【転記】偏見② 凶悪犯罪者はモンスターなのか? | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『凶悪犯罪者はモンスターなのか?』


◆凶悪犯罪者は、モンスターではない


私たちとなんら変わりのない人間です
誰しもが、今とちょっと違った人生を送っていれば
凶悪犯罪を犯したかも知れません

畠山鈴香を死刑にしろと騒いでる人たちは、間違っていると思う
少し考えが短絡的すぎないですか?

被害者とその遺族を救う事と
加害者を裁くのは、また別の問題だ

そうでなければ法律が崩壊する


◆畠山鈴香とは?

彼女こそ、環境の犠牲者じゃないのか?
私たちと彼女に、どんな違いがあるというの?

もちろん、いちばん可哀想なのは、殺された子供達とその遺族だ
そしていちばん悪いのは、畠山被告だ
そうであっても私は
畠山鈴香に憐憫の情を覚え、他人事のように責める気がおこらない

自分で取材した訳ではないので
伝え聞く彼女の生い立ちがすべて真実とは限らない
おおよそ、そんな生い立ちだったんだろうということを前提にして書く



畠山鈴香の母親も、育児放棄していたそうだ
食事もまともに作らず、お風呂にもあまり入れていなかったようだ

小中高を通して友達がおらず
いつも一人で本を読んでいるような子供だったらしい
いじめられていたという話もある
卒業文集の話は、あまりにも有名なので省く
彼女の男関係をあげつらい、淫乱だのどうのという声も聞く

この世に生まれ落ちて、親や周り誰からも愛されずに育つと
どうやって人間関係を築いていいのか、わからなくて当然だ

誰かと繋がりを持ちたくて
その方法がわからずに、性的な繋がりや、恋愛のみを
「人と人との繋がり」と勘違いしても何もおかしくない

また人は、他者や社会との交わりの中で
相対化して自分の姿を知る
そうやって人として成長し、社会性を身につけるのだ
彼女は育つ過程で、それがうまく出来なかった
生まれ育った環境もあって、けっして本人だけのせいじゃない


そんな畠山鈴香が、子育てをすることは混乱を伴うだろう
我が子を虐待していたという話も聞く
だが一方で自分の娘には
科学雑誌を定期購読にしてやり
娘が本屋さんで本をねだれば、買ってやったそうだ

友達のいない子供時代を慰めた本だ
自分自身のことや世界をしる数少ないモノだ
それを子供に与えていたのだ
人は、自分が学んだ知っていることは出来るのだ
本当の意味で、意図した虐待はあったのだろうか?

また彼女の娘は、ひとなつっこい子供だったそうだ

これらのことから、畠山鈴香が冷酷な人間だとは思えない
ただ自分の子供と、どう関係を結べばいいのかわからなかったんじゃないだろうか?



ヤフーの知恵袋に、こんなコメントがあった

「いじめや虐待は人間を壊しうるということを認識しないままに
『いじめられても殺さない人は沢山いる』
『私もいじめられたが子どもを殺そうとは思わなかった』
『本人にも原因があるのでは』
という一見正義ぶった主張がまかり通ることにも危惧をおぼえます。
それこそ『どうして皆と一緒でいれないの?ムカつく』という、いじめの論理だからです」


まったく同意する


私もひどいところで育った
沖縄の基地周辺の危険さほどではないだろうが
世の中の矛盾が澱のようにたまった町だった
周りはクズみたいな大人たちがいて、本当にひどい目にあった

子供のころ、親によく言われてた言葉がある
「いつかお前を殺す」
「嘘じゃないのは分かるな?殺すといったら必ず殺すからな」

そんな親には当然のように、理由をこじつけては毎日殴られた
子供の私は、自分が悪いことをしたから
毎日怒鳴られ、殴られるのだろうと思った
何が悪いのか、必死で考えた

そうやって育った私だけど
だいそれたことは何ひとつしていないし
陽気な人間に育ったと思う
人に「長所は?」と問われれば
「行動力です」とすかさず答えるほど
積極的な性格を持っている

そんなんだから、いじめられそうになったことは何度かあったが
いじめられたことはない
いじめられるくらいなら、相手に特攻する

真面目な性格を持ちつつ女性に対しても積極的だから
何度も失敗を繰り返して
人を愛すること、人に愛されることを学んでこれた

そうやって私は、特別に社会に対しては
まあ問題のない人間に育ったんじゃないだろうか?
畠山鈴香のような事件を起さずにすんだ

それは、私ががんばったからじゃない
それもあるのかも知れないが
もって生まれた性格もあるだろう
環境が彼女に比べて、苛酷じゃなかったのかも知れない

ただ単に、運が良かったんだと思う

畠山鈴香のように育てば、誰もが彼女のような罪を犯すとは限らない
だけど
誰もが罪を犯さずにすむわけじゃない
多くの人は、なんらしか問題を起したと考えるほうが無理がないんじゃないかな?

誰しもが、ほんのちょっと人生が違っていれば
畠山鈴香になっていたのかも知れない

もし私が、彼女の側にいて友達だったら
こんな悲劇はおこらなかったかもしれない
「お前は何様や」という声もあるだろう
傲慢なことを言っているのかも知れない
ただ言いたいのは、誰かが彼女に少しやさしい手をさしのべていれば
こんな事件はおこらなかったんじゃないのか?


私は、殺された子供や遺族の心の痛み
そして畠山鈴香の救われない人生
それらを併せて想うと
ともて胸が痛くて泣けてくる
他人事には想えない


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◆誰か手を差し伸べる人がいれば、凶悪犯罪は減らせる

以前、ここで死刑問題を議論したときに
刑務所に入りたくて放火を繰り返す人がいる
と書き込んだ人がいた
だから死刑が必要という趣旨だったんじゃないだろうか?

実際にはそんな人は
ここ数日の日記で、統計データを検証してみると
ごく稀であることは明らかだったが

その放火を繰り返した人について述べる


「刑務所に戻りたかったから、火をつけた」と彼は言う
死刑を求刑した理由は、警察得意の調書によると
「計画的に駅全体を燃やすつもりだった」だそうだ

ちなみに、これまで受けた実刑はすべて放火で
今回も含めて11回放火を行っているが、1人のケガ人も出していない


この人は、知的障害者だ
知的障害者が犯罪を犯しやすいという因果関係は
医学的にみて存在しないので
そういう偏見は捨て去って欲しい


彼は刑務所内で生活保護のことを知り
出所後、北九州市の区役所を訪ねていった

そこでは「住所がないと駄目だ」と相手にされず
出所したばかりだと訴えても、相手にしてもらえなかった
下関までの一枚の切符を渡され、追い返されてしまう
体よく、北九州市から追い出されたのだ


彼は家庭では、父親に虐待され
体中には、それによるむごい傷跡がある
12歳のときに教護院に入って以来
塀の中をいったりきたりで、その人生のほとんどを
塀の中で過ごしている
家庭にいるより、塀の中のほうが救われたのだろうか?

社会にはまだまだ障害者に対する差別が存在するようだ
先ごろ、千葉県が障害者差別に関する条例を制定した
私たちが想像もつかないような、苦労があるのだろう

このような経歴を持ち
身寄りのない、お金も何も持たない知的障害者という弱者が
刑務所に再び戻りたいと考えるのには
特に推理を要しない

ちなみに、当時の報道では
こういった彼の経歴は触れられておらず
「刑務所に戻りたいから放火した」
これだけが大きく扱われ、彼に非難が集中した



彼は棄民だ
知的障害を持つがゆえに、親からも社会からも捨てられた
誰かが手を差し伸べれば
罪を犯さずに済んだのではないか?

そしてそれを行うのは、国や自治体じゃないのか?
なんのために収税しているんだ?
巨大なタワーの区役所なんていらない
こういう人の為に、私たちが納めた税金を使って欲しい



畠山鈴香被告も、報道番組などをみる限りでは
彼女の来歴を考えてみると
誰かが手を差し伸べれば、こんな事件は犯さなかったのではないかと思う

凶悪犯罪には厳罰で応じればいい
そんな単純な対処法では、凶悪犯罪を減らすことは不可能だ
社会が、少しだけかたちを変えれば、凶悪犯罪を減らすことが
可能なのではないか?


凶悪犯罪者はモンスターではない
もちろん、理屈では計り知れないモンスターもいるのかも知れないが
それが多く存在するというデータはない

逆に死刑囚のことを調べていくほど
誰かがどこかで手を差し伸べれば
罪を犯さずに済んだのではないかという思いが拭えない

私たちの誰もが、ほんの少しだけ違った人生を送っていれば
凶悪犯罪を犯したかもしれない



今回取り上げた事例は、特殊なケースだろうと言う人もいるだろう
しかし、死刑囚の人生を調べてみると
やっぱり彼らも
どこかで誰かが手をさしのべていれば
少しでもやさしい言葉をかけていれば
凶悪犯罪など犯さなかったのではないか?
そう思える事例がたくさんあります

犯罪の残酷さに怒るのは当然のことですが
偏見を捨て、事実をみてください
凶悪犯罪を裁くだけでは、同じような犯罪をなくせません
犯罪をおこさせないような社会を作っていくべきです


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犯罪とは、社会的な存在なんですよね
人間の社会がなければ、犯罪という概念も存在しないです
だから、社会の一部でしかない法だけでもって
犯罪に対処しようというのが間違いで
それをなくしていこう、未然に防いでいこうと思うのであれば
法だけでなく、社会全体で対応していかないと
なくせないです

それを、厳罰化など刑罰だけで対処しようとするから
おかしくなるんだよね



犯罪者を私たちとは違う、特異なモンスターとみなして
さっさと死刑にしてしまえという、排除型の社会では
犯罪なんてなくせません

なぜその犯罪が起ったのか
それを追求し、起させない社会に切り替えるべきです
その一端として
刑法そのものを根本的に改革して
今もその流れにありますが
更正教育目的刑にすべきだと思っております



多くの方が、彼我の区別をしている偏見をお持ちです
犯罪者もだいそれた罪を犯さないで生きてきた私たちも
きれいごとではなく、犯してしまった行為以外は
なんら差のない人間です

私たちも彼らと同じような環境に居れば
同じような犯罪を犯した可能性があります
なにも、社会のせいにして
彼らを許そうと言っているのではないことをご理解ください

私たちは、孔子のような人間ではなく
みんな多かれ少なかれ、法に触れる触れないは別として悪行を犯して生きています
その上で、法でいう実刑をくらうような犯罪をせずにおられるのは
それが良くないことだと理解しているからです

そういう私たちは
法による罰がなくとも、そういう罪を犯すことはないでしょう
娘さんのことを思いやれる人が
他人の子供に危害を加えることはないでしょう

人間は、経験的に学んだことしか理解できません
また、人それぞれ異なって不均等に成長します
だから社会のルールについて、十分に学べない者がいても当然のことです

更生させるのは無理だとか、現実的な時間の問題があるなどというのは
自分が出来ていることなのに、犯罪者は出来ない
自分を特別視したり、犯罪者は特異な存在だと見做す
偏見からくるものだと思います



サイコパスなど、本当に存在するのか
科学的な検証が必要ですし
それはまだまだ研究が未成熟なままです

以前、暴力衝動が抑えられず
最後に犯人が射殺されたという話があって
テレビで扱っていたので
それもどこまで本当か分かりませんが
脳に病気を抱えていて、それが原因で

暴力衝動が起こり、抑えられなかった
病気に気づき、治療さえ行えば
暴力衝動は収まったと、番組の中では
結論づけられておりました




監視については
一度罪を償えば、それでその者の法的は、社会制度的な贖罪は終了ですから
必要はありません

一度裁かれた者は、二度と同じ罪で裁かれないのは大原則で
監視するということは、裁き、贖罪を果たした上で
さらに犯罪者扱いをするということで
これは元受刑者を、また犯罪に走るまで追い詰めかねない行為です

これは聞いた話ですが
アメリカで、マリファナでハイになって
裸になって通りに飛び出して騒いだ男がおりました

ちょうどそのとき、近所の小学校の下校時間に重なり、通報され
児童に対する性犯罪者として裁かれました
その者は、児童に対する性癖もなく
これ迄一度も、性犯罪を犯したことがありません

裁かれ、出所した後も
どんなに真面目に暮していても
引越しをしようが何をしようが
性犯罪者として裁かれた過去を暴かれ
まともにやり直すkとがままなりません

それでも漸く静かな生活を得て
仕事も継続でき、婚約もしました

ある日、近所で児童に対する性犯罪事件が起こり
警察が男のところに来ました
職場にも婚約者にも、過去がばれて
仕事を失い、婚約も破棄になりました

男は警察に訴えました
マリファナも犯罪だけど
俺は性犯罪者じゃない
だけどその罪で裁かれ、その後遊びで試したマリファナも一止め
真面目に暮している
なのに、一体いつまで
性犯罪者として、裁かれ続けなければならないのか?


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参照
【転記】+死刑では何も解決しない+