【転記】+死刑では何も解決しない+ | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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遺族にとっては、一時的には死刑を望むだろうけど
長い目でみたときに、それでは何も解決せず
遺族が苦しむ場合が多いときく


凶悪な事件は、誰の心をも傷つける
たとえ無関係な人間であってもだ
そのストレスを晴らしたくて
加害者を死刑にしろと喚く、その気持ちは良くわかるが
ちょっと良く考えて欲しい
死刑にしたところで、誰が救われるのだ?
何の意味があるんだ?


『死刑では何も解決しない』

関係のない世間で騒いでいる連中が
「めでたし、めでたし」と、溜飲を下げて気持ち良くなるだけで
誰も救われないだろう

遺族もね、加害者を死刑にすることだけが
人生の目的になっちゃう人もいる
だけど、いざ死刑が執行された後は
生きる目的を失っちゃって
茫然自失のような日々を送る人もいるという

被害者や遺族の救済
そういう言葉が声高に叫ばれるけど
重篤な心の傷なんだから
他人が、彼らを救済できると思っていることのほうが、傲慢だろう

被害者や遺族の方から、他人に助けを求めてきた場合
はじめて、他人が手をかせるのに
制度的に、救済がどうのというやつらは
何にも考えてないカバの逆立ちさんか、偽善者だろ?


遺族は死刑を望んでいるという方は、是非↓の本をお読みになって下さい

『弟を殺した彼と、僕。』


以下、過去日記を再掲載することで
詳しく死刑制度や、人を裁くことについて論じていきます


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『死刑が必要だという合理的理由は何処にも存在しない』

人を殺しちゃいけないよね
どんなに探したところで
死刑にしてよい合理的な理由は見つからない

唯一の理由が
私がよく言ってるけど(それの一定の理解を踏まえての話です)
殺さねば、社会の再生産(社会の継続)が脅かされる場合

これは、いわば極限の話であって
原始時代とか、SF的な未来など
(大自然で遭難中の話とかもあるけど)
特殊な場合だから、刑罰を考えるときには、考慮外のケースだよね

ここまではいいよね?
人を殺していいという理由を
どうやっても見つけることが出来ないのは
刑罰でも同じ

いろいろ死刑が必要だという理由が挙げられるけど
ほぼ全て、当該日記(※コメ欄)で斬ってある通り
どれも、死刑にして良い理由にはなってないよね

人の命を奪えば、自分の命で償うしかない
  ↓
なんで命じゃなければ償えないの?

すべてこういう感じで、論理的に繋がってない
(ここが分からない人は、煽りじゃなくてマジで算数からやり直そう)

殺してよい理由がない以上
そして、殺人を社会が禁止している以上は
それ以外に、死刑以外の選択肢を
選ばなきゃいけないよね


◆罪を重さを、合理的に量ることは不可能

懲役何年と、刑が下されるけど
二年と四年では、後者が前者の倍だけ罪が重いなんて
いうことは不可能
だよね

だって、重さを量る際の、客観的な度量衡を設けることは
どうやっても無理
だから

性犯罪と殺人、どちらがどれだけ重いかなんて
比べることは、神様にでも出来ないでしょ


◆すべての刑罰は、更生を目的としている

鞭打ち刑だって、これだけ痛い目に遭わせれば
もう二度と、悪さしないと思っているから鞭打つわけで

懲役刑、禁固刑だって、これだけの時間、塀の中に入れとけば
反省して、二度と悪さをしないと思うから、塀の中に入れているわけで

全ての刑罰の唯一の基準と目的は、「更生」なんだよね


◆犯罪とは何か?

形式の側面からみると
犯罪って、自然に存在するものじゃないよね
社会が、任意に定めたルールがあって
それに違反する行為を、犯罪と呼んでいる
わけだ

所属する集団のルールを破るのも
刑法を破るのも、どちらも社会のルールを破るということで
同じなんだよね
(より詳しくは、犯罪心理学入門でも読んでください。一般向けもあります)

そして先に述べた通り
罪の重さは量れない、比べることが出来ない以上
罪の種類の違いを指摘することは意味がないんだよね

※質的側面からみると、社会の再生産の観点から
それに悪影響を与える者を犯罪と定めるんだよね
人権社会(民主主義社会)でいえば、全ての犯罪は人権侵害行為に他ならないんだよね

【転記】罪とは何か?


◆誰もが更生を経験している

家庭のルール、学校のルール、職場のルール
地域のルール、刑法違反
誰もが、なんらしかのルールを破った経験があるはずだ
その後、立派に更生しているよね

犯罪統計をみていても
なんら更生への取り組みがなされていないに等しい現状でも
多くの者が更生している

同白書の7-3-4-1図 1犯目の罪名別・再犯の有無別構成比

これを見れば、比較することが出来ます

窃盗の再犯28・9%
覚せい剤取締法違反の再犯29・1%
傷害・暴行21・1%
強盗2%
強姦3%
詐欺11%
風営法20・8%
強制わいせつ6・5%
放火3・8%
殺人0・9%


◆まとめ

人を殺して良いという、理由がない
それは、犯罪者に対しても同じ事

全ての刑罰は、更生を基準と目的にしている
ゆえに、死刑以外の更生への取り組みが
唯一の人を裁く方法なわけですよ


◆余談

更生教育を施せば
今以上に、犯罪者が更生することは考えるまでもないでしょ
社会の安寧も、今以上に図れるわけだ

もし犯罪者が更生しなければ、それは塀の中から出さなければいいだけの話

「更生するとは限らないから死刑は廃止できない」
なんていう人もいるけど
誰もが更生している以上、可能性はあるし

全ての刑罰は、更生を目的としている以上
「完全に更生できる可能性がないから」なんていえば
全ての犯罪は、死刑にしなきゃいけなくなるよね

完成された更生システムの有無は
死刑存廃論議とは関係ないのだ
云ってること分かるでしょ?


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『死刑問題の理論レベルは小学校の算数と同じ』


死刑問題のみならず
刑罰体系の問題の理論レベルは
小学校で習う算数と同じだよ

刑罰って、量の問題

死刑という刑罰も、懲役刑の延長線上にあって
懲役刑と同じく、量の(変化の)問題

「量刑」とか、「刑の量定」とかいう

けーれーど!
それを計る単位がないんだから
今の刑法はデタラメだということ

単位がないというのを
分かりやすく説明すると

懲役三年と五年
その違いを決める、客観的・合理的な根拠は
どこにあるの?
そういうこと

死刑にする犯罪と
死刑にしない犯罪の境目

その客観的・合理的根拠はあるの?

な・い・ん・で・す・よ・ん(はあと)


死刑や今の刑法・刑罰の体系が間違っているということは
もう極めて単純な話

社会のルールは、客観的、合理的じゃないと
そうなりえない

これは分かるよね?

多様な価値観を持つ、異なる人の集団が社会なんだから
誰もが納得するには
客観的、合理的なものじゃないと
そうなりえない
からね

【転記】社会のルールについて考えよう

それが、今の刑法・刑罰の体系にはないんですよっと


心情的には
死刑うんぬんとか議論している法学界隈
「アホか!」っと言いたくなるけど
こんな単純な問題であるのに
分からなくするには

この問題は、それだけ!
人の心を、深く傷つけるということ

だから、感情が入ってきて
優秀な知能を持っている人ですら
思考が鈍ってしまう

それだけ難しい問題だということだよね
理論は簡単だけど


私もこの問題を扱うのは
諸刃の剣的なところがある

死刑を望む心が残っているし
被害者や遺族の気持ち、心の傷も
私も被害者だったから、すべてとは言わないけど分からなくもない

だけど、遺族や被害者によっては
心の傷に、塩をするこむように
私の言葉が聞こえることもあるだろう

そういうのを分かった上で
覚悟して、この問題を扱わないといけない

だから、心身に負担がかかるんだよね

死刑制度に反対する者で
この問題を扱うことを
たとえ、ネットのブログであっても
避けたくなる気持ちは、よ~く分かる

本気でやるなら
相当の覚悟がいるからね

この傲岸不遜な私でも
最初は、遺族や被害者と対話するときは
ものすごく勇気を要した

それは今でも変わらないけど
覚悟は変わらない


今の刑法・刑罰の体系には、客観的・合理的な基準がない以上
それを持ってくよう、作り変えないといけない

だけど、人を裁くという超複雑な問題には
なかなかそういうものはない
どうしても抽象的にならざるを得ない

そこで、唯一のものが
「更生」なんだよね

そもそもの、一番深いところの刑法の意味から考えると
更生以外に、客観的・合理的な基準というものは
成りえないんだよね


理論の組み立て方が
法学周辺の議論している者たちと
私とでは、全く異なっている

既存の体系を前提として議論しているのが
法学周辺の議論

でも、そこで語られることの前提まで問わないから
単純なことすら、理解できないんだよね


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参照
【転記】法学周辺の死刑存廃論議なんて児戯に等しい

【転記】刑法・刑罰体系の致命的欠陥

【転記】刑罰の、最原理論的な解説

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◆死刑必要だというご意見は、何一つ必要であることの根拠を証明しない

証明しないから、あえてコチラから
その偏見の土俵に乗っかって説明すると


この問題は、おおまかに三つの偏見が、解決を妨げています
①犯罪者は更生しない(犯罪を繰り返す)
②犯罪者はモンスターである
③遺族の気持ちを考えろ、遺族感情で処罰すべきだ(報復刑)


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参照
【転記】死刑問題における三つの偏見

【転記】死刑による犯罪抑止効果は本当にあるのか?

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◆終身刑はなぜダメなのか?

終身刑は、死刑と同根の問題なのです
それは、自分と異なる犯罪者をモンスターと見做しているか
応報感情以外ではないです

結局、死刑賛成派も終身刑派も
犯罪そのものと加害者を論理的にみることはせず
自分には理解できないモンスター
言い換えるなら、特別な存在としてみているのです
同じ人間とは思えないので、排除してもよいという
考え方の根っこはまったく一緒なんですよね

死刑に反対して終身刑をという人たちの多くは
「排除型社会」を批判しつつも
この問題では、排除型社会押し進める一員になっているのです


◆私の死刑制度に対する考え

刑法のそもそもの目的とは何?
社会の秩序維持でしょ

「死神」と呼ばれた法相は、社会正義のために
いやでも死刑執行の判を押すとか言ってたが
死刑にすることは、刑法の目的に適っているのか?
社会の秩序の維持に役立っているのか?

法の論理、法の整合性、データ、遺族のこと
それらを考えると、逆じゃないかとすら思う

偏見や思い込みを捨て
死刑制度に限らず、刑法のあり方や
社会の安全をどうやって守るかを、冷静に考えるべきだ


私は死刑は今すぐなくせると思っておりません
以下のように、刑法の改革がなされて後
本当に安心して、死刑制度をなくせると思っております

今の刑法を根本から改革して
犯罪者をモンスターとして、ただ単に排除する刑罰から
今の中途半端なものではなく
完全に更正教育目的刑にし
期間を定めない、無期刑で更正をさせればいいのです
更正しなければ、塀から出さなければいいのです


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更生しない人もいるのではないかという疑問へ


更生いなきゃ、塀から出さなければいいと書いてありますが
あんまり、読め読めと、小言ばかりでもあれなので...


ペッパーランチ事件ありましたよね
女性を監禁して、生涯に渡ってレイプし続けようと画策した事件

私の心情でいえば、なぜ死刑じゃないのかと思いますが
主犯の一番重い刑ですら、懲役十年です

今の懲役形は、刑期がくれば
更生したとみなされて釈放されます

更生教育刑と、今の刑法
更生の観点からみれば、全く同じです
どちらも、更生したとみなせば、塀から出してます

誰だって、「更生」を経験しているわけです
全員と云ってもいいんじゃないかな?
ルールに反したことがない人は、いないでしょう

家庭のルール、学校のルール、会社のルール、仲間の間でのルール
社会には、いろんなルールがある

みんな破った経験があり、みんな更生を経験しているよね
誰もが更生しているとことは、これは揺るがない客観的な事実であり
誰もが、これから先も破るであろうルールに逸脱する迷惑行為から
更生する可能性を、示してるんですよね


誰もが更生を経験しているのに
凶悪犯罪者だけが更生できないと考えるのは
非論理的で、間違いです

そして、どの罪が重いかどうかは
計ることができない事

なのにここから先は更生を許さない
ここまでは更生して良いだなんて
客観的に定めることは出来ません

ましてや、罪は自然に存在するものではなく
社会が、任意で定めたものにしか過ぎないので
「ルールに反した」という事意外に
「犯罪」の説明のしようがない
どんな法律違反も、純粋に「ルールを破った」という点に
還元されるにすぎないのです
本質的にね


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その理屈はいいんだけど
でも、本当に更生なんて出来るの?
完璧な更生へのシステムがなければ
それは机上の空論だ
それでは死刑は廃止できない

なんていう、論理的思考のいちじるしく欠字した意見に
ウンザリしているところですが

それについて、こういう説明なら
そのご意見が間違っていることを
分かりますか?ってことです


◆「更生」というのは

同じ過ちを繰り返さないという事に他なりません


◆そもそも刑罰は、更生を目的としている

教育刑だろうが、鞭打ちだろうが
刑罰ってのは、これだけやれば
もう二度とやらないだろう
そういうことを前提として、下される訳ですよ

今の刑罰体系でも
懲役○年って判決が下されるとき
それは、これだけ塀の中に入れてれば反省するだろう
そういう目論見な訳ですよ

鞭打ちだってそう
これだけ鞭で痛い目にあわせれば
二度と同じ罪を犯さないだろう

死刑の場合は、その延長戦上であって
更生しないから死刑にしよう
もしくは、命でしか償えない
そう考えるからであって
それは既に当該日記で斬ってある通りです

今の死刑が存続している唯一の根拠が
「多くの国民が望んでいるから」
ということなんだよね
そこで、いろんな主観として
命でしか償えないとか、更生しないとか
考えの足りない頓珍漢な妄想が出てくるわけで


要はね、手段が違うだけで
目的は、更生教育刑だろうが

ココは、これ以上説明いらないよね?
必要?
とりあえず次ぎにいきます


◆死刑もそれを廃止した制度も、どちらにも「更生」は共通している

だから、「更生」するためのシステムの中身は
死刑存廃論議の、筋じゃないんだよね


◆結論

死刑を廃止する前提として
更生のためのシステムの完成を、挙げることは出来ません
筋違いの、これまた別の話題なのですよっと


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私は、誰にでも分かるよう
法律の問題を出来る限り平易に書いているけれど
それでも分からないというのであれば
専門家の文章を借りてこよう
言ってる中身は、ほぼ同じなんだけどね(笑)

別冊ジュリストの憲法判例百選Ⅱの中で
死刑問題について解説しているところを引用する(P、263)

※そのまま引用すると読みづらいので
私の判断で改行してます

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まず教育刑の考え方からすれば死刑は考えられず、
応報についても、それが「同害報復」的な絶対的応報刑諭でない限り、
死刑を必然的に論結するものではない
残るは本判決の強調する強調する一般予防効果と「特殊な社会悪」の排除であるが
これらは判決における実質的正当化論であり(だから私はこれに反論したのよん)、
~(略)~
(上述したことを鑑み、「公共の福祉」の福祉を死刑が例外的に認められるとする死刑賛成意見に対して)
例外を主張する側がその理由を提示しなければならない。
とりわけ人権主体(私は人権の概念を使わずに死刑批判しているけれど)の存在にかかわる
生命に対する権利の制限であれば、反論の余地のないほど合理的で
明確な根拠が要求されよう。
即ち、死刑の存置を主張する側に、それが必要不可欠であることを厳格に立証する責任が存在するのである。
そうすると、死刑の威嚇力による一般予防効果が証明されていない以上、
死刑は違憲であることになる

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


最後の違憲だという判断が妥当かどうかは置いといて
これが、現在の死刑存廃問題の、議論の法学的、論理的な到達点なんだよね

これらはある程度の法律お知識もないと
理解しづらい点もあるかも知れないので
私はもっと世間よりに、みんなが思っている死刑に対して考えていること(偏見)に焦点を当てて
専門用語も使わず、平易に書いているんですよね


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更生教育だけでは
全ての再犯を防ぐことは無理で
それは、死刑のあるなしに関係ありません

犯罪とは何か?
それを学ぶと分かってきますが
犯罪を未然に防ぐには
社会が、そのカタチを変えていかなければなりません
刑法・刑罰だけに、更生を押し付けているのが現状です
その中で、よりベストの選択を私は述べておりますが

刑法・刑罰だけに押し付けるのではなく
社会全体の取り組みが必要です


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参照
【転記】人種差別は犯罪か~差別がいけな理由~なぜ犯罪者の人権を守るのか
【転記】“殺された被害者の人権はどうなる?” このフレーズには決定的な錯誤がある


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『死刑問題では、法学者や法曹と私との間には、次元が違うといって差し支えないくらいの差があります』

もう私の命は残り少ないので
ハッキリと申し上げますが

本当に日記タイトルくらいの差があります
死刑問題は、私は世界でトップでしょう
私が知らないだけで、私と同じような結論に達した人は
欧州辺りにいるかも知れませんが
未だ、その存在にめぐり合えておりません

なぜ私がそこまで言い切れるのか?

それは、私が社会科学の方法でもって
導き出しているからです

自然科学の新しい法則が
これまで確かめられてきた事実や法則の延長線上として
発見されるのと同じです

今や、法学者や法曹ですら
私がこの問題で、なぜ正しいのか
それを確かめる術を持っている者は
本当に少ないでしょう

その少なさは
社会が改良されていく速度を、著しく遅くする要因の一つになります
そのことを、死の間際にして私はとても危惧しております

私がなぜ正しいのか?
それを確かめる術がなくとも
常々、こう断言し言い放っていても
誰一人、私への反論すら立てることが出来ないことが
私の正しさを示す、一つの証左といえます

私の書いてあることを読まない
もしくは、読んでも十分に論旨を理解できないで
反論と称して放たれる言葉は、問題外ですし
相手にしている時間もありません

話は戻りますが
うちをご覧の皆さんには
私の書くものを、よく学んで頂きたいです
少しでも、社会を良くしたいと考えておられるならです

三ヶ月、繰り返し読み続け、考え続け
ようやく理解したという方もおられました

私が生きている間なら
質問として筋が通っているならお答えしますし
(そうでなければ、先に書いたように相手しませんけど)

私の死後も、よく読んで学んでほしいです


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