第50代桓武天皇の親王の子孫に与えられた「平氏」の「平」は平安京にちなんだものと言われる。
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桓武天皇の后妃と皇子女をチェックしてみた。
桓武天皇と臣籍降下をチェックしてみた。
4人の親王の子孫が「平氏」となっていることを確認した。桓武平氏は始まりの段階で4系統あるのだ。
「平氏」といえば、平将門と平清盛が二大巨頭なのではないかと思うのだが、この二人は揃って、葛原(かずわら)親王の子孫。
葛原親王は、第52代嵯峨天皇、第53代淳和(じゅんな)天皇と同じ786年の生まれで、生母は第28代宣化天皇の血を引く多治比氏。幼い頃から聡明で大陸の書物を読み、豊富な知識を蓄えていたが奢ることなく慎み深い性格であったという。
第28代宣化天皇-上殖葉皇子(かみつうえはのみこ『日本書紀』、恵波王ゑはおう『古事記』)-十市王(丹比公(たじひのきみ)の祖『日本書紀』、多治比君の祖『古事記』)-多治比古王(丹比麻呂)-多治比嶋(左大臣)-多治比池守(大納言)-多治比家主(鋳銭長官)-多治比長野(参議)-多治比真宗(桓武天皇夫人)。
さて、臣籍降下で皇籍から外れても、律令制下では「蔭位(おんい)」という制度があり、位が高い者の子孫は父や祖父の位に応じて位階を授けられる。第33代推古天皇代には「冠位十二階」、その後、数を増やし48までとなったが、大宝元(701)年の大宝律令で30に整理された。上から14番目までが貴族として認められる身分。
親王の子であれば、貴族の身分は保障されるが、その後の昇進は本人の才覚+親戚縁者のバックアップということになる。
葛原親王の長男、高棟王(平高棟)は、蔭位により従四位下がスタートとなる。親王の子に与えられる身分で、30階のうち10番目。大学寮を優秀な成績で終えても正八位下(上から24番目)だったというから、やはり位の高い父を持ち、保障された身分とは凄いものだ。
そして、藤原長良の長女・有子を妻とした。藤原長良は、藤原冬嗣の長男で、兄弟には、第54代仁明天皇の女御となり第55代文徳天皇の母となった順子(のぶこ)、皇族以外で初めて摂政となった良房がおり、異母ではあるが妻の妹・高子は第56代清和天皇の女御となり第57代陽成天皇を生んでいる。
平高棟の人物像も父親ゆずりで、幼い頃から聡明で本を良く読み、細やかで親切であったと之残されている。これで昇進しないわけがなく、大納言となった。
葛原親王の長男・高棟の家系は公家として京に留まり、平安時代末期、平清盛の後妻となった平時子、第77代後白河天皇の子・第80代高倉天皇を生み建春門院の院号を持った平滋子に続く。
江戸時代まで、桓武平氏高棟王流として、平松家・長谷家・交野家の3家が名家、西洞門家・石井家の2家が半家の5家が公家として続いた。
桓武平氏、公家の部(^^; 清盛にニアミス、将門はどこだ!
NHK大河「平清盛」は、人生で一番熱くかぶりつきで見た大河ドラマなのに、視聴率が低くて残念だった。韓国ではもっと古い時代のドラマでも視聴率高いのに、日本人は日本の歴史に興味がない人が多いのかな?(^^;
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