ピケティの新著は影響力を持つか? | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の トマ・ピケティ:『資本とイデオロギー』について  の続き、というか補足的な記事を引用します。


前回と同じく、週刊誌 L'Obs 2019年9月5日(通巻2861)に掲載された、 PRÊCHE-T-IL DANS LE DÉSERT ?  (彼は砂漠で説教するのか?) という記事です。







PRÊCHE-T-IL DANS LE DÉSERT ?

L’économiste a vendu 2,5 millions d’exemplaires de son essai "le Capital au XXIe siècle", mais ses idées peinent à convaincre les politiques. A commencer par Emmanuel Macron...



ÉRIC AESCHIMANN et PASCAL RICHÉ


(経済学者トマ・ピケティはエッセイ『21世紀の資本』を250万部売り上げたが、その思想は政治家を納得させるのに苦心する。エマニュエル・マクロンを始め…)


新ピケティは、2013年に出版された『21世紀の資本』のようにベストセラーになるだろうか? そして何より、今回は経済政策により大きな影響を与えるだろうか? 私たちは思い出す。世界中で250万部、そのうち中国で60万部、アングロサクソン諸国でも同じくらい売れた。アメリカのキャンパスとアジアでのロックスターのツアー。それは「ピケティマニア」であり、すべてが可能だった。 Occupy Wall Streetに刺激を与えながら、フランスのエコノミスト、ピケティはオバマの顧問によって迎え入れられ、ビル・ゲイツとSkype経由で会話した。しかし6年後、彼の提案が政治的決定に殆ど何の影響も与えなかったことを確認しなければならない。この新しい本で再び取り上げて洗練させている彼の主なアイデアは、国際レベルでISFを一般化することにより、資産に対する課税を導入することだ… そのアイディアは、アメリカ民主党の左派の内部でしか前進しなかった。フランスでは、ISFが忘れ去られてしまった。ぶっきらぼうに言えば、読者は多かったが、支持者はほとんどいなかった!

 しかし、エコノミストはいかなる思想の派閥とも仲違いしないように気を付ける。彼は確かに左の立場をとる(ブノワ・アモンを支持した)が、活動家として見られないようにあらゆることをする。「私の進め方は社会科学の研究者のものであり、政治集団間の解決不能な緊張を超えて、解決策について取り組むことだ」と、彼は繰り返す。そのために彼は「ピケティスタイル」を展開した。礼儀正しく、適度で、楽観的で、集まることを求めて、彼は悲劇にも大げさな非難にも陥らない。彼の不平等の物語は、3世紀にわたって続いてきたエリートを容赦しないが、皮肉という手段によってである。彼は痛烈であり、懐柔されないでいることができ(レジオンドヌール勲章を拒否した)、常に政治指導者への批判を正面から言うが、分裂を過大評価せず、誰とでも議論することを受け入れる、特にリベラルな経済学者と。それは反ブルデューだ。

 急進左派の側では、彼はあまりにも穏やかで、「soc-dem(社民)」であると見える。「ピケティのおかげで、21世紀の資本は安泰だ」と、超左翼称賛するエコノミスト、フレデリック・ロルドンは揶揄した。一方、正統派のマルクス主義者は、資本の世襲財産としての定義が甘ったるいと判断する。資本と労働の関係に内在する社会的暴力の役割をあいまいにすると。すべてを税金で解決することを提案して、ピケティは2世紀にわたる社会的闘争から逃れるのだという。

 右派も激しく批判した。 フランスでは、エッセイストのニコラ・バブレスは「郡庁のマルクス主義」を非難した。アングロサクソンのエコノミストはデータの誤りを指摘しましたが、論争は長く続いた。最も大雑把でかつ最も真剣な議論は、純粋でハードな資本主義の擁護者から来た。最貧者でも食べて生活するものを持つった瞬間から、不平等の拡大はどのような点で問題なのか?  彼らにとって、政治が社会正義を心配し始めるとすぐに、それは全体主義に陥る以外にない(すでに自由主義経済学者フリードリヒ・ハイエクの信念だったことだ)。ところが、このプロビジネスと反国家の考え方は、死んだというには程遠い。それは、ドナルド・トランプも、ブラジルのジャイル・ボルソナロをも導くものだ。言うまでもなく、ピケティは彼らのベッドサイドのテーブルにはいない…

 社会民主主義思想に近い経済学者の側では、ピケティの仕事は影響力があった。彼の診断は現在受け入れられており、不平等はもはや禁じられた主題ではない。そのことは喜ばざるを得ない。20年前だったら、この考えは一笑に付されていただろう。フランソワ・フュレからアラン・マンクまで、インテリ一派全体が、昨日はテロへ今日は経済の停滞へと導く、フランス人の「平等への情熱」を非難した。不平等は経済成長に有益でさえある、と示唆するものさえいる。この種の発言が通常、不平等の「右側」にある人々の口から出ていることに注意しておこう。

 そのような否定はもはや適切ではなく、不平等というテーマは避けられなくなっている。イギリスの疫学者リチャード・ウィルキンソンは、不平等が成長も社会的幸福も促進しないだけでなく、反対にそれが生み出すストレスが、最富裕層も含む社会全体を脆弱にすることを証明した。IMF、世界銀行、OECDでさえ、言うことを変えた。8月末には、G7が不平等との戦いを議題に加えたほどである。しかし、ピケティの著作は言及されておらず、彼が長年擁護してきた施策もどれ一つとして議論されなかった。

 「平等」という言葉が誰にとっても同じ意味を持つわけではない。ピケティがすべての人の間でう資本を分配すると言うとき、自由主義者は何かにつけて「機会の平等」(「起源の不平等、運命の不平等、誕生時の不平等」と、4月にマクロンは締め括った)を引き合いに出す。彼らは、時にその思想を歪曲しながら、ジョン・ロールズやアマルティア・センのような思想家にもたれかかる。誰もがスタートラインで「平等」でなければならず、メリットの競争が行われる! 再分配の問題をガス抜きするためのイデオロギーの素晴らしい策略である。

 政治家はピケティを全面的に無視した。「私はそれを読んでいない、それは重すぎる」と、『21世紀の資本』出版の際、いつもの巧妙さで財務大臣ミシェル・サパンは冷やかしていた。2015年1月に、経済学者ピケティが出席したベルシーで開催されたシンポジウムで、新任の経済大臣だったマクロンは、彼に向けての一歩を進めかけていた。「我々は失敗している、それはトマ・ピケティが築いた長期にわたる調査結果の残酷さだ。それは認めなければならない。」 しかし、元の性質は大急ぎで戻ってきた。大統領になったマクロンはあからさまに富裕層向きの政策を主導した。「最初のロープ」の理論、不動産だけに対する税によるISFの置き換え、資本所得に対するフラットタックス…
 
 ピケティは思想の力を信じている。彼によれば、我々が確信を勝ち取ると期待できるのは、経済的選択の原因と結果を説明することに時間をかけること、知識を共有すること、知識を民主化すること、専門分野をまとめることによってである。この一連の行動は、おそらく、彼が敵対者からも含めて受けている、幅広い経緯の理由である。しかし、彼らの意見を変えるという点で、少なくとも我々が言えること、それは勝ち得たわけではないということだ。 ベストセラーであってもなくても。

L’OBS No 2861-05/09/2019

https://www.nouvelobs.com/economie/20190905.OBS17982/thomas-piketty-preche-t-il-dans-le-desert.html


Capital et idéologie  (資本とイデオロギー)は、まだ日本語訳はおろか、英語版も出版されていません(来年3月という噂)。



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なお、次回(があれば)は、前回のピケティの意見に対する異論または反論のような記事を紹介するかもしれません。次回があれば、ですが。