます。また両親が被災者であれば事故後に生まれた子どもも被災者として認定されます。コロステン市社会保護局イゴーリ・エシン局 長は「旅行もできるし薬も無料、歯医者も無料、公共料金にも免除があり、全部合わせれば国は住民をとても助けていると思う」と言っていました。



年間被ばく線量が、法律を制定した時に1~5ミリシーベルトのこの地域では住民に移住の権利が与えられました。チェルノブイリ法は移住しなかった住民への補償を次のように定めています。

・毎月の補償金(給料の1割分を上乗せ)
・年金の早期受け取り
・電気代やガス代など公共料金の割引
・家賃の割引
・公共交通機関の無料券
・医薬品の無料化
・毎年無料で検診が受けられる
・非汚染食料の配給
・有給休暇の追加
・サナトリウムへの旅行券
・大学への優先入学制度
・学校給食の無料化

それでも、この街からの移住を決断した人は4000人にのぼりました。当時、教師だったビクトル・ホダキフスキーさんは法律制定後すぐに移住を決め ました。低線量の放射線は大人にとっては何ともなくても、子どもにとっては危険かもしれないと思ったからです。そして新しい家、新しい仕事も補償されると いうことだったため移住を決めたと言います。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供しました。また引越しにかかる費用や、移住 によって失う財産の補償も行われました。



ソビエト連邦から独立したウクライナは1996年、新たな憲法を制定しました。そこにはチェルノブイリの被災者を救済することは国家の責務であると明記されました。



チェルノブイリ原発で事故が起きたのは旧ソビエト時代の1986年です。

原子炉が爆発し、おびただしい放射性物質が拡散しました。しかし、国民に放射能汚染の情報は知らされず事故から5日後にはソビエト全土でメーデーのパレードが行われました。コロステン市でも屋外でメーデーのお祝いが行われまし た。ソビエト政府はその後も放射能汚染の情報を隠し続けました。冷戦時代、社会主義諸国の盟主だったソビエトにとって原発事故の情報は西側に知られたくな い国家機密とされたのです。

そんな中、ソビエト連邦の15ある共和国の一つウクライナから批判の声が上がりました。被ばくによって病気になったと訴え出たのは原発で事故処理に あたった作業員たちでした。チェルノブイリ原発の事故処理にはソビエト全土から兵士、消防士、警察官など80万人が動員されたと言います。放射線に対する 知識もなく不十分な防護服で原子炉の消火や瓦礫処理にあたりました。人々はゴルバチョフ書記長に窮状を訴えました。やがて事故処理の作業員とウクライナの 市民が一丸となってソビエト政府に抗議するように。この運動を率いたのがユーリ・シチェルバクさん。真っ先に求めたのは事故の情報公開でした。

事故から3年後、ソビエト政府はようやく汚染の情報公開にふみ切りました。汚染は北西部にまだらに広がり、原発から110km離れたコロステン市に まで届いていました。コロステン市では体の不調を訴える住民が相次いでいました。事故の翌年に始まった住民検診で9人に甲状腺がんが見つかりました。ウク ライナだけでなく隣国のベラルーシでも子供たちから甲状腺がんが次々と見つかりました。

汚染地域の住民から次々に寄せられた強い要求にウクライナ政府はモスクワの指示を仰ぐことなく独自に被災者の救済に乗り出しました。当時のウクライ ナ最高会議レオニード・クラフチュク議長は被災者救済の法律を作る決断をしました。1990年6月、12人の代議員でチェルノブイリ委員会が結成され法案作成がスタート。法律の完成までには8ヶ月の時間を要しました。

ウクライナのチェルノブイリ委員会は被ばく限度量をどこに定めるのか討論を行いました。基準を5ミリシーベルトから1ミリシーベルトにすれば、被災者と認定する住民の数は100万人以上膨れ上がります。将来にわたる補償の規模が大幅に変わる問題でした。

委員会発足から8ヵ月後、チェルノブイリ法は採択されました。その第1章第1条には「放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被ばくをもたらし、住民の放射線防護措置を必要とする地域である」と記されています。法律の冒頭に被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすることが明記されたのです。



チェルノブイリ法に基づきウクライナの被災地は4つの区域に分類されました。



強制避難区域:事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域
強制移住区域:年間被ばく線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超える区域
移住選択区域:年間被ばく線量が法律制定時に1~5ミリシーベルトの区域
放射線管理区域:年間被ばく線量が法律制定時に0.5~1ミリシーベルトの区域


原発事故 国家はどう補償したのか ~ チェルノブイリ法23年の軌跡~ ETV特集

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ベラルーシ科学アカデミーのミハイル・マリコ博士はこう言っています。
「チェルノブイリの防護基準、年間1ミリシーベルトは市民の声で実現されました。核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。チェルノブイリではソ連政府が決め、IAEAとWHOも賛同した緩い防護基準を市民が結束して事故5年後に、平常時の防護基準、年間1ミリシーベルトに見直させました。それでも遅れた分だけ悲劇が深刻になりました。フクシマでも、早急な防護基準の見直しが必要です」


福島原発事故後に増えた心臓病と甲状腺がん(2016年1月22日 掲載)
甲状腺がんは、子どもにも大人にも増えている(2016年3月11日 掲載)









この所業、日本人の政府ではないのかもしれない。

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