PAGES D'ECRITURE

フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

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1年振りに更新します。

いつものように週刊誌 L'Obs を読んでいて目に留まった、フランスの水素爆弾に関する記事に興味を引かれてしまいました。

 

週刊誌 L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur )の2016年8月11日(通巻2701)に掲載された、 L’espion qui a livré la bombe H à la France (フランスに水爆を届けたスパイ)という記事です。

 

乱暴に言えば、

 

1967年当時、英国は欧州経済共同体(EEC)加盟を認められていなかった。それはフランスのド・ゴール大統領の拒否権による。英国のウィルソン首相は、水素爆弾を保有したがっていたド・ゴール大統領に、テラー・ウラム型熱核爆弾の情報を提供する代わりにEEC加入を認めさせるという取引を提案するが、大統領は応じない。

フランス大使館付武官という肩書のスパイ、アンドレ・トゥルーズはロンドンで、英国の科学顧問ウィリアム・クックを標的として・・・

 

というようなお話です。

 

 

bombe H 1bombe H 2

 

Révélations

L’espion qui a livré la bombe H à la France

Cette intrigue à la John le Carré, toujours couverte par le secret-défense, se déroule en 1967. De Gaulle veut à tout prix l’arme thermonucléaire alors que la Grande- Bretagne est prête à tout pour entrer dans le Marché commun...

 

VINCENT JAUVERT

 

常に軍事機密によって覆い隠されてきた、このジョン・ル・カレ風の筋書きは1967年に繰り広げられる。英国が欧州共同市場に参入する準備が整っている一方でドゴールは是が非でも熱核兵器を欲しがった…

 


それは第五共和制で最も固く守られた秘密の一つである。半世紀前の物語だが、しかし驚くべき今日性を持つ。そこではスパイ行為、原子爆弾と欧州共通市場への英国の参入候補が絡み合う。これまで断片しか知られていなかった、そして今、ロンドンで最近機密指定解除された公文書と『Obs』が初めて、フランスで入手した私文書のおかげで語ることができるようになった、意外な進展を見せる物語だ。
 

 1967年春。英国はまだ、10年前に結成された欧州経済共同体(EEC)の加盟国ではない。それでも同国は加入を夢見ていた。しかし疑い深いドゴールがいた。1963年、フランス大統領ドゴールは、英国首相、保守党のハロルド・マクミランが提出した最初の加入申請に対して、断固として拒否権を行使した。自由フランスの元代表にとって、ロンドンはアメリカ合衆国に依存し過ぎていた。特に最も戦略的な分野、すなわち核兵器に関して。今回、ブリュッセルの門を叩いたのは、意志堅固な労働党のハロルド・ウィルソンである。1967年5月2日、彼は公式に新たな加入申請を提出する。今回はどのようにして、頑固な将軍に受け入れさせるのだろうか? 何でドゴールを釣るのだろう?

 その年、ドゴールの頭にはただ一つのことしかなかった。フランスの核兵器である。攻撃力こそ、第五共和制の創設者の主要な計画だった。間もなく、それは国民国家の生命保険となり、国家元首の王杖となるとドゴールは考えた。しかしフランスの攻撃力はまだその域に達していなかった。確かに、1960年以降、フランス原子力庁(CEA)は既にサハラ、次いで太平洋のムルロアで原子爆弾をテストしていた。しかしドゴールは知っていた、フランス、したがって彼自身が、はるかに強力であり軽量でもある最終兵器、水爆(「核融合爆弾」または「熱核兵器」とも呼ばれる)を装備しない限りフランスの装備が本当に信頼できるものにはならないことを。ところがCEAの技術者たちは捗っていなかった。努力にもかかわらず、この二段式の兵器のシェーマ、より正確には、その発火装置の秘密を突き止められなかった。米軍が1952年に初めてテストし、1954年にソビエト軍が、そして1958年に英国軍がテストしていた秘密を。ドゴールは待ち切れなかった。1967年の初め、CEAの研究所を訪れた際、技術者たちに1968年にはこの種の兵器を爆発させるように要求する。彼は苛立っていた。ドゴールは知っていた。フランスが遅れをとっていて、一方で中国もまた、初めての水爆を実験する準備が整っていたことを。

女王陛下の首相、ハロルド・ウィルソンもCEAの苦難を知らないではなかった。英国軍機が太平洋上でフランスの核実験をスパイしていた。したがってロンドンでは、CEAの技術者たちが、英国の科学者が10年早く発見していた水爆の作動する原理(考案した2人の名を採って後に「テラー・ウラム型」と呼ばれる構造)で躓いていた。ウィルソンは頭を掻き毟る。そしてもし、この奇跡の構造が、連合王国がEECに加入するための鍵、餌だったとしたら? 英国の加入申請提出から数日後、ベルサイユでのドゴール将軍との決定的な改憲の数日前、ウィルソンは秘密裏に一人の使者をフランスに送る。科学顧問、ソリー・ズッカーマン Solly Zuckerman である。その任務は、ド・ゴールに「涎を垂ら」させること。水爆によって。

 

LE GÉNÉRAL PIAFFE

5月28日、ソリー・ズッカーマンは将軍の信頼篤い3人の男と夕食を共にする。軍事顧問、アンリ・ボルダス将軍、核兵器製造所長、ジャック・ロベール、そしてCEAの国際部長、ベルトラン・ゴールドシュミットのである。3人ともロンドンとの巨大な闇取引に乗り気のようだった。ウィルソンに宛てた極秘の報告書にズッカーマンはこう記している。「ド・ボルダスは、我が国が核兵器の分野で最大限に協力するという熱意が、英国のEEC加盟に対する(ド・ゴール)大統領の態度に重要な鍵となり得ると私に(語った)。」 ゴールドシュミットはさらにはっきりしていた。「(彼によると)、フランスの原子物理学研究者が未だに水爆を製造できていないために、ド・ゴールは非常に不安になっている。彼らの問題を解決することを助ける、我々とのあらゆる協力は、したがって大きな価値を持つだろう。」 ウィルソンの密使は彼らに答える。「我々が自ら開発した(熱核兵器の)原理と技術に関して(あなた方に)情報を与えることを我々に禁じるものは何もない」。何も、「政治的合意」以外は。

 2週間後、その合意も間近に見えた。ド・ゴール将軍を最も良く知る人物の一人、戦時中の自由フランスの広報官だった、モーリス・シューマンはパリの英国大使館を訪問する。原子力問題担当相としての資格で、女王陛下の全権大使、パトリック・レイリー卿に、ド・ゴールが「軍事部門における核の協力」に強い興味を示すであろうこと、しかし何も求めないことを打ち明ける。ウィルソン首相に宛て書簡で、レイリーは付け加える。「シューマンによると、あなた方が少しでも手を差し伸べるなら、将軍はその機会を捉えようとするだろう。」 だから、大きな闇取引が起こりそうに見えた。

 6月17日、ウィルソンはベルサイユでド・ゴールと会見する。英国首相はシューマンの助言に従って将軍に「手を差し伸べる」。「我々は核の分野でより多く協力しあうべきだ」、数十年間も機密のままになっている対話の間、彼はフランス大統領に投げかける。「我々の目的は、特に防衛の分野で、フランスもイギリスもアメリカの技術に依存しないことであるはずだ。」 しかしド・ゴール将軍の態度は曖昧なままであり、密かな誘いに応じない。なぜなのか? 英国の指導者を信用していないから? このような物々交換そのものを拒否するから? あるいは、後にCEAにテラー・ウラムの構造図を提供することになり、ウィルソンが健闘した取引を無駄にすることになる恐るべきスパイ作戦を、フランス軍の第2部がロンドンで開始したばかりであることを既に知っていたからか? 

一人の影の男が、このジェームズ・ボンドばりの事件の中心にいる。アンドレ・トゥルーズAndré Thoulouze将軍、最も数奇な運命を辿った人物の一人だ。46歳の操縦士である彼もまた、自由フランスの元闘士である。非常にドゴール主義的で、プレーボーイでもある。公式には、ロンドンのフランス大使館付空軍武官だった。しかし、高級車を乗り回し、最高級のテーラーの服を着ていた。「実際、常軌を逸したスパイだった」と、息子でジャーナリストのミシェル・トゥルーズは今、打ち明ける。カナル+の創立者の一人であり、自分が持っている文書を『l‘Obs』に公開した。「死後ずっと立って、父の功績のいくつかを知った。1950年代、ローマの大使館付空軍武官だった頃、父はイタリア人パイロットとして通っていて、イタリア政府によってナセルに売却された戦闘機をエジプトに届けていた。目的は、エジプトの空港を秘密裏に撮影することだった。その写真はスエズ上陸の際にイスラエル軍に非常に役に立った。後に、父はドイツのラール空軍基地を指揮した。そこはアメリカの核爆撃機を収容していてた。夜間に、アメリカで製造された原子爆弾を、その設計を研究するために、密かに解体させた。」 とりわけ、二つの行動は、防衛機密によって常に隠蔽されてきた。1967年の作戦Hのように。

 その年、アンドレ・トゥルーズはロンドンで、英国エスタブリッシュメントの重要人物の一人と定期的に会っている。サー・ウィリアム・クック (Sir William Cook)、英国国防相の科学顧問である。二人はともに、パリとロンドンが開始しつつあった航空機産業の巨大プロジェクトであるエアバス、コンコルドと爆撃機のエンジンの計画を仕上げることを委任されていた。しかし、数か月の後、サー・ウィリアムはさらに重要な題材でフランス版ジェームス・ボンドの興味を引くことになる。この英国人は軍事研究の大御所である。何にもまして、原子爆弾では。何年か前、彼は英国の核弾頭製造所である、アルダーマストンのナンバー2だった。その任務は、連合王国で最初の熱核爆弾を仕上げることだった。1958年にそれに成功していた。したがってテラー・ウラムの原理も知っている。まさに理想的な標的だった。

 原子物理学者をエージェントとして採用するために、アンドレ・トゥルーズは、秘密資金や陰謀用のアパートメントにより、ケースオフィサーとしての装備一式を利用する。「このスパイ作戦のために、父は無制限の財源を自由にしていた」と、息子のミシェルは語る。「カンヌにアパートメントも買った。玄関が二つある1階の部屋で、クックと父は何時間もの間、秘密裏に会っていた。」 資金はド・ゴールの軍事顧問、ボルダス将軍が流していた。共和国大統領の押印とボルダスの自筆の署名が入った1968年4月11日付の書類に、彼は記している。「1967年から1968年の間に、トゥルーズ将軍は国家の利害に直接関係する問題の中心にいた。このために、共和国大統領と原子力庁が彼に割り当てた目的を達するために使い方が決められた、多くの金銭的手段が個人的に自由に使えるようにされた。」 カンヌのアパートメントの他に、この金が英国人学者に払うのに役立ったのだろうか? 謎である。

 フランス史上最も重要なものの一つであるこのスパイ事件は、その後30年の間、秘密のまま残ることになる。一握りの人々、1987年のクックの死後も沈黙を守り続ける仲間たちにしか知られることはなかった。クックの転向が噂され始めるのは1990年代の終わりに過ぎない。この転向の理由について彼の友人たちに尋ねると、誰もが、フランスに買収されたことなどあり得ない、当然に政府との合意に基づいて行動したのだと断言する。当時、1967年の文書がまだ公開されていなかった頃、こうした説明は納得できるように見えた。今日、ウィルソン首相が英国のEEC加入をテラー・ウラムの設計図を交換しようとしていたことが知られている。この秘密を、何も代価なしにド・ゴールに引き渡すように首相がサー・ウィリアムに命じたなどということは、全くあり得ない。ド・ゴールは結局、1967年11月に2回目の拒否権を行使することになるのだから(連合王国は、ド・ゴールの退任後の1973年にようやくEECに加入する)。

 したがってクックは必然的に、命令なしに行動したのである。そもそもそれは、1990年代初頭にCEA長官だったロベール・ドトレーの意見でもある。2007年に出版された回顧録の中で、彼は40年前に原子力庁ではアンドレ・トゥルーズの交渉相手だったこと、このことから、英国の核物理学者が提供した情報の最初の受領者だったことを明らかにしている。トゥルーズは彼に、サー・ウィリアムの動機を話したとされる。このスパイによれば、ウィリアムは自分の意志でそして…愛国心から裏切ったという。フランスが水爆を保有することを助けたかった、なぜなら「英国が欧州で唯一の熱核兵器保有国のままだったら、ソビエトの核攻撃の全てが英国に集中する危険があるから」。この説明は実に簡潔過ぎるようだ。ドトレー自身によれば、サー・ウィリアムが1970年代を半ばまでトゥルーズに情報を提供し続けたとされるだけになおさらである。彼は熱核弾頭の小型化に関する決定的な情報をトゥルーズに漏らすことになる。この時期を通じて、このような機密をフランス国家から金を支払われることもなく提供したというのは、ほとんど有り得ないように見える。


クックがもたらした情報はド・ゴールの夢の完成に決定的だった。1968年1月23日、CEAの核兵器担当部長、ジャック・ロベールは将軍に現状報告する。その3か月前のエリゼ宮での会見の際、技術者の進捗について楽観的ではなかった。1969年まで、さらに確実には1970年まで熱核爆弾を調整することはできないということだった。今回は、「作動することができる」ように見える「新しいアイディア」、明らかに1967年9月にクックによってもたらされたシェーマについて言及した。さらに、「68年夏には1基か2基の水素爆弾」を発射できると考えている。そして、実際に、1968年8月24日、フランスは最初の熱核爆弾をファンガタウファで爆発させる。「カノープス Canopus」と名付けられた核実験は、広島型原爆のおよそ100個分に相当する2メガトンの威力を発揮する。フランスは核大国の宮廷に仲間入りした。

 アンドレ・トゥルーズは、最後の勤務先であるアエロスパシアル社に所属するヘリコプターの事故により、1978年に死亡する。その死を知った時、ド・ゴール政権の元首相、ミシェル・ドゥブレは、アエロスパシアル社の社長、ジャック・ミッテラン将軍(訳注: 後のフランス大統領フランソワ・ミッテランの弟)に秘密の手紙を書いた。「私は、熱核兵器に関して我々の知識の進歩のために彼が果たした類まれなる奉仕の知る数少ない人間の一人だ。彼は歴史上の知られざる人物の長い続きに場所を占めたが、その役割は特定の状況で必要不可欠だった」と、ドゥブレはこの秘密の親書に記している。ミッテラン将軍がミシェル・トゥルーズに打ち明けるのはずっと後のことになる。

 

L’OBS No 2701-11/08/2016

 

http://tempsreel.nouvelobs.com/monde/20160809.OBS6015/l-espion-qui-a-livre-la-bombe-h-a-la-france.html


個人的には、

「英国が欧州で唯一の熱核兵器保有国のままだったら、ソビエトの核攻撃の全てが英国に集中する危険があるから」« si le Royaume-Uni restait seul en Europe à posséder des armes thermonucléaires, il ris-quait de concentrer sur lui toute attaque nucléaire soviétique » 

というところに重みを感じます。ウィリアム氏が英国を裏切ったのは、それだけではないようですが・・・

 

なお、Wikipedia の「テラー・ウラム型」の、「開発の歴史」の項には、

フランスが開発したテラー・ウラム型熱核兵器については、ごく少しの内容しか分かっていないが、フランスは1968年8月にカノープス作戦として核出力2.6メガトンの核実験を行っている。

と記載されています。

今回紹介した記事や、最近公開された文書などにより、この項目も書き換えられることになるかもしれません。

 

 

最後に、

1年振りにアメーバで「ブログを書く」機能を使ってみましたが、酷く使い難くなっていました。

HTMLで編集しても勝手にタグまで書き換えられるようでは、お話になりません。

しかもページ読み込みは重すぎるし、どうにもなりません。

 

少なくとも、今使っているこの変てこなエディターだけは何とかしていただきたいと思います。

 

 

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先週の水曜日(7月15日)、北国の某ターミナル駅近くのヨドバシカメラで買い物をして、その南側にある紀伊國屋書店に向かうと・・・

何やら香ばしい雰囲気が。


日本会議(笑)



何と、表に出てこないはずの、あの「日本会議」の幟が。

さらに、あの恐るべき妙齢の女性のお顔も・・・




日本会議(爆)



週に1回しかない休日は、紀伊國屋書店に立ち寄るのを楽しみにしていましたが、この日は入る気がしなくなってしまいました。このまま、地下鉄に乗って、買い物して帰りました。残念。


ヨドバシカメラでは、SSDを買って、動作が怪しくなってきたノートPCのHDDを換装するつもりでした。
それが順調にはいかなかったことが、この記事が今日まで書けなかった原因の一つです。

何度かの試行錯誤を繰り返して、本日早朝、ようやくHDDからSSDに乗り換えることができました。
この間の苦労話は、当ブログの趣旨から外れますので省略します。




それにしても、表舞台に登場しないはずだった極右団体が、こうして、地方とはいえ大都市の主要駅前に堂々と名前を出すようになったのは、大変残念な事態です。

この日、某国議会の某委員会で、とある法案が与党によって強行採決されました。




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当ブログをご愛読の皆様(いないと思いますが)、ご無沙汰しておりました。
2015年初の更新となってしまいましたが、ようやく訳し終えた記事をご紹介します。

週刊誌L'Obs (旧 Le Nouvel Observateur)の2015年5月21日(通巻2637)に掲載された、LA FACE CACHÉE DE SHINZO ABE  (アベシンゾーの隠された顔)という記事です。




Obs20150521-01


Obs20150521-02

Japon

LA FACE CACHÉE

DE SHINZO ABE



Loin de son image de réformateur économique, le Premier ministre japonais est lié à une organisation d’extrême droite révisionniste qui prône un retour à l’empire


(経済改革者のイメージと程遠く、日本の総理大臣は、帝国への回帰を称える極右団体に関係している。)


VINCENT JAUVERT




それは国際政治で、大幅に無視されているとはいえ、主要な事実だ。世界第三の経済大国である日本は、数か月前から、(総理大臣、安倍晋三も含めて)閣僚の4分の3が、歴史修正主義で権威主義の極右団体、「日本会議」と呼ばれる、目立たないが影響力のある団体に属していることだ。

 2012年12月に政権に復帰したとき、安倍晋三が、新自由主義的であると同時に戦前に郷愁を抱く強硬な右翼出身の政治家であることを知らない者はなかった。プーチンやインドの国粋的指導者モーディを称賛していることも知られていた。安倍が近かった、祖父の岸信介が1932年に大日本帝国によって併合された満州のナンバー2であり、次に戦争中に東條内閣の一員であったこと、そして結局、1945年の敗戦の後、A級戦犯として投獄されていたことも、誰もが知っていた。しかし明らかに、反動的で反民主主義的なイデオロギーへの安倍晋三の政治的根強さは過小評価されていた。「数か月前まで、安倍の最終目的は有名なアベノミクス(編集部注:安倍の名を冠した経済再建計画)によって日本経済を立て直すことだと多くの人が考えていた」、上智大学‘国際教養学部)教授の中野晃一は分析する。「今日、安倍が本心を隠さないで行動しているのか、戦後に採択された平和的で自由で民主的な憲法の根本的な改変を日本人により容易に”売り込む“、という目的のためだけに経済的成功を追及しているのではないかと疑問視されている。そうして、彼が1997年の創設時から加入している団体、日本会議に特有の、帝国主義に憧れを持つ、古い秩序への回帰を押しつける目的でも。」

 「逆説的だがこの非常に重要な団体は日本では未だに真価を認められていない」、日本版『リベラシオン』ともいえる『東京新聞』に昨年夏、日本会議に関する初めての長い記事を書いた佐藤圭は言う。「その出発から、日本会議はレーダーに現れないようにあらゆる注意を払ってきた。広告も出さないし、テレビにも出ない。戸別訪問的な活動をしながら、視線の及ばないところで前進していた。その集会はメディアに開かれていない。そして、会員たちには会談の間も、写真を撮る権利もない。」 この信じられない「ステルス性」にはもう一つの理由がある。「日本会議は、より反動的な、地方で発展してきた」と、日本の右翼運動の専門家である法政大学の政治学者、山口二郎は説明する。「大手メディアは、元々ローカルだったこの団体を見下していた。2012年12月の安倍内閣の指名と、さらに昨年秋の内閣改造後、日本会議所属の閣僚の数がさらに増えて、その強大さに面食らうまでは。それまでは田舎の、片隅のものと見なされていたこの極右団体が、日本の政治の中心にいたのだ。」

 日本会議は1997年、一つは満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって、もう一つは主に神道の宗教団体によって設立された、二つの極右団体の合併により生まれた。「反動的で1930年代に郷愁を抱くこれら二つの集団は、日本が戦争中に行った残虐行為の過ちを告白することに耐えられなかった。彼らによれば、日本人は帝国に誇りを持たなければならなかった」と、山口二郎は説明する。「分裂したままではイデオロギー闘争に敗北しつつあったと理解したときに、合併した。」 彼らの自覚は1995年8月15日に起こった。村山首相が有名な謝罪宣言を述べたときである。その日、世界は第二次世界大戦終結の50周年を記念していた。この機会に、日本が1930年代と1940年代に、「植民地支配」を押し付けるためにアジア諸国を「攻撃した」ことを、日本の政府のトップが初めて、公に、そして公式に認めたのだ。この認識は、帝国軍が政敵奴隷に頼っていたと1993年に認めた、内閣のナンバー2、河野洋平の宣言の後に来たものだ。婉曲に「慰安婦」と呼ばれた女性たちは、朝鮮やフィリピンの村で誘拐され、強制的に軍の売春宿に住まわされた。反動主義者と超国粋主義者には、もう我慢できなかった。反論し、新しい運動、つまり日本会議を建設することが急を要した。新しい団体の事務総長職は、1970年代の極右学生のリーダーで、今も強大な力を持つ、椛島有三なる人物に委ねられた。そしてこの団体は今、3万5千の会員と200の支部を数える。



289 PARLEMENTAIRES MEMBRES

(289人の議員メンバー)

10年前に祖父が亡くなった安倍晋三は1997年に国会議員になる。お友だちと一緒に、直ちに「日本会議」に、次いで日本会議を支持する議員団体に加入する。「当時彼らは、保守のジミントーでも周辺的だった」と、中野晃一は言う。「20年近く経った今日、彼らはジミントーと内閣を席巻している。そして日本会議は、国会の40%に相当する、289人の議員を集めている…」 彼らのスローガンとは? 戦後の日本、「アメリカに押し付けられた」制度と生活様式から決別することだ。彼らは、「勝者の正義」、戦争犯罪人を裁いた東京裁判の正当性を認めない。彼らは歴史を自らの味付け、敗者の歴史を書き直したがっている。日本帝国はアジアの民衆を「解放した」と声高らかに断言したい。1938年の日本軍による南京大虐殺は作り事であり、最悪でも、民間人に変装した数百人の中国兵が死亡しただけだ(日本人も含めてまともな歴史家は少なくとも数万人の民間人が拷問された後に殺戮されたと考えているのに)。日本会議の歴史修正主義者らは、「慰安婦」は勇敢な日本兵を慰めて月末に手取りを増やして喜ぶ、単なる自発的な売春婦だったと断言する(この主題に関して帝国軍に反対する証言が圧倒的であるにもかかわらず)。



CHANGER LES LIVRES D'HISTOIRE

(歴史書を変えること)

日本会議の目的は、歴史書を書き換えることだ。有利な状況を作ることから始めた。間もなく、中学校の教科書は、歴史学者の視点と同じく論争中の問題に関して「政府の公式の立場」を言及しなければならなくなる。「別の言い方をすれば、歴史修正主義のぱっとしない教師が、南京で民間人の死者はなかったと断言すれば、それが我々の子どもたちの教科書に書き込まれることになる」、政治学者の中野晃一は説明する。教育に関して、日本会議は「愛国」教育への回帰を熱望する。彼らの夢は、1890年代の帝国時代の法にできるだけ早く近づくことだ。個人に対して天皇への全面的な服従を押し付け、将来の神風の複数の世代にわたって洗脳してきた法に。

 これで全てではない。「アメリカの圧力下で」採択された、1947年の平和憲法を、日本会議は根本的に変えようとしている。その最初の標的は、第9条だ。この中で日本は「戦争を、永久に放棄」している。国粋主義者は世界のどこでも、そして「自衛力」だけではない軍隊を望んでいる。「安倍と日本会議にとって、第9条の廃止は決定的に重大だ。なぜならこの条文が軍国日本との決別を意味しているからだ」、『朝日新聞』論説委員の大野博人は説明する。運動は既に進行中だ。昨年7月、政府は初めて、「自衛隊」が日本の国土を離れて同盟国を助けることを憲法9条が認めていると断言して、同条の解釈を変更した。それが最初の突破口だ。日本会議は他の条文、最初に婚姻における男女の平等に関する第24条と決別するために、そこに殺到しようとしている。彼らにとってもちろん、夫は全ての領域で配偶者を支配しなければならない。彼らはまた、戦前の風習に戻ることを望んでいよう。学校では、まず男子、次いで女子の五十音順で点呼されること… とりわけ、戦後の裁判で裁かれた戦争犯罪人を含む、死亡した兵士が祀られる、靖国神社に国家が関わることを邪魔する、宗教と国家の分離に関する16条も廃止することを目指す(中国と韓国の気分を害して、安倍晋三は2013年12月、首相就任1周年に靖国神社を参拝した)。最後に、明らかに、日本会議は天皇が、一種の権威主義的民主制に変質した日本の政治の中心に戻ることを望んでいる。

 安倍とそのお友だちの反動主義者は、どこまで行くことができるだろうか? 日本の誰もが、第二次世界大戦終結70周年記念の8月15日に首相が発するに違いない声明を待っている。前任者たちの宥和的な宣言と、どの位まで距離を置くことになるだろうか? 「ホワイトハウスは、地域の他の同盟国を失う恐れがあるため、余りにも反動主義の臭いがすることは受け入れられない。」 そして、国民がいる。安倍の目的は、2016年7月の参院選を利用して、国会で憲法を変えるために必要な圧倒的多数を得ることだ。それができるだろうか? 「日本会議はエリートの運動だ」、中野晃一は言う。「大多数の国民は、その思想の大部分に反対している。しかしその受動性のために、特にアベノミクスが上手く行っていれば、国民はされるがままになりかねない。」 少なくとも今のところ思いがけない人物が抵抗勢力になり得る。81歳の天皇、明仁だ。日本会議が政治問題に戻るのを待っている、その人である。さる1月、新年の祝辞に際して、天皇は行間で、歴史の反動的な解釈に反対であることを示した。2月、長男である皇太子、55歳の徳仁殿下はさらに雄弁だった。極めて稀な記者会見の席で、皇太子殿下は、戦争の歴史が「正しく伝えられる」ことを望んだ。逆説的に、皇室は今や、日本の自由民主主義の最も優れた盾となっている。


L’OBS/No2637-21/05/2015


あくまでも、フランスの週刊誌の記事を紹介しただけですのであしからず。
それにしても、ここに書いてあることを知らない日本人がいるのかどうか知りませんが、知っていてあれだけの支持率だとしたら恐ろしいですね。

国民の権利を含む、日本国家に対する最大の脅威はアベシンゾーとジミントーだと思っていましたが、実は一部を除く日本国民そのものが脅威だったりして・・・(以下略)



個人的には今年に入って、特に4月以降、いろいろなことがあり過ぎました。紆余曲折を経て、東京から直線距離で800km以上離れた某地方都市に単身赴任することを強いられています。家族と暮らしていた頃は、たとえ片道100㎞以上の通勤を強いられていても、夕食は原則として自宅で、という生活をしていたせいか、単身赴任になっても外食できません。というわけで、慣れない自炊をする羽目になりました。

通勤時間は短くなったのに、家事に要する時間が増えて、生活時間は以前よりも窮屈になりました。

結果的には、ほぼ完全に「糖質ゼロ」の食事をすることになって、体重がさらに1キロ減って、腹囲が70cmを切りました(胸囲は96cmのまま)・・・

こんなことをグダグダ書いても誰も興味がないでしょうから、ここで終わりますが、このような事情から、今後も滅多に更新はできないことでしょう。



【追記】 (2015年6月16日)
ふと気づいたら、ものすごいアクセス数になっていました。
SNS 恐るべし、というところでしょうか。

一方、SNSと殆ど縁のなかった私のような人間だったら、この記事にアクセスするきっかけは、やはり検索エンジンということになります。

私自身、このブログの過去の記事を探すときにも、わざわざgoogle で検索したりしています。

そこで気付いたのは、この記事を検索する際、「アベシンゾー」では検索できても、「安倍晋三」では検索できない可能性があることです。
同様に、「隠された顔」ではできても、「隠れた顔」ではできなかったことです。

「安倍晋三の隠された顔」
「安倍晋三の隠れた顔」
「アベシンゾーの隠された顔」
「アベシンゾーの隠れた顔」

このような検索でも引っかかるようにしていただきたいものです。(今さら大勢に影響はないでしょうけど)



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トマ・ピケティ Thomas Piketty の『21世紀の資本』(当初、『21世紀の資本論』とされていた)の日本語版が、12月9日に発売予定と発表されましたが、12月6日の時点で、少なくとも千代田区の書店では発売されています。

これを記念したわけではありませんが、「ゼロからのピケティ」とでも言うべき記事を紹介します。

今では単に L’Obs という名称が表紙になってすっかり別物になってしまった週刊誌、旧 Le Nouvel Observateur の2014年11月20-26日(通巻2611)に掲載された Piketty Gourou mondial という特集の中の短い記事、 Piketty pour les nuls (ゼロのためのピケティ)という記事です。






obs20141120-02 obs20141120-03 obs20141120-04




PIKETTY

POUR LES NULS


“Le Capital au XXIe siècle” décrit comment nous marchons vers une société aussi inégalitaire qu’au XIXe siècle. Explications

DONALD HEBERT


(『21世紀の資本』は、我々がどのようにして19世紀と同じくらい不平等な社会に向かっているかを詳述する。)


Sa méthode

(方法)

ピケティは18世紀から現代までの、およそ20の先進国の租税データを集大成した。そこから、所得と資本の分配という、富の再分配に関する貴重な情報を引き出し、その後にいくつかの教訓を導き出した。


Ses constats

(結果)

1. 20世紀初頭には、産業革命が労働者の賃金を上昇させたとはいえ、欧米諸国は非常に不平等だった。資本がごく一部の家系だけに所有されていたからである。例えばヨーロッパでは、最も裕福な10%が所得の45%、資産の90%を手にしていた。

2. 政界大戦と大恐慌により、資産生活者の資産が消滅し、不平等は大幅に縮小した。アメリカ合衆国では1950年代に、最も裕福な10%が所得の35%を受け取っていた。1910年から1920年には4%の層だった。

3. 栄光の30年の間、不平等は相対的に低い水準に留まっていた。常軌を逸した成長と効果的な税制・社会制度が実施されたことにより、資産を形成することができた中流階級の出現が可能になった。

4. 1980年代から、不平等が急激に増大した。アメリカ合衆国では、高額所得者と相続への課税が大幅に減らされた一方で、「スーパーマネージャー」のボーナスは爆発的に増大した。その結果、2000年代以降、最も裕福な10%の層が再び総所得の45%を占めるようになる。不動産資産の保有者が前世紀までの地主に取って代わり、とりわけヨーロッパと日本で、能力よりも相続が再び有利になった。

5. 低成長の下で、利子、配当、賃料、値上がり益と言った資本所得が、労働収入を上回っている。ヨーロッパでは特に資産が集中し、特にアメリカでは、労働所得が集中する。そして大金持ちは小金持ちよりもはるかに早く資産を増やす。結局、国家は借金漬けになるが、私的資本は公的債務よりもさらにずっと早く増加してきた。


Ses préconisations

(推奨事項)

1. 非常に累進度の高い税制を確立する。年40万ユーロを超える所得に対しては、1930年から1980年までのアメリカ合衆国がそうだったように、80%の大台の税率を課す。

2. 巨額の資産に対する累進課税を確立する。可能なら世界レベルで、そうでなければ大陸レベルで。100万ユーロを超えた分の資産には1%、500万ユーロ超には2%が課税されることになる。

3. ヨーロッパでは緊縮策を中止し、成長水準を引き上げるために教育に投資する。


L’OBS/No2611-20/11/2014


原著が950ページ、英語版でも700ページ、邦訳も700ページ近くある本を読み通して全て理解することは困難です。まして経済学の門外漢にとっては。

以下に挙げた『ピケティ入門』の著者が言うように、一部を取り出して都合のいいように(例えば、格差を肯定するために)利用する人間も続出するでしょう。そのためにも、手短な入門書も役に立つと思います。さらに理解しやすくするために、今回引用した記事が役に立つことを祈っています。



21世紀の資本/トマ・ピケティ
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ピケティ入門 (『21世紀の資本』の読み方)/竹信 三恵子
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先週の『週刊東洋経済』は、「分裂する大国 アメリカ」という特集でした。


週刊 東洋経済 2014年 11/1号「分裂する大国 アメリカ」
¥690
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約1か月前の、週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年10月2-8日(通巻2604)には、アメリカの作家リチャード・フォード氏の対談が掲載されていました。LA PROMESSE BAFOUÉE D’OBAMA (オバマの蔑にされた約束)という記事です。上記『東洋経済』の特集記事に触発されたわけではありませんが、とりあえず訳してみました。




obs20141002-2 obs20141002-3




LES DÉBATS DE L OBS

EXCLUSIF

L A PROMESSE BAFOUÉE
D
OBAMA

Le grand écrivain Richard Ford, remarquable portraitiste de l'Amérique profonde, parle de son président, de son pays et de injustice

(奥深いアメリカの肖像を描いて注目すべき、著名な作家リチャード・フォードが、大統領と自らの国、不当性を語る)

PROPOS RECUEILLIS PAR FRANÇOIS ARMANET



Le Nouvel Observateur それぞれの本で、あなたはアメリカ中産階級の類まれな観察者として認められてきました。この奥深いアメリカは今日、どのような状況でしょうか?
Richard Ford どの人種集団もひっくるめて、アメリカ人は皆、自分の生活が今あるよりも良くなるはずだったという感情を共有しています、ごくわずかな特権階級や強者を除いて。騙し取られた、蔑にされた約束、という感情を。確かに、我々は自分自身のことしか考えられない。しかし私は絶えず、事態が本来あるべきだった状態ではないという感覚に直面しています。黒人にとって、あるいはメキシコ人移民にとって、この社会的不公平の感情は正当です。しかし白人中産階級でさえも騙されたと感じ、急進化し、極右思想に転向しています。国民国家という思想の危機の原因はそこにあります。オバマの大統領当選は私がこれまでに経験した最も重要な政治的事件の一つです。それでもこの当選は蔑にされた約束という印象を強めるだけでした。最もオバマを憎んでいるのが誰かご存知ですか? 黒人です。最近、アラバマ州の小さな黒人向け大学の学長と飛行機に乗りましたが、彼はこう言いました、「オバマは我々に何もしてくれなかった。」 これはもちろん、間違いです。しかし黒人は、オバマが十分にはしなかったという気持ちを抱いています。含みを帯びた判定の代わりに、全面的な拒絶が観察されます。
人々が毎日オバマに何かを要求しているという印象があります。彼が多くの努力をしていると、私は本当に信じていますが、毎日の奇跡を彼に期待することなどできません。さらに、有権者は非常に多様であり、彼を憎む共振駅な人種差別主義者をも含みます。ある著名な法律家が言ったように、「自由の精神は、敵対者に余地を残しておく能力から成る。」 これこそオバマがしようと努めていることです。たとえ敵対者が醜い動機を持っている時でも。

あなたの国の現在の問題はかなりの部分が貧富の格差の拡大によるものだたと考えますか?
もちろん。それ(格差の拡大)は私がどうしても書きたい要因、とりわけロナルド・レーガンによって撒き散らされたアメリカの巨大な嘘、の結果です。レーガンによれば、富裕層が豊かになれば貧困層も豊かになるといいます。格差が拡大すればするほど、嘘も強くなり、我々にとって致命的なほどになりかねません。アメリカ人は自分にとって何が良いことなのか知りません。歴史的に、この国は18世紀から、公共の物事と国家の問題に対する利害にかけています。それらが我々に関係ないかのように。我が国の短い歴史を通じて、我々は国家を喧しいもの、されには有害なものと認識してきました。そして国家に無関心でいられると信じています。アメリカ社会の根本そのものを崩すのは、この真実の歪曲であり、歴史的な嘘です。不幸にも、オバマ大統領は半ば無邪気に、そのように振る舞っています。彼は優れた人物です。私は彼に二度も投票しましたし、もし再び立候補する権利があるならもう一度投票するでしょう。しかしたとえ意識していたとしても、彼にはこの事態を変える意思はありません。そして同じような場合に、アメリカの歴史では、問題を解決する最も良い手段はいつも、戦争を始めることです。状況を劇的にし国民を熱狂させるのです。

前任者らと違ってオバマは好戦的ではありません。イラクとシリアに介入する決定を下し、ドローンの使用を強化して、グアンタナモを閉鎖もしなかったしパトリオット・アクトを廃止しなかったにしても。この偽の平和主義者をどう思いますか?
彼は善意に満ちた理想主義者、進歩主義者ですが、統治するよりは選ばれる才能に恵まれていると思います。彼を弁護すると、国民の中の反国家主義的部分はオバマより強い。ティー・パーティー、極右は、国家は戦争すること、国土を防衛することだけに役立つと考えています。オバマはそれよりも複雑な国家観を持っていますが、絶えず野望を後退させるように強いられています。介入できる領域があまりにも限られているために、もはや何をすべきかもわからないはずです。手を縛られて、彼の代わりにだれであっても、途方に暮れるでしょう。偉大なリーダーであることが明らかになっていたら、恐らく解決策を見出していたでしょう。しかし彼がそのような器であるか、私には確信がありません。

あなたはオバマが具体的な現実から切り離されたインテリのままでいたと考えますか?
いずれにしても、彼が対決を好んでいるとは思いません。根本的には、彼が何を考えているか我々は知りませんし、彼の意図もわかりません。しかし、結果から判断すれば、政敵に抵抗することができず、国家元首としては失敗したと言えます。

この夏は、ガザ危機、イスラム国の成功、ウクライナ、ミズーリ州ファーガソンの暴動…と、オバマにとっての試練でした。あなたは彼が変革を約束したから投票しました。変革することに成功したのでしょうか?
オバマの大きな勝利は国家レベルで展開され、同性婚に関するk十です。近東では、いずれにしても、アメリカは状況を掌握するのに常に苦労してきました。ファーガソンに関しては、確実にもっと有効に対処できていたはずです。残念ながら、白人警官が黒人青年を射殺することは全く目新しいことではありません。このような悲劇は、我々が現実の中に見る理想化された始祖うに反するから騒ぎになるのです。しかし、距離を置いて見る必要があり、歴史の文脈に置き直してみるべきです。この種の逸脱は10年間で既におよそ20回も再発していたはずです。私はファーガソンをよく知っています。その近くで法律の勉強をしていたからです。急激に変わりゆく郊外の住宅地です。ますます多くの黒人が住み着くために、白人が退去し始めています。とりわけ警察の人種差別は風土病のような社会問題であり、突然、メディアを賑わす事件となって際立つことがあります。それに反して、オバマや法務長官んは問題の根っこに気づいているのだから、それを根絶するための長期的な作業に取りかかるべきでした。

あなたはミズーリ州ジャクソンで生まれ育ちました。1950年代に学校に通っていた時、黒人とは全く接触がありませんでした…
ありませんでした。本当にアパルトヘイトの状況であり、悪化する一方でした。というのは、この人種隔離政策はさらに増強し、爆発し始めていたからです。もちろん黒人が最初にそのことに気づいていました。彼らが社会的に不利だっただけになおさら、最初に苦しんでいたからです。しかし白人でさえも、公民権運動に照らして、そこに道徳的不正を見出し始めていました。南部の白人は不条理で疎外された実存を生きていました。彼らが嘘、歴史的で道徳的な嘘の中で生きていたからです。それが、高校卒業後にミシガン州の大学に行くことを選んだ理由です。

この時代について、不公平に対する特別な感受性を持ち続けていたのですか?
そうだと思います。人種隔離政策は私の個人史の中で、不公平の原型そのものを成してきました。それはつまり、人が持っていることも持っていないこともある他者に共感する能力は、先天的な感覚であると私が信じているということです。母は私にいつも言っていました、「リチャード、あなたは優秀な弁護士にはなれない、心が優しすぎるから」と。私は法律に強くひかれていましたから、この言葉には激怒しました。しかし真実でした。私は道端で怪我した亀を助けるために車を止めるような人間でしたから。反対に、Graham Greeneは、作家は皆、氷の針を心に抱いていると言っていました。この二つとも、私の中では真実だと思います… 私はこの二つの傾向の間で分裂しているのです。

あなたは10の州で生活し、およそ10回も引っ越しました。ジャクソンで生まれ、ミシガン州で勉強し、ニュージャージ州で生活し、プリンストンで教え、ニューオーリンズ、ニューヨーク、デトロイト、メーン州、モンタナ州、カリフォルニア州に住んできました… 合衆国を構成するこれらの不均衡な場所を結集させるのは何でしょうか?
何よりもまず、一つの言語、一つの通貨、共通の連邦行政機関、さらには相対的な地理的近さです。それだけではなく、建国の父、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンから受け継いだ考え方もあります。これらの領土が別々に発展するよりも、連邦になることで経済的に多くのものを得てきたという考えです。しかしこの、統合へ意志、共通の利益という意識は崩壊し始めています。妻が最近私に言いました、「モンタナとフロリダが結びついたままでいる理由は、本当はない」と。多くの人がこのような感じを抱いていると私は思います。一般に受け入れられている考え方に反するので、口に出して言わないとしても。モンタナ州の住民にとって、ワシントンで決められることによって自分の生活が影響されるのを認めることは、当たり前のことではありません。南北戦争は、アメリカ合衆国の建国から1世紀足らずのうちに勃発しました。当時、この分離主義の誘惑は破廉恥にさえ見えかねませんでしたが、今日では、それほどでもありません。アメリカの思想の中心に、このような連邦に意味があるのかという、潜在的な疑念があります。アメリカ人にはこの疑問を抑え込む傾向があります。しかし、国家だけがこの連邦の唯一の存在理由であるにもかかわらず、1776年を受け継いだ統合の意志は、内心で、連邦国家への拒否感に衝突します。ミシガン州の北部には、分離することを望む小さな半島があります。それに私は、自分が住むメーン州の地域は、地理的まとまりを理由に、カナダの一部であるべきだと思うことがあります。

2008年、あなたは、ジョン・マケインが当選したらカナダに移住したいと断言していました…
実際にそうしていたでしょう! 個人的に、カナダは、合衆国の行き過ぎを免れた、寛容のオアシスに見えます。たとえ石油経済の発展がアルバータ州のような一部の地方を一種のファー・ウェストのようなものにしても、テキサスの、より一般的にはアメリカの狂気からは程遠いままです。2、3年前、ミシシッピーの大学で教えていた時、学生に武器を所持しているか尋ねました。自分も持っているということにして。彼らは神経質そうに笑っていました、なぜなら一部の学生は確実に武装していたからです。いずれにせよ、完璧に合法です。銃で武装したまま、大学に、教会に、レストランに、保育所に入ることができるのです… そして誰もが、そのことを普通だと思っています。しかし結局そうではない。アメリカ人の60%はこれが異常だと思っています。しかし我々は極右のなすがままです。そしてニューオーリンズに住んでいた時、誰かを街中で射殺してしまったら、死体を自宅に運び込めと言われていたでしょう。というのはこの場合、正当防衛になるからです! 

2005年、ニューオーリンズを廃墟にしたハリケーン・カトリーナの直後、あなたは我々に素晴らし文章を書きました。あなたの次の本、『Let Me Be Frank With You』は、あなたの作品の登場人物フランク・バスコンブを再び登場させていますが、今回はハリケーン・サンディが通り過ぎた後に繰り広げられています。
そうです。私はサンディを直接経験しました。カトリーナの場合とは違ったものでした。そしていくつかの印象を抱きました。特に、メディアが気づくことなく、ハリケーンがどのようにして密かに個人の生活に影響したかに注目しました。見かけ上は異質な出来事の間に隠された関係を暴くことが文学の力の一つです。エッセー、『自己への信頼』でラルフ・ワルド・エマーソンが言っていたように、「本性は観察されることを好まない。」 実に単純ですが非常に深い言葉です。これは、想像力が本性の影響を取り出すことができるということを意味します。本質がその影響を暴き立てないにもかかわらず。私の小説ではフランクはニュージャージー州の小さな町にいます。ある秋の日の午後、一人のアフリカ系アメリカ人女性がフランクを訪ね、ずっと前、彼が子供だった頃にその家に住んでいたことを打ち明けます。ハリケーンのために家を追い出された彼女はフランク隣人たちの家に泊めてもらい、かつて父親が母と弟を殺害したこの家に再会する決意をしました。彼女自身が、学校に行っていたおかげで死を免れたのでした。こうして、全く予期せぬ仕方で、彼女を悲劇の舞台に再び連れて行くのがハリケーンだったのです。しかし二つの出来事を関連付けるのは私です。

(以下略)


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 2 AU 8 OCTOBRE 2014, N° 2604



上記の『週刊東洋経済』2014年11月1号の特集、「分裂する大国 アメリカ」の中で、

p.34 からの、『Part1 現地報告アメリカ2014 オバマの夢から覚めた迷える大国はどこへ 1%と99%に分裂 格差に翻弄されるニューヨーカー』
という記事の中では、例の『21世紀の資本論』が登場します。
(pp.37-)
「ピケティ本は聖書だよ」
「部屋の巨象がわかった」

 
 10月3日。金曜日の夜だというのに、マンハッタン西16丁目のニュースクール大学講堂はニューヨーカーで埋め尽くされていた。ざっと300人はいるだろうか。
 この日登壇したのは、フランス人経済学者トマ・ピケティ教授だ。3月に米国で発売された著書『21世紀の資本論』は、700ページに及ぶ分厚い経済書にもかかわらず飛ぶように売れた。3世紀間のデータを用いて不平等の構図を解いた専門書が、米国人の心をつかんだのである。
 その一人、50代のマーク・サリバンさんはピケティブームをこう分析する。「米国に『巨象が部屋にいる』という表現がある。その存在に誰もが気づいているのに、誰もそれに触れない状態だよ。この本は、不平等が今そこにある現実だと認めた。本を買った人のほとんどが読みこなせないだろうけれど、これだけ売れるのは多くが『これは持っておかないといけない』と感じているから。聖書みたいなものだよ」。
 かつて格差といえば、持つ者と持たざる者の差だった。今はそれが「1%と99%」という形を成す。そして、中間層は99%のほうに含まれるのだ。米エコノミック・アナリシス・アンド・リサーチ・ネットワークの調べだと、09~11年の所得上位1%の所得額上昇率が11.5%だったのに対して、下位99%はマイナス0.7%になっている。
詳しくは本誌をご覧ください。







Capital in the Twenty-First Century/Thomas Piketty
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今さら「実は」と言われても困ります。


実は先進国トップの貧困率だった日本。貧困の波は年収500万円サラリーマンにも押し寄せている

 今までSPA!では何度も「貧困問題」について特集してきたが、年収500万円という平均的なサラリ..........≪続きを読む≫
以前からこの国は、所得再分配後に貧困率が上昇する、稀有な国として知られていました。

シングルマザーの就労率は世界トップクラスなのに、逆に貧困率は先進国トップというのも、某与党やそれに追随するマスゴミが知らせようとしないだけで、このブログの始めの頃から周知の事実でした。

今さら「実は」と言わないでください。

「アベノミクスで景気がよくなったといわれても、それを実感できているのは、一部の富裕層に限った話。雇用の流動化を進める安倍政権が目指すのは、1%の富裕層が富を独占するアメリカのような超格差社会です。すでに、正社員の労働環境も不安定化しており、中間層が下に落ちてきています」

これはその通りですが、こんなのを目指すアベノミクス(なんて恥ずかしいネーミング)を叫ぶ政権を、この週刊誌の出版社の親分である某メディアは散々支持してきたのではないですか?




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3年以上前のことで自分でも殆ど忘れていた2011年9月11日の Norvège : la bonne réponse ノルウェーの優れた答え  で話題にしたノルウェーのイェンス・ストルテンベルグ首相(当時)が、2014年10月1日にNATO、北大西洋条約機構の事務総長に就任したことに関する話題を、全くの気まぐれですが、取り上げます。


週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年10月2-8日(通巻2604) に掲載された BONS BAISERS DE RUSSIE (ロシアより愛をこめて)という記事です。



obs20141002-1




MONDE

OTAN

BONS BAISERS DE RUSSIE



Le nouveau secrétaire général de lAlliance atlantique, Jens Stoltenberg, a-t-il été un agent du KGB ? Les Russes le suggèrent. Leur but ? Discréditer leur principal adversaire


(大西洋同盟の新事務総長、イェンス・ストルテンベルグは、KGBのエージェントだったのか? ロシア側はそう示唆する。その目的は? 自分たちの主要な敵の信用を失わせること。)

PAR JEAN-BAPTISTE NAUDET


 クレムリンは大喜びだ。ウクライナ紛争以来熾烈を極める新たな東西の戦争で、モスクワは一つの見事な点に注目したところだ。それを信用すれば、10月1日に就任したNATOの新事務総長、55歳のノルウェー人イェンス・ストルテンベルグは、偉大な「「ロシアの味方」だというのだ。もっと言えば、彼はKGBのエージェントだった! ソビエト次いでロシアの拡張主義を抑え込む役割を担った、北大西洋の強大な軍事同盟が弱体化し、不安定になり、笑いものになるようなものだ。確かに、ノルウェーでは「情報」は否定され、「情報操作」とさえ言われている。しかし都合の悪いことが行われ、疑いが広められる。労働党で左翼の、ノルウェーで二期首相を務めたイェンス・ストルテンベルグの長文の紹介記事で9月中旬に事件を「暴露」したのは、非常にまじめなロシアのビジネス系日刊紙、『ヴェドモスティ』だった。「1990年代、ストルテンベルグはステクロフ(ガラス職人)のコードネームで、KGBのエージェントと定期的に接触しながら、ソビエトの情報機関のために働いていた」と、『ヴェドモスティ』は記すが、情報源は全く示していない。オスロでは、ロシア専門のスター記者、アスネ・サイエルシュタッドが憤慨する。「ここでは、2003年から、マスコミから出てきた古い話だ。KGBはストルテンベルグに“ステクロフ”と名付けて標的に選んだ。1990年代、当時国会議員だったストルテンベルグは、確かに、在オスロ・ソビエト大使館の二番目か三番目の書記官と正統に会見していた。しかし、ノルウェー秘密警察が彼に、その外交官がKGBであることを警告してからは、あらゆる接触を絶った。ストルテンベルグがモスクワのスパイだったことは決してない。」 ノルウェー情報機関によって確認された解釈である。

 多くの進歩派の欧州の同様に、ストルテンベルグはソビエト側と良好な関係を維持していた。策略はロシア情報局の極めて古典的な手法だった。左派政治家のソビエト連邦の「外交官」とのありふれた接触を、彼らがKGBのエージェントとして通用させるために利用することだった。この策略は1990年代に社会党のシャルル・エルニュに対して利用された。確かに、これら「革命家」の進化は面白い。例えば、若い頃、ワシントンが主導する軍事同盟の新事務総長、イェンス・ストルテンベルグは、急進左翼と一緒に、ベトナムにおけるアメリカの戦争に反対し、ノルウェーのNATOへの加盟に反対してデモに参加していた… しかし、こうした細部が際どいからといって、彼らがKGBの元エージェントから転向した左翼活動家ということにはならない。

 抱擁しながら窒息させるかのように、ストルテンベルグがロシアの「大切な友人」のままでいたことにモスクワが固執するのはそのためだ。そして誰もが彼の宣言に従う。NATO駐在のロシア大使、アレクサンドル・グルフコは言う、「ロシアは首相だった時のイェンス・ストルテンベルグとともに、生産的に働いてきた。我々の彼との共同作業の経験は以上にプラスだった。彼の内閣の下で、両国関係の強化のために多くのことが行われた。」 ストルテンベルグとの素晴らしい関係を強調し、漁業分野、とりわけバレンツ海でのタラの保護に関して結ばれた基本的な合意を繰り返すために、ロシア首相、ドミトリ・メドベージェフ、次いでウラジミール・プーチン大統領が矢面に立った… ロシアと国境を接する国の出身としては初めてのNATO事務総長は、とりわけ燃え盛るウクライナ問題に関して、モスクワに対してより柔軟になるだろうか? この問題に対する彼の発言はむしろはっきりしている。モスクワに対する制裁に賛成する発言をした。ウクライナのNATO加盟の可能性にすら言及している。クレムリンにとっては脅しともとれる仮定であり、一部の観測筋によれば、火薬に火を点けることも有り得た。それでも、妥協の名手でありロシアと交渉することに慣れているストルテンベルグは、ウクライナ危機の出口を見出すための策を得ることができよう。「安全保障に関して、イェンス・ストルテンベルグにタカ派の要素は見られない」と、ノルウェーの新聞「ネッタヴィセン」の記者、グンナル・スタヴルムは断言する。「国際紛争の増大の時代の後に、NATOの主要国は妥協の準備ができた事務総長を望んでいることを、イェンス・ストルテンベルグの選出が示している。」 クレムリンは、かくも良き「友」が差しのべた手を、しっかり掴むだろうか?


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 2 AU 8 OCTOBRE 2014, N° 2604









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先日(10月16日)、オルセー美術館展 とやらの無料招待券を頂いたので六本木の国立新美術館 に行った帰り。

ミッドタウン前のビル工事現場にて。

「英国領バミューダ」・・・

なんと香ばしい・・・


タックスヘイブン


まだこんなことが大手を振ってまかり通っているんですね。
こんなんじゃ、いくら法人税減税したって、あっちに行っちゃいますよ、愛国心(笑)のかけらもないセコイ企業のお歴々は。

ちなみに、この工事現場の前の道路には、黒塗りの(窓も)のベンツやらレクサスやらが、多数、路上駐車しておられました。あと、真っ黒の大型威圧系ミニバンも。最近のその筋の方々は、超高級セダンだけでなく、下品系威圧系巨大ミニバンも利用されるようです。さすが合理的(笑)。

かつて鳴り物入りで登場した駐車監視員らしき人々やらも見て見ぬふり。その筋の方々が街に普通に溶け込んでいるところんど、いかにも六本木でした。




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最近、ハンガリーが第二次世界大戦中の対独協力について「謝罪しなかったから偉い」「日本も見習え」とか、都合よく利用しようとする動きが一部にあるということを、風の噂に聞きました。しかし、どこかの国の、極右勢力を利用しておきながら知らんぷりの与党の支持層が思っているほど、事は単純ではありません、という話です。当たり前のことです。

週刊誌 Le Nouvel Observateur の2014年8月21-27日(通巻5998)に掲載された、LE BROUILLARD DE L’HISTOIRE (歴史の霧) という記事です。





20140821-01



MONDE

HONGRIE

LE BROUILLARD DE L’HISTOIRE



Pour capter les voix de l’extrême droite, le conservateur et populiste Viktor Orbán n’hésite pas à verser dans le révisionnisme

(極右の票を取り込むために、保守派でポピュリストのオルバーン・ビクトルは歴史修正主義に飛び込むことをためらわない)



DE NOTRE ENVOYÉ SPÉCIAL JEAN-BAPTISTE NAUDET

20140821-02
 すり減った靴、古い眼鏡、乾いた花、ろうそく、ダビデの星が描かれた石の飾り、とても美しい女性が悲しく謎めいた微笑みを浮かべる横顔の白黒写真。このような説明が書かれている、「ハンガリー憲兵隊によってアウシュビッツに移送される前の母。」 ブダペストの都心で、異論が多いために長い間未完成の、第二次世界大戦の犠牲者を追悼する記念碑の足元に、ブダペストの当局の積極的な協力によって、1944年3月から5月の6週間で強制収容された43700人のハンガリーのユダヤ人の思い出、悲しみ、怒りを担った霊廟を、無名の人々が急いで作り上げた。足場の覆いと警官によって長い間守られてきた公式の記念碑は、ハンガリーのユダヤ人社会だけでなく、オルバーン・ビクトルの大衆迎合的で保守的な政府の「右寄り」な歴史観を共有しない人々にも、抗議行動を生んだ。破風と13本の古代様式の柱で飾られた、この記念碑は事件に対する特異な見方を示している。一羽の鷲(ナチスドイツ)が大天使ガブリエル(無垢なハンガリー)に襲いかかる。それは歴史のいくつかの「細部」を忘れることだ…

 第二次世界大戦中、ハンガリーのホルティ・ミクローシュHórthy Miklós 政権はヒトラーの同盟者だった。そして、たとえハンガリーのユダヤ人がドイツの部隊の入国後にしか強制収容されなかったとしても、この体制の大規模な参加、とりわけ非常に献身的だった憲兵隊の参加があってこその移送だった。生存者や、ガス室と火葬場で人生を終えた人々の子孫が、全く「天使のよう」ではないと判断する態度である。そうして、大ハンガリー帝国への郷愁、国粋的で大衆迎合的な欲望の底で、記憶をめぐる闘争がブダペスト中心にまで猛威を振るう。ユダヤ人社会は、ショアーの70周年を記念する公式のセレモニーへの参加を拒絶した。彫刻家 パルカーニ・ラーブ・ペーテルPárkányi Raab Péter の作品は3月には完成するはずだった。4か月以上経っても、醜聞を理由に、未完成のままだ。そして恐らくずっとそのままにはならないことを、当局はほのめかしていた。警察の警備の介入下で、記念碑を管制させるために真夏を利用してきたのだ。

 この夏、記念碑から数メートルのところで抗議行動に参加しているのはなおも数百人いる。日常として、このハプニングは3月から続いている。少し遠くで、20人ほどの人が椅子に座っている。歴史修正主義の記念碑を前にして、この集会は野党が「生ける記憶」と名付けるものを体現している。誰もがここに来て、それぞれの物語を、公に語ることができる。今日、言葉を発するのは、美術史の教授、レーニ・アンドラーシュRényi András だ。マスコミで、この記念碑の反対派は、オルバーン政権の主要な歴史家たちの一人から、激しく攻撃されている。なぜなら彼は共産党時代のノーメンクラトゥーラの家の出身だからである。レーニ・アンドラーシュ自身、聴衆の前でそれを認める。「父はユダヤ人の印刷工だった。第二次大戦中に共産党とレジスタンスに加入した」、彼は語る。「父は共産主義体制の幹部の一人になり、党の新聞のナンバー2になった。決してナンバー1にはなれなかった。ユダヤ人だったからだ。党は彼を出世させようとしなかった。」 一人の男が経ったまま、彼を好意的に見つめる。彼自身、1956年の反共産党蜂起の後に体制によって死刑判決を受けていた。

 レーニ・アンドラーシュはオルバーン・ビクトルの歴史歪曲主義に関して一つの学説を披露する。内密に分析する、「それは新しい歴史の語り方だ。1000年の間、ハンガリーは犠牲者だったが、オルバーンはこの不幸な千年紀を終わらせ、ハンガリー国家を作り直そうとしている。彼は政治目的に歴史を手段としている。この記念碑は、確実に極右に向けたジェスチャーだ。ドイツによる占領の間にハンガリー社会には全く責任がなく、したがって記憶の作業は必要ないということを意味するからだ。」

 記憶に関する論争は記念碑をめぐる対立にとどまらない。学校にも及んだ。複数の教員が、特に歴史の、修正主義と判断される新しい教科書の配布を非難した。歴史教育協会会長、ミクローシ・ラスレー Miklósi Lászlé は「到底受け入れられない、1989年以降初めての強制的なイデオロギー」を非難する。国有化された、したがって政府に統制される出版社から出された教科書は、「独裁者ホルティの肯定的な印象を与える」と憤慨する。「この教科書が欧州連合の資金のおかげで出版されているだけになおさらだ!」 いくつかの本では、「ヒトラーが西部劇のヒーローであるかのように紹介されている」と、うんざりしながら強調する。

 ハンガリーの色である、赤と緑の縁取りのついた白い小冊子もまた、論争を巻き起こしている。これは「国家への忠誠の表明」、すなわち、13歳から14歳の生徒全員に配布される、新憲法の前文だ。オルバーン・ビクトルを非難する側にとっては、愛国的信仰の手段だ。この国民的「祈り」は、ドイツ軍が侵入した1944年3月19日にハンガリーが主権を失ったと断言する。しかし、これが侵略以上に、ソビエト軍に対抗するための軍事的戦術であったこと、そしてドイツと同盟していたホルティ政権がその地位に留まったことを忘れることである。歴史修正主義は、論争の的となっている4人の作家の名誉回復をも兼ねる。Nyiro József (1889-1953)、Wass Albert (1908-1998)、Sinka István (1897-1969)、Szabó Dezso (1879-1945)。セリーヌのような才能よりも、反ユダヤ主義で有名な作家たちである。彼らは新しい教科書でそれなりの地位を得ている。反対に、ノーベル文学賞を受賞した唯一のハンガリー人で、ショアーの生き残りでもある、イムレ・ケルテス Imre Kertészは、「ハンガリー人作家」の中で教育課程に記載されていない。

 火薬に火を点けた、当局のもう一つの決定は、2014年1月のヴェリタス歴史研究所の創設だった。極右に近いと見なされる歴史家ソカ-リ・シャンドルSzakály Sándor率いるヴェリタスは、ハンガリー史の誇大な観点を押し付けるオルバーンの最後の試みと見られる。ソカ-リ・シャンドルは弁解する。「誰も私に何も問わなかった」と断言する。そして、歴史修正主義ではなく、「我々自身に対して批判的であることにすぎない」と誓って言う。1941年に中央ヨーロッパの14000人のユダヤ人がハンガリーによってウクライナに移送され、そこでナチスによって殺戮されたことを、単なる「外国人に対する警察の作戦」と形容したとして反対派がやり玉に挙げる男は、歴史の「複雑さを見つめ」なければならないと断言する。この御用歴史家はホルティ政権に「肯定的な要素」さえあると考え、「非難するのは安易に過ぎる」と判断する。最後には、話題をかわす。「ホルティの政策が肯定できるか否かを判断するのは難しい。歴史には黒も白もない。」

 ハンガリーのユダヤ教信徒協会の副会長、トルダイ・ペーテル Tordai Péter は歴史のこの時代に対してより明確な観点を持つ 。「極めて人数の少なかったドイツ軍は、ハンガリー側の積極的な協力がなければ、強制収容を実施することはできなかったはずだ」、ユダヤ人協会の会長室で、説明する。そこには1944年にアドルフ・アイヒマンがハンガリーにおける「最終解決」を監督するために居を定めていた。「政府は、ドイツ人のせいにすることで、1930年代から1940年代の右翼的政策の疑いを晴らすつもりだ」と、彼は続ける。「現政権は反ユダヤ的ではない。しかし、右翼や極右の支持者を惹きつけるために、歴史の霧を創り出している。」 ハンガリーのユダヤ人社会は、闘うことを強く決意している。「我々は、歴史がでっち上げられる国に生きたくない、トルダイ・ペーテルは力強く話す。「闘わなければ、ショアーが決して再び起こり得ないと、どうして信じることができるだろうか?」


LE NOUVEL OBSERVATEUR DU 21 AU 27 AOÛT 2014, N°2598
















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何年振りかで、DVDというものを買いました。

ナオミ・クライン原作
マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス監督作品、
ショック・ドクトリン

もちろん、あの『ショック・ドクトリン』の映画化です。

DVD BOOK 「ショック・ドクトリン」 (旬報社DVD BOOK)/旬報社
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原作(の日本語版)はこちら

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原著はこちら
The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capita.../Picador USA
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ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【1】  2008年5月28日

ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【2】
 2008年5月29日

ナオミ・クライン、危機を利用する資本主義【3】  2008年5月30日



このDVDを見て気付いたことですが、ミルトン・フリードマンですら「民営化」を期待しないものがありました。

軍隊、裁判所、そして道路交通網です。

どこかの国は高速道路を「民営化」し、その宗主国さまは、軍隊の機能の多くを「民営化」しました。
そして両国とも、裁判所の先にある刑務所の「民営化」も進めようとしています。

地獄にいらっしゃるであろうフリードマン様も、さぞ驚いておられることでしょう。



それから、原著ではフォークランド紛争を「櫛をめぐる二人のハゲの争い」 "a fignt between two bald men over a comb" と形容していて笑えたのですが、この表現が出てこなかったのが残念です(笑)。




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