※岩波文庫「古事記」を参考に書いています。
前回は「【古事記】第四回 二神の結婚」でした。
●大八島の生成
国生みのお話です。
□原文
於是二柱神議云、今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。卽共參上、請天神之命。爾天神之命以、布斗麻迩爾【上。此五字以音】ト相而詔之、因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降、更往迴其天之御柱如先。於是伊邪那岐命、先言阿那迩夜志愛袁登賣袁、後妹伊邪那美命、言阿那迩夜志愛袁登古袁。如此言竟而御合、生子、淡道之穗之狹別嶋【訓別云和氣下效此】次生伊豫之二名
嶋。此嶋者、身一而有面四。每面有名。故、伊豫國謂愛(上)比賣、【此二字以音下效此】讚岐國謂飯依比古、粟國謂大宜都比賣、【此四字以音】土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別。【許呂二字以音】次生筑紫嶋。此嶋亦、身一而有面四。毎面有名。故、筑紫國謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥別、【自久至泥以音】熊曾國謂建日別。【曾字以音】次生伊伎嶋。亦名謂天比登都柱。【自比至都以音訓天如云】次生津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生佐度嶋。次生大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生。謂大八嶋國。然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。亦名謂大野手(上)比賣。次生大嶋。亦名謂大多麻(上)流別【自多至流以音】次生女嶋。亦名謂天一根【訓天如天】次生知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生兩兒嶋。亦名謂天兩屋。【自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋】
◆訓み下し文
ここに二柱の神、議りて云ひけらく、「今吾が生める子良からず。なほ天つ神の御所に白
(まを)すべし。」といひて、すなはち共に參上(まゐのぼ)りて、天つ神の命を請ひき。ここに天つ神の命もちて、太占(ふとまに)にト相(うらな)ひて、詔リたまひしく、「女先に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ。」とのりたまひき。故ここに反り降りて、更にその天の御柱を先の如く往き廻りき。ここに伊邪那岐命、先に「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、後に妹伊邪那美命、「あなにやし、えをとこを。」と言ひき。かく一言ひ竟へ御合して、生める子は、淡道の穂の挾別島。次に伊豫の二名島を生みき。この島は、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、伊豫國は愛比売(えひめ)と謂ひ、讃岐國は飯依比古と謂ひ、粟國は大宜都比売(おほげつひめ)と謂ひ、土左國は建依別と謂ふ。次に隠伎の三子島を生みき。亦の名は天之忍許呂別。次に筑紫島を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。故、筑紫國は白日別と謂ひ、豊國は豊日別と謂ひ、肥國は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂ひ、熊曾國は建口別と謂ふ。次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都桂と謂ふ。次に津島を生みき。亦の名は天之狭手依比売と謂ふ。次に佐度島を生みき。次に大倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根別と謂ふ。故、この八島を先に生めるによりて、大八島國と謂ふ。然ありて後、還ります時、吉備児島を生みき。亦の名は建日方別と謂ふ。次に小豆島を生みき。亦の名は大野手比売と謂ふ。次に大島を生みき。亦の名は大多麻流別と謂ふ。攻に女島(ひめじま)を生みき。亦の名は天一根と謂ふ。次に知詞島(ちかのしま)を生みき。亦の名は天之忍男と謂ふ。次に兩児(ふたごの)島を生みき。亦の名は天兩屋と謂ふ。吉備児島より天兩屋島まで併せて六島。
・命を請ひき―ご意見を求めた。
・太占―鹿の肩の骨を朱桜の皮で焼いて、ヒビのは入り方で吉凶を判断する古代の占法。
・御合―ご結婚なさって
・淡道の穂の挾別島―淡路島
・伊豫―四国
・粟國―阿波の国
・筑紫島―九州
・筑紫國―筑前・筑後
・豐國―豊前・豊後
・肥國―肥前・肥後
・熊曾國―熊本の南部~鹿児島へかけての総称
・伊伎島―壱岐
・津島―対馬
・大倭豊秋津島―大和を中心とした畿内の地域名。本州ではない。
・大八島國―我が国の古い呼称のひとつ。対内的。対外的には「日本」の文字。
・吉備兒嶋―岡山県の児島半島。
・小豆島(あづきじま)―小豆島(しょうどしま)
・大島―山口県柳井の東の大島であろう。
・女島―大分県国東半島の東北の姫島であろう。
・知詞島―五島列島
・兩児島―長崎の男女群島
◇その他
上記の国生みのお話を図で順にまとめるとこんな感じ☟
http://www.kansai.gr.jp/ja/art_culture/report/2012/04/vol14-1.html
隠岐の三子島ってあるけど、隠岐諸島は主なもので4島であるが、付属の小島は約180を数えるそうです。
天之忍許呂別 (アメノオシコロワケ)
「天之」は、単なる美称ではなくて、天上界(高天の原)と関係をもつと認識されたものに冠する美称。たとえば「天の香久山」といえば、 他の山々と違って「天から降って来た」といった伝承あり、天皇国見儀礼の聖山であるというような場合で、今も交通上その他の要衡といった 特別の島だから「天之」を冠したものと考える。
「忍」は「押えつける」意で、威力あるものの美称となった。「許呂」は「凝る」意で、「淤能碁呂嶋」にも例がある。
その他島や神の名義や意味などについてはこちらやこちらをご覧ください。
■現代語訳
そこで二柱の神は相談して「今私たちが生んだ子は良くなかった。もう一度天つ神の処へ行ってどうすべきか申し上げよう」といい、共に高天原へ参上して天つ神の御意見を仰がれた。
神の命令の従って、鹿の骨を焼いて占い、「女が先に言ったのが良くない。もう一度帰って言い直しなさい」と仰せになった。さっそくオノコロ島にお戻りになって、もう一度、天の御柱を先のようにお回りになった。そこで伊邪那岐命が先に「あなたはなんてすばらしい女なのでしょう」と仰せになり、つぎに伊邪那美命が「あなたはなんてすばらしい男なのでしょう」と仰せになった。
このように言い終えて、男女の交わりをしてお生みになった子は、淡路之穂之狭別島である。つぎに伊予之二名島をお生みになった。この島は体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があって、伊予の国を愛比売といい、讃岐の国を飯依比古といい、阿波の国を大宜都比売といい、土佐の国を建依別という。
つぎに三子の隠岐の島をお生みになった。またの名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)という。
つぎに筑紫島をお生みになった。この島も体が一つで顔が四つあり、それぞれの顔に名があった。そこで筑紫の国を白日別といい、豊国を豊日別といい、肥国(ひのくに)を建日向日豊久士比泥別といい熊曾(くまそ)の国を建日別という。
つぎに壱岐の島をお生みになった。またの名は天比登都柱(あめひとつはしら)という。つぎに対馬をお生みになった。またの名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)という。つぎに佐度の島をお生みになった。
つぎに大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)をお生みになった。またの名は天御虚空豊秋津根別(あめのみそらとよあきづねわけ)という。
そこでこの八つの島を先にお生みになったので大八島国という。
その後、帰られるときに吉備の児島をお生みになった。またの名は建日方別(たけひかたわけ)という。
つぎに小豆島をお生みになった。またの名は大野手比売(おおのでひめ)という。
つぎに大島をお生みになった。またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)という。
つぎに女島をお生みになった。またの名は天一根(あまひとつね)という。
つぎに知訶島をお生みになった。またの名は天之忍男(あめのおしお)という。
つぎに両児島をお生みになった。またの名は天両屋(あめのふたや)という。
古事記アーカイブ
【古事記】第一回 別天つ神五柱
【古事記】第二回 神世七代
【古事記】第三回 修理固成
【古事記】第四回 二神の結婚
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