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2009-11-18 00:00:09

サッチャーの「奇妙な報復」【補足】

テーマ:政治・経済
前回の サッチャーの「奇妙な報復」 の補足です。

原文 の下のほうにある、Les enjeux vus par (・・・によって見られた争点)という部分の訳も、一応掲載しておきます。


GRANDE-BRETAGNE.
L’étrange revanche de Maggie




Les enjeux vus par


GEORGE OSBORNE

ministre des Finances du cabinet fantôme conservateur

ジョージ・オズボーン
保守党の影の内閣の財務相
「保守党を現代のグレート・ブリテンに再びつなぐ」べきだ。これまで働いたことがなく、財政緊縮計画で有権者を再び獲得すると主張するデビッド・キャメロンのオックスフォードの元学友にとって、容易ではない。


NICK GRIFFIN

président du British National Party

ニック・グリフィン
英国国民党党首
「人種差別主義者、同性愛者嫌い、私はこれらのどれでもない」と、この英国のル・ペンは強く言う。「遺伝子的に99%まで白人であるグレートブリテンを愛する」ことを認めながら。


SUNDER KATWALA

secrétaire général de la Fabian Society

サンダー・カトワラ
ファビアン協会事務局長
改革派シンクタンクの指導者にとって、労働党員は、「左翼と右翼の協会を忘れた」ときにその魂を失った。「その違いを強調することができずに、彼らは保守党を結果的に利する危険がある」。


DENIS MACSHANE

député travailliste de Rotherham

デニス・マックシェーン
ロザラムの労働党下院議員
「金融に依存しすぎた労働党は、北欧の社会民主主義国のように社会的公正を推進することができなかった。」


JEAN-GABRIEL FREDET

Le Nouvel Observateur 2347 29 OCTOBRE-4 NOVEMBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2347/articles/a411888-.html





2009-11-17 21:29:14

サッチャーの「奇妙な報復」

テーマ:政治・経済
「新自由主義」元祖の一つとして、世界全体に大災厄をもたらした国に関する話題です。またしても不吉な人物の名前が浮かび上がってきます。

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2009年10月29-11月4日(通巻2347)に掲載された Grande-Bretagne - L'étrange revanche de Maggie (グレートブリテン - マギーの奇妙な報復)という記事です。「マギー」とは、マーガレット・サッチャーに他なりません。Maggie という綴りを見たら、「マジ」と読みたくなるのですが。



GRANDE-BRETAGNE.
L’étrange revanche de Maggie



社会主義と資本主義の間、ニュー・レイバーが考案した「第三の道」は、危機に耐えられなかった。選挙が近づき、思想が欠乏している労働党は、保守党への道を遮る能力がないように見える。


De notre envoyé spécial à Londres



「Buisiness as usual ? いや、これは一つの時代の終わりであり、別の時代の幕開けだ。富裕層のための社会主義の時代の!」 銀行家、トレーダーとその他の金融資本家で軋むほど満員になった、リトルトン・シアターの観客席は、騒々しく爆笑する。ロンドンを駆け巡る戯曲、「ザ・パワー・オブ・イエス The Power of Yes」のこの衝撃的なせりふが、一つの時代の真実を容赦なく要約していたかのように。なぜなら、意志決定者、金融資本家、世論形成者という特権階級、同じ「クラブ」のメンバーの全てが不当に取得した、このイエスと言う権力、社会の進路と価値観を決める権力はまさしく、10年以上にわたる労働と政権とともにこの階級が結んだ契約に基づいているからである。「古い」レイバーの堅さを消し去ると見なされた「第三の道」」の名において、現代化を推進する労働党は規制緩和に青信号を出した。経済危機、アイデンティティーの危機、そして次期選挙における確実な敗北。アングロサクソンの労働党政策には、このファウスト的契約の非常に高い対価を支払う危険がある。

 “You’ve never had it so good” (あなたは決してそれほど安らかな生活を送ってこなかった)。自由主義・自由至上主義者のバイブル、負けても潔い、『The Economist』は、2007年6月に、ブレア主義の10周年記念のために、このタイトルの記事を出した。“You’ve never had it so bad” (あなたは決してそれほどひどい生活を送ってこなかった)。ブックメーカーによると、1対7(のオッズ)で来年6月の選挙の勝者になると予想される保守党の最近の大会のテーマを繰り返して、同じ雑誌が今、皮肉っている。ダウニング街10番地のほぼ確実な未来の主、保守党のリーダーで、オックスフォード出身のお偉方、デビッド・キャメロンには、政敵である労働党の失敗を嘲笑するための選択という心配しかない。

 危機はもちろん、そこを通っていった。しかし10年の陶酔の後に、結果は恐るべき物である。失業の爆発(10%)、ポンドの目が眩むような下落(1年で50%)、複数の大手銀行の事実上の国有化後の、成り行き任せの公共財政。おまけに、ゴードン・ブラウン首相への餞別のように、2010には国内総生産の85%になると見積もられる債務もある。


Montée de la xénophobie

(ゼノフォビアの増大)

 この暴落の傷跡が目に飛び込んでくる。この災厄の震源、ロンドンでは、“to let”(訳注:「米語」では“for rent”)、「貸し物件」という看板が増えている。ニュー・ボンド・ストリートでは、金持ちのトレーダーのために店が棄てられている。シティーでは、“トレンディ”(笑)なバーやレストランは、金曜夜の伝統的な“パーティー”がなくなって、ゆっくりと回っている。しかし、最も苦しんでいるのは、この国の奥底の方である。リーズ、ニューカッスル、バーミンガムなど、北方の都市は、不動産価格が暴落した(40%まで)。ウールワース Woolworth のような大型店の清算以来、アーケード街は陰気になった。唯一の勝者は、今では余裕のある階層が集まる、「99ペンス・ショップ」である。

 「この景気後退は国の南部と北部の不平等を増大した。ベルグラビアBelgravia、チェルシーChelsea、サウスケンジントンSouth Kensingtonといった、首都の美しい地区は、繁栄し続けている。しかし、ニューカッスルの住宅金融銀行、ノーザン・ロックNorthern Rock の破綻に慌てふためいた預金者の行列を、英国人は記憶に留めている」と、都市計画家のジョーン・ハネットJohn Hannetは説明する。「あなたはサッカーが好きですか?リバプールのスタジアムに近い街、ハートフィールドは、ボロボロになっている。そして、ホンダが人員の3分の2を解雇し、ロンドンの西のサウス・マーストンSouth Marstonでは、かつてはすぐに再び仕事を見つけられると思われていた解雇が、大惨事のように感じられている。」

 「イデオロギーは失せろ!大事なこと、それはうまく行くことだ」 英国人は、トニー・ブレアとその後継者、ゴードン・ブラウンの口から、このマントラが発せられのを、何度きいたことだろうか?この二人は、外国の政治指導者あるいはメディアの称賛の対象となった、屈託のない自由主義政策の張本人である。制度に仕立て上げられて、この政策は10年後に、怪物を生み出した。「現代化された」社会民主主義の称賛者としてブラウンは、未だに市場に放出していなかった、British EnergyやEurotunnelのような、最後の公共企業体の私物化を発表したばかりである。クリスマスの小包の配達を保証するために、20000人の臨時職員を雇うことを強いられた、商業相で副首相のピーター・マンデルソンPeter Mandelsonは、かつての友、ロイヤル・メールのスト参加者を、「国庫に損害を与え」たとして非難する。

 極右とは常に距離を置いてきた国での最高の侮辱は、ゼノフォビア(外国人嫌悪)の増大である。さる1月、北部とスコットランドの石油精製所における、「British jobs for British workers !」(英国の雇用は英国人労働者のために)というスローガンの成功は、イタリアとポルトガルの移民労働者の締め出しにまで至った。「容認できない」と、当時、ゴードン・ブラウンは非難していた。ところが、最近の欧州議会議員選挙で、英国国民党British National Party (BNP)が、一部の州では総得票の12%を得るなど、大きな勝利を収めた。論争にもかかわらず、同党代表、ニック・グリフィンNick Griffinは、BBCの人気番組、『Question Time』に招かれたばかりである。彼は最終的に、政界で自らの場所を得るだろう。その当時のジャン=マリ・ル・ペンのように。


Le scénario de la récession

(景気後退のシナリオ)


 「人的資源を優先するが世界化を受け入れる、伝統的な社会主義と市場という宗教の間の第三の道」という、アンソニー・ギデンスAthony Giddensの公理に基づいた「ニュー」レイバーは、いかにして、最終的に、労働者だけでなくミドル・イングランドの中産階級を絶望させることができたのか?「赤い」社会主義と、サッチャーによって潰された1970年代の大規模ストライキから遠く離れて、「中道で統治する」ことで彼らの幸せを作ると主張してさえいたのに。

 「大言壮語と大風呂敷は忘れよ」と、デモス研究所の研究者、サイモン・ウェックスタインSimon Wechsteinは説明する。「ブレア主義、それは50%の功利主義と50%の“スピン”、つまり、政敵を不安定にしてメディアを惹きつけるために弾丸、“メッセージ”に効果を与える能力だ。」 大原則(従業員に責任を負わせること、あるいは、社会の保護網である、welfareよりも、労働の優位である、workfareをという)の背後に、強い信条がある。新自由主義的な世界化の不可避性を受け入れた方が良いということだ。「There is no alternative.」 そしてサッチャーよりも成功するためには、不動産とサービスという、英国のエンジンの二つのシリンダーを全速力で回転させることに優るものはない。単なる「借り手の良心」に基づいた持ち家取得への融資の危険性にも、シティーの賭け事にも心配することなく、世界中の銀行の役割を強化すると決意していた。しかし風向きが変わると、「モデル」は借金の上に築かれた繁栄の脆さを見せ付けた。ブラウンはバブルの危険を排除したと主張していた。サッチャーが始めた「規制緩和」というカードに徹底的に賭けながら、ブラウンは実際には、連合王国を「常に好機を求め、したがって産業の長期の取り組みには拒否反応を示し、不平等に無関心だが金融の偶然には過敏な、信じがたいほど柔軟な大投機ファンド」に変えてしまったと、エッセーストのパトリック・アルテュスPatrick Artusは判断する。これがまさしく、現在の景気後退のシナリオである。


Révolte des classes moyennes

(中産階級の反乱)


 続きは?規制緩和プラス金融化イコール爆発だ!しばしば借金を下回る価値を自らの家に付ける不動産価格暴落によって損害を被り、自らの生活水準とスーパー・リッチの生活水準の増大する格差に激怒し、国民の60%が中間値以下で生活しているにもかかわらず、中産階級は反抗する。労働市場を去るとき、自らの年金が、株式市場のように資本化によって50%も失っていたことを知って驚愕した退職者は叫ぶ。「公共サービスの衰退の根底で、英国の基底の見捨てられた人々からなる無産階級は、リーズ、リバプール、レスターの産業未開の地で相続人欠如の状態に陥っている。それがこの社会的な激怒を助長している」と、数万人の「NEET」を指摘しつつ、ロザラムRotherhamの労働党議員、デニス・マックシャーンは確認する。

 労働党は、「モンデオ・マン」、中産階級を体現するフォード・モンデオの運転手の幸福を作ると誓っていた。実際には“greedy people”、英国を荒廃させた銀行家と金融資本家の幸福を作った。「景気後退は新自由主義の一式を破壊した。新しい社会主義が必要だ」と、労働党左派の議員、ジョン・クルダスJon Cruddasは説明する。

 しかし、選挙までの8ヶ月で、労働党は新たな展開を見せることができるだろうか?ピーター・マンデルソンは「英国のために新たな未来を建設する」と約束する。試練に耐え得るもう一人のリーダーがさらに必要となるだろう。巧妙なエコノミストだがトニー・ブレアのカリスマ性に欠ける、ゴードン・ブラウンは、システムの危機から銀行界を救った救済策をアメリカとヨーロッパに吹き込んで、2008年の秋の間にはごまかすことができていた。それは『フラッシュ・ゴードン』の勝利の時代だった。これを語るのは彼の外交顧問、トム・フレッチャーだが、感嘆したニコラ・サルコジでさえこう言った、短い瞬間だった。「ゴードン、 僕が君を愛してはいけないことを、君は知っている。君はスコットランド人で、エコノミストだ。僕たちに共通のものは全くない。ある意味でゴードン、僕は君が好きだ・・・ただし、性的にではなく!」


Vers une lourde défaite

(重い敗北へ)


 これら全てが、実に遠く見える。優柔不断な、心の中ではテクノクラートで、銀行の次に政治家の信用を損なう会計記録の議会でのスキャンダルの巻き添えを食ったブラウンは、保守党に対して重い敗北を運命付けられているように見える。それでも保守党側は、「13年間の野党生活の後に社会を学びなおした」ことを証明しなければならないのだが。労働党の新綱領の作成に関しては、今もまだ不確かなようだ。先週、イングランド銀行総裁、マーヴィン・キングMervyn Kingが、「大き過ぎて潰せない」巨獣の再生を避けるために、銀行の商業行為と投資活動を分離する考えを仄めかしたとき、二人の財務大臣、現蔵相アリステア・ダーリングAlistair Darlingと、影の内閣の蔵相、保守党のジョージ・オズボーンGeorge Osborneはともに、同じ声で、ノーと答えた。「規制する」ことは問題外だ、というわけだ。市場、労働とともに資本の柔軟性は持続すべきだと、エコノミストのモーリス・フレーザーMaurice Fraserは説明する。シティーの富を成す投機ファンドを排除することも、問題外だ。同じ言葉の繰り返しだが、アングロサクソンの資本主義は、繁栄を築くために最もよく整っている。

 「衝撃に強く、創意に富み、競争力のある英国人は、君たちが考えているよりも早く危機から脱出する」と、今なお続く景気後退の18ヶ月目に、デニス・マックシェーンは語気を強める。しかし、彼に新しいモデルがどのようなものかを尋ねてはならない。それはまだ、考え出すべきものだからだ。


JEAN-GABRIEL FREDET

Le Nouvel Observateur 2347 29 OCTOBRE-4 NOVEMBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2347/articles/a411888-.html


懲りないというか、強欲というか・・・ 嫌な気分になるような内容ですが、こんな国が「大人の国」とか言ってる人は喜ぶのでしょうね。公的医療の自己負担がゼロという点はいいとして、その点だけを褒めそやす人は、「マジ」とかいう女の「改革」のせいで、ガンの手術でも数ヶ月待ちとかいう状況には目を瞑るのでしょう。

カジノ経済が復活しつつある宗主国とか、鉄の女が息を吹き返しそうな大英帝国とか、このところ、懲りずにネオリベが復活しつつあるような嫌な予感がします。

どこかの国でも、「事業仕分け」とかいう見世物で、新政権が早くも財務官僚に操られているような気配。医療費を増額するという公約ではなかったのでしょうか?あれは「マニフェスト」であって、約束したわけではないから、破ってもいいと。それで、一足先に医療が崩壊してしまって、医療費を1.5倍にして再建に必死になってもなかなか再建できずにいる、北西の島国の真似をしようとでも・・・

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」といいます。どこかの国の前政権の政治家の読書歴は、他国に顔向けできないほどお粗末なものでした。歴史を司馬遼太郎の娯楽小説から学ぶなど、アホのきわみだった首相が絶大な支持率を誇ったこともありました。それにしても、失敗の経験からも学ばないとしたら、この国の財務官僚やその周辺というのは、「愚者」を通り越して何なのでしょうか。彼らは、難しい試験に優秀な成績を収めるというある意味優れた能力があるのですから、その能力の範囲内で、答の決まった問題に決められた字数の範囲で決められた論理に沿って既に決まった解答を出すという、前例のある課題だけに取り組むべきであって、答のない未来の課題に手を出すべきではありません。答のない問題は、国民に選ばれた政治家が取り組むべきものであり、それが「政治主導」というものでしょう。


次回に、若干の補足記事があります。



2009-11-14 21:48:52

「クレムリンを怖がらせる囚人」

テーマ:政治・経済
またしても脈絡がありませんが、今度はロシア関連です。もっとも、ベルリンの壁崩壊→東西ドイツ統一に果たした、旧ソ連のゴルバチョフ氏の役割の大きさを考えれば、その後のロシアの現状に関する記事も、決して関係がないとは言えないと思います。こじ付けがましいですが。

以下は、週刊誌 Le Nouvel Observateur の2009年10月22-28日(通巻2346)に掲載された Ce bagnard qui fait peur au Kremlin (クレムリンを怖がらせる徒刑囚)という記事です。



Ce bagnard qui fait peur au Kremlin



石油会社ユコスの元経営者、ミハイル・ホドルコフスキー Mikhaïl Khodorkovski はシベリアの刑務所で8年の刑に服している。専制が不条理な仕方で彼を非難する訴訟を通じて、彼は再び裁かれる。プーチンの手の内にあるロシアの権力は、かつてロシアで最も金持ちだった男が刑務所から出ることを望まない…


De notre envoyé spécial à Moscou


新しいロシアの未来が部分的に形作られているのは、モスクワのハモヴニチェスキー地区の裁判所の3階にある、小さく古ぼけた審問室第7番の中である。被告人のための伝統的な鉄格子の籠は、防弾ガラス製の独房に置き換えられた。「公式には、保護のためだ。実際には、鉄格子の檻はロシアの惨憺たる印象を与えるから」と、非常に部数の少ない反体制派新聞、『ノヴァイア・ガゼータ Novaïa Gazeta 』の、ヴェラ・チェリチェーヴァ Vera Tchelicheva は判断する。審問を常に負い続けている唯一の新聞である。一般大衆は、ここで行われている不条理劇、ロシア権力にとっての試験的裁判について、何も知ることはない。

 1999年に権力の座に就くと、KGBの元中佐、ウラジミール・プーチンは「法による独裁制」を認めさせると約束していた。9年後、司法の独立の欠如を認める、2008年にクレムリンの後継者となった、法律家のドミトリ・メドベージェフは、「司法の虚無主義」の終わりと「法の支配」を約束した。要するに、ロシアを法治国家にするとお。しかし首相になったウラジミール・プーチンは、「国民的リーダー」のままで残った。報道機関と司法省が互いの力を測りながら、メドベージェフに「新しいロシアのゴルバチョフ」を見出したがり、プーチンの下で奇妙に強硬になった体制の自由化に関する憶測と希望の中で途方に暮れる一方で、裁判所の小さな7号室では、事件は了解済みのように見える。


Une bataille truquée

(インチキの闘い)


 「水族館」の異名をとるガラスの檻には、二匹の大きな魚がいる。蒼白で、短く刈った髪、細い眼鏡、トレーナー、黒い上着を着てジーンズを履いた、ミハイル・ホドルコフスキー Mikhaïl Khodorkovski、46歳とその共犯者、プラトン・レベジェフ Platon Lebedev、53歳である。滑稽さを恐れることなく、ロシアの「正義」はこの二人を、何ヶ月も続く聴聞、何百人もの証人、188巻、10000ページ近い起訴状と、クリーニング店の請求書ばかりか個人的な手紙や写真のアルバムまで含む、数百キロの書類の下に沈めることに専念する。ロシアで最も有名な政治犯になる前、ホドルコフスキーは同国で最も金持ちの男だった。1990年代の巨大な見切り品セール、疑わしい私有化、司法の空白を利用して、彼は、ゼロから出発して石油会社ユコスIoukosを創設した。西洋のマネージメントの技術に慣れた、熱心な働き者で、人の話を聞いて決断することができたホドルコフスキーは、質素な化学者の家庭、共産党青年団の出身でありながら、しばしば濁った水の中を泳ぎつつ、ユコスを最も良く管理され、最も清廉で最も透明な、ロシア第一の会社にすることに成功した。

 今、彼の前には、検事長のヴァレリ・ラフティネがいる。曲がった背中、険しい痩せた顔つき、手首には月給の数か月分に相当する高給時計をはめた彼は、身元を手絶えず間違え、書類の山の中で戸惑う。最大でおよそ50人がいる法廷は、爆笑に包まれる。確かに、4人の補助に補佐された検事は自分の前にポータブルコンピューターを置いている。しかしその画面は空白である。2日間の聴聞の間、検事は指1本で苦労しながら、1個半の単語を打つことになる。対するに、被告人の弁護団もまたポータブルコンピューターを備えているが、恐るべき有能さを発揮している。全ての書類はデジタル化されている。少しでも言及されれば、画面上に現れる。古くて恐るべきロシアの官僚制と西洋の最先端技術との、巨大な闘いである。しかし細工された闘いだ。なぜなら、この法廷に何が起ころうとも、ホドルコフスキーは恐らく有罪と判断されるからだ。

 2003年に初めて、脱税の罪で8年の禁固を宣告された彼は、自らの会社を解体されてしまった。公式には国家と「国民」のためにだが、実際にはプーチンの側近の利益のために。仮釈放は拒否された。(偽の)証人は、ホドルコフスキーが手を背中に組んで散歩から戻らなかったと告発した。彼は定期的に処罰され、独房に放り込まれる。「許可なしで」二切れのレモンを房内に持っているとして、「割り当てられた時間以外に」お茶を一杯飲んだとして。書面でインタビューに応じた、裁縫教室に欠席した、等々。ホドルコフスキーは出所してはならない。彼は危険な男であり、「24時間中24時間ビデオカメラで監視されている、トイレでさえも」と、母親のマリナ・フィリッポフナ、73歳は語る。彼は最初の刑期を、モスクワと家族から6000キロメートル以上離れたシベリアで服した。夏は40℃、冬は零下40℃を下回る。公式には、「より近い場所がなかったため」に。

 ホドルフスキーがガラス張りの箱に入る前、一匹の犬が法廷内の臭いを嗅ぎに来る。それから、花束を振りかざす支援者の拍手の下、二人の被告人が、手錠をかけられ、銃武装した特殊部隊の警官に付き添われて到着する。警官は油断なく見張っているように見せるために努力するが、聴聞の間、あくびしている。地区は高度の監視下に置かれている。事件は重大だ。ホドルフスキーと協力者は、20年の刑に処せられる可能性がある。今回彼らは、物理的に、2億5000万トン以上の石油を盗んだとして告発されている。問題は、横領されたとされる、この黒い金の量が、ユコスの生産量を上回ることだ。「赤道を3周する長さの貨物列車を一杯にする量」だと、さる3月の、第二回の訴訟が始まってすぐに、ホドルコフスキーはからかう。別の支離滅裂さは、盗まれたとされる石油に対して、ユコスが400億ドルの税金を支払ったことだ。同社はロシアの財政の第一の貢献者である。起訴を「分裂的」と評価する弁護側は、検事の精神鑑定を要求した。検察はいくらかの「不正確さ」、「技術的な誤り」を認めざるを得なかった。訴訟は続く。

 その日、聴聞の開始から、ミハイル・ホドルコフスキーは穏やかで断固とした声で、変わらぬ要求を繰り返す。彼の会社が「盗んだ」ことになっている石油を国営企業トランスネチTransneft に引き渡したことを示す証拠が関係書類に添付されることを。トランスネフチは石油パイプライン、ロシア領土の黒い黄金の輸送の独占権を有する。弁護側の申請を全面的に拒絶する判事、ヴィクトル・ダニルキネに拒否された、一度ならざる要求である。したがってホドルコフスキーは、自らの無実を証明できそうにない。恐らく、ロシアの新しいエリートの中で、最も輝かしく、最も西洋化され、最もけばけばしくないメンバーの一人であるホドルコフスキーは、大胆な人間である。彼はプーチンのロシアで狂った計画を抱いていなかったのか?資本の中にアメリカ企業を参入させ、彼の開かれたロシアの財団のおかげで西洋との関係を改善し、頂点に至るまでの権力をかつないほどに蝕む腐敗に対する現実的な対策を採ってクレムリンの長に敢えて挑戦することを?彼は、民主的で自由主義的な野党を、与党統一ロシアの支配に対する抑止力にするために資金援助したのではなかったか?彼の有能さ、企画力、決意により、彼が将来、野党が必死に探し求めているリーダーになる可能性がないだろうか?

 しかし彼と激しく戦うことで、国家は彼を殉教者、ロシア人が愛するようなドストエフスキー的人物にした。ロシア人はそれもで、非常に好意的な目で、このオリガルヒ、「新興財閥」に対する最初の裁判を見ていた。彼が、今も反ユダヤ主義の強いこの国で、ユダヤ人としての出自を持っていても。そして、ホドルコフスキーが聖人でないことが明らかだとしても、誰もが、彼が告発されたような過ちで裁かれているわけではないことを知っている。そうでなければ、今日、牢獄に入るのは、全てのロシアの新興エリートになる。


Farce judiciaire

(司法の茶番劇)


 聴聞の二日目。どんでん返しだ。ラトヒネ検事は誇らしげに新しい書類の束をひけらかす。弁護側はそれらを調べることを要求する。審理が中断する。あらゆる訴訟手続きの外で得られた、これら新しい有罪の「証拠」は、前日に弁護側によって請求されたが裁判所によって拒否されていたものであることが明らかになる。法廷内に爆笑が起こる。検察側の混乱。新たな中断。うんざりした様子で、判事は書類を認める。それから、最初の裁判で検事が受けたように、プーチンに個人的に勲章を授与されることを夢見るヴァレリ・ラトヒネにとって待ち受けた瞬間が来る。検察側の数え切れない証人の一人、アンドレイ・クライノフが、証人席に現れる。彼は最初の訴訟で、執行猶予付きの5年の刑しか受けなかった。彼は検察側と共謀していた。そこにいることに困惑して、頭を下げ、ほとんど聞き取れない声で話し、一日半の間、ほとんど変わらない調子で質問に答える。「私は知らない」、「思い出せない」。「ユコス・モスクワの訴訟上の構造物を変形させる命令を出したのは誰か、あなたは知っていますか?」 - 「いいえ。私は知りません」、証人は答える。ラトヒネ検事は、したり顔で再び座る。彼が結局どうしたいのか、誰も理解できない。判事のヴィクトル・ダニルキネでさえも。嘆かわしく退屈な見世物にうんざりした判事は、結局冷静さを失う。「それにしても、あなたは何を話しているのですか ?」と、検事に言葉を投げつける。

 「この起訴そのものが、一体どうしたいのかわかっているとは、私には信じられない」と、弁護側の弁護士の一人、ウラジミール・クラスノフは論評する。負け犬の雰囲気で、ラトヒネ検事は尋問を再開する。「今、あなたは証人に答えを提示している!」、その訴訟が司法の茶番劇に変わり、カフカの小説から出てきたように見えることにうんざりした判事が苛立つ。水族館の中で、ホドルフスキーは目を上げない。彼は訴訟の関係書類を体系的に検討している。反対尋問は検察にとっての大失敗に変わる。証人は、最初の裁判で嘘をついたこと、ユコスからトランスネフチへの石油の引渡し手続きを知らないことを認めざるを得ない。

 ほぼ一貫して、検察側の証人は弁護側の証人になる。2億5000万トンの石油を盗むことが物理的に不可能であることを、証人は認めざるを得ない。最後に、ホドルコフスキーが発言する。明瞭で断固とした声で、彼は、3つの点と数分間で、二日間の聴聞を分解しようとする。「第一に、あなた方は検察に、争点を明確にしないまま証人に尋問することを許した。第二に、あなた方は検察に、誰もが何も知らないことを理解している人物に質問することで、この訴訟の枠外に出ることを許した。ユコスからトランスネフチへの石油引渡しの現場について何も知らない人物に。そこに全く関わっていなかった人物に。第三に、あなた方は証拠調べの間に私に発言させることを拒否した。結果は?法廷で時間を失わせた、不条理な場面だ。あなた方が私に話させていたら、あなた方がユコス・モスクワの定款を変えさせる命令を誰が与えたか知りたかったら、私はあなた方にそれを言っていただろう。それは私だからだ。私はあなた方に、いつ、どのようにして、そしてなぜかを言っていたはずだ。Vsio!」、「それが全てだ」。聴衆は大喜びする。ダニルキネ判事は眼鏡を拭く。ラフティネ判事は書類の山をかき集める。目に見える感情に影のないホドルコフスキーは再び座り、ゆっくりとコップの水を飲む。本当に危険な男だ。


JEAN-BAPTISTE NAUDET

Le Nouvel Observateur 2346 22-28 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2346/articles/a411309-ce_bagnard_qui_fait_peur_au_kremlin.html


「検事の精神鑑定を要求した」とは、勇気ある(笑)弁護士ですね。

どこかの国でも、検察側の精神鑑定を要求したくなる(ついでに、裁判官も)ような事例が多々ありますが、そのどこかの国で、そういうことを要求したら、「反省していない」として、間違いなく不当に重い刑が科されることでしょう。あくまでも、どこかの国のお話です。日○とか●本とか、言っていませんから。


現代のロシアに関するエントリー :

システム・プーチン(Obsの記事)【1】 2008-03-15

システム・プーチン(Obsの記事)【2】 2008-03-16

システム・プーチン(Obsの記事)【3】 2008-03-20

グルジア:プーチンはどこまで行くのか(Obsの記事)【1】  2008-08-24

グルジア:プーチンはどこまで行くのか(Obsの記事)【2】  2008-8-25

ロシア支配下のグルジア(Obsの記事)【1】  2008-08-27

ロシア支配下のグルジア(Obsの記事)【2】  2008-08-28

グルジアの危険な「ゲーム」(Obsの記事)【1】  2008-08-30

グルジアの危険な「ゲーム」(Obsの記事)【2】  2008-08-31

サルコジ大統領とロシア(Obsの記事)【1】 2008-11-22

サルコジ大統領とロシア(Obsの記事)【2】 2008-11-23

「プーチン対“ジャッカル”」  2009-10-27





2009-11-10 21:50:38

「シュタージの最後の秘密」【2】

テーマ:歴史
前回の 「シュタージの最後の秘密」【1】  の続きです。

今回は原文Broyeuses de documents en panne で始まる段落からです。


LES DERNIERS SECRETS DE LA STASI



(つづき)

Broyeuses de documents en panne

(パンクする書類裁断機)

 この鉛の覆いに対する、もう一つの説明がある。「ドイツ市民自身が、はっきりとしないことだ」と、シュタージのもう一つの被害者団体、UOKGのテオドル・ミットループTheodor Mittrupが要約する。「現在、およそ30の団体が、共通の目的もなく、閉鎖的に活動している。それぞれが、自分の人生を台無しにし、仕事を得る邪魔をし、母や父を恐喝した人物の名を知ろうと努めている。我々にもまた、党の幹部による養子にさせるために、子供を奪われた女性がいる。誰もが弁明を求めているが、ばらばらの状態だ。」 特に、東ドイツの専制的体制の歴史には、大きな黒い穴がある。秘密警察の書類のかなりの部分が、1989年の最後の数ヶ月に裁断機に送られたことである。シュタージの本部では、数百万枚の書類を裁断する機械が全速力で回転した。余りにも書類を詰め込まれすぎて、機械は故障した。そして不幸な役人たちは上司に、自らの犯罪の証拠を破壊するように急かされて、ついには、一枚一枚、手で仕事を終わらせなければならなかった。東ベルリン市民が最も貴重な財産、つまり記憶を守るためにシュタージ本部に侵入してくる瞬間まで、彼らは有罪の証拠を、郵袋に詰め込むために千の断片に引き裂いた。「貪欲な連中がその秘密を墓場に持ち去るのを防ぐために」と、『Mur dans les têtes (頭の中の壁)』の著者、ヤニク・パスケYannick Pasquetは明確に言う、「彼らは紙吹雪の袋に手を突っ込んだ。」 1600万の紙切れを入れる16000近くの袋に。


Condamnés au cancer

(ガンにする刑)

 このような宝をどうすべきか?当時、政府当局はそれらを発掘することを渋り、「平和的な」再統一の名目で、30年の時効を提案する。再建途上のドイツをさらになお分裂させることしかできない亡霊を、なぜ目覚めさせるのか?連邦議会での長い討論、シュタージの犠牲者の複数のハンストを経て、一つの妥協が見出される。アーカイブは、政府と議会の管理下で、少しずつ発掘されることになる。誰も開きたくないこのパンドラの箱を監視するために、一つの機関が任務に就く。ニュルンベルクでは、およそ40人のチームが、シュタージの書類を手作業で復元するための作業に取り掛かる。タイタンのような、さらにはカフカ的な作業だ。複数の歴史家によると、それを果たすには8世紀近くの時間が必要になるという。このペースでは、シュタージの「収支」は静かに眠ることができる。実際、政治家階級は「死体を戸棚に残しておく」作戦に成功した。

 一人の突飛で奇抜な学者で、コンピューターによるデジタル処理専門の、フラウンホーファー研究所の安全保障部門の責任者、ベルトラム・ニコライBertram Nickolayが、「シュタージの紙吹雪」を集めるための革命的な手法、「エレクトロン」計画を提案する日まで。彼により、16000の袋は数年で「復元」されることができる。牛車からTGVに移るようなものだ。この、子供の笑顔を浮かべたヒマワリのような教授は、人の役に立ちたがっている。彼はドイツがその記憶を明らかにするのを助ける覚悟である。彼に応えるまでに、12年を要することになる。結局、2007年、議会は400袋に対する試験的操作のために600万ユーロ以上の予算を可決する。「基本的に、私は2011年に終わらせている」と、ベルトラム・ニコライは明確に言う。「我々は信じられないことを発見する。しかし、秘密を守る。政治家だけが、微妙な問題に関して発言する資格がある。」 この科学者はどのような問題について言っているのか?彼にほんの少しの名前で漏らさせることは不可能だ。言葉が発せられるためには、ノルマンネンシュトラッセの側の、ビルトラー機関のアーカイブ内にもどらなければならない。陰に残しておこうとした秘密の中には、確かに、国家の行政機関の大部分、特に警察と軍に潜入した、シュタージの全ての協力者のリストとともに、有名な西ベルリン侵略計画がある。

 長く隠されたままでいるはずのない、危険な問題がある。シュタージによる3人の有名な反体制派、作家のユルゲン・フークスJürgen Fuchsとルドルフ・バーロRudolf Bahro、そして東ドイツで最も有名なグループ、Klaus Renft Comboのメンバー、ロック・ギタリストのゲルルフ・パンナックGerulf Pannachの殺害である。参照段階にある文書によると、シュタージ長官、エリック・ミ-ルケEric Mielkeは高度に危険な有名人の反対派の物理的な排除に賛成していた。最終的に、「会社」の上層部は「じわじわと消滅させる」ことを選んだ。3人の反体制派は、極めて稀なガンで死んだ。以前に、彼らは同じ時期に同じ刑務所に収監されていた。文書は、彼らが尋問中に放射線照射を受けたことを明らかにしている。そもそも、ベルリンの壁崩壊後に「拷問」部屋で放射線装置が発見されていた。それでも、刑事に関する書類は一切開示されなかった。1970年代の終わり、3人は解放され、身代金と引き換えに西の機関に引き渡された。彼らはそれからしばらくして死亡した。しかし、自らの苦境を語る時間はあった。何人の東ドイツ市民が、「会社」の主人による、同じ「見えない死刑」を受けたのだろうか?アーカイブの事務所は、シュタージの元囚人全員に、医学的検査を受けるように勧告した」と、『シュタジラントStasiland 』の著者、アンナ・フンダー Anna Funderは語る。「確かなことは、シュタージが一式の放射性物質を完成させていたことだ。シュタージの吏員のために、スプレーも生産していた。彼らは人ごみの中で、特定の人物に吹き付けるために近づいていた。」

 11月16日、退職したカール=ハインツ・クラスは裁判所に出頭する…武器の許可に関する違反のために。この元エリート射撃手は、81歳になっても、身近に拳銃を許可なしで持っていた。穏和な80代に、誰が不幸を望むことができようか?再統一20周年記念の愉快で友好的な波に自らの悪事が飲み込まれることを望むであろう、彼の「会社」の旧友だろうか?スパイのクラスはこの裁判を、醜聞に満ちた告白をするために利用するだろうか?ベルリンのどこか、ティエルガルテン公園のすぐ近くで、眠れる記憶を目覚めさせることを望む学者、ベルトラム・ニコライは光の速度でパズルを復元している。「エレクトロン」計画は非常に速く進む。亡霊の平和に、明日はない。


SERGE RAFFY


Karl-Heinz Kurras

西ドイツ警察に潜入したシュタージの元スパイ、カール=ハインツ・クラス Karl-Heinz Kurras は今、過去に捉われている。彼は恐らくずっと前から、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツによるベルリン侵攻計画を知っている。

Benno Ohnesorg

1967年6月2日、デモの途中に西ベルリンで警察官クラスに射殺された若い学生、ベンノ・オーネゾルク Bennno Ohnesorg は当時、後にパリで一部のスローガンに着想を与える「反ファシスト」闘争の象徴となる。今日、彼の殺害者の身分が明らかになってから、ベルリンの壁近くに建てられた像の足元には、「スターリン主義の犠牲者」の文字が加えられた。


Bertram Nickolay

アーカイブの文書のデジタル化の専門家、「エレクトロン」システムの父、ベルトラム・ニコライ Bertram Nickolay は、ドイツ当局がシュタージの「破片になった」」文書を読むことを可能にし、5年間でその使命を完了させることができると確信している。ドイツ政府は、それほど急いでいない。予定していた期限は…8世紀だった。


Wolfgang Schmidt

シュタージの元「分析と情報」局のトップ、ヴォルフガンク・シュミットWolfgang Schmidt は、エーリッヒ・ホーネッカーの唯一の大きな過ちを認める。東ドイツの監獄の反体制派を、全て西に追放するために釈放しなかったことである。


Bettina Röhl

ドイツ赤軍のテロリストで、60人以上の殺害に責任のあるウルリケ・マインホフUlrike Meinhof の娘、ベッティナ・レールBetthina Röhl は、バーダーのグループが「シュタージの全面的な指揮下に」あったことを認める。パリに亡命し、フランスの極左とジャン=ポール・サルトルに支援された彼らの弁護士、クラウス・クロワサン Klaus Croissant のように、登録番号はXV5231/81である。アーカイブは直接行動もまた同様に操作されていたことを明らかにするだろうか?


Hubertus Knabe

ホーヘンシェーンハウゼンのメモリアルMémorial de Hohenschönhausen 代表、フベルトゥス・クナーベHubertus Knabe は、出版グループ・シュプリンガー Springer を不安定にする作戦をシュタージの文書に発見した。コードネームは「泥沼」。グループの多数のジャーナリストが東の情報機関によって転向させられていた。今日、これらの曝露が出版界に嵐を呼んでいる。特に、シュタージの元情報提供者が常にポストに就いていた、『ベルリーナー・ツァイトゥンク Berliner Zeitung 』で。


Renft

1970年代の東ドイツで、ローリングストーンズと同じくらい有名だったグループ、レンフト Renft のロッカーたちは、作詞者の一人、ゲルルフ・パンナックGerulf Pannachが、「党の方針に沿って」言葉を書き直す使命を持つ、シュタージに支配された芸術家の団体、アミガ機関institut Amigaに歌詞を委ねることを拒否した日まで、君主のように生活していた。パンナックは稀なガンで死亡した。文書によると、彼は収監中にシュタージによって「放射線照射」されていたとされる。


Le Nouvel Observateur 2346 22-28 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2346/articles/a411282-.html


このシリーズは今回で終わりです。

ただし、前回の最後に言及した Mitterrand au pied du Mur (壁の足元のミッテラン)という記事については、いつになるかわかりませんが、訳すことができたら掲載したいと思います。(その頃には、今日性は失われているかもしれませんが)



2009-11-09 22:14:51

「シュタージの最後の秘密」【1】

テーマ:歴史
本日、11月9日は1989年のベルリンの壁崩壊20周年の日です。
それにちなんだわけではありませんが、旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の秘密警察・諜報機関である国家保安省 Ministerium für Staatssicherheit、略称 Stasi 「シュタージ」に関する記事を引用します。

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2009年10月22-28日号(通巻2346)に掲載された Les derniers secrets de la Stasi (シュタージの最後の秘密)という記事です。長すぎるので2回に分けます。


LES DERNIERS SECRETS DE LA STASI



政治的暗殺、発がん性放射線に曝露された反体制派、国家の頂点への潜入と、さらには西ベルリン侵略計画まで。統一20周年が祝われようとしている一方で、公開文書は果てしなく語り続ける。セルジュ・ラフィSerge Raffy が旧東ドイツ警察の忘れられた犯罪を語る。


De notre envoyé spécial à Berlin


彼は人生の終わりの日まで自らの秘密とともに生きるつもりでいた。毎朝、彼は西ベルリンのシュパンダウSpandauの平和で青々とした街で自転車に乗り、健康のために散歩する。警察を定年退職したカール=ハインツ・クラスKarl-Heinz Kurrasは、優秀で忠実な職務に与えられた勲章を飾って、平和な人生を生きていた。81歳になる彼は、数十年間、スターリン主義の悪魔から西ベルリンを守っていた模範的な警官だった。ある者にとっては冷戦の英雄。他の者にとっては、「ブルジョワ」の秩序を君臨させるためには何でもする覚悟のある、心の迷いのない警官である。1967年6月2日、実際に彼は、イランのシャア(パーレビ国王)の西ベルリン訪問に反対するデモ行進の最中に、左翼急進派の学生、ベンノ・オーネゾルクBennno Ohnesorgを射殺していた。この事件はゴシップの種になり、フランスの1968年5月の前兆となる、暴力的な騒乱と、(西ドイツ)連邦議会による非常事態宣言を引き起こした。

 この流血の三面記事の勢いに乗って、ごく一部の狂信者が、ドイツ赤軍、有名なバーダー Baaderのグループを創設し、続く時代に西ドイツでおよそ60人の殺害を実行した。テロ・グループの創設者の一人、ウルリケ・マインホフUlrike Meinhofは、自らの武装闘争への参加を正当化するためにクラス事件に言及することになる。「ファシスト」で「ナチのおまわり」クラスは、街の真中で青年を「処刑」していた。弾丸は至近距離から頭部に撃ち込まれていた。何も彼を脅迫していなかったのに。西の警察が第三帝国を懐かしむ連中の手の内にあったことを示す証拠だった。数ヵ月後、ソルボンヌの壁に「CRS=SS」というスローガンが咲き乱れた(CRSはフランスの「共和国機動隊」、SSはナチスの「親衛隊」)。それはゲシュタポと強制収容所の亡霊に取り付かれた西ベルリンから直接に輸入されていた。クラスは、自分のやり方で、ドイツの歴史を引っ繰り返していた。「新ナチズム」の犠牲者、オーネゾルクを追悼する慰霊碑が建てられた。しかしこの警官もまた、正当防衛として罪を免れた。「卑劣漢」クラスは熱心さと勤勉さでその職務を続行した。人は彼を動じない男と仇名した。

 

La taupe rouge

(赤いスパイ)


 ベルリンの壁崩壊以来、スタージStasiの文書を管理する任務を持つ組織、ビルトラー機関administration Birthlerに関係する2人の研究者が、数週間前、奇妙な文書に出くわした。ヘルムート・ミュラー=エンベルクスHelmut Müller-Enbergsとコルネリア・ヤプスCornelia Jabsは、壁を越えようと試みた東ドイツ市民の「処刑」に関して調査していた。偶然にも、彼らは書類の山の下に隠れていた包みを回収した。その包みには17の書類が含まれていた。カール=ハインツ・クラスの真の生活を物語る6000ページである。唖然とした彼らは、西ベルリンの学生の暴動を、さらには間接的にパリのカルチェ・ラタンの暴動を引き起こした男が、現実にはシュタージの大物のスパイだったことを発見する。ファシストのおまわりが赤いスパイだったのだ。突然、ファシストの警察の古い繰言が崩れる。そしてこの時代の全ての歴史が見直されなければならない。多数の調査を行うドイツの報道機関にとっては、目の眩むような調査の現場である。クラスは命令に従って行動したのか?RDA(ドイツ民主共和国)の秘密警察の手先は、学生運動を急進化させ「ベルリンに火を点ける」ためにオーネゾルクを意図的に殺害したのか?「彼に関する書類は、この問いには答えない」と、1961年から1989年の西ベルリンにおけるシュタージの活動に関する優れた本の著者、ジャン=ポール・ピカペールJean-Paul Picaperは打ち明ける。「その代わり、クラスは西ベルリン警察の内部事情に関する、152の報告書を書き、担当官吏に内部文書の写しを託していた。その一つには、電話通信のための警察のコードネームが記録されている。」

 こうして、何年もの間、RDAの警察は敵国の警察の動きを全て、または殆ど全て知っていた。クラスは単なるIM、inoffizieller Mitarbeiter (非公式協力者)、すなわち密告者ではなく、東ドイツ秘密情報部の「」だった。シュタージの「GM」(最重要機密の協力者)に分類され、1955年に採用された彼は、1965年に、国家防衛を担当する、西ベルリン警察のセクションIに入ることに成功した。離れ業で。彼はまた、西ベルリン警察内部に潜入した東側の秘密情報員の正体を暴くのが任務であるチームの責任者にさえなっている!クラスは、ホーネッカーのスパイの容疑をかけられた警官を尋問している。東の上司の利害に応じて、彼は自分自身の属する警察の内通者を、解放したり保護したりする。「密告者」の正体がばれたとき、彼は西側の上司に引き渡す。反対に、彼が「会社la Firme 」と呼ぶもの、リヒテンベルク地区の、ノルマンネンシュトラッセに位置する、怪物的な国家保安省にとってまだ役に立つ者は無実とする。クラスが決して迷い込まなかったルドルムLudlumとは鏡像関係にある。その任務は彼に、ほんの少しの過ちも許さない。

 事実上彼は、ヴィリー・ブラントWilly Brandt (首相)の個人秘書になることに成功した、スパイのギュンター・ギヨームGünter Guillaumeよりもずっと重要である。「クラスが命令によってオーネゾルクおを殺害したとは、誰も信じていない」と、日刊紙『ディ・ヴェルトDie Welt 』の編集長、スフェン・フェリクス・ケレルホフSven Felix Kelleruhoff は明確に言う。「その代わり、1980年代まで正体を暴かれることなく、警察のあれほど高い地位にいて、彼がその間にしたことの全てを、我々は知ろうとしている。」 多くの歴史家にとって、国家の安全保障の中枢に潜入したカール=ハインツ・クラスは、諜報政策の機軸だった。その目的は… 東ドイツ部隊による西ベルリン侵略だった。西ベルリンに攻撃を仕掛けるために検討された人員は32000人だった。数千人の、西側に入り込んだシュタージの情報提供者は、行動開始予定日(le jour J)のために、電話通信、電力、政党といった重要拠点の破壊、制圧の作業に備えていた。そしてカール=ハインツ・クラスは、1989年11月の数ヶ月前に計画されたこの作戦の、重要な駒の一つだった。シュタージ本部でゴルバチョフの友人が、この計画をまさしく最後の瞬間に阻止した。

 「この時代に関する真実、すなわち、シュタージが最も有害で、西側で最も活動的だった時代である1980年代におけるシュタージの役割を知るためには、アーカイブへの自由なアクセスが必要だ」と、フベルトゥス・クナーベHubertus Knabeは強調する。現在は博物館になっている、シュタージの不吉な監獄、ホ-ヘンシェ-ンハウゼンHohenschönhausenのメモリアルの代表者である。「ところが、それらは全面的に国家の管理下にある。我々にとって、記憶の義務は複雑だ。なぜなら、多くの政治家が、しかじかの議員が人生のある時期に、シュタージのスパイか密告者であったことを見出すのを恐れているからだ。国家権力は、アーカイブが今後数十年間、現在ある状態に留まるために、全力でブレーキをかけている。巨大な謎のままに留まるように。意識の底に埋めることを選ぶ、家族のタブーのようなものだ。」 シュタージの犠牲者の会は、同じ分析をしている。「政党にとって、その全てが隠されたままであることの方が得策だ。シュタージへの協力の事例がたった一つあっても、そのメンバー全体に波及するかもしれないからだ。これは、誰もにのしかかる、ダモクレスの剣だ」と、スターリン主義の犠牲者の会、VOSの校本担当者、ロナルト・レシッヒRonald Lässigが付け加える、「ボンまたはミュンヘンの議員が関与していることを発見する危険だ。シュタージは、東ドイツだけに関わる歴史であり西ドイツには関係ないと、我々に信じ込ませようとしている。それはもちろん、完全に間違っている。クラスは危険な事例だ… 彼は確実に、西ベルリン侵攻計画の一要素だ。」


(つづく)


SERGE RAFFY

Le Nouvel Observateur 2346 22-28 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2346/articles/a411282-.html


次回、 「シュタージの最後の秘密」【2】 に続きます。

ベルリンの壁崩壊を記念するのなら、こんな記事よりも、例えば『毎日新聞』に11月8日から連載されているらしい、「統合への原点 - ベルリンの壁崩壊20年 1-1 独統一、前向きだった仏 」「同 1-2 対立していた英仏 」に書かれているようなことの方がふさわしいと思います。

実際、Le Nouvel Observateur の現時点での最新号(2009年11月5-11日、通巻2348)に掲載された Mitterrand au pied du Mur (壁の足元のミッテラン)という記事には、この『毎日』の記事に近いようなことが書かれています。日仏の記事を読み比べてみるのも興味深いかもしれませんが、当然のように、訳が間に合いません。


【追記】『毎日新聞』の連載、「統合への原点 - ベルリンの壁崩壊20年」は11月10日付で、2 東独消滅、なし崩し 、11月11日付で 3 ロシア、失われた20年 が掲載されています。




2009-11-08 21:20:46

20年の無分別:ベルリンの壁崩壊20周年

テーマ:歴史
明日、11月9日はベルリンの壁崩壊からちょうど20年に当たります。

それにあやかったわけではありませんが、たまたま、久し振りに Le Nouvel Observateur のJean Daniel 氏のEditorial を訳してみたので掲載します。このEditorial にしては読みやすいと思ったのですが、訳してみるとまだまだ、訳のわからない訳文になってしまいます。

2009年10月22-28日号(通巻2346)に掲載された Vingt ans d'aveuglement (20年の無分別)という記事です。


L’éditorial de Jean Daniel
Vingt ans d’aveuglement




Jean Daniel
ポール・ヴァレリーの名言によって、我々は文明が死を免れないことを知っていた。1989年のベルリンの壁崩壊以来、我々は今や、文明の激動が予見不可能であることを知っている。ソビエト帝国崩壊の日付と形態を予測したと自慢することは誰にもできない。この歴史的転換の影響を予想したと主張することは誰にもできない。我々に許された唯一の態度は、謙虚さである。

 1989年の前、すなわち冷戦と核抑止力がもたらした均衡の間、米ソ共同統治の地球に対する支配が、予測専門家に手がかりの一式と一種の知的安楽を提供していた。ソビエト型の共産主義の内部破裂(私は、崩壊chuteまたは敗北défaiteではなく、内部への破裂implosionと呼ぶ)によって、全てがひっくり返った。西洋では、敵の消滅が永久平和と最終的調和に向かい得ると信じられた。イデオロギーの終わりは、「歴史後」の世界を予告していた。それが、実に多く論評された『歴史の終わり』に関するフランシス・フクヤマの本である。

 マルクス主義哲学と史的唯物論の創始者たちが、歴史の意味に適った「新しい人間」が出現したかもしれない時代を打ち立てたと考えた数百万の人がいたことが、単純に忘れられていた。ところがここで、黙示録的で誇大妄想的な夢が、キリスト教、儒教、そして特にイスラム教と比べて取るに足りない期間である72年の後に消え失せた。大いなる幻想の犠牲者の多くは、それでも、解放されたのではなく、押し潰されたと感じた。ユートピアはそれほど簡単に死のうとしなかった。中国の共産主義が今も存在し、15億の住民に関係していることを忘れないようにしよう。資本主義哲学に対して中国の国家権力によってなされた譲歩が、アジアの新たな大国の出現に貢献したとしても、人類から強欲さの根源を摘出するという壮大な希望を断念することにつながったことは真実である。

 真実であること、それは、1989年に利益の精神が本当に勝利したということである。圧倒的多数で選ばれたのは、資本主義的民主主義と市場の自由経済である。アメリカ合衆国の力は「覇権国hyperpuissance」という形容に値した。旧友ソビエトが世界の舞台から消えていなかったかのようにクウェートの併合を主張した、無謀なサダム・フセインに対してアメリカが命令を繰り返したときの迅速な、そして全会一致で承認された方法はそこに由来する。さらに、そして道徳的に、有罪宣告を受けたのは、ナチズムと共産主義が同じラベルで一緒にされた、全体主義的世界である。

 アメリカ合衆国は全能という状況で、理想主義的な展望で、そして覇権の論理で生きてきた。2001年9月11日の攻撃までは。これがアメリカに、敵が別の形態を取っていたとして、消滅していなかったことを意識させた。そして、フクヤマの誤った予言の後に、『文明の衝突』を予測する、サミュエル・ハンチントンの警鐘を考慮しなければならなくなったのは、その瞬間からである。米国は以前にもまして傷つきやすくなっただけでなく、敵対的なイスラム勢力の捕らえどころのない謀反をも相手にしなければならなかった。

 私は、予測できないことの喧騒について語ってきた。我々の予測の、普通で慣例的なあらゆる手段を失ったことは明らかである。実際、現用のあらゆる基準に基づいて、いずれにしても短期的に、資本主義の金融化の放棄も、地球上で貧困線以下で生活する人々の数の減少も、人口増加の鈍化も、免れ難い莫大な移民の流入の管理も、環境革命も、民族的・宗教的排外主義の消滅も、米中の共同統治の目を見張る出現の多極化した世界全体に対する影響と同様に、予測することはできないはずだ。しかし、我々の古い基準が一度ならず、機能しなくなったのだから、何も予測できないとしても、全てがより悪く進むと予測することもできない。したがって、我々が想像力を持たない原因が、より恐ろしくない未来を生み出すかもしれないと考えることが、常軌を逸しているわけではない。



世界はこれほどの歴史の加速を経験しているために、完全に記憶を失いつつある。ショアーの現実を否定する数億人のイスラム教徒を除外すれば、ショアーと他のジェノサイドの犠牲者に対する記憶の義務に関わる場合(それにしてもいつまでか?)を除いて。世界がどれだけの歓喜と解放感の爆発をもって、ソビエト共産主義の内部破裂と冷戦の消滅を祝ったか、世界はもはや既に思い出せない。全体主義的恐怖に苦しんでいた国民の解放を祝福したときの安堵も、世界はもはや心に留めていない。アメリカとソビエトのブロック間の対立の終わりの、特に平和と文明に対する効果として抱いた狂った希望は世界に全く残っていない。

 次のことを繰り返し過ぎることはない。資本主義文明は、戦争もなく、ほんの僅かな戦闘を繰り広げることもなく、本当に勝利した。地球全体が民主主義と同時に市場経済を圧倒的多数で選んだかのように、全てが経過した。組合闘争や国民運動ではなく、野蛮な自由主義の修整や社会民主主義でもなく、集産主義的理想を、地球が非難するかのように。

 西洋とその新たな同盟国はそれでも今日、共産主義制度の終焉を願っていたとしても、共産主義後の時代に全く備えていなかったことを、恐るべき遅れをもって、確認せざるを得なくなっている。そして、不平等、搾取、南北の対立といった、共産主義が解決を提案していた問題、これらの問題が一つとして、共産主義の消滅によって解決されなかったことに気付いている。これらの問題は共産主義を生き延びただけでなく、主張されたイデオロギーの終わりは、バラク・オバマが精力的に記したように、我々を新たな国際秩序に向かって導くには程遠かった。


Jean Daniel

Le Nouvel Observateur 2346 22-28 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2346/articles/a411259-vingt_ans_daveuglement.html





2009-11-06 21:35:13

【続】オバマ大統領をリンチにかけたい人々:迷惑なノーベル賞

テーマ:政治・経済
前回の オバマ大統領をリンチにかけたい人々 から間が開いてしまいましたが、関連記事として、同じ誌面に掲載された Un Nobel bien encombrant (とても迷惑なノーベル賞)という記事を引用します。



Un Nobel bien encombrant


バラク・オバマに授与されたノーベル平和賞に対するアメリカ人の曖昧な反応は、共同体の想像の産物の要石を知らないと、理解できない。競争への愛である。オバマの都市、シカゴがオリンピック委員会の第1回投票で落選したのを見たとき、「大事なのは、参加することだ」の歌を歌い始める人を探したが無駄だった。敗者に不幸を! 逆に、大統領が不意打ちでノーベル賞を授与されたときは、闘わずして得た勝利に、オバマフィル(オバマ愛好者)でさえも失望感を抱いた。

国外では、ノーベル賞の威信が恐らく、オバマがある種の問題を前進させるのに役立つだろう。たとえ、2002年のノーベル平和賞受賞者、ジミー・カーター元大統領に対するイスラエルの軽蔑が、この栄誉にお守りの効果が全くないことを示しているとしても。内政面では、この賞は大統領に、称賛の嵐をもたらすどころではなかった。『ワシントン・ポスト』は、イランのデモの犠牲者、ネダNedaに死後表彰の形で授与されることを望んでいたし、『ロスアンヘレス・タイムズ』は、オバマをノーベルの「名誉にとって厄介な」選択と見なし、この件で得たものよりも失ったものの方が多かったと評価する。ホワイトハウスの戦略家、デビッド・アクセルロッドDavid Axelrodはそもそも、同じ日に「目的は賞を獲得することではない」と宣言して、これらの反応を先取りしていた。

政治的側面では、受賞の発表は最も良い時に当たったわけではない。一般的な意見では、医療制度改革に関する議論において、大統領の誤りの一つは、自らのカリスマ性に信頼を置きすぎたことだ・・・ さらに、この毒の混ざった贈り物は、ジョージ・ブッシュに対する侮辱を見出す保守的なアメリカと、ヨーロッパとの溝を広げる危険がある。反動系トークショーの司会者が、その傷に殺到したとしても驚くに当たらない。オバマは彼らを無視し、広報官に「フォックス・ニュースは情報番組の局ではない」と言わせておくことができる。しかし彼は、アメリカ大統領にとって、旧大陸との度を越えた接近ほど危険なことがないことを知っている。


Philippe Boulet-Gercourt 

Le Nouvel Observateur 2345 15-21 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2345/articles/a410858-un_nobel_bien_encombrant.html




2009-11-03 23:51:50

オバマ大統領をリンチにかけたい人々

テーマ:政治・経済
アメリカ合衆国のおブッシュ前「大統領」様が、図々しくも来日した上に、日本のプロ野球「日本シリーズ」の始球式にボールを投げやがったそうです。おまけに、東京ドームでは、忠犬ポチ(コイズミとかいう和名を持つ)まで引き連れていたとか。先ほどまで見ていた、NHKの23時台のニュースには出てきませんでしたが・・・ 

もはや人類の黒歴史だけに名を残しておいてもらいたい(但し、戦争犯罪人として裁かれてから)人物に多少は関わる、我々がほとんど知らない、「ディープな」アメリカ合衆国の話題です。

以下は、週刊誌 Le Nouvel Observateur の2009年10月15-21日(通巻2345)に掲載された Etats-Unis - Ils veulent lyncher Obama (アメリカ合衆国 - 彼らはオバマをリンチにかけたがっている)という記事です。


ETATS-UNIS.

Ils veulent lyncher
Obama


超保守主義者は大統領に対する戦争を始めた。彼らは大統領が社会主義者であり、アメリカ本土で生まれなかったこと、白人を憎み、ノーベル賞受賞以後は、嫌悪されるヨーロッパのアイドルであることを非難する。

De notre envoyé spécial en Caroline du Sud



彼、リチャード・ボーレンRichard Bolenは少し窮屈そうだ。少し、しかしそうでもない。「共和党では、礼儀を愛し、規則を尊重する習慣がある」と彼は認める。無条件で、議会でのオバマの演説の最中の、彼の議員、ジョー・ウィルソンJoe Wilsonの心の叫び、「あなたは嘘つきだ!」は、「儀礼違反、無作法なこと」だった。しかしそれでも、「あれは本当のことだった」。そしていずれにしても、「ジョージ・ブッシュを泥棒扱いして、始めたのは民主党員だ。」 リッチ(リチャード)・ボーレンRich Bolenはそこらの一般人ではない。彼は、サウスカロライナ州で最も白人が多く、最も右寄りの郡の一つ、レキシントンの共和党代表である。その友人、ジョー・ウィルソンが大統領と議会に発した侮辱の翌日、ボーレンは古き良き時代を思い出させるこの言葉を発した。「ウィルソンは、より大きな主義主張のために議会の規則を犯して、市民としての不服従の行動を取った。南部の政治における長く誇り高い伝統をこうして永続させて。」 彼の側で、副知事候補、ビル・コナーBill Connerが声を上げた、「我々がこの闘いを諦めれば、奴隷になってしまう」・・・

リッチ・ボーレンの話を聞くと、その元海軍の完璧なやり方により、極右問題の専門家で歴史家のロバート・ブレント・トプリンRobert Brent Toplinの秘密の告白を考えざるを得ない。「こうした人たちに話しかけると、良きアメリカ人、しばしば感じの良い人々を見出すだろう。彼らはまさに、多くの外観によって、率直に調子の狂った物事の見方をしている。」 例えばボーレンはバーサーズbirthersのファンだ。オバマはアメリカで生まれなかった、したがって大統領になる資格がない、なぜなら彼は、完全な出生証明書(birth certficate)を作ることを拒んでいると思われているからだ、と考える。リッチは怪しいことがあると「ほとんど確信」している。「オバマが外国で生まれたという非常に強い可能性が存在する」、しかし「国にとって余りにも大きな問題になるために、彼らは真実をもみ消している」。

 ジョー・ウィルソンの叫びの8日前、ある新刊書が「保守主義の終わり」を予告していた・・・ それがベストセラーになる確信はない!なぜならこの夏の間中、ウルトラ右翼は、議員に主導され、今年の医療制度改革に向けられた公的な集会、town hall meetingsにやって来た無党派の有権者の一部を不安にさせるほどに、メディアと世論の注意を惹きつけることができたからである。強硬な右翼の、連携した、よく組織された攻撃?疑いなく、何を言うべきか知っている、ビル・クリントンのために。彼はルウィンスキー事件のときに、これほどまでに協調した運動の標的だった。そして、実際、現在の騒乱は似たような要素を呈している。ポケットが一杯の金融資本家、影響力のある保守的メディア、感じの良い共和党の政治家。

 ある意味で、「これらの陰謀論には目新しいものは何もない。ケネディーが当選したとき、バチカンがホワイトハウスを奪取したと言っていた人々のことを思い出す」と、ジョー・ウィルソン(「物腰が柔らかく、非常に礼儀正しいが実に共和党的な男」)をよく知る、レキシントンのパッチワーク製造業者、サンドラ・ベイカーは回想する。レーガン以来、下地は何も変わっていない。「政府はほとんど悪魔のようなもので、市民の敵であるという考えだ」と、トプリンは記す。「私は共和党に投票するが、どちらかといえばリバータリアだ。私にとって重要なのは、憲法だ」と、サウスカロライナ州の州都コロンビアのレストラン経営者、ウォルター・タービキルWalter Turbykillは言う。「連邦政府は大きくなり過ぎた。何にでも介入するが、予算のバランスを取ることもできない!」

 確かに人種的側面が、このウルトラ右翼の覚醒に憂慮すべき様相を加えている。レキシントンの画廊の黒人警備員、71歳のジョージ・ホールデンはいつも、「かなりの程度の人種差別主義」を確認し、「道を走る堕落した人々と一緒にオバマの靴に入るつもりはない」という。しかし、「私は、ジョン・ウィルソンが人種差別主義者であるとは信じない」と、現地の日刊紙『ステート』の元論説委員、ブラッド・ウォーヘンBrad Warthenは打ち明ける。「これはむしろ、政府に対する実にアメリカ的な反応、サウスカロライナの白人に未だにより強い伝統、誰も我々に何をしなければならないかを言うことはできないはずだという考えだ」。要するに、オバマを悪魔化することは、民主党側に突きつけられた古い訴訟の変形に過ぎない。「クリントンは詐欺師だった。彼は自分にしか興味がなかった」と、レキシントンの共和党員、リッチ・ボーレンは判断する。「オバマは、非常にイデオロギー的だ。彼は確信的な社会主義者だ。ずっと危険だ。」


Le rôle central des médias

(メディアの中心的な役割)


 何も変わらなかったのか?「オバマは53%の得票率で選ばれた」と、ラトガース大学(Rutgers University)教授で、『ステート』のオンライン・マガジンの協力者、デビッド・グリーンバーグDavid Greenbergは繰り返す。「そしてジョージ・ブッシュには、常におよそ4分の1の共鳴者がいた。有権者の4分の1、それは多くの騒ぎを起こすことができる。」

 1965年に出版された有名なエッセーで、歴史学者のリチャード・ホフスタッター Richard Hofstadterは既に、特に右翼に優位で、殆どの場合「破局または破局への恐れ」に助長される「アメリカ政治のおける偏執狂的なスタイル」を告発していた。今回の反乱で目新しいことは、その資金獲得の方法やよく組織された性質にあるのではない。アンチ・オバマ・ヒステリーの背後には、過去と同様に、深部アメリカの億万長者と、金持ちのロビーが見出せる。例えば、1958年に極右集団の一つ、ジョン・バーチ協会 John Birch Society の創設者の一人だった、カンザスの実業家、フレッド・コッチFred Kochの後継者。あるいはさらに、疾病保険のロビー、AHIP (アメリカ健康保険プラン)など。騒乱を引き継ぐメディアは、反対に、新しい中心的な役割を引き受ける。保守主義的なラジオ、ケーブル局のtalk-showsが、大衆の間で一種の正当性を獲得したほどに、規模を増してきた。「大統領選挙運動中に投げかけられていた“birthers”の熱狂は、全く反響がなかった」と、歴史学者デビッド・グリーンバーグは思い出す。「それが世論を捕らえたのは、ケーブル局が独占した、夏の間だけだ。」


Un Congrès polarisé

(分極した議会)

 2009年の分裂した風景の中で、保守主義の放火狂を追うのは、時として真面目だと評判のメディアである。9月の終わり、『ニューヨーク・タイムズ』は一人の記者に、右翼と左翼の「オピニオン・メディア」の内容を詳細に追うという作業を委ねた。編集主任、ビル・ケラーによると、目的は同紙が「目立った偽の主題と見せかけの論争を取材する」のを避けることだという。しかしながらそれは、バーサーズbirthersに言葉を与えて、彼らの作った騒ぎを見て、正当な決定として、『タイムズ』がこの夏にしたことである。「しかし、彼らを無視する代わりにこれらの仮説を破壊することを選んだとしても、火を被ることになる」と、グリーンバーグは確認する。右翼メディアは別の特徴を持ち、アメリカの政治に一般的な傾向を悪化させる。「それらのメディアは娯楽を当てにする」と、ロバート・ブレント・トプリンは強調する。「大衆を楽しませるためには、悪人を見つける必要がある。」 一人の議員が、ある右翼でもないケーブルテレビ局に先回りされた。彼のタウンホール・ミーティングで興奮した反応がなければ、報道さえされない。アウトサイダーも必要だ。エリートに属さない、普通の人である。ジョー・ウィルソンのように、「2004年にニューヨークの共和党大会に出席していたと信じるために自分をつねった」カロライナの小物の議員である。

 『ニューヨーク・タイムズ』の論説委員、デビッド・ブルックスDavid Brooksは正当にも、この右翼が、フォックス・ニュースFox Newsやラッシュ・リンボー Rush Limbaughの大法螺にもかかわらず、保守主義者フレッド・トンプソンの候補を勝利させることにも、予備選でジョン・マケインの立候補を阻止することにも成功しなかったことを繰り返す。しかしその巨大になる影響力は、共和党の側に求めなければならない。選挙区の細分化のおかげで、共和党の選挙区は次第に均質化している。すなわち、右翼に特徴付けられている。このことは、党の戦闘的な少数派に大きな重みを与える。サウスカロライナ州の例を見よう。「我々は1990年代に非常に均質な区割りを創った。黒人の有権者を含むことを出来る限り避けようという考えだ」と、『ステート』の元記者、ブラッド・ワーヘンは打ち明ける。「結果は、ジョー・ウィルソンが、たとえ人種差別主義者でなくても、唯一つの有権者グループに主に向き合うということになる。」 アメリカの国の規模では、たとえ人種の側面を傍らにおいても、そのことが、党派性による分裂の路線に基づいて二極化した議会となる。かつては議題によっては敵対陣営とともに可決させる準備の出来ていた議員を実質的に奪われた議会に。

 あらゆる改革を阻止するために100人の上院議員中40人で十分な制度の中で、オバマの人生を複雑にしているのは、全ての妥協に対するこの拒絶でる。しかし中期的には、超保守主義者の再出現をトプリンは信じていない。反対に、「共和党は余りにも右に偏り過ぎ、余りにも復古的で反動的になり過ぎたので、無党派の有権者に見捨てられた。」 楽観的か?右翼は2010年に復帰を成し遂げることができると、この歴史家は認める。「しかし、それは失業のせいであり、改宗者のためにしか説教しないこれら熱狂した人々のせいではない。」


PHILIPPE BOULET-GERCOURT

Le Nouvel Observateur 2345 15-21 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2345/articles/a410857-ils_veulent_lyncher_obama.html


最後の段落、「共和党は余りにも右に偏り過ぎ、余りにも復古的で反動的になり過ぎたので、無党派の有権者に見捨てられた。」 « Le Parti républicain a tellement viré à droite, il est devenu tellement rétrograde et réactionnaire que les électeurs indépendants l'ont déserté. » というところなど、どこかの国のジミントーという政党に似ていませんか?、「ジミントーは余りにも右に偏り過ぎ、余りにも復古的で反動的になり過ぎたので、無党派の有権者に見捨てられた。」それどころか、本来の支持層にも見捨てられて、コアなマニアにのみ、辛うじて支持される政党に自ら成り下がっているようにも見えます。自業自得ですが。

もっとも、冒頭に出てくる、「こうした人たちに話しかけると、良きアメリカ人、しばしば感じの良い人々を見出すだろう。」というアメリカの状況とは違って、どこかの国のコアなマニアの方々は、とてもじゃないですが、「感じの良い」などとは程遠く、少なくとも日ごろの言動などからは、善良などとはとても思えないような人々であるという点が、大きく異なっているところです。


それにしてもこれまで名前しか聞いたことのなかったサウスカロライナ州には、最も「左翼的な都市」のひとつとされる太平洋岸のサンフランシスコや、大西洋岸でも北部の州との違いの大きさを感じさせられます。やはりアメリカ合衆国は、私には想像のつかない、スケールの大きな国ではあります。




2009-11-02 23:31:23

学区制廃止後の、フランスのある中学校の報告

テーマ:教育
前回の 「大いなるはったり」:フランスの学区制廃止 の末尾で、「次回は関連記事として、同誌に掲載された Reportage au collège Lenain-De-Tillemont - Quand les bons élèves partent (ルナン=ド=ティルモン中学のルポルタージュ - 優秀な生徒が出て行くとき)という記事を元にしたエントリーを掲載する予定です。」と記したように、該当記事を引用します。

不思議なことに、本誌では マルティーヌ・ル・ペネック Martine Le Pennec と記述されている、この学校の校長先生の名前が、リンク先のWebでは、Martine Le Pennée (マルティーヌ・ル・ペネ)と記述されています。最近、Le Nouvel Observateur のWebの記事は、異常に誤植が多いので、注意が必要です。できの悪いOCRを使っているのか、フランス語をわかっていない人が入力しているのか知りませんが。



REPORTAGE AU COLLÈGE LENAIN-DE-TILLEMONT 

Quand les bons élèves partent



「私たちの生徒の3分の1が消えてしまった」、モントルィユMontreuil (セーヌ=サン=ドニSeine-Saint-Denis)のルナン=ド=ティルモンLenain-de-Tillemont中学の校長、マルティーヌ・ル・ペネック Martine Le Pennec は嘆く。入り口のポーチの上では、振り子時計が止まっている。校内では、音響装置付きの中庭が不釣合いに大きく見える。そこでは、建物は半分が廃用になっている。「2007年から今日までに、生徒数は498人から311人になった。そして私たちに残された生徒は、大きな困難を抱えている。」 その声には怒りが含まれている。2007年からの学区の漸進的な廃止は、ここでは中学の生徒募集部門の削減を伴い、一つの破局となった。青々とした競技場と菜園のマルケトリの間にある灰色の柵の下で、ルナン=ド=ティルモンはゲットー化した。

マルティーヌ・ル・ペネックはその覚悟を決めていない。この地理学の上級教員にとって、最低限の混成なくして成功はない。ところがここでは、学区の改革によって、既に限定的だった社会的混成は、完全に消え去った。「私たちの生徒の88%は恵まれない階層の出身だ」と、彼女は続ける。ソーシャルワーカーは問題の重みに倒れ込む。20人以上の生徒が、宿泊施設か受け入れ家庭への収容の対象になっている。地区の問題に言及するための遠まわしの言い方をすれば、「複雑な」生活である。この日の朝、一人の少年は、一夜を勾留されて過ごしたために授業に出て来られなかった。もう一人の少年が病院にいる。虐待事件だ。ここでは、生命に関わる問題が扱われている。飢餓、住宅からの追い出し、冬の衣服の必要性。「ここでは、インフルエンザA(訳注:日本では「新型インフルエンザ」と呼ばれているもの)よりも結核のことが心配されている」と、校長は結論付ける。

木曜日10時。星の付いた眼鏡の奥に不安そうな目を覗かせる、茶色の髪を後ろに束ねた小柄な少女、カティアKatia、小太りの黒人の少年、アリAli、そして第6学級(中学1年、日本の小6に相当する年齢)のもう2人の生徒は、数学の若い教師と一緒に、映画館の入館料金とスケート場の入場券に取り組む。彼らは、無人となった教室で勉強している。「切符の値段を計算するためにスケート場が直角なのを知ることが役に立つの?」、教師が尋ねる。「僕は知らない」とアリが答える。週に12時間、これらの生徒は、補習のために自分たちのクラスを離れる。全体で、80人の第6学級の生徒のうち、13人がこうした補助に関係する。そのうち4人は、完全に文字が読めない。

「子供たちは学校の暗黙の了解を身につけていない。例えば、言うまでもない考え、楽しむためではなく、理解するために教科書を読むということ、あるいは、あなたに要求していることをするために、あるいはこの文章に関して別の物語を考えるということが」と、この学校で、補助対策を考える教師の手助けをするためにパートタイムで働いている教師、コリーヌ・エジネCorinne Eginerは分析する。彼女の目には、ある種の困惑が読み取れる。

優秀な生徒は去ってしまった。3年前から、マルティーヌ・ペネックは、特例の申請が通過するのを見ている。「CM2(中級課程2年、小学校の最終学年)のトップが全員」。アンヌ=リーズAnne-Liseのように、ルールを守る父兄は稀だ。彼女は製本職人で、学校からすぐ近くの工房に住んでいる。その息子ギヨームGuillaumeは青い目をしたブロンドの少年で、オーボエとサックスの奏者であり、黒人の仲間の中ではしっくりしない。「他の学校に登録することなど、考えたこともなかった。多様な世界で成長することが良いと思う。なすがままにしたい。自分と違う人たちと比較して自分を位置づけるのは、自分自身だ。そこから出て行くのなら、結局どこに行っても出て行くことになる」と彼女は説明する。勇敢な母親。一部の父兄は、カミカゼだと思う。

学校の教員チームは闘い続ける。学級を2つに分け、数え切れないほどの「支援のモジュール」、生徒間の競争を再現させるための二重のレベルを提案する。教員は適応する。「私は第6学級の自分の授業を全て見直さなければならなかった。なぜなら、今の生徒は着いていけないからだ」と、フランス語教師、モルガーヌ・ボルヌMorgane Borneは説明する。この忌々しい改革は、既にかみそりの刃の上にいた学校で、全てを混乱させた。そして男女同数の法則をひっくり返しさえした。新学期には、女子は男子よりも27人少なかった。3年前から、新学期ごとに、男女の人数格差は少しずつ開いている。女子はしばしば優秀な生徒であり、その親は、娘を学校の暴力から守ることに満足する余り、一歩踏み越える。

運命の皮肉というべきか、生徒を失うにつれて、学校は徐々に静けさを取り戻してきた。「躾に手間取るよりも、授業に時間を割けるようになってきた」と、英語教師、ジュスティーヌ・ポルトロンJustine Portronは認める。そもそも、人数は非常に減っていて、校長がセーヌ=サン=ドニ県の学区監査機関に警鐘を鳴らしに行ったほどだった。「300人を切ると、学校は存続できなかった。」 これまでのような特例が適用され続けると、彼女の学校は閉鎖されてしまい、その生徒は他の学校に受け入れなければならなくなるところだった。「その脅威に考えさせられた」と、彼女はからかう。監査機関は出血を食い止め、ルナン=ド=ティルモンは危機的水準の上に留まり、マルティーヌ・ル・ペネックは要求した全ての予算を獲得する。この信用が、「Ambition Réussite (成功の野心)」対策の名目で恩恵を受ける人々に加わり、この施策が中学に追加の補助と職員を保証する。しかしいつまで?


« Classes d’excellence »


要するに、人がいなくなった中学は多くの手段を保ち、それによって卒業時の結果を改善することができる。一方で、教職員のチームは最も弱い生徒を助け、他方で、「優秀さの教室」を創る。この第4学級の「ピアノ」のように。「私は、君の言葉による意図が知りたい。君はそれを演奏することで伝える」と、若い音楽教師マリー・パンMarie Pinは、ぎこちない指を鍵盤に置くマリナMarinaに説明する。音楽室では、8人の生徒が、この日の朝は半分のグループになって、それぞれが、二人で連弾の曲を練習し、あるいはヘッドホンをつけて、5台の電子ピアノで練習する。Aminé、SamantaとLorenzo… は1ヶ月前に始め、既に音楽性について語っている。生徒たちはまた、第5学級から中国語とドイツ語を、あるいは第6学級から英語・ドイツ語の二カ国後を学ぶことができる。学区の改革以来、誰もが独創性を発揮しなければならない。うわべの混成を維持しようとするために、何をしないのだろうか?


Caroline Brizard

Le Nouvel Observateur 2345 15-21 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2345/articles/a410875-quand_les_bons_%C3%A9l%C3%A8ves_partent.html


登場する生徒の名前は変えられているとしても、実在する学校の名前を出して、このような記事が書かれたことには、批判も少なくありません。日本だったらできないでしょう。

国境なき記者団によると、フランスの報道の自由度は、日本よりも下だそうですが・・・

日本の報道の自由というのは、嘘の記事を書いても、テレビで嘘を垂れ流しても、真剣に謝罪しなくてもいいという自由(みのもんたとか、捏造報道バカキシャとか)、官僚に都合の悪いことは隠して、都合のいいところだけ報道する自由(医療費に関する一連の報道など)、被害者の人権を侵害する自由(自ら積極的にマスゴミに出ようとする一部の被害者遺族を除く、ほとんど全ての犯罪報道)、病院の医療機器のコンセントを引き抜いて、患者を死の危険に直面させても、罪に問われない自由(NHKの某地方局)、推定無罪の原則を無視する自由(ほとんど全ての犯罪報道)・・・なのかと皮肉りたくなります。話は脱線しましたが。




2009-10-31 21:06:58

「大いなるはったり」:フランスの学区制廃止

テーマ:教育
またしても、何の脈絡もありませんが、今度は教育の話題です。


週刊誌 Le Nouvel Observateur の2009年10月15-21日(通巻2345)に掲載された La carte scolaire devait disparaître - La grande esbroufe (学区は消えなければならなかった - 大いなるはったり)という記事です。


La carte scolaire devait disparaître

La grande esbroufe



ニコラ・サルコジが約束し、誓い、信念としたこと。3年後、大統領が高校の改革を約束する一方で、この約束には何が残っているのか?

高校はより公正になり、より効果的にもなる。それが、大雑把に言えば、ニコラ・サルコジの最後の約束だ。驚くことでもない。彼はこのように、我々の大統領なのだ。彼は社会の不公平、特に学校での不公平に耐えられない。彼にはそうせずにはいられない。それから、何かが上手くいかないとき、彼は回り道しない。悪を根元から断ち切る。そう、学区の廃止、彼の大きな約束だ。それは長引かなかった。40年以上前からフランスでは、社会的混成、我々の共和国的理想に大切な機会の平等を保障するために、子供を決められた学校に登録せざるを得なかった。学区制は本当のザルになっていた。「役立たずになったが誰もそう言わない、古い道具」と、サルコジは選挙運動中に怒っていた。「悪い」中学から逃れるために、情報に通じた家庭が展開するコネや計略のために、一方では最も力のない学校の質素な階層の生徒がいて、他方では、最も優れた学校の最も恵まれた家庭の生徒が見られるようになった。そしてもちろん、実に単純なことだが、問題を解決するためにニコラ・サルコジは学区制を廃止した。

 政権のハンドルを握ってすぐの、2007年5月から、まだ書類整理箱の中だったが、サルコジの教育相グザヴィエ・ダルコスXavier Darcosは父兄のために休憩時間を合図していた。全ては次の新学期のために固定されていたが、どうでもよい、大臣は特例の申請を再開した。一部の教区に素晴らしい混乱を撒いた。なぜなら不公平は続くことができなかったから。一部の研究者は、疑いなく悪い言葉で、余り高貴でない魂胆があるのではないかと疑った。選挙優先主義的なものを。「学区制は特に中流階級や上流階級、公立学校に愛着のあるが、高級住宅地に住む手段を持たない、知的職業層を苛立たせていた・・・」と、社会学者のアニエス・ヴァン・ザンタンAgnès Van Zantenは説明する。この問題の専門家である彼女は、父兄の選択に関する新たな著作を発表したところである。3年後に、どういう状態にあるのか?自由と平等は?新学期の演説で、我国の政府がささやかな勝利を得たことを信じたとして、新大臣リュック・シャテルLuc Chatelは、この問題に関して数行を割り当てたに過ぎない。現実には、自称学区の廃止の3年目の結果は、予告された目的からは遠い。はるかに遠い。

 自由?政府の約束を信じていた父兄の多くは、地域分化がなおも厳しく残っていることを発見して椅子から転げ落ちた。「書類を受け取ったとき、私は自分の目が信じられなかった!」と、パリのある中学生の母親は語る。初めて、学校の割り当てに対して怒る父兄の派手な集団が、この夏、パリで作られた。ニコラ・サルコジやグザヴィエ・ダルコスの繰り返された宣言に反して、地域分化は規定として残っている。外の学校に登録するためには今でも、教育省のサイトで入手できる十分に厳格な基準のリストに基づいて、おまけに「通学できる範囲内で」、大学区長に特例を申請しなければならない。明らかに、これで全てまたはほとんど全てが変えられる。「なぜなら、全ての父兄が同じ学校を希望するからだ」と、ある学区の視学官は説明する。そこで、シャルルマーニュChharlemagneとその系列のような、パリの有名校で追加の教室がいくつか、象徴的に開かれた後は、大したことは起こっていない。当初は2010年と発表されていた、学区の消滅はもはや、時の話題になっていない。そう、特例の申請は増加した。そう、その申請は殆どの満たされるが、圧力が余り強くない所でだけである。

 そして平等、社会的混成は?「教育省は、学区の緩和は成功したと断言している。しかし、それを証明する数字を発表することは拒否している。現場で、我々は反対の事実を管区任している。最も優秀な生徒は、特例を申請して困難な状況にある学校から逃れている。このことが状況をさらに悪化させる」と、SNPDEN(国民教育指導部職員全国組合)の書記長、フィリップ・トゥルニェPhilippe Tournierは断言する。質素な家庭は、子供をよりエリート的な学校に行かせることを躊躇する。そこで子供たちは、居心地の悪い思いをするかもしれないからだ。「そうした家庭は、子供たちが優秀な成績を得る場合しか、“リスク”を取らない」と、アニエス・ヴァン・ザンタンは説明する。「通学費と学食の費用」を除いても。社会学者のマリー・デュリュ=ベラMarie Duru-Bellatは非難する、「政府は、特定の学校を避けるという、症状を攻撃する。そこで与えられる教育の質の悪さという、疾病を攻撃することなく。」 新しい高校については、同じようにならないことを期待しよう。


VÉRONIQUE RADIER

Le Nouvel Observateur 2345 15-21 OCTOBRE 2009


http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2345/articles/a410874-.html


次回 は関連記事として、同誌に掲載された Reportage au collège Lenain-De-Tillemont - Quand les bons élèves partent (ルナン=ド=ティルモン中学のルポルタージュ - 優秀な生徒が出て行くとき)という記事を元にしたエントリーを掲載する予定です。


過去に、中学校の学区制に関して言及したエントリーをまとめておきます。

フランス人が見た英国の学校選択制(1) 2007-01-24

フランス人が見た英国の学校選択制(2) 2007-01-25

フランス人が見た英国の学校選択制(3) 2007-01-26

フランス人が見た英国の学校選択制(最終回) 2007-01-27


フランスの学校制度「改革」-学区の廃止による自由選択制 2007-06-09

自由という幻想:学校選択の帰結(Obsの記事) 2008-10-22

【続】自由という幻想:教育学者の指摘 2008-10-23






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