2011年9月30日の
CORINNE LEPAGE : LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE 序文
以後も、この日本国民に捧げられたこの本、『核の真実:禁じられた選択』の日本語訳が出版される気配はありません。
とりあえず、自分の勉強のために訳していたものを、順次掲載していくことにします。
著作権はあくまでも、原著者と出版社(Albin Michel)にあることをお断りしておきます。
このブログの管理者の「遺作」、あるいは「絶筆」となることでしょう。
今回は第1章です。
CORINNE LEPAGE
LA VÉRITÉ SUR LE NUCLÉAIRE
Le choix interdit
1. Après Fukukshima
第1章. フクシマ以後 (原著13ページ)
2001年9-11以前と以後があったように、2011年3-11以前と以後があるだろうし、既にある。日本の大参事に由来する地球規模の心的外傷は、チェルノブイリのそれとは性質が異なる。たとえいくつかの点で、二つの事件が比較され得るとしても。何よりもまず、特に70年代のフランスで、民生核計画が開始されたとき、事故が起こる潜在的可能性という問題は最初から除外されていたということを繰り返しておこう。なぜ潜在的可能性なのか? なぜならそのような事故の影響は余りにも悲劇的、余りにも不可逆的であるために、それが起こる可能性だけでも耐えられないように見えたからであり、実際に常にそう見えるはずだからである。一つの事故という単純な仮説はしたがって、公理の基盤から退けられたと、ラスムッセン・レポート (rapport Rasmussen ) は言う。つまり事故は3万5千年ごとにしか起こり得なかったと。別の言い方をすれば、一切の危険は存在していなかったというわけだ。
Des accidents en série
一連の事故 (原著16ページ)
1970年代の終わり、私がこの愚かさに反対して立ち上がっていた、未来予想雑誌 Futuribles の編集部での非常に激しい論争を思い出す。この時代に既に、複数の事故が起こっていた。1957年にロシアのMayak、1957年にイングランドのウィンズケール Windscale、そして1969年にサン=ロラン=デ=ゾー Saint-Laurent-des-Eaux で。ここでは影響は限定的だったが、炉心内で5つの燃料棒の溶融を伴う重大事故になるところだった。最も重大で最も秘密にされている、1968年のショーズChooz(シャンパーニュ・アルデンヌ県)の事故を加えなければならない。これは数時間にわたる貫通管(サーマルスリーブ)の分解と炉心支柱全体の破断を引き起こしていた 。以上4件の事故は極秘のままにされていた。存在するフランスと英国の発電所からの放射性廃棄物が、英仏海峡で密かに、現在は消失してしまっている複数のドラム缶 の中で作られていた時代に、重水関連部門の放棄を正当化することを目的とした、サン=ロラン Saint-Laurent の事故を除いて… 第5の惨事、スリーマイル島のそれは1979年、あらゆる分野において安全性の最先端にあると名高い国、アメリカ合衆国で起きた。しかし大惨事は回避され、この事故は、核事故の(INES)の評価尺度 でレベル5に分類された。3件の重大なトラブルが再び、サン=ロラン、ショーズとブレイエ Blayais で起きた。我々はもう少しで悲劇に直面するところだったが、幸いにもそれは避けられた。しかしながらこれらの事故は、原子力発電所の安全性が基づいている危険性調査の極めて重大な欠陥を既に証明していた。ところが我が国では、発電所の数が多く、非常に分散している 。
1986年のチェルノブイリとは事情は明らかに別であった。しかし、広く人的原因によるこの事故は、世界の核産業によって、権威主義的であると同時に官僚主義的な世界、当時のソビエト連邦の世界における十分に信頼できない技術のせいにされた。言外の意味は、世界で最も信頼できる技術を備えた民主主義諸国にある発電所では、このような事故は起こり得なかったということである。そのような説明は、フランスが選んだPWR とは異なるロシア型のRBMK 型発電所が、たとえPWRのような格納容器を備えていなかった としても極度に頑丈であったという点で、部分的には不正確である。それでもこの種の宣伝が技術面には十分に有効であったことに変わりはない。
Les conséquences
影響 (原著18ページ)
もちろん、衛生面と環境面の問題が残っている。この点で、ソビエト当局による大惨事の管理の有効性は恐るべきものだった。一切の疫学的研究も、爆発という事実によって汚染され(そして/または)死亡した人々への一切の追跡調査も企画されなかったような条件で行われたからだ! IAEA (AIEA)、国際原子力機関と、見かけ上さらに驚かされるが、WHO(OMS)、世界保健機関は、この主題について信頼できる情報を手に入れられるような体制を整えたりしなかった。その上、ソビエト連邦の消滅、そしてチェルノブイリの影響がベラルーシ、ウクライナとロシアに分割されたことにより、悲劇の結果を正確に評価することは非常に困難になった。直接の当事者がそれを避けるためにあらゆることを実施しただけになおさらである。このことが、チェルノブイリの死者の数を32人と評価するほどまでに行き着く、当局とIAEAが閉じこもった否定の理由である。この不正は余りにもひどかったために数日後には推計値は4000人まで引き上げられた 。1986年から1990年までに、消火のため、石棺を建造しそれを維持するために80万人、そう80万人もの作業員 が交替してきたことを単純に思い出そう。アレクセイ・ヤブロコフ、ワシーリ・ネステレンコとアレクセイ・ネステレンコの記念碑的書物、『チェルノブイリ、住民と自然に対する大災害の影響』 は、汚染された地域で実地に行われた研究に関わる数百本の科学論文と欧州諸国の医学統計の集成をまとめて、この悲劇を生々しく描写している。チェルノブイリの影響は、様々な度合いで、至る所で見ることができる。被害者の推定される人数 は2005年に90万人を超えるまでに増加していた 。
2006年4月18日、グリーンピースはベラルーシ、ウクライナ、ロシアの60人の科学者によって制作された報告書を発表した。これはある程度の曖昧さを含むものの、ロシア、ベラルーシ、ウクライナで2001年に確認された死者が20万人であると結論付けている。同報告書はさらに、将来にわたって、10万近くの致死的な例を含めて、25万を超えるガン患者が大惨事によって発生するであろうと述べている。この数字は常に異議申し立てを受けかねない。しかし1986年以来、あらゆる機関によって、衛生的損害が絶えず上方修正され続けているのが真実である。2000年4月、国連事務総長だったコフィー・アナンは被害を受けた人々が700万人であるという数字を引用した 。そしてこう付け加えた、「…700万を超える我々と同じ人類が、忘れることもできないままでいる。彼らは今もなお毎日、15年前に起こったことの影響に苦しんでいる。本当にチェルノブイリの遺産は我々を追いかけるのを止めていない、我々と何世代にもわたる我々の子孫を。」 その間に、200万人の子どもたちが治療を必要としており、重篤な疾病を発症する人々の本当の数が明らかになるのは、早くても、2016年以降である。 「人数は増えるしかない」と、国連人道対話センター事務局長、マーティン・グリフィス Martin Griffiths はWHOの会議の際に、1995年から予測していた。
これらの被害者たちは放射線に関連した病気に苦しんでいる。白血病、大腸がん、肺がん、膀胱がん、甲状腺がん、乳がん… 放射線被曝はさらに、罹患率(疾病の発生率)を悪化させる。心臓血管疾患(1平方キロ当たり5から15キュリーのセシウム137で汚染された一部の地域では、小児の80%までもが心疾患の症状に苦しんでいる)、肝臓、腎臓、甲状腺の疾患、免疫機構の損傷… 子宮内で被曝した子どもにおける知的発達の停止も確認される。同様に白内障、遺伝子変異、先天奇形、神経系の奇形、水頭症、等 々も。最も影響が重いのは、汚染された地区で暮らす現在の子どもたちの状況である。例えば、30キロ以上離れた所にあるイワンコフ地区では、5600人の子どものうち、チェルノブイリの被害者の認定を受けていないのは僅か40人に過ぎない 。
この現実にもかかわらず、2011年3月末まで、保健領域であれ、環境に関してであれ、チェルノブイリに関連した影響は全くなかったと信じさせておくために、核関連の機関、特にIAEAによって、あらゆることが実行されていた。それでも、現地での影響を測定しようとする壮大な努力が、真の英雄たちの手によって成し遂げられた 。2002年、ベラルーシの政令が汚染された地域の146の市町村から放射線防護のあらゆる権限を奪っていた。チェルノブイリの子どもたちベラルーシ les Enfants de Tchernobyl Bélarus を含む、多数の団体が2000以上の放射能測定に資金援助することになる。核のロビー が実に幅広く隠すことに成功したのは、これらの全ての作業である。IAEAとWHOは、25年を経て全てが解決したかのように思い込ませることで、ロシアの大惨事の影響に夜のとばりが下りるように試みた。それは嘘であり、更なる嘘である、といのは、広大な地域が永久に汚染されたままであり、異常な子どもを世に送り出し、あるいはガンに苦しむという不安を考慮すると、何世代もの人々が自らの人生が犠牲になったと感じるからである。そして死者の数は結局、現在も発電所が常にもたらす危険を考慮することなく、一つの未知数として残る 。慈悲深くも情報操作と形容され得るが、ほぼ確実にずっと暴力的な言葉が使われるに値するはずのこの政策は、その効果を生んだ。そもそも何でも同じようなものだとして、フランスでのチェルノブイリの放射能の雲の通過に関する虚偽の情報拡散のオーケストラの指揮者である、ピエール・ペルラン Pierre Pellerin 教授 に対する遅かった調査が、国家の嘘を明るみに出した。たとえ事実が古いとしても、核のロビーには司法の真実が確立されることは耐え難い。証拠は? 検事局すなわち司法省が、科学者に…免訴 を申し立てたことである。政治スキャンダルに、司法のスキャンダルが加わりかねない。
不幸にも我が国をはじめとして、特定の国家に支持されて、この危険性の通俗化は欧州人が核発電所と隣り合って生きることに慣れさせたばかりでなく、複数の新興国が核産業に「転向する」ことにも貢献した。そうした努力は、太陽にあふれ、しばしば技術的・人的下部構造を全く持たない国々が、進歩の象徴にして先進工業国との平等への近道として提示された原子力発電所を備えたいと激しくそそのかされるほどだった。ダフィのリビアだけでなく、湾岸諸国、サハラ諸国までもが働きかけを受けた。長老ヴデルVedelが指摘したように、北極で熊に毛皮のマントを着せるようなものだ! たとえ核による電力がエネルギー総量の2%を占めているにすぎないとしても、中国では核計画は相対的に多い。インド、韓国の方はといえば、既にこのエネルギーに加わっている。さらに、イランが最もよい例だが、少なからぬ国々が、軍事核に移行することを期待して、民生核に興味を示している。
Depuis Fukushima
フクシマ以来 (原著26ページ)
フクシマは、特に我が国のような国で、状況を完全に変える。実際、この大惨事は、高い技術水準を持つ、リスクが何であれそれに対する防御の文化を非常に大きく進展させてきた、民主的な国で起こっているのである。
最初の影響は疑いようもなく、核の恐怖が戻ってきたということである。土壌と海の実に強い汚染と、大気汚染の広がりを理由に、この恐怖は日本全体を支配した。当局は、発電所から20キロと30キロの間に住む13万人の住民に、脱出するか自宅に退避するかを勧告した。30キロメートル? それは、ビュジェー発電所とリヨンの街の距離よりも5キロメートル短いだけだ。IAEAは発電所から40キロメートルのところで測定されたヨード131とセシウム137の沈殿物の分析を実施した。結果は? これらの水準は、避難を決定するための「実際的な基準」を超える放射能を示している。現実にはセシウムによる汚染は40キロメートルをはるかに超えて広がっている。ベラルーシでセシウム137に汚染された全ての子どもたちが重い病にかかったこと、そして今もかかっていることを繰り返しておこう。その間に、日本の当局は避難区域をさらに広げなければならない。しかしどこまで?そしてどのようにするのか? 海洋環境もまた非常に汚染されている(通常よりも4385倍高いヨード濃度 )。局地的には、農産物はそれでも販売され続けていて、汚染濃度は通常よりも30倍から50倍高い。食品に関して許容可能な放射線の水準は日本政府によって直ちに引き上げられた。水についても同様に。
今や漠然とした不安が地球の一部に広がっている。まず、大惨事の際の人間的連帯を呼び起こした放射能の雲の通過を理由として。それだけでなく、我々が自身と同一視する、自分自身の国土に閉じ込められた数百万の日本人に対する共感によって。
この恐怖が大きければ大きいほど、技術の破綻は明らかに見える。少なくとも二つの理由で。
一つは、この大参事が起こったという事実そのものが、あらゆる危険を免れる技術という幻想を重く問い直すからである。たとえ日本が受けた津波の極度の激しさのために、この自然災害の背後に核の技術の欠落を隠そうと試みることを核のロビーに許すとしても。
いつものように、悲劇の一週間後にクロード・アレーグルは、次のように断言するという惨めな試みにより物笑いの種になった。「核と発電所の安全に関する限り、この事件が終息しあらゆる情報を入手できるようになったときには、もちろんあらゆる有益な結論を引き出さなければならないが、日本の発電所に起こった事故は地震そのものではなく津波の結果であると念を押しておくことが相応しい。 」
もう一つは、核のロビーにとっての最初の緊急課題が、工程と現在有効な施設、規制と制度の「完璧な」質の制御というフィクションを維持することだったからである。ところが、大災害の管理と、原因に関する最初の情報の公表は、そのようなものではなかったことを証明した。実際、そのとき支配していた、そしてこの行を書いている今もなお支配している、即興の間に合わせは、予め備えていなかったためにこのような事態を管理できないシステムの無能さを証明している。以来、フクシマによって問い直されているのは、関連産業全体による、危険の評価と管理そのものである。
De graves dissimulations
重大な隠蔽 (原著29ページ)
危険の評価における大きな欠陥はまず、不正、隠蔽と、要するに管理の不在に由来していた。
1974年、田中光彦は、福島第一原子力発電所の第4号原子炉の圧力容器の日立による建設を監督していた。2年半の期間に及ぶ製造工程の最終段階で、一つの技術的過誤から圧力容器内壁の歪み生じた。この欠陥は、安全性の要求が優先していたなら、不完全な圧力容器を犠牲にすることにつながったはずだ。その代わりに、田中は欠陥を隠すやり方で容器を加工し直すよう命じられた。後に、この技術者は後悔した。そしてチェルノブイリの事故の後、核産業を去った。1988年、田中はフクシマの圧力容器の問題を通商産業省に指摘した。その後、この話を『原発はなぜ危険か』と題された本で語った。3月11日の地震の瞬間、4号炉は停止中だった。「この4号炉は真の時限爆弾だった」と田中は見る。「地震の瞬間にこれが作動中だったら何が起こっていたか、誰が知っているだろうか? 」 この技術者はニューヨークタイムズに次のように断言した。「この原子炉は入れ替えるべき時に来ていた。いずれにしても津波は大きな損害をもたらしていた。しかし配管、機械類、コンピューター、原子炉全体が古くなっていて、役に立たなかった。」
この発電所を経営していた、災いをもたらす企業、TEPCOは、冷却システムに関連した一部の装備を検査しなかったことを認めた。それらが今、どうしようもなく不足している。さらに、日本の核技術者たちの『 J’accuse (私は告発する)』は、これらの発電所の設備が明らかに非常に不十分な基準によって、さらには相当な軽薄さで造られたことを強調する。というのは、例えば、配管類は埋設されずに、地表に設置されたりしていたからだと。さらに重大なことに、TEPCO自身、自らが行った監査の結果をごまかしていたことを認めたのだ。これは、自然に由来する大惨事以上に、自称絶対的安全性が紙の上のものに過ぎなかったことを証明している。
TEPCOは2010年11月、新潟工科大学で『日本の原子力発電所のための津波の評価』と題する論文を発表していた。この研究は、津波の危険性を受ける原子力発電所の完璧な安全性を証明することを目的としていた。そこで利用されていた高度に科学的なシミュレーションの方法により、フクシマでの津波の最大波高を5.7メートルとする推定が導かれていた。防護壁が建築されたのは、この根拠に基づく。3月11日、波はより高いところに達した。たとえ、大惨事をうまく「正当化する」ために発表されたような14メートルではなかったとしても。しかしながら、一部の専門家はその前に危険性を強調していた。2006年から、地震学者の石橋克彦は政府と核の専門家に、日本の原子力発電所が地震に対して脆弱過ぎると警告していた。しかし方針に沿わない専門家は排除されるか…聞き入れられないかである。傲慢さは決まり事であり、行き着くところまで行く。というのは、2011年2月、日本の安全当局は福島第一の1号炉の稼働許可を十年後まで更新したばかりだったからである。非常用発電装置の欠陥が知られていたにもかかわらず。この物語の続きは誰もが知っている。
しかしこの悲劇を日本の、ましてやたった一つだけの企業の欠陥のせいにすることは、単純化し過ぎすぎと言えよう。破綻したのは、国際的な規制、監督と基準の制度そのものである 。フクシマの機能不全は確かに、日本で設置され実施されているような規制システムの根本的な誤りに由来する。しかし核の安全性の規制システムは、許容可能な線量の水準に関しても、危険と事故の定義あるいは評価と監督の手続きに関しても、国際的であり、世界水準で承認された多数の実定法を通して採用されている。これらの規制は日本でもヨーロッパでも同じであり、核の安全体制は普遍的であり、それゆえに、国内の規制主体は困難な状況を管理し情報を交換するために全体として協同で作業することができる。ジョン・ラージ John Large によると、真実はフクシマの事故はシステム全体の損傷であるということであり、このことは、その普遍的性質ゆえにこの破滅的欠陥が、同一または類似した条件下では合衆国にも、連合王国にも、…あるいはフランスにも起こりかねないことを意味する。要するに、原子炉がある所ならどこででも。なぜなのか? 実に単純に、リスク管理体制が、一つのリスクが受け入れ可能で耐えられるかどうかを判断することを許す、蓋然性の分析に基づいているからである。それができるためには核システムの作動条件の欠陥が受け入れ可能か否か、すなわち取ることができるリスクに対応しているかを、決定しなければならない。
ある深刻な損害の危険性が統計的に起こりえず、想像を絶していると見なされれば、対策や追加の安全システムを考えることは無駄である。典型的な例は、タイタニックを沈没させることのできる氷山のことさらにあり得ない性質である。
ところが、フクシマで立て続けに起こった事件は明らかに、全面的に考慮の余地なしと見なされていた。そのために、バックアップの特別な措置は無条件に無視されていたのである。
近くの庭で拾い集めたようなバケツから、塩水を4基の原子炉の上空で撒く数機のヘリコプターに象徴される、事故後の状況管理の完璧なまでの即興劇の理由がそこにある。バカバカしく見えたほどに恐るべき措置であり、それはすぐに断念された。
Une sécurité plus que contestable
この上なく疑わしい安全性 (原著33ページ)
それ以来、この体制に与えられた信頼の大部分を世論が失いつつあるとしても、どうして驚くことがあるだろうか? 安全性の文化は重く問い直され、当局は新たな危険性の分析を要求することしかできない。しかし全ての原子力発電所は同じ危険性評価のモデルに基づいて考案されており、したがってその大部分は恐らく、真の抵抗性検査に対応できない。打ち砕かれるのは、技術に対する確信である。核産業の技術者と首謀者たちの確信、傲慢から来ているかのように感じられる確信と同様に。格納容器内に放射性物質を閉じ込める能力も、不安を和らげるような物言いにもかかわらず、事実によって絶えず否定され続けている。というのは、依然としてその規模を明らかにする必要のある汚染が、今や日本の北部に、海にも陸にも存在しているからである。現実はなかなか終わらない。
フクシマの第三の影響は、我々が…欠陥だらけと形容する情報を与えられた後に自らの運命の中に打ち捨てられた犠牲者に対する、相対的な無関心である。以来、全般的な不信が長期間に根を下ろすことは避けられなかった。
Le mythe
神話 (原著34ページ)
実際、絶対的安全というドグマ、本当は神話だが、がなければ民主主義的国家に核産業が存在することはできない。それでも、その言説が不可侵だった核の帝国が建設されたのは、このリスク・ゼロ神話の背後でだった。安全性がこのようなものだったのだから、どんな事故も検討され得なかった。30年近く前から我々に押し付けられてきた情報操作の規模を実感するには、「フクシマにEPRがあったら、状況がどうであれ、環境への漏出はなかった」とまで敢えて断言するロヴェルジョン女史の声明にまで至る、専門家と大企業経営陣の作り事をこの観点から読み直せば十分だ。
フクシマが最初に問い直すこととは? まさしくこの安全神話であり、この核産業と国家の、危機的状況を制する能力である。その論理とは?今からすぐに、核エネルギーに頼ることをめぐる議論を始めることである。実際、より現実主義的な、新しい言説がかなり頻繁に姿を現し始めている。すなわち、事故は起こり得る、しかしそれは、この代えがたい安価なエネルギーに有利になされてきた集団的選択の、避けられない代償である、ということだ。
20年以上前、ビロー・セリュスクラ報告 rapport Biraux-Sérusclat が次のように記していた。「数の区分(フランスの核の保有数は、52基の加圧水炉を含めて57区分になる)と稼働年数区分(平均して20年)を関連付けると、炉心溶融の蓋然性は数パーセントになる」! これが一つの情報である。これは我々の誰もが、そのような大惨事を生涯の間に経験するということを意味するのだ。2011年4月20日から22日までにキエフで開催された、核の安全に関する国連会議の際に、IRSN(放射線防護核安全研究所)局長、ルピュサール氏は、重大事故(大惨事とは言わないまでも)の危険性を原子炉1万基中年間1件と見積もるという几帳面さを示した。450基の原子炉が存在するから、危険性は25年毎に1件の事故ということになる。
国際専門家委員会とは異なる、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの専門家の独立委員会 を1989年から1993年まで率いていたワシーリ・ネステレンコの筆からも、この国際委員会が『チェルノブイリ国際計画』と題された文書で、この事故が有意な影響を及ぼさなかったと断言していたことを、我々は知ることができる。
さらに素晴らしいことに、IAEAの元原子力安全部長、モリス・ローゼン Moris Rosen はあえて次のように断言していた。「たとえこの種の事故が毎年起こったとしても、私は核が有利なエネルギーであると考える 。」 事故が考えられないものと想像するか、反対に、毎年、さらには10年か20年毎に起こる事故に耐えられると認めるかによって、問題提起の仕方が全く異なることは言うまでもない。したがって、性質を変えるのは論争そのものである。なぜなら考えられないことが、あり得ることまたは確実なことになったからである。人類は選択が一部の人によってなされたこと、その選択が巨大で犯罪的な賭け、良くても嘘に基づくことに気付いている。
情報操作の手段が今もしかるべき場所にあるとしても、新しい伝達手段、独立した計測と社会ネットワークは鉛の外套の維持を以前よりも難しくする。そもそも、どのような人民があのような大きさの危険を受け入れる覚悟があるというのだろうか?
したがってフクシマから期待される大変動は、核にとってだけでなく、より広範に、核産業の技術者と同じくらい傲慢で自己満足している専門家によって安全であるかのように我々に紹介されてきた全ての技術にとって、かなり大きなものとなる。独立していると自己紹介するこれらの専門家がしばしば、直接または間接的に彼らに報酬を与えるロビーの代弁者に過ぎないだけになおさらである。我々はしたがって、全般化した信頼の危機に取り組まなければならなくなろうとしている。
著作権は原著者と出版社に帰属します。
なお、原注は省略します(この章の原注にはかなり衝撃的な内容が含まれているため、改稿する機会があれば適宜挿入するかもしれません)。訳注は適宜本文中に挿入します。
次回、第2章以降の掲載は未定です。