【転記】法解釈の複数性と実践性 | 矯正知力〇.六

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メモ的ブログ

以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『法についての独り言』

◆「法」の方法について

法学というのは、解釈と推論の世界だ
憲法のこの条文は、何をいっているか
それを、解釈するために
ああだこうだと推論する

推論とは、必ずしもそれが
実際に正しくなくてもいい
ただ、論理的な筋さえ通っていれば成立する

だから、複数の解釈が成立することになる

一般的にはこれを
「法解釈の複数性」という

その解釈の中で、どれが正しいかは
解釈する者の主観にゆだねられている
解釈に責任を持つべしというところが精一杯で
声の大小、同意する者の多い少ないで決しようとする

なんてことを法学はいい
これを肯定すれば
ここに法学の限界が現れる


忘れてはならないのは
法も、社会の一部であるということだ

先ほども述べたように
推論は、筋さえ通っていれば
それが正しいかどうかなどは、どうでもいい

現実とリンクしない法解釈、推論は
まったく無意味だ


判例や学説をもとに、法解釈をし結論を出しても
それが、現実世界に通用しなければ
なんの意味も持たない



◆法も、現実社会の一部でしかない

~法の狭い方法論に囚われていると、現実社会と矛盾してくる~

裁判で、判決が出るよね
そこで語られる言葉が、法解釈の基になるわけだ
しかし、判決理由で述べられることの
その「根拠」は何なの?
そこを、合理的に説明されることはあまりない

国、行政を相手取って行われる裁判では
その傾向が顕著だ

分かりやすい例が
長沼ナイキ基地訴訟の最高裁だ

自衛隊が違憲かどうかが問われた裁判(それだけじゃないけど)で
それを司法が判断することを放棄した
要は、逃げちゃったわけだ

逃げなければ、自衛隊を違憲と判断せざるを得ず
それだけは出来ないので、逃げちゃったわけだが
これなんてまだ良心的な方で
大抵の裁判では、合理的理由もなしに強引に
「違憲じゃないYO!」
なんて言い張るわけだ

【転記】集団的自衛権・自衛隊合憲論を斬る~法治主義とは


死刑問題でもそうだ
それを置く理由に、一般予防効果を挙げる
悪いことしたら死刑になるよと脅すことで
凶悪犯罪を防ぐということだ
これも、最高裁で言われて
それが、判例的には唯一(と言ってよい)の死刑の根拠となっている

以降、この予防効果を基にして
死刑を置くべしとする推論が展開されるわけだが!

ここで私のいう
「現実社会とリンク」させると
死刑の一般予防効果なんて、証明されてないからね
ないと言っても、過言じゃないね
分かりやすくいうと、死刑の一般予防なんてただの妄想

法は現実社会の一部であるということを忘れると
妄想を基にして、死刑なんて大きな問題ですら
定められてしまう

【転記】+死刑では何も解決しない+


◆法は現実社会とリンクすることで、正しく基準を儲けることが出来る

※「現実社会」、これは科学的実在ってことだね

私が死刑制度について述べていること
それが一つの例だね

死刑制度について考える中で
刑罰体系が、いかに現実とリンクしない
法学の範囲内の推論だけで作られているか
そして、現実とリンクした上で
どうやって、何に、基準を置くべきかを示してある

公害訴訟なんかもそうだね
最初は、やっぱり非現実的な推論によって
被害を受けた側が泣いてきたわけだ
数十年たって、ようやく
自然科学(現実)も取り入れ
「予防措置原則」という観点も取り入れ
現実的な司法の判断がなされるようになってきった

国籍法の改正もそうだよね
改正前にも、この問題でずっと議論してきたが
判例と法解釈から、「気持ちは分かるが・・・」
なんて言ってた、法に携わる者が少なくなかった
だけどこれも、現実社会とリンクすることで
改正に繋がった

これらから分かることは
法解釈はいろいろあるなかで
それぞれの推論を、現実と照らし合わせて
正しいかどうか、検証する作業が必要だということだ


全ての魚にはエラがある
猫にはエラがある
ゆえに、猫は魚類だ


これは推論として成立する
だけど、この推論が正しいかどうかは
確かめることが出来るよね

法においても、この作業が必要なわけだ


◆法の基準の求め方

で!
民主国家の核は人権だよね
憲法は、人権を語り
法律は、それを基に定められる


じゃ~
人権はどこからきたのか?
どのようにして生まれたのか?
人権とはそもそも何なのか?
それを知らなければ、法を理解できない
わけだ

法の中だけで語られる解釈、推論だけでは
永遠に人権について理解することは出来ない

人権は、社会の構造から、必然的に生まれてきた
社会はどのような構造をしており
そこに、どのような原理が働いているか
それを理解しない者には
人権を理解することは出来ない


それを知らずして
社会問題(全ては人権に通じる)を
そしてそこで行われる訴訟で
正しい判断など、出来ないYO!

まあ、社会的合意によって
判断できるものもあるけれどね


◆さいごに

アナタがどれだけ、人権について理解しているか
試してみようじゃないか

万人は生まれながらに人権を有するというけれど
その理論的根拠は?


単に、法学がいう社会的合意じゃないよ
社会の構造上の必然から
人権が生まれたんだよ

それが、分かりますか?

この謎が解けない者には
社会のさまざまな問題の謎は
社会的合意の枠を超えて
本当の意味で解き明かすことは出来ない

社会をよくしたいと思うものは
社会の構造、原理を学ばないといけない


◆社会の構造、原理を学ぶとはどういうことか?

それは、社会科学の基礎部分になる経済学の原論です
どのような立場、意見を持つものであれ
『資本論』を理解しない者に
社会も、人権も、正しくその実体を知ることは出来ない

マルクスの革命性を、肯定する、否定する
それは置いといて
社会の把握においては、彼が基準にあることは
否定できないよ



人権の理論が分かっていない社会構成主義者(一言でいうと、観念論者です。私風にいうとオカルトさんです)なんかと、人権について議論すると

要は人権って、社会的な合意にしかすぎないでしょ?
それを守らなければいけないという、必然性や理論的根拠はないでしょ?

なんて言われて、反論できなくなります

正しく反論しても
相手も社会の原理や構造を学んでいませんから
説明も難しく
うまく説明できたとしても
絶対に認めないですけどねw
だから、「オカルトさん」と私は呼ぶんですけど

科学的実在を証明する論理を
鍛えていく思考訓練として
社会構成主義的な反論を持ってくるのはいですけど
それを正しいと思うから、オカルトに陥るんですけどね


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参照
【転記】本物の法理(法原理)の解説


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「法解釈の複数性と実践性」をね
法の知識のあるないに関わらず
誰にでも分かるように説得力を持って
しかも手短に書きたいと思っているんだけど
なかなか難しい

だいたい、今の大学の法学なんて
「法の実践性」という意味を知らないんじゃない?
そもそもまともに習わないんじゃないかな?

法の実践性なんて
ある意味、法の真髄なんだな
「北斗の拳」の伝承者に伝えられる究極奥義みたいなもんだ


特に法曹界の人は、これをまさしく体言しているわけで
これを理解してないと、おかしな弁護士になっちゃう
そして実際に、そういうおかしな弁護士は少なくないから
困ったちゃん


「弁護士目指してます」とか言ってる連中ですら
「法の下の平等」の中味を理解していなかったからな
「形式的平等」と「実質的平等」があることすら知らなかった
まあ、そういうやつらは特別ひどいだけで
真面目に法学を勉強している人は知っているはず


『法の実践性』

「法の実践性」というものを、ごく簡単に解説させていただきます

日本の法ならびに
現代的な法の基本は、人権です
人権を中心に据えて、法を設計します
それが憲法に当るところです

現代はなぜ、人権を基本に据えるかというと
それが社会を円滑に営んでいくための唯一の手段だから
です

んで、日本は(他の民主国家ならどこでもそうですけど)
憲法によって、法によって人権とそのあり方を定めます
ここはあくまで、基本的な設計概念(思想)を語る場なので 抽象的です
具体的には、下位の法律で定められます

具体的に定めていく上で
現実社会でそれが適用されていくなかで
やっぱり憲法と矛盾するところが出てくる

これはよく考えなくても、当然のことですよね
私たちは神さまじゃないんだから


ここから重要ですが
物事、人権、社会、いわば概念というものは
常に変化します
生まれ、発展し、昇華されていきます

人権についても、社会の発展にともなって
基本は変えないまま、屋上屋を重ねるように発展していきます
「新しい人権」なんかを見るとそれが分かりやすいですよね

ある法律が生まれたときには
その時には十分に憲法を反映してきた
だけど、社会が、人権が、様々な概念が成長、発展してより成熟すれば
憲法の精神と齟齬が生じてきます

杓子定規に法を解釈するのではなく
常に、正しい人権の発展方向と合致するよう
法そのものに働きかけていく(改正)
これが、「法の実践性」です


常に憲法の精神に合致するよう
それは、万人の人権が、最大限に発揮でき
誰からも阻害されないよう
この方向(憲法の精神)に則って
法に働きかけていくことが
「法の論理」の真髄でもあります


カルデロン・のり子ちゃん一家の
在留許可うんぬんの騒動がありましたが
法を上っ面しか学ばない者は
法を最低限度の杓子定規な取り方をして
許可してはいけないといいます

しかし現実には、法務大臣の判断にまかされていますし
同じようなケースで、許可されてきました
このような、法と実際の運営との矛盾は
「法の実践性」により、憲法に照らし合わせて
法の運用が変化してきたことの現れなのです



>現代はなぜ、人権を基本に据えるかというと
>それが社会を円滑に営んでいくための唯一の手段だからです

この部分はさらっと流しましたが
これを解説しようとすると、マジ講義になってしまって
どんな秀才を相手にしても、二年はかかります(笑)
本で言えば、たくさんの冊数になりますので
ここで解説するのは不可能なので、これでご容赦ください


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いちばん良い例えを忘れていました

公害訴訟が
「法の実践性」についての
いちばん分かりやすい例です


最初のころは、被害者側が裁判に負け続けてきましたが
今では、勝つことは珍しくありません

もちろん、科学的な因果関係の解明も
判決に影響を与えているのは事実ですが

さまざまな裁判で、因果関係が明らかになっているにも関わらず
もしくは、因果関係が証明されていないにも関わらず
間違った判決が出されることが多々ありますので
(こないだのDNA鑑定にちなんだ冤罪もそう)

科学の発展によって
公害裁判が勝てるようになったわけじゃないです


横道にそれますが
より自然科学に立場でいうのであれば
「予防措置原則」に則らないといけないわけで
因果関係が証明されていないなどといって
被害者側を退けてはおかしくなります

やはり判決は、自然科学を都合よく利用しても
正しい判断基準にしてきたとは言えません


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